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本研究のまとめ

ドキュメント内 多形的な「私」の承認をめぐって (ページ 69-72)

第 4 章 「性的マジョリティ」へのカミングアウト

1 本研究のまとめ

本節では,各章の内容をふり返り,ここまでの議論を確認する.まず,序章では,用語 説明をした後,問題関心と論文の構成を示した.「Xジェンダー」とは,「男」,「女」,「トラ ンスジェンダー」などの既存のカテゴリーには当てはまらないと,何らかの意味において 感じた人たちを表すカテゴリーである.本研究では,X ジェンダー当事者がX ジェンダー というカテゴリーを得る過程と,それを得てからの他者との相互行為に着目してインタビ ュー調査を行ない,その語りを分析した.本研究の問いとなったのは,Xジェンダーという カテゴリーが当事者にとってどのような意味をもち,それが他者との関わりにどのように 影響するかということである.そこから,逸脱した個人がどのように生きていくか,異質 な他者との共存はどのように可能なのか,という関心に迫ろうとした.そのとき,自己や アイデンティティといった本質的で一貫しているべきという意味合いの強いものよりは,

多形的なあり方をするX ジェンダー当事者のその場,その時に現れる「私」が,どのよう に承認をめぐって行為するのかという点に着目することを述べた.

第 1章では,先行研究を整理し,本研究での視点を明確にした.第1節において,Xジ ェンダーというカテゴリーの歴史的背景を確認し,トランスジェンダーや性同一性障害と いうカテゴリーが広まった1990年代ごろに,他のカテゴリーには当てはまらないものとし て,Xジェンダーが現れたことを述べた.第2節では,Xジェンダーに関する心理学・社会 学的な研究を整理した.そして,これまでの X ジェンダーの研究では,探索的な調査や,

アイデンティティの安定性や当事者の困難に着目したものが多く,カテゴリーの作用自体 に目を向けるものはほとんどないことを指摘した.第 3 節では,カミングアウト論を確認 した.同性愛者や性同一性障害者など,カテゴリーのはらむ歴史性によって,カミングア ウトの受け取られ方が異なることが推測された.また,カミングアウトが私的な関係性を ひらくものとして扱われてきたことを述べ,本研究ではカミングアウトを価値づけず,あ る関係性をひらくものとして,消極的な伝え方を含む意味合いで用いることを確認した.

第 2章では,インタビュー調査の概要を述べた.インフォーマントの5人は,同じ当事 者団体に所属していることを確認し,筆者もその当事者団体にいるために,共感が生じや すい一方,早とちりのリスクもあることを述べた.分析の視点は,個人からそこにある関 係性の重層性を読み取っていくライフヒストリー的なものであり,インタビュー内容から 重要と考えられたカテゴリーの作用に特に着目することを確認した.

第3章,第4章は,本研究の経験的な分析の結果である.第3章では,Xジェンダーに なっていく過程に着目し,カテゴリーの機能と限界を論じた.第1節において,「男らしさ」

「女らしさ」という規範に反発し,それをもたらす「男」「女」というカテゴリーに当ては まらないと感じていく当事者の姿を描いた.第2節で,当事者がXジェンダーというカテ

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ゴリーを得ることで,規範から距離をとって自己肯定感を得ること,集団の場をもつこと ができると論じた.それらの機能は,多形的なあり方をかたちにすること,自己執行カテ ゴリーであること,というXジェンダーの性質によるものであった.第3節では,Xジェ ンダー当事者は,トランスジェンダーなど他のカテゴリーへのステレオタイプ化をもつこ とがあると論じた.また,他者との関わりのなかで「Xジェンダー」に固定的な意味を付与 することがあり,そこから逃れようとする当事者もいることを述べた.これらは X ジェン ダーがカテゴリーであることの限界でもあった.

当事者の内面やコミュニティという閉鎖的な場における作用ではなく,「性的マジョリテ ィ」との関わりのなかで,Xジェンダー当事者を描いたのが第 4章である.第1節では,

カミングアウトの選択がどのようになされるのかを論じ,伝えることが必要な事情がない 場合や,性自認がはっきりしていない場合は,当事者は必ずしも人に伝えようとは思わな いことが明らかになった.第 2 節では,周囲の情報や繰り返しが,カミングアウトが受け 入れられることにつながることを論じた.それは,カテゴリーに含まれるものとしての承 認であり,具体的な「私」の感覚は重視されなかった.第 3 節では,親密でない相手への カミングアウトが,無関心やからかいなどのコミュニケーションの困難によって,うまく いかなくなることを論じた.第 4 章では,当事者にとってより重要である,親やパートナ ーへのカミングアウトがもたらす葛藤を描いた.親子関係,夫婦関係,パートナーの関係 において,「男」や「女」であることがもたらす規範と関わるかたちで,それぞれの関係性 に基づくカテゴリー規範が現れ,それによってカミングアウトが困難になることがあると 述べた.

2 「X ジェンダー」というカテゴリーの役割

本研究の意義は,①「Xジェンダー」という集合カテゴリーに注目し,その役割を検討す ることで,カテゴリーの機能を明らかにしたこと,また,②役割カテゴリーと集合カテゴ リーの関わりという視点で,異質な他者との相互理解の過程の見通しをよくしたことにあ ると思われる.前者について本節,後者について次節でまとめたい.

集合カテゴリーは,それぞれに自己が対応する固定的なものとして批判されがちであっ た(片桐 2006).一方で,集合カテゴリーを持たないことは,流動的で不安定なものとさ れるか(石井 2012),周囲に受け入れられておりカテゴリーにこだわらない個人が描かれ るか(中村 2010)という極端なあり方に結びつけられていた.それらの先行研究では,ど のような関係性のもとで,どのようにカテゴリーが機能するのかという点が十分に論じら れていなかった.

それらを明らかにするために,本研究では,カテゴリーを付与し,付与されることがど のように相互行為に影響するかを重要視する,片桐(2006)の視点に注目した.ただし,

片桐はその具体的な方法については論じていない.そのため,本研究では,ある集合カテ ゴリーや相互作用の場面について,当事者がどのようなものとして語るのかという内容か ら以下のことに注目して分析した.すなわち,ある集合カテゴリーにどのような「私」の あり方が含まれるのかということ,ある集合カテゴリーの成員を誰が決めるのかというこ

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と,相互行為の場面で集合カテゴリーと役割カテゴリーがもつ影響という三点である.

第一に,カテゴリーの内容についての分析からは,「Xジェンダー」というマイノリティ を生む社会的背景が読み取れた.具体的には,自己認識を「男」や「女」から差異化する とき,その「男」や「女」がどのようなものとして捉えられているかということを分析し た.その結果,男女別の服装を学校や家庭において押し付けられること,学校での男女の 集団化がコミュニケーションのあり方に影響すること,企業において性別役割分業やセク シュアルハラスメントがあることが,当事者が自分を「男」や「女」ではないと考える社 会的要因として見出された.そこには,当事者によるステレオタイプ化も影響しているが,

そのように「男」や「女」から距離を置き,「マイノリティ」にならなければ生きづらいよ うな社会的現実が感じられていた.これらの社会的現実の多様性は,Xジェンダーというカ テゴリーが包摂しうる逸脱の範囲が広いという特殊性を明らかにしている.

第二に,誰が集合カテゴリーの成員を決めるのかという点は,特にSacks(1979=1987)

のいう,カテゴリーの自己執行/他者執行がどのように行われているのかを探ることで明ら かにされた.Xジェンダーの特殊性は,医療に完全には包摂されておらず自己執行カテゴリ ーであることである.この自己執行できるという性質には,性同一性障害でもトランスジ ェンダーでもないある種の「残余カテゴリー」として成立したという,カテゴリーの歴史 性が影響していた.Xジェンダーは知名度が低く,カテゴリー自体のもつ意味や規範がほと んどない.そのため,他のマイノリティのカテゴリーのもつ規範やスティグマを想定した うえで,それを避けてXジェンダーが名乗られる場合もあった.

このようなXジェンダーの存在意義は,「男」や「女」というカテゴリーから距離を取り,

自己肯定感を得ること,そして,他のカテゴリーのもとで逸脱してしまう個人が集まり,

困難を共感しあう場を形成できることにあった.そのような当事者の姿からは,どこかに

「私」の居場所や拠りどころを求めるメンタリティが見出される.一方,その集団の場が,

当事者の自己を変化させる場合もある.他の当事者との接触によって,もしくは,「正当な Xジェンダー当事者」のあり方を決めようとする当事者の言説によって,Xジェンダーに含 みうるあり方が制限されるような場合である.後者は本研究ではなく,Dale(2013b)や

Twitterでの当事者のツイートから見出された知見である.これらのカテゴリーの固定化は

X ジェンダーの限界と考えられる.これから Xジェンダーの医療化が進んだり,知名度が 上がったりすることで,固定化は強まっていくだろう.なぜなら,医療の対象となる当事 者を定義したり,メディアで取り上げて説明しようとしたりすることは,一定のステレオ タイプ化と,そこから逸脱する当事者を必ず生じさせるためである.

しかし,多くのXジェンダー当事者にとって,「私」のあり方が認められることが最優先 事項であり,それがどのカテゴリーとして認識されるかは重要ではない可能性がある.Bさ んは初めからX ジェンダーを「仮置き」するだけで,「草食男子」とも迷っていると言い,

A さんも「男寄りのX ジェンダー」とうまく自分を表現する.カテゴリーが「私」のあり 方を規定することは避けられていた.Xジェンダーが「私」を表さないものになる場合,他 のカテゴリーを名乗っていくことになるだろう.

第三に,相互行為において集合カテゴリーと役割カテゴリーがもつ規範の影響に注目す ると,Xジェンダーというカテゴリー自体が,マジョリティとのコミュニケーションのなか で果たす役割はあまり大きくはなかった.何らかの理由でカミングアウトを行う場合に,X ジェンダーであることを伝えても,知名度のなさが影響して,それ自体は何の内容も伝え

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