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異質な他者との共存のために

ドキュメント内 多形的な「私」の承認をめぐって (ページ 72-78)

第 4 章 「性的マジョリティ」へのカミングアウト

3 異質な他者との共存のために

では,役割カテゴリーにも規定される他者との相互行為のなかで,具体的な「私」のあ り方をどのように伝えられるのか.本節では,それぞれの関係性によって異なるカミング アウトの困難があることをまずまとめる.それから,前節の内容をふまえつつ,異質な他 者とどのように共存できるかという最初の関心について,本研究でどのような知見をもた らすことができるのかを論じたい.

人とは異なる「私」のあり方を伝えようとする背景には,何らかのかたちでの,そのあ り方への制限が存在した.それをどのように伝え,どのように受け取られるかということ には,それがどのような関係性であるか,そこにどのような役割規範があるかが影響して いた.インタビューの結果,一対一の関係と集団において異なる困難があることが見出さ れた.まず,一対一の関係性についてまとめたい.その中にも,友人関係,パートナーの 関係,夫婦関係などの水平的関係の場合と,親/子,上司/部下などの垂直的関係の場合があ る.

初めに,水平的関係についてまとめる.友人や知人の関係には,基本的には役割が発生 しない.人間性を理解し合っている場合,特に性自認についてはカミングアウトをする必 要があまりない場合が多かった.また,カミングアウトした場合も,あまり関心をもたれ なかった.その無関心さからは,個人の内面的な内容には,それが特殊である場合には特 に,深く踏みこもうとしないという相互秩序が見出された.当事者の側も,はっきりと受 け入れられていなくても,あまり深刻にそれを捉えていなかった.

より重要な影響を双方にもたらすのは,パートナーや夫婦といった,多くの場合恋愛を 基盤としているような関係性におけるカミングアウトであった.そういった関係において は,異性愛規範が強い,すなわち「女らしさ」や「男らしさ」が当たり前のものとして押 しつけられやすいため,カミングアウトによって理解を求める必要性が大きかった.ただ し,これらの関係において,性別違和についてカミングアウトするとき,相手が「自分は 同性として愛されているのかもしれない」と感じて動揺する可能性はある.そういった同 性愛嫌悪的な反応をあらかじめ予期することはできず,それゆえに困難が生じやすかった.

また,関係の親密さゆえに,相手の要求に応えたいというメンタリティと,「私」の感覚を なるべく理解してほしいというメンタリティが生じて衝突することも,カミングアウトに 困難をもたらしていた.夫婦関係の場合は,パートナーの関係と比べて,互いを理解でき

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なくても関係性の継続を望みやすい可能性があった.

次に,親/子,上司/部下のような垂直的関係においては,前項が後項より権力をもつとい う上下関係があった.そして,権力を持つものが持たないものを守ろうとする場合と,高 圧的に支配しようとする場合との両面が見出された.前者の場合,子は親に性的マイノリ ティであることを積極的に伝え,親も誤解することがありながらも,時間をかけて自分で 勉強し,子を理解しようと努めていた.会社における上司/部下の関係においても,性別違 和がもたらす服装などの具体的な困難を部下が訴えた場合,その解決に尽力していた.こ れらは,多くの場合,具体的な「私」の感覚を伝えるのではなく,あるカテゴリーに含ま れるものとして自分のあり方を理解させるような共存のあり方であった.しかし,後者の 場合は,親は子をコントロールしようとし,性別ごとの役割を強調していた.そして,そ の規範に当てはまらないあり方には,「精神病」などの逸脱のレッテルを貼ることもあった.

職場においても,上司が部下に対し性的な暴力をふるうことがあり,それは権力性ゆえに 逃れることが難しく,カミングアウトもしにくいと思われる.

また,集団における秩序のなかでカミングアウトすることも,非常に困難である.集団 とは,ここではインタビューで取り上げられていた中学や高校,職場における集団を指す.

これらの場においては,「男」「女」といった集合カテゴリーに伴う規範が,相互行為秩序 に強く影響していることが語りからは読み取れた.そもそも,そこでの秩序から逸脱して マイノリティとなった当事者は,自己認識を変えたところで場の秩序を変えることはでき ない.根本的に,性別によってコミュニケーションのあり方が変わらないような場に変化 しない限り,状況は変わらないだろう.企業における性別役割分業や,セクシュアルハラ スメントは,改善される可能性がある.しかし,そのような場におけるコミュニケーショ ンの違いには,異性愛秩序も関わっており,容易に変えるのは難しい.例えば,恋バナで 盛り上がる,男子が女子をからかうといった学校でのコミュニケーションは,性別集団の 連帯を支え,それ自体が集団に属する人にとって喜びの源泉となる行為だと思われるため,

やめさせるというのは現実的ではない.

それでは,当事者はどのように,異質な他者と共存しうるのか.ここで共存とは,互い に「私」のあり方をできるだけ曲げることなく,相手のあり方を尊重することである.現 状では,マジョリティは,マイノリティの存在を前提として相互行為することはほとんど ないため,マイノリティの方が相手にまず働きかけることが必要となっている.

まず,「性的マイノリティ」といった一般的に知られたカテゴリーを用いたり,周囲の当 事者の多様性を例示したりすることで,マイノリティであるということだけ伝えるという やり方がある.「マイノリティ」として理解が進んだのちに,Xジェンダーであることを伝 えたり,自分の感覚についても少しずつ伝えられるようになったりする場合もある.感覚 までは理解されなくても,服装や結婚相手の性別など,具体的な事柄が解決されればそれ でよいと考えている場合,そのような伝え方は有効であった.具体的な事柄について話し 合ううちに,理解が生まれることもあった.夫婦やパートナーの関係においても,互いに 感覚まで理解し合っているべきという規範が強いと,関係性がうまくいかなくなる可能性 がある.その感覚が重要であればあるほど,それが理解されなかったときのリスクも大き くなるだろう.マジョリティであろうと,誰であろうと,他者の感覚を完全に理解するこ とはできないと思われる.可能であれば,自分にとって重要な感覚を承認したり,共感し たりしてくれるような場を,一つの関係性に集中させるのではなく,分散させてもってお

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最も問題となるのは,集団の中で困難を感じている場合や,性別に関する規範を押しつ けるような一対一の関係性にある場合である.そのような場合,どのようにマイノリティ は生きていけるのか.本研究からは,その場から逃れることを優先させ,カテゴリーを足 がかりにしてコミュニティに一時的にでも避難するというのが現実的な方策だと考えられ る.「私」のあり方が否定されて精神的な苦痛を受ける場合や,うまく言葉にできないよう な複雑な感覚をもつ場合,そもそも性自認をプライベートな個人情報であると捉え,伝え ようとは思わない場合など,様々な状況における当事者を支える場は必要である.自閉的 な共存もまた,異質な他者と共存していくうえで,現実的に重要なのである.

4 本研究の限界と今後の展望

最後に,本研究の限界と,今後の展望について述べたい.まず,限界として,インフォ ーマントの少なさから,Xジェンダー当事者に偏りがあることが挙げられる.特に,医療機 関で身体的な治療を行っている当事者が含まれていないことには問題があった.そういっ た当事者は,本研究におけるインフォーマントとは異なる困難をもつと考えられるためで ある.また,カテゴリーの作用と,他者との相互行為に焦点を当てたこともあって,Xジェ ンダー当事者のジェンダー表現についての記述や分析が不十分であった.これは,インタ ビューのときに,当事者がどのような服装を好んで着ており,そのジェンダー表現と身体 感覚の関係はどのようなものなのかといったことをほとんど聞くことができなかったため に生じた限界である.

このような限界をふまえ,インタビュー対象の範囲を拡大し,ジェンダー表現について も詳しく聞き取ることが必要である.それによって,カテゴリー,自己,身体の関係性を より精緻に整理し,身体をめぐる理論に貢献できると思われる.今後の課題としたい.

ドキュメント内 多形的な「私」の承認をめぐって (ページ 72-78)