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カミングアウトの選択

ドキュメント内 多形的な「私」の承認をめぐって (ページ 45-52)

第 4 章 「性的マジョリティ」へのカミングアウト

1 カミングアウトの選択

カミングアウトは何らかの関係をひらくものだが,必ずしも当事者が行うものではない.

先行研究によれば,特に反対の性別としてパスして生きることを望んで手術やホルモン治 療などの身体変形を行うような,一部の性同一性障害当事者やトランスジェンダー当事者 にとって,カミングアウトは手術などで必要が生じる場合を除いてむしろ避けるべきもの だった.ただし,本研究のインフォーマントには,様々なジェンダー表現をするものの,

手術やホルモン治療を行っている人はいなかったほか,二元的な枠組みのもとで反対の性 別への同化を強く望む人もいないように思われた.そのため,カミングアウトは避けるべ きものであるとは限らないだろう.また,生まれの性別に属する人として他者から認識さ れる可能性があることは前提としたい.その上で,Xジェンダー当事者はどのようなときに カミングアウトすること,もしくはカミングアウトしないことを選択するのだろうか.そ の選択には何が影響しているのだろうか.また,それは当事者の性自認とどのように関わ っているのか.これらの点を本節で検討したい.

第 3 章で論じたように,当事者間でのカミングアウトは,当事者に安心感を与えたり,

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自分の性自認を考え直すきっかけとなったりしていた.本章で焦点を当てるのは,「性的マ ジョリティ」に対するカミングアウトである.それとなく相手に自分の性自認や性的指向 を伝える経験を含めると,相手が「性的マジョリティ」であるときも,インフォーマント 全員がカミングアウトをしている.そのなかで,①積極的にカミングアウトする場合,② 問題回避のためにカミングアウトを望む場合,③カミングアウトに消極的な場合が見出さ れた.それぞれについて論じていく.

まず,積極的にカミングアウトするのはどのような場合か考えていく.以下は,FTX の Aさんが最初にカミングアウトしたときの経験を振り返る語りである.その経験は,Aさん がXジェンダーを名乗ることにもつながっているとAさんは言う.

A:まあニュージーランド行ってたときに,初めてほんとに自由になれて,ていうの はまあ男扱いも女扱いもされないわけですよね,あんまり.個人として扱われるって いうのがけっこうあるんで.で,そしたらある種フラットになれて,なんか母親とス カイプしているときにポロって,なんか出たんですよね.「前性転換手術したかったん だよ」って.で,でもやめたんだ,みたいな.この身体で,こういろんな困難を越え てきて,愛着があるから,まあ,この身体を,なんか捨てる気にはあんまりならない んだよね,みたいな.ことを言って,だから,でなんかニュージーランドでなんか,

自分のインフォメーションを入力するときに,こう,性別選ぶとこがあって,クリッ クしたら,男,女,その他が出てきたんですよ.その他じゃねってなって,その他を 押したっていうふうな,話をしたんですよね.で,だから自分は others,まあその,

なんだろ,まあむこうだったから,othersって書いてあったんですよ.でothersなん だみたいなことを言って,ちなみに母親は,いつか男だって言われるかと思ってたみ たいなこと言われて,まあ,ですよね,みたいな.男にしか見えないもんね,って話 してて.で,others,なんか男でもない女でもない性,性別みたいな感じでやったら(筆 者注:インターネットで調べたら),そんときに出てきたのかな.うん,そのあとググ って.だからカムしたときは知らなかったですね,Xっていう言葉を.

Aさんのカミングアウトのきっかけとなったのは,ニュージーランドにおいて「個人として 扱われる」という経験である.それによって「フラットになる」という感覚は,Aさんが自 分のこれまでの性別違和感で苦しんだ経験を客観的にみつめることができるようになった ことを表しているように思われる.母親にカミングアウトしたとき,A さんは X ジェンダ ーという言葉を知らず,その後インターネットで検索して知ったという.それでも,「私」

の状況を詳細に伝えることに成功している.まず,「性転換手術したかった」という知名度 のある語句を用いて強い性別違和があったことを伝え,それでも完全に身体まで男性にな りたいわけではなく,ニュージーランドでいう「others」であると説明している.それに対 し母親は,「いつか男だって言われると思ってた」として,Aさんの普段の様子から,Aさ んが男なのではないかと考えており,カミングアウトを落ち着いて受け止めている.手術 で身体を変えることもないため,安心している可能性もある.

ここで,Aさんは「フラットになる」ことで自然とカミングアウトしているように見える.

そこには,それまでの性別違和,身体違和をめぐる葛藤や困難が大きかったことが影響し

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ているように思われる.そのようなAさんにとって,性別ではなく「個人として扱われる」

と感じたこと,男でも女でもない「others」というカテゴリーが現れたことはどのような経 験だったのだろうか.

野口裕二(2002)によると,人生の下敷きとなるような「ドミナント・ストーリー」が 揺らぐとき,これとは別の新しいストーリー,「オルタナティブ・ストーリー」が生まれ,

「問題と正面から戦う自分」へと物語が変わるという.このとき大切なことは,新たに生 まれた「オルタナティブ・ストーリー」もまた誰かに語られなければならないことである という.それをたしかに聞き取る人びとの存在が,その新しい物語をより確かなものにす るというのである.

この場面において,「男/女という性別に振り回される自分」という「ドミナント・ストー リー」が,外国で「個人として扱われる」ことと「others」というカテゴリーを得たことが 契機となって,「男/女という性別を超えて自分らしく生きていく自分」という「オルタナテ ィブ・ストーリー」をA さんにもたらしたと考えられる.母親へのカミングアウトは,そ れを確かなものにするものとしても読み取れる.また,「オルタナティブ・ストーリー」を 得たことは,Aさん自身が抱えていた性別の問題から距離をとることも可能にしている.そ れが,母親に自分のことを伝える余裕をAさんにもたらしたと考えられる.

Aさんはカミングアウトすることに積極的であり,Facebookでもカミングアウトしてい る.Facebookの話に続くかたちで,カミングアウトの理由をAさんは以下のように語る.

A:言うことに絶対的に意味があるなあっていうのは思ってやってます.

*:え,それは,どういう感じの意味があるって思ってやってるんですか.

A:もう単純に広めること.で,自分が,なんかある種,ジェンダーマイノリティのと いうか,Xジェンダーのロールモデルを見つけるのってすごく困難だと思うんですよね.

どうやって生きてったらいいんだろうとかって思う人がいっぱいいると思ってて.ま あある種事例になるというか,まあ,こう,別に全員がこうってわけじゃ絶対ないか ら,これがロールモデルとは言えないかもしれないですけど,ある一つのまあ,ロー ルモデルというか,になれたらいいなっていうふうに思ってます.で,こういう人も いるんだよって.要は,なに,性二元論をぶっ壊したいというか,フラットにしてみ んな生きやすい社会にしたいっていう思いで,まあ,その一歩かな.そういう気でや ってますね.

Aさんは,カミングアウトする理由として,「Xジェンダー」を広めて,ひとつのロールモ デルになることを挙げる.それは,「全員がこうってわけじゃ絶対ない」として,多形的な Xジェンダー当事者への何らかの強制にならないように配慮しつつ,社会的な認知を広げて いくということだと思われる.また同時に,「性二元論をぶっ壊したい」という,社会を変 えようとする「公的な」カミングアウトをA さんは実践しているのである.X ジェンダー 当事者に共通する特性は,性別への何らかの困難を抱えていることであるから,「性別が存 在しないこと」ではなく,性別についての「こうあるべき」という規範を壊すために多様 性を示すということが,「性二元論」を壊すことなのだろう.Aさんの語りからは,性別に よって縛られることに生きづらさを感じている他の人の助けになりたいという気持ちが読 み取れる.それは,Aさん自身が困難を乗り越えて「個人として扱われる」ことで救われた,

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