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第4章 海難審判制度の分析

第4節 審判の基本原則

本節では、審判の基本原則とされた六つの点(50)について概説する。これらは、海難審判 に固有のものではなく、「海員懲戒法」から引き継いだ刑事裁判手続に固有のものを含む。

これらは、取消訴訟に至る一連の裁判プロセスの中で見た場合には当然のことであっても、

海難審判を船舶事故調査の一つとして見た場合には、むしろ事故調査の一般的原則と抵触 し、問題となるものが多いと言える。

① 一事不再理

第 7 条において、確定裁決のあった事件については、審判を行うことはできないと定めら れた。これは、一事不再理の原則によるもので、一事不再理とは、「同一事件について再び 国家機関によって審判せられることのない国民の自由を保障する」原則であるとされる(51)。 刑事訴訟法に同様の規定があり(第 337、338、340 条)、事件について有罪無罪の実体判決 又は免訴の判決があったとき同一事件について再び審理を許可しないことを意味する(52)。 この理由について、齋藤は、海難が発生したときには本法によって審判権が発動し、審判の 結果、その裁決が確定すると、審判権は消滅するからであると述べている(53)。一事不再理 は、新憲法第 39 条の規定に基づくもので、これにより、戦後の刑事訴訟法では不利益再審 が廃止された。これ以外の旧刑事訴訟法の規定は、ほぼ、戦後の刑事訴訟法に引き継がれて いる(54)。審判制度においては、刑事訴訟と同様の原則を重視し、一事不再理も海難審判法 に援用されたものと考えられる。また、「海難審判法案」にあった再審制度については、前

171 述のとおりの法制局審査の際に退けられている。

このことが意味するのは、確定裁決が出た後に事件に関する新たな証拠が得られたとし ても、これを理由として再び審判を行うことはないということである。前述のとおり、IMO コード第 23 章に規定されているように、新たな重大な証拠が見出された場合に調査を再開 し、必要であれば事故調査の結果を見直すことは、現代の事故調査の原則である。しかし、

一事不再理の原則(55)と、再審制度の不在はこれと抵触し、真実の探求と新たな再発防止策 の提示可能性の芽を摘むものと言える。また、「裁決にもれた部分について、裁決確定後は さらに審判することはできない」(56)。このため、例えば、A 船による運航阻害事件が、B 船 と C 船との衝突事件の一因となった場合においては、両者は一連の事件であると判断され る。前者の事件が裁決からもれ、後者のみで裁決が確定した後に、前者の審判開始の申立が なされた場合には、一事不再理の原則によって、その申立が棄却されるという不都合があっ た。このように、刑事訴訟の原則は、手続的な制約となって、事故原因の究明を阻害する場 合もあった。

② 不告不理

第 35 条において、地方海難審判所は、理事官の審判開始の申立によって審判を開始する ことが定められていた。理事官の申立がなければ審判所は審判を開始することができない。

刑事訴訟法上、検察官の公訴の提起がない限り、裁判所はいかなる事件も審判を行わないと いう原則と同等のものである。裁判所の職権によってではなく原告など裁判所以外の者の 訴えを待って訴訟を開始する、「弾劾主義」(審判の主体は他の主体の請求がある場合におい てのみ審判を行い、かつ、審判を受ける者に防禦の機会を与えるもののことを言う)の内容 を成す原理であるとされる(57)。海難審判においては、原因究明の端緒は理事官に任された。

これは、重大事件であっても理事官が申立をしなければ、海難審判所は原因究明の審判を行 うことができないということを意味するものである。審判の請求は理事官の職権なので、海 難審判理事所長以外からの拘束を受けない。第 5 章において後述するように、多数の死亡・

行方不明者を発生させた外国船に関する重大海難の調査において、理事所は申立をせず、や がて不要処分に付されたものがあった。このような事態になっても、審判所(庁)は、自ら の職権によって調査を開始させることはできないので、どうすることもできない。刑事手続 としては合理的と考えられる不告不理の原則ではあるが、事故調査としては問題と考えら れる場合があったことを指摘しておきたい。

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③ 公開主義

第 36 条によって、審判の対審及び裁決は公開の審判廷で行うことが定められた。これは、

審判の公正を確保しその信頼を深めるためであるとされている(58)。事故の当事者が自己の 立場を公開の場で表明する機会は確保されるものの、審判の結果となる裁決の案を審議す る評議は審判官及び参審員の参加により、非公開で行われ過半数で決定されることは前述 のとおりである。現代の事故調査制度においては審議の過程を公開にするものと非公開に するものがあるが、公開の問題については、第 8 章において改めて検討することとしたい。

また、従前の「海員懲戒法」では、安寧秩序又は風俗を害するおそれがあるときは、公開を 制限する規定をおいていたが、本改正によって廃止された。

④ 口頭弁論主義

第 39 条において、受審人があるときは裁決は口頭弁論に基づいて行わなければならない と規定され、審判の基礎資料は口頭弁論を通じて収集するという「口頭弁論主義」が採用さ れた(59)。民事訴訟法上の「弁論」も同義で、対立当事者が攻撃防御方法を提出して審理に協 力する行為又は手続のことをいう(60)。しかし、現代の事故調査制度においては、事故調査 報告書案に対する当事者の意見の提出の機会はあっても、口頭弁論主義を採用しているも のはない。

筆者は海難審判庁に勤務した経験があるが、「衝突事件」を審理する審判廷において、一 方の受審人が対立する受審人の補佐人から口頭弁論の際に激しい反対尋問を受け、動揺し たり興奮したりする場面は少なくなかった。口頭弁論主義に基づいて行われる審判が、客観 的な事故調査を冷静に行う環境を維持できていたかについては疑いがある。この点からも、

海難審判が真の原因を明らかにするように機能したかどうかについても疑問があり、口頭 弁論主義は、審判を争訟の具にすることには寄与しても、本来、利害に関する争点を持たな いはずの現代の事故調査の原則とは整合しないものである。

⑤ 証拠審判主義

第 40 条の 3 により、事実の認定は審判期日に取調べた証拠によらなければならないと規 定され、客観的な証拠により事実の真相を探求するものとされた。証拠は、審判廷において 採用するかどうかが決められた。この規定が証拠能力に関する唯一のものであるため、「海 難審判においては、証拠となる資格があるとかないとかいう問題は、審判期日に証拠が取り 調べられているかどうかということにかかっており、証拠とするための適格性の判断は、す べて審判官の自由心証に委ねられている」(61)

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一般的に、事故の直後に理事官の聴取の際に正直に述べた供述と、事故から数か月、場合 によっては1年以上も経ったあとの供述では、その内容が異なり、記憶は時間の経過の中で 自己に都合がよいように修正・上書きされる傾向にある。岡本(2013)は、「時間が経過した 後に行われた供述は、本来の記憶内容と異なった内容なのに、本人はそのことを自覚してい ないということも起こりうる」(62)と指摘している。また、例えば自己の防御のために補佐 人と入念に打ち合わせた結果として、当初の記憶とは別の信念が形成されることもある。そ のため、審判廷における答弁と、理事官が作成する質問調書に記された当初の供述とが相違 することが多い。

このため、事故調査においては、事故後可能な限り時間を置かずに事故の当事者に接触し、

記憶の鮮明なうちにインタビューを行うということが常識になっており、早期に得られた 口述ほど信頼性が高いとされている。しかし、海難審判の手続においては、事情は全く逆で あって、事故後、1 年が経ってから審判廷でなされる当事者の供述の方が、事故直後に理事 官によって聴取された記録よりも重要視される。筆者に対し当時の海難審判理事所長が、理 事官は事故後、海上保安庁等の聴取が全て終わって落ち着いたあとゆっくりと聴取に赴く と述べていたことからも明らかなように、海難審判のシステムの中では、事故後の調査にお いて、理事官が可能な限り早期に当事者から聴取を行うことは全く重要視されていなかっ た。筆者の経験した審判の際にも、事故直後に理事官が作成した調書中の供述と審判廷での 答弁が矛盾する場合で、裁決の作成に当たり、審判廷での答弁の内容が事実として認定され たケースがあった。

森は、「受審人は当事者となる地位とともに、証拠方法としての地位..........

を有することは、審 判におけるその陳述が裁決の基礎となることによって明らかである」(63)と述べており、こ れが、裁決では、審判廷での発言を重視する理由を説明している。森はまた、刑事訴訟法に おける黙秘権と供述拒否権の規定があるが、「海難審判法」にはその旨の規定がないという ことの対比から、「本法の解釈上は受審人に供述の義務があり、しかも真実を供述する義務 があると解する」(64)と述べ、更に、「審判廷において受審人に陳述なさしめるのは、懲戒の 請求に対する弁護の権利と機会を与えることが唯一最高の目的ではなく、むしろ、それは副 次的なものであって、第一義的には本法第一条の示すように、海難の原因を明らかにするに ある」(65)と述べている。この点に関しては、今西も、同様の趣旨を述べ、「そうだからとい って、受審人に不利な事までも真実を供述する義務があると解するのは、人道上の問題とし て司法正義に反するのであって、法律上は真実を供述する義務があるという程度にとどめ

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たい」(66)と述べている。筆者の経験では真実を供述する義務があるということが、現実に は海難の関係者に必ずしも共有されていたとは言えない。

⑥ 自由心証主義

第 40 条の 4 においては、証拠の価値、すなわち証明力の判断については、審判官の自由 な心証にゆだねるとされている。これは、審判官による証拠の取捨選択は法律上何らの拘束 を受けずに審判官が自由に判断できるとするものである。今西は、証拠の評価は、性質上直 感的な要素も含まれるが、全体として、専門技術的経験法則と論理上の法則に従って行われ ることを要するとしている(67)。森によれば、自由心証主義は、法定証拠主義に対立する概 念で、戦後の刑事訴訟法の原則では、裁判による真実の発見は、制限された制度と時間内に おいて結論を与えなければならないものなので、証拠の集取、およびその価値の判断につき 若干の制限が加えられており、それとは異なっているとされる(68)

以上のように、「海難審判法」の成立とともに、あらためて確認された海難審判の原則は、

「海員懲戒法」からそのほとんどが承継されたものであった。また、戦後の刑事訴訟法の原 則と共通のものも多く、海難審判を裁判プロセスの一環と考える審判関係者からは当然の こととして受け入れられてきた。しかしながら、裁判の諸原則は、理想的な事故調査の原則 とは、システムの作り方が異なっているため、基本的に矛盾・抵触するものがあり、両立が 困難であることをここで指摘しておきたい。