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へのスクールカウンセリングのあり方

竹 森 元 彦 * 内 原 香 織 * *

はじめに

筆者は、 10年来、スクールカウンセラーとして小・中学校を中心に実践を行ってきた(竹森、

2000など)。スクールカウンセリングにおいて、学校にて荒れて暴れるなどの行動化を示す中学生 のケースが数多く見受けられる。スクールカウンセリングは、不登校がその対象という印象が強く、

非行などの行動化については、その対象外とされる場合が多い。確かに、スクールカウンセラーは 子どもの行動化を制止する立場として参加することは難しいが、その子どもの保護者や教師への子 ども理解を促進したり、子どもの行動化への関わり方を共に考えることが可能である。その結果、

子どもと親の関係性の悪循環を修正し、親自身の内省を深めることを手助けできる。

「荒れ」を示した生徒或いはそのグループが学校に居る場合、学校側もその対応に途方も無い労 力を強いられる。思春期の子どもたちば清緒的に不安定であり、そのエネルギーは時に爆発的でも ある。思春期は、エリクソンのいう「自我同一性」の獲得をその発達課題として、幼児期から思春 期までの自分を見直すことが求められる。一方、親の側からすれば、子どもの「育てなおし」の時 期となる。精神的にも体力的にも親や大人の側にかなりのエネルギーが必要となる。

思春期の「荒れ」を示した子どもに対して、親や大人が、子どもの気持ちを無視して「こうある べきだ」と無理に従わせるという関わり方を行うと、「荒れ」がひどくなる場合がある。大人が、

その「荒れ」に手を焼いて、子どもを責めたり、見捨てようとすると、「荒れ」は益々ひどくなる。

さらに、その結果、親は「理解できない子ども」「子育ての失敗」として、子育ての自信を失い、

益々見捨てるような発言をしてしまう悪循環が生じてくる。

それでは、子どもにとっての「荒れ」をどう捉えるか。

子どもにとって「荒れ」とは、外部の人間関係との摩擦、あるいは荒れた態度として表現される が、その本質において、子ども自身が自分をうまく受け入れられない、自己を肯定できないその自 己の歪みへの苦しみ、自己のもがきの表現として考えられる。「問題行動」として、子どもに対し て「問題」を押し付けるものではなく、まさに子どもの心の葛藤表現としての「行動化」として捉 えることが必要である。

子どもの表現としての「荒れ」に対して、親は、子どもとどのように向かい合うかが問われる。

親の中には、子どもと向き合うことが出来ず、子育てを「投げ出してしまう」という選択をする場 合もある。「荒れ」の子どもが登校する場合、学校では、その子どもを対応せざるを得ない状況と なる。学校・教師にとって負担が大きいのは、数十名のクラス運営をする中で、子どもただ一人へ の対応が難しい点がある。また、「荒れ」の問題が大きくなると危険性も増すので、早急な対応を

*香川大学教育学部助教授 **香川大学大学院教育学研究科2年

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求められる。同時に、学校教師は、親ではないので、親の役割自体の代わりは出来ない点に、本質 的な限界を有している。

それでは、子どもへの対応に自信喪失しがちな親自身の気持ちの「拠り所」をどのように支援し ていけばよいのか。ここでの「問題」は、子どもや親の責任、あるいは学校の指導に対する問題で はなく、く子どもの正しい理解を深めて、子どもと親、そして学校とのよい関係性をどのように形 成するか>にある。その視点において、どのように子どもや親、学校へと支援的「介入」を行うの かが重要である。

学校という場でのカウンセリングでは、問題となる子どもの相談を受けながら、その子どもを中 心とした家族、学校というシステムをどうつなげるか、関わらせるかが大切な視点となる。そのこ とによって、親と子ども、学校と子どもにおいて、子どもを抱える自律的な「関係性」が育ってく る。学校場面での相談活動は、日常的・予防的な意味が強い。従って、学校場面という現場に身を 置きながら、従来のカウンセリングの方法である二者関係を深めていくアプローチ(クリニックで のカウンセリングなど)を援用しながら、家族や学校に見られる上手く機能していない関係性をつ なぎ、活性化するかが求められる。そのようなカウンセリングに関する立場(オリエンテーショ ン)に立って論を進めたい。

近藤 (1994)は、「学校臨床心理学の成立」との関連で、心理臨床の焦点が「個人から関係へ、

そしてシステムヘ」移動してきたと指摘している。このやり方は、個人の歴史を辿るのではなく、

目の前にある生徒と家族、学校のシステムを見立て、危機的状況を媒介として介入するという点に おいて、早期の変化を期待するものであり、短期療法的な位置づけにもある。「荒れ」などの非行 問題に関しては、危機介入及び早期の変化が望まれるのは言うまでもない。

ロールプレイとは、実際に近いが実際場面ではないという限界を持つが、一方で、そこで行われ る対応は、数多くの事例の臨床経験に基づいて展開する。ロールプレイでは、何度もやり直しがき くし、実際のやり取りを試行的に検討することが可能であるというメリットをもつ。従って、実際 場面において事態が悪化した場面のロールプレイを、教師やカウンセラーがその役を行うことを通 じて、どのように関わるかについて再度検討することは、現実場面ではないということ以上に、意 味深いと考えられる。

また、スクールカウンセリングにおいては、「初期対応」が何よりも大切である。なぜなら、「初 期対応」によって、正確な物語(見立て)に応じた支援体制が組まれるならば、・自然と事態は好転 するが、そこに無理や読み違いがあると、問題はさらに悪化してしまう。多くの問題の悪化は「初 期対応」の間違いにあると考えられる。従って、「初期対応」をここで取り上げた。

本稿において、「荒れ」という行動化を示す子どもと家族の心理とその理解の視点をまとめると 共に、実際の学校場面での生じたケースに対するロールプレイを通じて、スクールカウンセリング のあり方について論考したい。

「荒れ」の心理と介入

「荒れ」をどう捉えるかについて、もう少し述べたい。この捉え方についての論考は多様な視点 から捉えられるべきであろう。しかし、「荒れ」をどう捉えるのかについて考え方が異なると対応 はまったく変わってくる。例えば、これは「悪いこと」「ルール違反」であるとしたら、子どもに 対して管理的で厳しい対応になる。親との対応においても、子どもが悪いという文脈になる。確か に、荒れの行動には、く制限>が必要であり、そのく制限>がない中では、安心した関係性を持ち にくいばかりか、安易に理解を示す態度さえも荒れを助長してしまうことも多い。しかし、管理的 で厳しい側面だけでの対応をする事例であるかどうかに関しては、子どもとその保護者の健康な側

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面のく見立て>が不可欠であろう。その判断によっては、専問機関だけではなく、警察などによる 危機介入が必要となる。

一方、「荒れ」にも<意味>があり、そのく意味>を一緒に考えたいという姿勢をもっと、子ど もとの関係を持ちやすい。親に対しても、支援的な関係を持ちやすい。<意味を問う>という態度 には、「荒れないといられない」子どもの生きてきた過程に対する深い共感が求められる。「荒れ」

と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その 個々の子どもによっての「荒れ」の意味をどうみつめるのか。「荒れ」とは、子どもの心の健康な 側面からいえば、その子どもがこれまで生きてきた苦痛の表現であり、自分自身への不全感、愛情 を求める姿である。自分らしさや自我同一性の希求の試みともいえる。「荒れ」を、く荒れること でしか表現できない、彼らの苦痛感>として捉える時、そこに意味が見えてくる。荒れている彼ら を見ながらも、そこに深い共感のまなざしを向けることが求められる。つまり、彼らの生きてきた 物語を、今の行動にどのように重ね合わせるかである。今まさに荒れている彼らの今の心理、つま り、そういう苦痛に姦いている心へとたどり着いた彼らの歩みをたどることになる。<意味>が見 えてくるとは、彼らの物語をどう読み解くかによるのである。

「共感」とは、生き生きとしたその子どもの物語性が賦活した瞬間に、まさにそこに居る関係性 として生じてくる。「共感」がある状況とは、それぞれにく共感する一される>という認識はなく、

その瞬間において、共にその物語を生きているのである。そのような態度をもって荒れた子どもに アプローチするためにはかなりの困難さを有すると思われる。それは指導や教育をする一されるに 代表される学校文化に、く意味を問う>という文化がなじみにくいという背景がある。

学校場面における「荒れ」の子どもへの対応は、教師の物理的・時間的な余裕が必要なだけでは なく、その理解の仕方や関わり方に「子ども観」さえも問われてくる。「荒れ」の子どもにはく教 育・指導する一される>というパラダイムだけでは対応できない。とするならば、スクールカウン セラーが、共に子どもやその親へと関わることの重要性があるのは言うに及ばないが、どのように スクールカウンセラーが子どもを理解して関わるか。

荒れという危険性へのく制限>、荒れの持つく意味>。この二つの側面から荒れを捉えるという 視点がある。もう一点は、「荒れ」の悪循環についてである。

荒れている子どもが「荒れ」を起こすのは、自分自身の不安の表現であり、不安ゆえの防衛とし ての多様な行動を示している。その「荒れ」は、多くは親子関係に根ざしたもので、親に向けられ た感情を背景とする。親を求めながら、親から嫌われるような両価的な態度を示す。意識していな いかもしれないが、親へと助けてと訴えながら、嫌われるような態度を示す。この両価性は、荒れ ている子どもの内的葛藤であろう。しかし、自分の不安の中身をよく捉え切れられず、相手へと責 任を転化する。「親が悪い」「社会が悪い」といいながら、そのく悪>に自らを投影して正当化する。

そのような態度は、自分自身を受容できていない結果生じるものであり、自我の未熟さから、「悩 み」を抱え込めない、或いは「悩めない」という心理機制による。

そのような両価的な態度を示す子どもの行動に対して、親はうまく理解できない、あるいは、諦 めるという態度を示しやすい。親自身も、そのような子どもの態度を受け入れて、見守る、抱える という態度を示せたらよいが、多くの場合、親自身は子どもの反抗を認められず、また行動化が生 じてしまうと、その対応に四苦八苦して、「手に負えない」子どもという感情を持つことになる。

「手に負えない」「どうしようもない」「社会的に間違っている」という文脈を親がもっと、子ども を信じることを失い、対応の術―‑<理解しようとして工夫しようとする試み>を投げ出してしま う。時に、売り言葉に買い言業で投げてしまう。子どもはその親の態度をみて、「それ見たこと か」「自分は受け入れてもらえない」とばかりに、新しい問題を引き起こすことになる。

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このような「荒れ」の悪循環をどうとらえ、介入するのか。

親に対して、子どもの変容のみを求めるのではなく、子どもと親の関係性を変容させることが大 切となる。子どもも親も互いに関わりあいたいと思っているのであって、その関係性の質的変容が 求められる。その質的変容へとどのように結びつけるのか。つまり、子どもを抱える親の態度が、

子ども自身が自分の問題へと目を向けて、自分自身の中に悩みを抱えていくようなことに結びつい ていくのである。精神科医である神田橋 (1990)が指摘する、精神療法における関係性のあり方

(抱え環境を作り出す)が、この悪循環への介入の手がかりとなる。

「荒れ」を示した子どもの親の心理について

荒れを繰り返す子どもに対して、その親はこれまでの子育ての失敗を感じている。子育てを投げ 出してしまう傾向にある。その心理には、抑うつ、絶望感、抑圧された怒りなどがある。そして、

「何故俺の家庭に、こんなことが起こるのか」と、他の真面目が生徒を見て、落ち込み、不幸の物 語の中を生きている。また、教師や学校に対しては、防衛的になりがちで、教師の意見を聞きいれ なかったり、教師からの言葉に荒れたり、怒鳴ったりという態度にて出てくる場合も多い。しかし、

親の代わりは教師もカウンセラーも出来ないのであり、親の健康な物語へと焦点化して、それをど う引き出すかが大切な視点となる。

学校場面について

それでは、学校場面をどう捉えるのか。スクールカウンセリングは、学校場面にて展開される。

学校は、「荒れ」に多様な試みを行いつつ、同時に強いストレスと、どうにもならないジレンマー 一怒り、悲しみ、不安、緊張、心配などを抱えている。

「荒れ」は、家庭内暴力などとして家庭にて生じることもあるが、学校場面にて起こるとき、そ れは学校を大きく揺さぶる。特に、他の生徒への影響などもあり、授業が成り立たないなどという 理由から、「荒れ」をどう抑えるのか、その危機をどう乗り越えるかが学校に求められる。その生 徒に関係する教師は、精神的な疲弊は否めず、時に体調を悪くすることも多い。「荒れ」は学校場 面にて生じてくるために、教師や学校の対応や考え方が問われる。ひとつ間違えると、大きな問題

として発展する可能性を持つという難しさを内包している。

「荒れ」は学校場面にて生じてくるが、家庭的な問題、つまり、家族関係や家族歴に生徒が「荒 れずにはいられない」経緯がある場合が多い。つまり、家庭的な問題が、学校の問題として表現さ れている。その問題(発達課題)は、本来家庭にて抱えられ、親が子どもと向かい合うべき問題な のであろう。ところが、親は子どもと向かい合い、それを抱えていく力を低減している。一方、家 庭や家族関係について、学校という立場で介入しにくい。学校からその親に対して、叱る、励ます、

支えるなどの関わりは可能であろうが、ともすると、本来の親の役割を学校が代替してしまうが、

親としての役割を学校が抱え続けることは土台困難であるから、疲弊してしまう結果となる。親の 役割はやはり親でないと抱えられないという限界の認識は大切である。

一方で、その同じ理由から、「親のせい」だけにするなら、親子の関係性をその時点にて支援で きなくなる。親をどう支えるかについては、子どもと親の歴史を辿ることがまず不可欠であろう。

その努力を怠ったままで、「親のせい」にするのは十分な対応とはいえない。

どこ時点から、子どもと親の歯車が狂い始め、親は子どもの養育を行う自信を喪失したのか。そ の歴史を辿ることとは、その結果(行動、症状)をみることではなく、その結果に至る人間関係の 蹟きとその中で繰り返し喪失してきた心の悲しみを辿ることになる。その歴史を辿ることで、問題 行動は異なったく意味>を持つことになる。

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学校や教師は、生徒と親の関係性やその歴史についてたどり、そこにある問題の姿を見出すため のスキルや視点を十分に訓練されているわけではないし、数十名の生徒を抱えながら、一人ひとり の子どもの歴史に目を向けるにはかなりの専門性を求められる。

さらに言うと、その根底には、学校とカウンセリングのアプローチ(パラダイム)の違いがある。

学校は、生徒を教育し指導するというパラダイムに立ち、一方、カウンセリングにおける専門性と は、個を重視し、この歴史を辿り、その歴史の中から今の症状や行動の意味を見出し、その個の発 達課題の成熟を待っという姿勢にある。そのパラダイムの違いは反するものではなく、子ども理解

と支援の両輪として機能することが大切である。

学校場面にて、親とスクールカウンセラーが出会う、その接地点がなぜ生じてくるのか。それは、

学校場面にての「荒れ」に学校が手を焼き、それに対して多用な工夫を行い、そして親もその子ど もに対して色々な関わりを行う。その両者の努力の結果、「どうにもならない」状態であったが

「少しの安定が取り戻された」。しかし「今後、どうなってもおかしくない」危機的状況として、

スクールカウンセラーとの出会いが生じてくる場合が多い。学校場面での、親とスクールカウンセ ラーの出会いとは、学校と親の危機的状況を背景として生じてくる場合がある。一方、危機的状況 とは、これまでの学校と親の生徒へのアプローチが十分になされたがうまく行かず、新しいアプ ローチの仕方が何らかの意味があるとの認識の中で生じてくる。つまり、スクールカウンセラーが その舞台にて活躍するための準備は整っているともいえる。危機的状況を背景として、学校と親の 関係性、親と子どもの関係性に介入することができる。「できる」という言葉が尚早であるとする ならば、「その可能性を秘めている」と言える。その可能性を開くことが出来るかどうかが、ス クールカウンセラーの態度や関わり方にかかっている。

このような危機的状況において、スクールカウンセラーは生徒や親と出会うのである。スクール カウンセラーは、この学校場面をどう捉え、それと、カウンセリングとの関係を捉えなおし、かつ、

カウンセリングの場面を活用しながら、学校場面とのより良いダイナミックスを生じるような形で 歯車を噛み合わせる必要がある。その点がないと、学校場面とカウンセリングの乖離が生じるばか

りか、せっかくの危機状況における介入の機会を逃すことになる。

親と学校の主体的態度をどうとりもどすか。

筆者は「荒れ」への対応は、親と学校の主体的態度の回復が必要であろうと考えている。「荒 れ」.の中で、親も学校も「嫌になる」「疲れる」「投げ出したくなる」などの否定的な感情に翻弄さ れる。「荒れ」とは、本来、子ども自身の持つ発達課題が、家庭の内で抱えられることなく、学校 という場面にて生じてきている。つまり、どこまでが家庭の役割であり、どこからが学校の役割か について意識化することが大切であろう。「荒れ」を示す子どもの親は、自信を喪失し、ともする と、親の役割を投げ出すことがある。同時に、学校がその親の役割を担うことで、本来の親の役割 を奪ってしまう危険性もある。

親が自分の役割を投げ出すことも、親の役割を学校が担うことそのどちらも、子どもの本来の発 達課題の達成という点においては、適当とは言えない。少なくとも、親の役割を親が自ら認識しな がら、それを側面で支える学校の姿勢が必要であろう。つまり、親のく主体的態度>をどう育てる かが大切である。そして、その役割を尊重しながら、学校としてできることを工夫する学校のく主 体的態度>がある。その役割分担をうまく行っていくことが、子どもを抱える家族や学校の機能が 有効に働く条件であろう。しかし、これらのことは、前提として、親も学校も「わかっている」と 認識しているが、それができないから、「困った」現状が生じている。したがって、親や学校を

「責める」というやり方は、あまり意味がない。一方、親の役割を、学校が「諦めて」肩代わりし、

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あるいは「親の問題である」と投げ出すやり方は、親と学校双方の主体的態度を阻害していると言 える。

ロールプレイを通して

次に「荒れ」を呈した父親が学校に相談にきた場面を取り上げる。相談者である父親、教師、ス クールカウンセラー3者の役割を、それぞれの役割の3人が演じるロールプレイを行った。籠者自 身も、そのひとつの役割であるスクールカウンセラーとして参加した。その3者のロールプレイを 通して、また、ロールプレイ終了後に行った3者へのインタビューの結果も含め考察する。

[場面設定]

非行傾向にある男子生徒 (A男)への、今後の対応策についての親との面接

[経過]

A男は、小 4の終わりより、次第に非行傾向が見られ始めた。具体的には、授業中、奇声をあげ る、後ろを向いて話をする、他の生徒に物を投げつける、教師への暴言などといった、授業妨害、

夜、学校や街をうろつく、タバコ、教師への反抗的態度、などが問題として挙げられる。

小6の夏休み明けより、授業妨害が急激にエスカレート、授業中もうろうろ歩き回り、自分のク ラスのみならず、他のクラスの授業まで妨害し始めた。 A男の行動が、教師の手に負えなくなった こと、ここ 1ヶ月の間に、他の生徒の保護者側からも苦情が出てきたことから、学校側は「別室登 校」(授業を別の部屋で個別に受ける)の案を、親と本人に提案することとした。

[家族関係]

A男が幼少の頃、両親が離婚。それ以後、 A男は母親と会っていない。現在は、父方の祖母、父 親、中3の長男、小 6のA男(次男)の 4人暮らし。子育ては、ほぼ祖母が行い、父親はほとんど 関わっていない。祖母をはじめ、子供2人も、父親と話すことはほとんどない。父親の外見は若々

しく、無口でまじめそうな印象。仕事熱心で、生活のほとんどの時間を仕事に裂いている様子。

長男は、小5から学校にあまり登校せず、その頃から非行状態にある。父親は、長男のことでも、

小さい頃から何度も苦情を言われ続けてきた。「父親は子供に関心がないようだ。何度話をしても、

何も変わらない」と教師は捉えている。

A男は、学校での成績はかなり悪く、運動も苦手。性格は、怒りっぽく、落ち着いて何かに取り 組むことができない。 A男は、非行は「かっこいいこと」と思い込んでいる。

[ロールプレイ場面]

学校が父親に来てもらい、教師が面接を行う。そこで、 A男の現状を踏まえて、別室登校という 提案をしようと考えている。スクールカウンセラーも同席して、必要な助言をするように、教師及

び管理職から依頼を受けている。教師とスクールカウンセラーが同席している所へ、父親がやって くる。

教師から親への関わり

このような事例の場合、学校や教師はどのように親に対して対応するのか。教師は、 A男の背景 として家庭に問題があると推測しているが、 A男に向かい合わない父親に対して期待を持てないと 判断している。

A

男の寂しさもわかるが、それ以上に

A

男の問題行動は他の生徒への影響も大きく て、 A男の行動に対して「手がつけられない」と評している。実際、 40人ほどの生徒を抱えた教師

にとっては、粘り強い個別の関わりを出来るほど余裕がないという背景がある。

教師は、親に「別室登校」という提案をしたいと考えている。別室のほうが、 A男にとっても、

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落ち着ける環境であり、学校としても対応がしやすいと考えるからである。「別室登校」という選 択は、学年或いは学校全体で何度も相談された結果なのである。従って、この結論を親にどう受け 入れてもらうかが、親に伝える教師に求められる役割でもある。 A男のことを、親と一緒に考える かという側面と共に、この結論を親にどのように理解してもらうという課題を背負っている。また、

教師にとって、親の話を「受容」「共感」して話をきいてばかりでは具体的な解決に至らないので はないかとの不安もある。従って、親と面接した時、教師は親の話を聞き取りながらも、結論を押

し付ける形をとる傾向がある。

以下、教師役と父親役のロールプレイ場面の要約である。

[場面 1] 

3人(父親、担任教師、スクールカウンセラー)がソファーに座った後に、教師は、父親に 挨拶をして、まず、 A男の態度に、学校側は「手を尽くした」が改善されず、これ以上どうす ることもできない状態にあり、 A男を他の生徒と一緒に授業に参加させることは難しく、今 後、 A男を別室登校させるという対策を考えた。「お父さんの了解が得られましたら、できれ ば、別室のほうで勉強をすることにしたいが、いかがでしょうか」と父親に尋ねた。それに対

して父親は、萎縮してしまう。

父親は、立場を失い、居心地の悪さの中でいた。終了後、ロールプレイを行った教師へのインタ ビューでは「自分を守るのに必死だった」と表現している。教師と父親の関係は「迷惑をかけられ ている側」、「迷惑をかけている側」といった関係が強くなった。その結果、父親は「黙って相手の 主張を受け入れるしかなくなった」と述べた。

[場面2]

父親は「どうするんですか、別室というのは」と尋ねた。これに対し、教師は別室登校につ いて説明をして、今後のすすめ方は状況に応じてであり、「いま先生方も忙しいので、検討中 です」と伝えた。

教師の対応は「別室での個別授業をする、教科書を読むなど、大体のことは決まっているが、

はっきりとした対応策は検討中である」ということを意味しているのだが、この応答によって「忙 しい先生に無理をさせている」と、父親と教師の関係は益々隔たったものとなっている。そして、

どうするのかと対応を求められたときに、次の言葉につながる。

[場面3]

「玉面―「先生にお任せします」

この結論は、父親が自分の意志によって決定したのではなく、経過の中で、そのように考えるし かなかったと言える。教師は、決して父親を責めているわけではない。現状を踏まえて、この別室 登校という方法が、 A男にとっても、学校にとってもよいと捉えている。しかし、結果として、こ の教師の対応によって、父親は、父親としてA男へ関わることを諦めてしまったのではないか。す なわち、父親とA男の関係性そのものが失なわれている。教師もまた、この父親とのよりよい関係 が保てなくなっている。

以上のような経過は、典型的なものではないかもしれないし、教師はもっとうまく関わることが 出来るかもしれない。しかし、「荒れ」を示す子どもの親の場合、関わり方が難しく、親自身もま た子育てにおける自分の役割を失いがちで、ともすれば投げやりな態度にでることが多い。

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以下、その場に同席したスクールカウンセラー(筆者)が、上と同じ場面から介入したロールプ レイの分析を行う。[教師:Te、スクールカウンセラー: SC、父親: Faとする。( )内の言葉 も、スクールカウンセラーを示す。]

[場面4]

SC 1 : あ、ちょっと、いいですか。

Te3 : あ、じやあ、お願いします。

SC2 : あの、お父さん、子供さんが、あの、知っているかもしれませんが、困ってるみたい で、まあ、こういうふうに、いろいろみんなの知恵をしぽって考えたんですけど、なんか他に アイデアがないかなと。今一つ、別室という話が出てるんですけど、何かこう、いいアイデア がないかなと、お父さんにあるんじゃないかな、と思いまして。ほんとにみんな、一生懸命悩 んで考えようとしてるのに、お父さん、一番、子供さんの側にいるお父さんもうちょっとこん な風にしてほしい、っていう風にね、聞きたい、ちょっとこう、決めてしまう前に、お父さん の話をちょっと、やっぱり聞いておきたいなと思って。

Fa2 : 家のことは、今までもおばあちゃんに任せているし、学校のことも、今まで先生に任せ てきたから、迷惑かけて申し訳ないなと思うんですよ。(なるほど)

スクールカウンセラーは、父親に「何かお父さんにいいアイデアがないか」「一番、子供の側に いるお父さんの話を聞いておきたい」 (SC2)と尋ねている。スクールカウンセラーはここで、 A 男への対策は学校が一方的に決定するべきではなく、本当は、父親が子どもと共に考えるべき問題 なのだということを伝えている。

これは、学校や教師が中心となって解決策を探すというのではなく、子どもと父親という関係性 の中で決めていくことが大切であるという姿勢を示している。つまり、父親の主体的態度を取り戻 そうとしている。

A男が今ぶつかっている具体的な問題に触れ、「お父さんも、子供さんのこと、心配はされてま すよね」 (SC3)「お父さんも、今の状況をどうにかしたいのではないか」 (SC4)と父親に直接的 な言葉で伝えた。

スクールカウンセラーのこの言葉には、次の2つの意図があったことと考えられる。

まず、①YesかNoで答えられる、はっきりとした問いを提示された父親は、曖昧に返答すること ができなくなってしまう。よって、スクールカウンセラーの問いについて、自分の気持ちについて 考えなくてはならなくなる。

次に、② 「A男のことを心配しているか」と尋ねられることによって、父親は必然的に、 A男に ついて考えなくてはならなくなる。この場面で「最初、子供のことを考えるというより、自分のこ とで精一杯だったのに、子どもを心配しているかと聞かれて、自問自答した」とインタビューで答 えていたことからも、スクールカウンセラーの質問 (SC3、SC4)が、自分のことで精一杯だっ た父親自身が、 A男に目を向けるきっかけを作った。

以上のスクールカウンセラーによる関わりの結果、父親は子どもの「父親」として自分を問う視 点と、父親として「子どもの気持ち」で考える視点を取り入れている。この視点を面接に取り入れ ることによって、息子のことで萎縮し、子育てに自信を失っていた父親に、子育ての主体的態度を 取り戻そうとした。

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[場面5] 

SC6 : お父さん、いろいろこう、あの、お母さんがいらっしゃらないっていう話を聞いたん ですけれども。お父さんが、息子さんの気持ちを、唯一聞いてあげれるから、寂しいだろう な、と。

Fa6 : ああ、寂しい・・・。

SC 7 : 女の先生にくってかかるところとか、ちょっとお母さんの姿を、思っているのかな と。お母さんのいない寂しさ。

Fa 7 : まあ、おばあちゃんではねえ。

SC8 : 別室登校にしてしまうと、あの一、隔離されるという感じになるので、お父さん、そ れでいいのかなと。お父さんにしてみれば。

Fa8 : みんなに迷惑をかけているので、これ以上、私がいくら言っても、学校でちゃんとや れっていっても、やれてない、です。それでしょうがないというか。

SC9 : お父さんがした方がいいなと思うんだったら、一番かなという風に思うんですけれど もね・・・。

Fa 9 : 私としては、これ以上、周りに迷惑をかけてほしくはない、・・・ですね。(うん)も ぅ、迷惑かけない方法(はないのかなという感じですよね)

SC6にて、スクールカウンセラーは、今、 A男に母親がいないということ、それ故A男が寂し い思いをしているということを暗示した。このことによって、さらにA男の心理を深く探る。そし て、寂しいA男の気持ちを聞いてあげられるのは、父親である父親しかいないということを伝えた。

これらの試みもまた、 A男の心理に沿いながら、父親がA男との関わりの判断を行っていく支援 を意図している。呼び出された父親にとって、 A男の問題行動として、それにどのように対処する かという文脈が中心であったが、それが、次第に、 A男の心理を据えながら、父親がどのようにそ の判断をおこなうのかという文脈へと変容してきている。

SC7、SC8で、今A男が起こしている問題が、母親不在の寂しさを原因としているのではない かというSC側の見立てを、父親に伝えている。この指摘は、父親にとっては、かなりきつい言葉 であったようだ。インタビューにて、この場面を振り返った時、父親は「母親がいないということ は、自分の痛い思い出というか、痛みのあるところなんで、それを言われたときには一瞬構えた。

触れてほしくなかった」と述べている。一方で「寂しいという言葉は響いた」とも言っていた。た だでさえ寂しく感じているA男が、ますます隔離されてしまうことになるが、父親は「それでいい のですか」という問い.(SC 8) に対し、父親の答えが再び、面接はじめの方で見られたような

「これ以上、迷惑をかけたくないから、(学校側の意見に従うしか)しょうがない」 (Fa8、Fa9)  という投げやりなものになってしまっているのは、痛い思い出を突かれた父親が、再び構えた。即 ち、自分を守ることで精一杯になってしまったことを示しているように思われる。

これらの試みは、 A男がどのような気持ちの中で生きてきたのかについて、父親に回想してもら ぃ、そのような悲しみを生きてきたA男を、「いま、ここから」どのように支援できるのかを一緒 に問うための準備である。父親の責任を問うのが目的ではなく、 A男の気持ちに焦点をあてて一緒 に考えようとする姿勢をスクールカウンセラーは一貰して示し続ける。そして、次の展開となる。

[場面6]

SCIO: いい方法、ありますかね。例えばあの、お子さんにちょっとこう、お父さんの方から 相談する、とかね(ああー)、そしたら、あのもう、どう関わっていいかわからない・・・?

(10)

FalO: 今までそんなに向き合って話すこともなかったし、時間的にもないし(なるほどね)。

SC 1 : ああー、ちょっと今、向き合っとかないと、・・・見捨てられるみたいな感じになるの が怖いなと。お母さんにちょっと、見捨てられたという感じが、ここにきてお父さんに...

ちょっと怖いなという感じ・・・。

Fall : 確かに今まで、おばあちゃんに・・・今この時期で、こんなことになったから、これか ら中学校になるし、(そうですね)確かに...と思うんだけど。

このSCIOにおけるスクールカウンセラーの言葉が、この面接の流れを変える鍵となった。 SCIO においては、父親への語りかけの仕方が、 SC6...,9までと比べて、異なっていることが読み取れ る。「A男にどう関わっていいかわからないのではないか?」と、父親の気持ちに焦点を当てた問 いを試みている。スクールカウンセラー自身は、この語りかけについて、面接後のインタビューに て「防衛的に自分を守ろうとしていた父親に対して、本当の気持ちについて焦点をあてて、父親な

りの悲しみや辛さを共有しようとした」と説明している。

そして、この問いをきっかけとして、父親は、次第に「迷惑をかけないためには、仕方ない」と いう投げやりな態度から、「今まで向き合って話すこともなかった」 (FalO)、「今までおばあちゃん

に任せきりだった」「今この時期でこんなことになったから、これから中学校になるし・・・」 (Fa 11) といった、自分とA男との関係のあり方を振り返り、 A男の現状を見つめなおすという、積極 的な態度へと変わっていくこととなった。

ここにおいて、これまで防衛的だった父親が、スクールカウンセラーの言葉によって、少しずつ 自分の現状や、気持ちを見直し始めているということが読み取れる。ここにおいて、 A男に対する 父親の主体的態度の「核」たるものが成立している。 A男の心理をたどることを通じて、さらには 父親の本当の気持ちに焦点をあて、その気持ちをたどる中で、父親はA男と自分の気持ちを回想す る。すなわちそれが深い理解となり、そのまま前向きな気持ちへと向かう。そして、父親が父親自 身を受け入れ、 A男を受け入れる態度が芽生えた時に、次の展開(場面 7) へとつながる。

[場面7]

SC12: それはお手伝いできるかな、と思うんですけどね。子供が今、どんな心理状態なのか なって、かなり寂しい。

Fal2: そうやなあ。

SC13: その気持ちになれば、ちょっと寂しい感じ・..がする。結構お父さんに来てもらっ たりということは、お父さんもその、子供さんのことを心配してくださっているということが あるということは、嬉しいんですけれどもね。かなり学校としては困っているということは事 実、学校としては、別室の話になっているんですけれども・. .  それはあの、もし、お父さ んがよく考えられる一番の方法だと思われるなら、それでいいと思うんですけどね。ちょっと こう、子供のこれまでの・・・というか、振り返って、その上でどう思うかというのを、少し 振り返って、その上でいいのかどうかというのを、ちょっと考えるというか、そういうのも。

Fal3: 状況をもう少しこう、振り返って話しはしてみるけども、まあその、別室っていうの も、う一ん、もししてもらえるんだったら、それが一番、う一ん、本人もおちつく (落ち着く かもしれない、落ち着くんだったらしたい・・.)んだったら、それでお願いしたい。

SC14 : 本人が落ち着くかどうか、ということは、本人に聞いてもらうというのも、ちょっと 欲しいなあと。

Fal4: ちょっと家で、別室登校で勉強するのかどうかを、話して、・

(11)

SC15: う一ん、そうですね。しろっていうんじゃなくて、本人がそうしたいのかどうか、そ の方が落ち着くのかどうかということを、本人に聴いてもらって、それでお父さんがそのほう がいいって判断されるのであれば、我々はそのお手伝いできるところと思うし、あの一、やっ ぱり、学校側がしなさいっていうよりは、家族で話をして決めてもらって、それをやっぱり、

学校側が支えるという形が一番かなと思うので。彼にとって、何が一番いいのかっていうの を、もう一回本人に。なかなかあの、教員からの話っていうのは聞いてもらえないという感じ なので、お父さんのほうから、あの一、で、今、こう、一番しんどい時期にきてて、学校とも かなりトラブルになってきて、本人もかなりこう、また見捨てられるんじゃないかっていう感

じなんで、お父さんに、あの、今向かい合って、できれば聴いてもらって、あの一、多分、本 人に響くと思うんですよね。

Fal5: 確かに、関わってないから、あの一、ちょっと、話(そう)をゆっくりしておこうかな と。

SC16: そうですね。お父さんが関わってくれることを、ちょっと待っているのかなという、

逆にね、少し落ち着いて、 ・・・話を聴くというときには、少し叱ることが多い感じですかね。

(そうですね)ちょっと聴いていくっていう、やっぱり、この子供は叱られる経験がね多く て。小学校6年生、これから中学校ですよね。やっばり、こうお父さんと一緒に考えていかな いとね、ちょっと時間をとってもらって、その中で、やっぱり、別室登校で、まあ、するの を、一つ、そういうことでよければ、そこのところを、お父さんに確認してほしいんです。

Fal6: 叱らんように、気をつけて。

SC17: そうやねー。あんまり叱ってもまた・・・、あの一、ちょっとこう、爆発する・

叱らずにやれますかね。

Fal7: まあ、叱らずに、う一ん、ちょっと話、して。(う一ん)。

SC18: そのようにできればありがたいなと。お父さんも、そんな気持ちがあるんだろなと思 うし。もう、お父さんたちが決めれば、別室登校は、あの、もちろん、学校としてはね、多分 それしかないなということなんですけれども、それを押し付けられるという形よりも、ちょっ

と話し合の中で選択されたほうが、子供にとっても、お父さんに考えがあってしてるんだって いう気持ちがあると、全然違ってくる。

Fal8: 先生方が、一生懸命してくれて、別室登校ということなんで、そのあたりは本人とよく 話して(そうですね、本人にとってよければね)、納得できるように、やっていかんといかん

なと思います。

場面7では、次の2つの働きかけが行われている。

①  父親を支える環境を整える

SC12にて、スクールカウンセラーは初めて、「お手伝い」(下線)という言葉を使った。これは、

FalO、Fallにて、父親が次第にこれまでのようなSCへの防衛的態度を緩め、少しずつ「自分を守 る」のみならず、 A男を含めた現状を見つめられるようになってきたからであろう。

では、何を手伝うのか。これは、 SC12の「子供がどんな心理状態なのか」ということを、一緒 に考えて、その上で、父親自身がA男の別室登校が本当によいものかどうかを、父親自身が決定す る (SC13)ための手伝いである。

その後、父親が関わってくれるなら、学校側もそれを「支える」 (SC15)(下線)と伝えた。こ れもまた、父親の主体的態度を尊重し、それを援助するという関係性を明確にする言葉である。父 親だけに責任を押し付けるのではない。父親を尊重しつつ、援助するという支援環境を提示した。

(12)

父親は、急な展開に「どうしてよいか分からない」という不安を感じたのだろう、再び「学校に 任せたい」といった発言をしているが (Fal3)、スクールカウンセラーは「別室について、父親が A男本人に意志をきく方がよい」という、より具体的な案を出すことによって、スクールカウンセ

、 、 、 、 、 、 、 、

ラーは、「父親が自分でA男に話をし、 A男と共に考えるならば、スクールカウンセラーも学校も、

それを支えます」というメッセージを、父親に伝えようとしている。

②  これまでの関係パターンに気づかせる

また、スクールカウンセラーは、 A男に「しろっていうんじゃなくて、本人がそうしたいのかど うか、本人に聴く」 (SC15)、「叱るのではなく、一緒に考える」 (SC16) ということを強調し、こ れまでA男に対して父親がとっていた態度を、少し変えてみるよう助言することで、父親とA男と の関係が、これまで「叱る一叱られる」の一方的関係でしかなかったことに気づかせようとした。

加えて、「学校側から別室登校を押し付けられるのではなく、話し合いの中で選択したほうがい ぃ」 (SC18) という、これまでの「決定する側ーただ受け取る側」という一方的関係にも気づかせ ようとした。

ここにおいて、父親は、「先生方が、一生懸命してくれて、別室登校ということ」であるが、「そ のあたりは本人とよく話して、納得できるようにやっていく」 (Fal8) という、積極的な態度を示 すことができた。これはつまり、スクールカウンセラーの働きかけにより、自分自身がこれまで とってきた学校、 A男との関係を見直すきっかけを得たからであろう。そして同時に父親は、未だ はっきりと意識はできていないかもしれないが、「問題を解決する方法が他にもあるのかもしれな ぃ」という、新たな気づきを得ることができたからとも考えられるのである。

[場面8]

スクールカウンセラーから経緯を教師へと簡単に説明すると、教師から「お父さんとA男が 話し合ってくださったらよいですよ。それを学校は待っておりますので」と、父親の主体的態 度を尊重する態度を父親に告げる。

教師役へのインタビューにおいて、この場面において、「話がスムーズにいってよかった。緊張 しなくてよい雰囲気となった」などの感想を述べている。ここにおいて、学校と父親の関係性が支 援的なものとなった。

以上のロールプレイの分析から、スクールカウンセラーの共感的な態度より、父親が安心を得、

自分のおかれた状況を客観的に見ることが可能になった経緯がわかる。父親は、カウンセリングを 経験する中で「今嫌な状況にある自分」から一旦距離を置いて、「今起こっている問題」や「A男 と自分との関係」に少しずつ目を向けることが出来始めた。そこで、父親が感じたのは、「自分が やらねばならない」という主体的態度であった。この主体的態度を感じさせる要因となったのは、

面接における父親の次のような気づきであった。

①問題背景にあるA男の寂しかった心理、②父親とA男が向かい合うことが必要で、諦めてはい けないこと、③A男が問題を起こしたのは、 A男だけの責任ではなく、父親と A男のこれまでの関 係のあり方もあり、新しい関係性が必要であること。④父親とA男の関わりに関して、応援してく れる人(教師・カウンセラー)が居ること。

これらの気づきは、父親に対して、周囲の人によって助言されていたかもしれないが、父親に対 して「説教」という形をとっていたのでは、適切な内容であっても、父親の心には届かない。しか し今回、スクールカウンセラーは、まずは「安心できる関係(ラポール)」を作ること、そして、

(13)

A男の心理を明確にしながら、その文脈の中で捉えなおし、父親を尊重し子育ての中心に据えるこ とを常に意識しながら、同時に、父親自身の辛さや苦しさも焦点化した。また、苦しんでいる父親 を応援することを「お手伝いする」という言葉で明らかにした。

父親にはこれまで、誰かに相談し、助けてもらうという経験がなかった。息子に対し、どのよう に関わればよいのか分からないまま、息子たちの問題行動にどう対処してよいか分からないまま、

何年も過ごしてきたのである。このような父親の状態を、客観的に見れば「放任」、「無責任」な父 親であるともとれる。しかし、本当は、一番助けを求めていたのは、誰にも助けを求めることがで

きず、不安な状況の中、 1人で苦しんできた父親自身である。

スクールカウンセラーは、父親を「抱える環境」(神田橋、 1990) を作り、その環境の中で父親 自身が「自由に魃藤する環境づくり」を行った。「自由に葛藤するということ」によって、父親の 気持ちの中で葛藤を通じて、より具体的な確信が根付くこととなる。そして、父親は、これまでと は違った子育ての仕方を実感することができたのではないか。それは、今起こっている問題を、こ れまでとは違った形で解決することができるかもしれないという希望を抱くことにもつながる。つ まり、新たな展望を期待することが可能となった。

以上の関わりの結果、父親が「自分の」不安や心配から少し距離をとり、「現状」を客観的に見 ることが可能となり、次第に、「これは自分自身の問題である」という気づきに至ったのである。

この気づきにおいて初めて、父親は、問題を自分で解決していかなければならないという意識、つ まり、問題に対する「主体的態度」を持つことができるようになった。

さらに、学校における危機場面において、スクールカウンセラーがその面接場面に参加して、教 師と共に親の面接を行い、その中で、親の語る物語や子どもの状態を教師も共に感じ取ってもらう

ことによって、それが子どもや親の具体的な支援の手がかりとなり、教師の子ども・親への理解を 深め、教師と親の関係性を新しい視点から切り結ぶことにつながった。

まとめ

荒れなどの行動化を示す中学生の親の面接を行う際、スクールスクールカウンセラーには、次の ような態度が求められる。

①  荒れる子どもをもった親が、問題行動をきっかけとして起こられてきた経緯を踏まえて、親の 防衛的な態度の理由として、その辛さやしんどさへと焦点化をして、受け入れ、理解する態度を 示す。

②  子どもへの対応について、教師やスクールカウンセラーが一方的に判断することを避けて、親 の「主体的態度」を尊重し、それを中核に据えて、その方向へとベクトルを向ける。

③  子どもの苦しかった心理をたどる中で、同時に、親自身の苦労や苦悩をたどり、それをスクー ルカウンセラーが受け入れることで、子どもの気持ちを受け入れることへと向ける。

④  子どもと親の悪循環について話し合い、親や子どもそれぞれの問題ではなく、その「関係性の 問題」について指摘を行って、よりよい関係性について、親の主体的態度のもと、子ども理解を 深めたり、葛藤しながらも子育ての工夫をすることを支援する。親と子どもの話し合いなどによ る結論を尊重することによって、親の主体的態度を育て、失敗ながらも子どもに向かいあおうと する子育ての自信や自分への自信を回復する方向性に向ける。

⑤  親の努力を尊重し、それによる、子どもの心の成長・変化を、親と共に理解しながら親自身が 関わることを中核に据える。

⑥  そして、親の「主体的態度」と共に、スクールカウンセラーが学校の仕事を奪わないように留 意し、親と教師が共に考えて、一緒に子どもを支援できるような体制を支援して、学校の「主体

(14)

的態度」へと向けること。

⑦  学校の思惑通りに向かわない場合も多いが、それだからといって、子どもや親を責めない。子 どもの小さながらも成長や変化を評価すること、それを支え続ける親子関係が構築できることが 課題であることを常に忘れないこと。

⑧  以上のような態度によって、学校やスクールカウンセラーが親を抱え、その中で、親自身が子 育てに葛藤しながらも、少しは成功した(子どもを理解し、向かいあえた)体験を持ってもらえ ることが大切である。そのような学校やスクールカウンセラーとの関わりを通して、親が変わる ことで、子どもへとよりよい影響を及ぽす可能性がある。

文献

神田橋條二 (1990): 精神療法面接のコツ 岩崎学術出版社.

近藤邦夫 (1994): 教師と子どもの関係づくり 学校の臨床心理学 東京大学出版会.

竹森元彦 (2000): スクールカウンセリングにおける、生徒、学校、家庭の支え方 心理臨床学研究 184 ppl ‑12. 

(平成17年7月13日受理)

参照

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