第1章 国際標準としての IMO 船舶事故調査コード
第3節 IMO コード策定までの動き
1.1997 年 IMO コードの策定に至るまで
IMO コードに先行して、船舶事故調査に関するいくつかの総会決議と任意のコードや指 針が存在する。図 1-2 に、IMO コード策定までの流れを示した。IMO が採択した最初の決議 は 1968 年にリベリアの提唱により採択され、その後も 1975 年、1979 年及び 1989 年に採択 された。それらは、公的船舶事故調査への参加、事故調査の実施、情報交換、人員及び資 材、国際協力など、個別のテーマについての決議であった(5)。1997 年になって、これらの 決議は総会決議 A. 849 (20)「船舶事故及びインシデントの調査のためのコード」(以下、
1997 年 IMO コードという)として一つのまとまったコードに集約された。
図 1-2 IMO コード策定までの動き
出所:高等海難審判庁 (2008)『IMO 海難調査官マニュアル』海文堂より作成。
12 2. 1997 年 IMO コード
(1) 1997 年 IMO コードの基本的考え方
1997 年 IMO コードの基本的な考え方は、同コード採択の決議本文から読み取ることがで きる。その概要は以下のとおりである(7)。
・船員及び旅客の安全や海洋環境の保護は、船舶事故及び船舶インシデント(以下、船舶事 故等という)の事実と原因を明らかにする適時かつ正確な報告により促進されること。
・調査と適切な解析によって船舶事故等の原因を認知し、安全性の強化のために効果的な 訓練を含む是正措置を導くことができること。
・船舶事故等の原因や潜在的原因を正確に明らかにするという唯一の目的をもって、国内 法の許容する範囲で、船舶事故等の調査のための標準的手法を提供するコードを定める必 要性があること。
・海運の国際的性格と、事故調査を行うための各政府間協力の必要性を認識すること。
決議では、各国際条約に基づいて、旗国に対し重大な船舶事故及び非常に重大な船舶事 故の全てを調査することを要求していることも、併せて指摘しておきたい。1997 年 IMO コ ードは、決議本文に附属書として添付されており、2008 年の IMO コードと比較し条文の数 も少ない。その本文から、以下のことに重点が置かれていたことが分かる。つまり、事故調 査(casualty investigation)の目的及びその実施のための指針(guiding principles)とと もに、各国間の協議(consultation)と協力(co-operation)の枠組みを明確に規定し、各国 における船舶事故調査のための共通手法の採用を促進する。このことにより、個別の国レ ベルのみならず、国際的なレベルでの再発防止措置が取られる助けとなり、海上安全の強 化に資することである。
(2) 調査主導国と実質的利害関係国
1997 年 IMO コードの本文では、旗国に対して重大事故等の調査が確実に行われるよう求 めている。船舶事故には複数の国が関与するため、調査が確実に行われることを確保する には、どの国が調査を行うかについての調整規定を設けておく必要がある。そのため、船 舶事故が一国の領海内で発生したときには、事故船舶の旗国と事故の発生海域の沿岸国と の協議により、調査に責任を持つ主導国(lead investigating State)を決定するという規 定が設けられている。更に、実質的利害関係国(substantially interested State)という 概念が導入され(8)、旗国や沿岸国以外に、領域内で環境破壊が生じた国や自国の国民の生 命が失われた国も、実質的利害関係国として調査に招請され、調査手続の当事者として、
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調査実施国と同等に証拠へのアクセスを認められるべきであるとされている。また、実質 的利害関係国は、調査主導国の最終報告書に同意できない場合には、独自の報告書を IMO に 報告することができるということも規定されている。
(3) 1997 年 IMO コードの限界と海難審判庁の関与
1997 年 IMO コードは、船舶事故調査に関して各国の制度の共通の基盤となる規範を定め ることを意図したものであった。同コード案は、1996 年の第 4 回 FSI において審議され、
高等海難審判庁は同会議にわが国が派遣した代表団に加わった。同庁は会議の場で「コー ドの制定にあたっては、コードの中に各国の法令の許す範囲内において調査の協力を行う」
との規定の挿入を要求し、その結果、コード案の「3.適用」において、「このコードは、
国内法の許す限り、1 以上の国が利害関係を有し、その国の管轄下の船舶が関係する船舶事 故及びインシデントの調査に適用する」(9)との規定が含まれることになった。わが国の他 にも原案の承認はできない国もあったためコード案の決定は持ち越され、翌 1997 年の第 5 回 FSI においても継続して審議された。FSI においては、各国のコンセンサスを得てともか くコードを策定する必要があったため、わが国が提案した修正案も認められ最終的なコー ドの規定に盛り込まれた(10)。この修正は、海難審判庁の立場からすれば、現行の国内法を 国際的なコードに優先されることを確認する趣旨であった。
同コードは総会決議であり、任意適用のものであった上に、各国の制度を尊重しつつ国 際協力に重点を置くという趣旨が強調された結果、同コードの各国への浸透は徹底したも のとはならなかった。また、本文中に「理想的には.....
、船舶事故は、その他のいかなる調査形 態からも分離独立したものであるべきである」(序論第 1 条 4 項、傍点は筆者)および「理. 想的には....
、責任を決定し、又は非難を割り当てることは、船舶事故の目的ではありえない」
(同第 2 条、傍点は筆者)という記述があり、条文中に「理想的には(原文 ideally)」とい うフレーズが挿入されているが、これは以下に述べるようなわが国の主張の趣旨を反映さ せた結果であったものと考えられる。
高等海難審判庁は、修正案を提出した理由について、「海難の原因究明と海技従事者の懲 戒等を同じ手続で同時に行う制度を採用し、実際に支障なく機能している.............
わが国の現行法 を変更するには相当な困難を伴うこと、また、その代わりに新たな組織を創設することも.............
財政上困難.....
であるとの理由から提案したものである」(傍点は筆者)としている(11)。しか し、「理想的には」という文字が追加されたことによって、コードの本来の意味や趣旨は、
不明朗となり精彩を欠くこととなった。なお、「各国の国内法の範囲内において」というこ
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と自体は、いわば当然の事柄であるため、1997 年 IMO コード採択の決議本文のみならず、
2008 年の IMO コード採択決議中にも、「国内法が許容する範囲での標準的な手法を定める コードの必要性」という記述が引き継がれている。しかし、各国の法制度上、改正が不可能 でないものについては、各国の国内法をコードに合わせるべく改正すべきものであったと 考えられる(12)。
3. ヒューマンファクター指針の策定
1990 年代におけるヒューマンファクター研究の学術的な進展を背景に、ヒューマンファ クターに関する総会決議(A .884(21))が 1998 年に採択された。本決議は、従来からの船 舶事故調査が技術的観点.....
に偏っていたという反省に基づき、海事活動のあらゆる側面......
にヒ ューマンファクターが関与しているとの認識に立って、その研究及び分析の必要性を訴え、
かつ、手法について示したものである。「あらゆる側面」というのは、従来、技術的な観点 からハードとしてのみ扱われてきた設備の設計や、ハードとソフトのインターフェイスで ある操船者と設備の相互作用、ソフトの領域に属する船員と管理者が準拠する手順などの 全ての側面を含むものであり、これら全てにヒューマンファクターが関与しているという 趣旨である。
同決議は、「GUIDELINES FOR THE INVESTIGATION OF HUMAN FACTORS IN MARINE CASUALTIES AND INCIDENTS(船舶事故及び船舶インシデントの調査におけるヒューマンファクターの 調査のための指針、以下、ヒューマンファクター指針という)」という表題で、1997 年 IMO コードに付録 1 として添付され、各国において国内法の許す範囲内で実施することが要請 された(13)。ヒューマンファクター指針は、IMO コードにもそのまま添付され一体として機 能した。その内容については、IMO コードについて述べたあと、本節において後述する。
4. IMO コード策定の経緯
前述のとおり、1997 年 IMO コードは総会決議という形式をとり、加盟国に対し強制力を 持たなかったため、各国の制度に取り入れられるにも時間がかかり、施行から 6 年が経過し ても、欧米先進国以外にはあまり浸透しなかった。このような状況を打開するために動いた のが、オーストラリア、バヌアツ及びカナダの 3 か国である。これら 3 か国は、2004 年 12 月開催の第 79 回 MSC において、事故調査の目的は海上事故やインシデントを発生させる要 因を理解し対策を講じることであり、これは、IMO コードの規定が SOLAS 条約の付録として
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採択されれば強化されるであろうと述べ、コードの見直しを提案した。また、これは、航空 において ICAO(International Civil Aviation Organization、国際民間航空機関)によっ て、国際的に統一された事故・インシデントの調査方法が提供され、航空産業の非常に高い 安全水準に貢献していることと整合するもであると述べた。こうして、ICAO の第 13 付属書 (Annex13)をモデルにして IMO コードの見直しを行うことと、それに関する議論を MSC 傘下 の小委員会である FSI で行うこと、が 3 か国によって共同提案された(14)。改正の方式につ いては、ノルウェーが 3 か国の提案に賛成しつつも、いくつかの代替案を提出した。そのう ちの一つのオプションが、SOLAS 条約の新たな条文の中で改正コードについて言及し、強制 化する規定を設けるという案であったが、これがのちに採用されることになる(15)。共同提 案は MSC に受け入れられ同月に開催された第 13 回 FSI の議題に、緊急性の高いものとして 含められ、2007 年の完成を目ざし強制規定に適した案を起草することが、FSI の課題となっ た。
新たなコード案は、これらの国がアクティブなメンバーであった MAIIF(Marine Accident Investigator’s International Forum、国際船舶事故調査官フォーラム)(16)の会議におい ても何度かその内容が討議され、参加国有志によって案が練り上げられた。コレスポンデ ンス・グループが設置され、2006 年 6 月の第 14 回 FSI では、同グループが作成した改正案 の内容について検討が行われた。会議では、各国の調査実施体制を一つの型にはめようと している点が大きな問題点であるという発言が、バハマやニュージーランドからあり、そ れに同調して、シンガポール、ギリシャ、パナマなどの国からも、異なる調査システムを持 った多くの国が対応できるよう、より大きな柔軟性を持ったコードにすべきであるとの発 言があった。議論は、強制化による調査協力の促進と調査の独立性の確保を主張するアメ リカ合衆国やオーストラリアと、広範な強制化に反対するニュージーランドやバハマなど との調整という形で展開した。一方で、従前のコードの内容を、自国の裁量で国内法に取 り入れた経験からできるだけ多くの裁量が残されていることが望ましいとする、既に独立 調査機関に移行した欧州諸国からの発言もあり、より広範な強制化を求める発言はなかっ た。この結果、従来のコード案よりも強制化の部分が縮小され、意見の対立のある部分に ついては、1997 年 IMO コードの文言に戻し、より広い柔軟性を確保した案が、新たなコー ド案として取りまとめられた(17)。その後も、コレスポンデンス・グループを通じて、会議 の開催期間中以外にもメールで各国政府が意見の交換をすることによって議論が深められ た。最終的に本文案は、2007 年 10 月の第 83 回 MSC において確定し、各国に回章された。