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19 世紀のイギリス船舶事故調査制度

第2章 19 世紀先進諸国における船舶事故調査制度の創設

第2節 19 世紀のイギリス船舶事故調査制度

1. イギリスにおける船舶事故調査制度確立までの経緯 (1) 産業革命とイギリス海運の発展

19 世紀のイギリスにおいて、海運が大きな発展を遂げたことは周知の事実である。イギ リスにおける産業革命期は、一般的には 1760~1840 年頃とされている。産業革命期は、そ れまで、経験と実績だけに依存していた「技術」が、現在のように材料力学、流体力学、熱 力学などといった学問に基礎を置いた「工学」に展開する黎明期とも位置付けられている

(7)。イギリスの産業革命は、18 世紀にまず綿織物業が先行し、遅れて製鉄業が成長し工業 の生産性が上昇した。その結果、地元で消費しきれない生産物を貿易によって遠隔地に輸 送し販売する必要が生じた。一方で、産業革命において発展した工業技術は、19 世紀後半 以降、新たな輸送システムを生み出し、生産した商品の輸送に加え、工業を支える労働者 人口に対しては労働力の再生産に必要な食料を運搬する役割を担った。産業革命期には運

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輸の分野における技術の発展が著しかった。河川の内陸運河化、幹線運河の開削、港湾、道 路の整備などが、高速輸送、大量輸送、経済性向上に大きく寄与した(8)。この時期以降、運 河、鉄道、汽船が一つになった世界的輸送網が形成され、海運も新しい輸送システムとし ての発展を遂げた。海上貿易量は 1840 年に 2,000 万トンであったが、1887 年には 1 億 4,000 万トンになった。これに寄与したのが、帆船に代わり汽船を登場させた蒸気機関、大型船 の建造を可能にした鉄の船殻、堪航性を高めたスクリュープロペラ、そして貿易商と船主 の通信を可能にした海底ケーブル網であると言われている。1850 年代までは汽船は駆け出 しの段階であったが、1875 年までには燃料効率が改善され、汽船が帆船に対し、初めて十 分競争力を持つようになったとされている(9)。蒸気だけで動く最初の船「シリウス」が、大 西洋を横断したのは 1838 年で、1850 年にはイギリスとアメリカは既に僅か 12 日半の距離 にまで縮まっていた(10)

ところで、時代は遡るが、エリザベス 1 世の寵臣であった、ローリー卿(Sir Walter Raleigh, 1552~1618)は、「海を支配する者は貿易を支配し、世界の貿易を支配する者は 世界の富を支配し、その結果として世界そのものを支配する」と言ったとされるが、19 世 紀のイギリスはその海軍力と経済力とで七つの海を支配した。これを支えたのが海運・造 船であり、蒸気船と海底電信の開発において、イギリスは世界をリードした。こうして、イ ギリスの海外貿易の発展によって、大西洋の一体化や資本主義的な世界経済の拡大がもた らされた(11)

19 世紀中頃から後期にかけて、海上で輸送されるものは、ばら荷、液体、一般貨物に加 え、旅客であった。定期旅客船は、一つのビジネスとして発展し、大西洋をまたぎアメリカ 行きの航路か、極東向けの交通量の多い航路において高速輸送が提供され、目的に合うよ う設計された船が導入された。定期旅客船は、旅客に豪華な設備を提供する一方、ヨーロ ッパからアメリカへの移民と、貨物容量は限られていたものの郵便を輸送した(12)。また、

イギリスで海外旅行が盛んになってきたのも 19 世紀中ごろ以降であり、近代マスツーリズ ムの祖といわれるトマス・クック(Thomas Cook)が最初のエクスカーションを組織したのは 1841 年であったが、同年には、キュナード汽船 (Cunard Line)が大西洋横断の航路を開設 している(13)。トマス・クックの初の北米パッケージツアーが、二組の旅行団を引率してア メリカの戦跡巡りの旅をしたのが 1866 年(14)、スエズ運河の完成が 1869 年であり、1880 年 代にはクックの事業は、エジプト、インド、オーストラリア、ニュージーランドというよう

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へと広がっていた(15)。このように 19 世紀後半は、現代のシステムが胚胎された時 代であると言えよう。

(2) イギリス船舶事故調査制度の展開

このような海上貿易の発展や帆船に代わる汽船の導入などを背景に、イギリスの黎明期 の船舶事故調査は、短期間のうちにいわば実験期として多くの法制の改廃を経た。イギリ スの船舶事故調査制度についての先行研究としては、森の戦前の論文や戦後にまとめられ た著作である『海難審判制度の研究』などがある。

ここで、1923 年の規則に至る経緯について言及した森の著作及び 1882 年までの制度の 創成期について記したマートンの著作ならびにそれ以降を主として扱っているマクミラン の著作を参考に、エポックメーキングとなった制度的変化を時系列に従って列挙すると以 下のとおりである(16)

1836 年 下院の特別委員会による決定

1846 年 法律第 100 号(Steam Navigation Act 1846)による船舶事故調査の初めての法 制化(船舶事故調査の開始 1847 年)

1850 年 Mercantile Marine Act による技能証明書の発給と海員懲戒制度の創設 1851 年 Steam Navigation Act 1851、Mercantile Marine Amendment Act 1851 による

船舶事故調査の規定の整備

1854 年 Merchant Shipping Repeal Act 1854 による先行する法律の整理、航海法廃止 1854 年 Merchant Shipping Act 1854 による既存の規定の集約(正式調査の成立)

1860 年及び 1873 年 特別委員会による審議

1862 年、1876 年、1879 年、1882 年に Merchant Shipping Act の改正 1894 年 Merchant Shipping Act 1894 による正式調査制度の確立 1906 年 Merchant Shipping Act の改正

1923 年 Merchant Shipping Act の改正

本論文においては、Merchant Shipping Act 1854 によって成立した正式調査以前の船舶 事故調査を、初期の事故調査ということにする。以下の記述においては、これらについて 考察を加えながら、イギリスの船舶事故調査制度の創成期に既に明示的に表明されている、

事故調査の執行に関する方針の中から、現代からみても意義の深い事項を抽出していくこ ととする。なお、森は、前掲の著作において、1894 年と 1906 年の法改正に加え、1908 年 と 1923 年の改正規則をイギリスの「現行の海難審判法........

」の法源として挙げている(17)。これ

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らが船舶事故調査制度の基礎となった法制であるため、本章においても 1836 年の特別委員 会の決定から、1923 年の規則改正までを考察の対象としたい。

(3) Merchant Shipping Act 1854 の制定までの経緯 1)1836 年の下院特別委員会

1836 年にイギリスの下院(Commons)によって任命された特別委員会(Select Committee) において、海難(shipwreck)(18)が当時頻発し世間の関心と憂慮が高まっていたことを踏まえ、

その原因を調査すべきとの決定が下されたことが、船舶事故調査制度検討の端緒となった。

特別委員会は、審議の結果、海上で毎年多発する人命と財産の喪失を減少させるため、「事 故調査法廷」(Courts of Inquiry)(19)の設置を立案するよう勧告(recommend)した。

事故調査法廷の役割は、海難の原因を調査し、それが、船主..

(owners)や船長(commanders) の過失(fault)や不備(deficiency)によって発生したものであるときには、これらの者に対 し現実的な範囲で、非難の裁定(verdict of censure)を下し、過失が見出せない場合には

「無罪を宣言」するとともに、個別の件に関する証拠と裁定を、イギリスのあらゆる港に おいて公表する権限を付与することだった。一方で、士官や船員に重大な能力不足や職務 怠慢(neglect of duty)があったことが証明された場合には、一定期間、免状や証明書の効 力を停止する権限をも付与し、船舶および人命の保全に功労のあった船員については顕彰 することとした (20)

特別委員会は、海難の主要な原因としてかなり広い範囲の事項を挙げている。それらは 以下のようなもので、最も頻繁に認められ、したがって再発防止のためにその除去が必要 なものであると認識された。すなわち、船舶の構造上の欠陥(defective construction of ships)、艤装の不備(inadequacy of equipment)、修繕の不完全(imperfect state of repair)、積み付けの不良又は過剰(improper or excessive loading)、船舶の形状の不適 当(inappropriateness of form)、船長、航海士の技能上の欠陥(incompetency of master and officers)、船舶職員および一般海員の乱酔(drunkenness of officers and men)、海 上保険の運用(operation of marine insurance)、避難港の不足(want of harbours of refuge)、海図の不完全(imperfection of charts)である(21)。当然のことながら、これらに は船員の行為だけではなく、船舶安全上の問題や船舶の運航を支える設備やシステムの問 題も含まれていることが確認できる。船員の行為に関して、同委員会は、船長や士官の能 力不足が随所で認められることについて、操船(seamanship)の技能と知識の欠如のほか、

それ以上に航海(navigation)に関する知識の不足によるものであるとしている。例えば、

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船長に任命された者の中に、洋上の経験が非常に少ない者、海図上で船舶の航跡をたどる ことができない者や天測航法の知識のない者、クロノメーターの使用に不慣れな者や、14 歳という非常に若年の者が含まれていた例なども挙げている。それに加え、常習的な飲酒 によって海難が頻繁に発生していることも示されている。

特別委員会の勧告は、このような海員の技能水準の問題に対する対策として、商船に特 定の階級の士官として乗り組む免許を取得するに当たって、操船及び航海に関する一定の 資格水準を設定することにあった。また、船長に対しては、船と航海の種別に応じて、操 船、航海及び航海天文学の更に高度な資格証明を要求した。また、これらに関して公的試 験を行い、免許の剥奪や上級の免許を付与する権限を持つ試験官の任命を行うよう要請し た(22)

2) 1843 年の下院特別委員会

1843 年には、下院においてイギリス船の海難原因に関する 3 度目の特別委員会が開催さ れた。特別委員会は、全ての失われた船舶に関して、船長と海員の行為についての調査が 行われるべきであるとの報告を出した。これは、1836 年の特別委員会の勧告を更に具体化 したかたちで上書きしたものである。報告によると、調査(inquiry)の主目的は、以下の三 つであった。第 1 に、海難(shipwreck)の原因を調査すること、第 2 に、船主と船長に過失 や欠陥があった場合には非難し、重大な能力不足や怠りがあったと認められた場合には、

免許や証明を一時停止し、そうでない場合には無罪を宣言し、人命と財産を守るうえで技 量、勇気、人間性の点で優れていた者は褒賞すること、第 3 に、個々の件について、イギリ スの各港においてその証拠と裁定を公表する、というものであった。

調査の主目的は海難の原因の解明であることが宣言されたものの、船長、士官、船員の行 為を調査の対象とするものであり、結果についての公表が認められた。また、この効果は、

船主と船長に対する警告となる のみならず、将来の事故再発の防止措置............

(preventive measures)を講じることを促進し提案することにもなる....................

(傍点は筆者)ものと期待された(23)。 3) 1846 年の船舶事故調査制度の初の法制化

1846 年には、1836 年と 1843 年の委員会の結論に沿ったかたちで、はじめて船舶事故調 査制度が法制化された。すなわち、1846 年の法律第 100 号(Steam Navigation Act 1846)

の制定である。同法の目的は、汽船の構造を規制すること、汽船の航海において発生する 事故を可能な限り防止するための規定を設けること、遠洋航海に従事する船舶にはボート の装備を義務化すること、などを主な内容としていた。

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同法第 19 条と第 20 条により、汽船の重大事故および船舶の全損の疑いがあるときには、

商務省(Board of Trade)に報告をすべきであるとされ、商務省には、そのような事故に関 し、調査官(inspectors)を任命し調査を行わせ、報告をさせる権限が付与された。1851 年 の Steam Navigation Act によって更に規定が改正されたが、上記の内容は引き継がれると ともに、更に制度の細部にわたり規定された(24)

4) 1850 年の海員審判制度の導入

1836 年と 1843 年の二つの特別委員会の報告が出た後も、船長や士官の技能水準や船員 の規律を欠いた行動に対する不満が続いた。そのため、1850 年の Mercantile Marine Act

(25)は、商務省が商船の船員に関する監督を行うべきであるとし、資格制度としての海技免 許制度を導入し、同法の施行の権限を与えた。更に、技術劣等又は失行のあった船員に対 し免状に関する処分を行うために、免状授与の権限と処分を法的..

手続..

(legal proceedings) である裁判によって執行する権限を与えた。

これにより、商務省は増員を実現し、海事部(Marine Department)を設置するとともに、

いくつかの港に地方海事部(Local Marine Board)を配置した。それまで、海事関係団体で あるトリニティーハウス(Trinity House) と地方行政組織が行っていた免許制度に代えて、

満足に試験を通過し品行方正を証明できる者に対し、商務省と地方海事部が技能証明書を 発給することとした。また、既に商船において船長等の職を得ている者に対しては試験な しで同等の証明書を付与した。これによって、商務省は免許を管理し、一定の条件の下に 免許の取消やその効力の一時停止の権限を有することになった。

Mercantile Marine Act 1850 により、裁判制度としての海員審判制度......

が設立された。こ れを裁判制度としたのは、「海技免状の処分は行政罰の一種であるから、『処罰される者に 対しては防禦の機会を与えなければならない』との法律正義の思想に基づくものであった」

(26)からである。更に、同法第 104 条の規定により、重大事故に際しては特別の調査官を任 命し、船員の重大な過失や関係法令の不順守がなかったかを調査し報告させることとされ た。これらにより、同法が正式調査の制度設立の土台になったとみなされている(27)

また、1851 年の Steam Navigation Act は、汽船の定期検査、最大搭載乗客数、船舶の構 造や機関の安全弁や搭載設備など、事故や衝突の防止のためのさまざまな規定を設けた。

1851 年の Mercantile Marine Amendment Act は、海軍審判所(Naval Court)の権限を強化 し、外国で発生した事故について調査を行うこととした。これらにより、海運業の発展期