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カミングアウトの「失敗」(2)――親密な関係性における葛藤

ドキュメント内 多形的な「私」の承認をめぐって (ページ 62-69)

第 4 章 「性的マジョリティ」へのカミングアウト

4 カミングアウトの「失敗」(2)――親密な関係性における葛藤

カミングアウトしても,容易には承認されないことがある.そのようなときに,さほど 親密でない関係に比べ,親やパートナーのような親密な関係においては,理解できないな かでも理解しようと努めたり,それでも断念したりという葛藤がありうると考えられる.

本節では,それらの葛藤をはらんだコミュニケーションについての語りから,Xジェンダー という集合カテゴリーへの理解が,役割カテゴリーがもたらす規範によってどのように影 響されるのかを読み解いていく.

本節では,パートナーや親にカムアウトしており,理解し合ううえで葛藤があった A さ んとE さんの語りを中心にみていきたい.特に,パートナーや親子などの関係性に着目し ていくが,もちろんある関係性にはそれまでの経験など多くの要素が影響しており,ある 関係性に対応するものとしてカミングアウトのあり方を一般化することはできない.しか し,それぞれの関係性に特徴的な,規範的な要素を読み取ることはできると思われる.ま ず,パートナーはカミングアウトをどのように受け取るのか.FTXのEさんは,パートナ ーにカムアウトしているが,なかなか理解されない.

*:どのくらい伝えてるんですか,旦那さんには.

E:なんか,トランスジェンダーの,こう,一種だと思うみたいなことは,Xって言っ

ても伝わらないだろうなと思って,言ったら,トランスジェンダーすら伝わらなくて.

で,自分のその,ジェンダーの専門用語を使わないで,自分の言葉で話してくれみた いな.で,「どうせ男なんでしょ,もう僕,男だと思ってるから」みたいな感じで,「完 全に男ではなくて,男寄りではある」,みたいな感じでは,話してるんですけど.こう,

温度差があるというか.けっこう自分の中で,一番大切にしている部分を伝えてるん ですけど,彼からすると,おそらく認めたくない,みたいなところもあると思うし,

あとは,ちょっとなんか,冗談,まあ冗談好きな,すっごい陽気な人ではあるので,

冗談で返されたりとか.温度差のギャップみたいなのが,あって.それはそれでうま くいっているというか.

Eさんは理解しやすいように「トランスジェンダーの一種」だと伝えるが,専門用語では納 得してもらえない.「一番大切にしている部分」を伝えてもなかなか理解されず,冗談で距 離をとられることで関係性がうまくいっている面もある.Eさんは少しずつパートナーに自

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分の感覚を伝えようとしているという.フェイスブックで E さんはパートナーと友達であ り,「自分の発信したい性の情報が生々しいときは制限かけて,それが過去になってしまっ たら,制限を外すみたいな感じで」,少しずつ受け入れてもらおうとしていると語っていた.

ここでは,Eさんと夫が,マイノリティのカテゴリーではなく,「私」の感覚を伝え,ま た理解しようとして,困難に直面する様子が読み取れる.本章第 2 節において家族へのカ ミングアウトがうまくいっていたのは,「性的マイノリティ」や「Xジェンダー」といった カテゴリーによって,そういった存在として「私」を認めてもらうことに重点を置き,感 覚の理解までは求めなかったためであった.この場面では,感覚を言葉で伝える難しさが 読み取れる.「男ではなくて,男寄りではある」と考えているEさんに対し,夫は「男だと 思ってる」と「男」というカテゴリーを他者執行しようとする.しかし,Eさんがそこに温 度差を感じていた.それは,夫が執行する「男」というカテゴリーに,典型的な「男らし さ」というイメージが含まれているとE さんが感じたためだと推測できる.E さんの性別 違和への肯定的なイメージや,身体感覚などを含む「私」の多形性が,伝わることなく均 質化されてしまう危険性を感じ取られているためだとも考えられる.

Eさんの「私」の感覚がはっきりしているとしても,それを言語化して伝えるのは難しく,

また,Eさんの夫がそれを理解することはさらに難しいと思われる.しかし,夫婦という関 係性のもとでは,互いにできるだけ内面的な部分まで理解し合っていることが求められや すく,そのためにカテゴリーよりも「自分の言葉で」説明する必要も生じやすいと考えら れる.一方で,夫の冗談によって相互理解は不完全なままに宙吊りにされる.このことは,

夫婦という関係性のもとで,関係性の継続を志向しようとする様子も読み取れる.完全に 互いの感覚を理解し合っていない場合でも,関係性は継続できるのである.

では,パートナーの関係においてはどうだろうか.Aさんはパートナーにはっきりとカミ ングアウトしていたわけではなく,ほのめかしただけであったが,それもうまく伝わらな い.

A:まあ彼氏と,そういう関係になったとき,は,なんか違ったんですよ,とてつも ない違和感だったんですよね.で,なんでかっていったら,自分のせいもあるんです けど,男性性を隠しておかなきゃなんかかわいそう,みたいな感じになって,で,ま あでも,いつも男性社会で生活してるから,なんかそれ言わないとかわいそうと思っ て,こう,自分こういう生活してるんだよねみたいな,こういう人とつるんでるんだ よみたいな.ことをいってて,そしたら彼氏が,なんか,リアクションしなかった.

というか,ふーんみたいな,くらいだったんです.あ,こいつ全然気にしてないと思 って,ああオッケーオッケーみたいな感じだったんですよ.で,まあ実際わかった,

後でわかったのが,全然受け入れられてなかったっていうことで,あのー,じゃあ俺 が,女の子と手つないでもいいの?キスまでしていいの?え?みたいな感じになっち ゃって.終わりだ.意味合いが違うわけですよこっちからしたら.

*:うん,伝わってないですもんね.

A:そう.でまあ男性社会にいれなくなったら友達いなくなっちゃうわけですよ.生き る場所がなくなっちゃう.

*:ああ,そうかそうか….

A:そこまでわかってないんですよね.でまあそういうことがあって,結局だから自分

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の男性性わかってもらえてなかったんですよ.てなると,素直に女にもなれなかった んですよね.だから,とてつもない違和感.終わったあと,うん?なんか違う,みた いな.

Aさんは自分の男性性を隠さないとパートナーにとってかわいそうと考え,男性社会で生活 していることのみ伝えていた.それに対してパートナーは,おそらく意図が理解できずま ずは沈黙する.それから,「じゃあ俺が,女の子と手つないでもいいの?キスまでしていい の?」と,Aさんを異性愛者として他の男性を気にかけていると考え,報復的に自分が他の 女性を気にかけても構わないのかと探りを入れている.そのような理解は,Aさんの男性性 を否定することになり,Aさんは自分の「生きる場所」である男性社会での生活が脅かされ たように感じてしまう.また,Aさんの男性性が理解されないことは,性的な関係において

「素直に女にもなれない」という状況につながってしまい,「とてつもない違和感」を覚え ることになる.

A:そのときは,カミングアウトできる自分じゃなかったんですよ.で,別れる時が ちょっとおかしくなっちゃってて,もう,疲れてたんですよ.なんか化粧しろとか,

なんかしてくれとかって言われたり,

*:あ,けっこうそういうこと言うんですか.

A:言うタイプだったんですよ.それが非常にきつくて.なん,なんなんだ,普通わか れよみたいな感じに思っちゃったんですけど,それを求めるタイプで.で,いや,ま あ,ノーチャンというか,いや,意味わかんないでしょ,みたいな感じでつっぱねた っていうのがあって,それもすごく根に持たれてたりとかして.で,結局なんだその 求めることと自分がやってあげられる範囲がマッチしなかったというか,全然満足さ せてあげられなかったんですよね.で,別れ際にそういう,ま,さっきの電話ですよ ね,あの,俺が,手つないでもどこまでしてもいいのってやつですね.あれのあとに,

そういうことを色々言われて,かなり女を押し付けられちゃったんですよね.もう無 理ってなっちゃってもう,涙がばーって出てきて,その時にカミングアウトっぽいこ とを言ったんですよね.「女ができることは自分,はできない」って言ったんですよね.

相手からしたら謎なんですよ.全然わかんないんですよきっと.で,一応頑張って男 性性も隠すようにはしてたし,ただ女性性出せるわけでもないから,まあ,フラット なまあ人間というか.な,感じをやってたんですけど….だから,相手はどう思った のかなーって.

Aさんのパートナーは,化粧といった「女性らしい」ジェンダー表現をAさんに求めるが,

それができない A さんは徐々に消耗していく.これは,異性愛男性と異性愛女性のカップ ルという枠組みにおける,女性側への役割規範の押しつけであるともいえる.Aさんははっ きりとカミングアウトしてはいなかったが,その押しつけをA さんが嫌がっていることに ついて,「ふつうわかれよ」と理解を求めようとして失敗する.Aさんは異性愛枠組みのも とでの「女性らしさ」を拒否し,パートナーはその枠組みに留まって「女性らしさ」を押 しつけようとしているため,二人は完全にすれ違ってしまう.ここではAさんが,「頑張っ て男性性も隠す」ようにしていたことで,理解されにくくなっていた可能性もある.Aさん

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