第2章 19 世紀先進諸国における船舶事故調査制度の創設
第5節 小括
運輸事故調査の起源は、19 世紀半ばのイギリスにおける船舶事故調査制度の創始にある。
イギリスで確立された正式調査は、ヨーロッパの事故調査制度に影響を及ぼし各国での事 故調査制度のモデルとなり、わが国では海員懲戒制度導入の契機ともなった。わが国にお いては、イギリスの正式調査を「イギリスの海難審判」と呼び、戦後成立したわ海難審判制 度との共通性をナイーブに強調する傾向にあるが、結論的に述べれば、イギリスの正式調 査の基本的な理念やシステムは、わが国の海難審判とは本質的に異なる、相違の大きいも のであった。
本章では、19 世紀先進諸国の船舶事故調査制度について考察し、森清の著作と、イギリ スとドイツの制度については、森も準拠した 19 世紀から 20 世紀の前半にそれぞれの国で 出版された原書を参照しつつ、各制度の実態を探求した。その結果、第 1 に、イギリスで 事故調査が創始されたのは以下のような理由によることが明らかになった。すなわち、1850 年代以降のイギリスにおいては、汽船が帆船に対する優位性を持ち始め、世界輸送網の一 端を担うようになったこと、一方で、汽船による事故が頻発したことから、それらを可能 な限り防止することがイギリス商務省の課題となり、事故調査制度が立案された。第 2 に、
イギリスにおける初期の事故調査については、マートン(1884)の著作に記載されている五 つの実例から、その目的は事故の事実から教訓や実用的な提言を提示することであり、こ うした事故調査を基に関係規則の改正が行われたことを具体的に示した。第 3 に、議会で の審議における証言から、最終的に 1854 年以降確立した正式調査も、事故原因を満遍なく 調査し、再発防止に活用しようとする性格が顕著であったことを明らかにした。第 4 に、
イギリスの事故調査の目的はこのようなものであったことから、その基本的な性格は、わ が国の海難審判とは非常に異なり、むしろ、現代の事故調査と共通する性格を多く持った ものであったことを明らかにした。
ところで、イギリスの事故調査制度の特徴のうち特に重要な点を、わが国の海難審判及 び現代の事故調査制度との比較という観点から整理し直すと以下のようになる。①短期間 に多くの制度の変遷があったものの、一貫して商務省の行う事故調査であったこと、 ② 1854 年以降は、行政裁判としての裁判形式により事故調査が行われたが、純粋な海員懲戒 制度とは別個のものであったこと、③独立した恒常的な調査・審判機関は設けられず、事 案ごとに商務省が指定する既存の裁判所を利用して正式調査が行われたこと、④正式調査
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に先行する予備調査は、わが国の海難審判理事官の行う申立や第一審に相当するようなも のではなく、正式調査を行うか否かを商務省が職権で判断する際の資料であり、正式調査 を行う基準は、「予防的な原因についていくらかでも光を当てることができるか」という 点にあったこと、⑤したがって、調査の重点的な対象となるのは、船舶の喪失や行方不明 などであり、設計や貨物の積載の欠陥に焦点が当てられ、一般的な慣行として、衝突事件 は、ほとんど調査されなかったこと、⑥調査で網羅すべき論点は、商務省が事前に示した。
報告書には、事故及びそれに対する意見の全容、必要な証拠及び所見、勧告が添付された。
調査の報告書には、必要な場合には、商務省の発出した命令、規則、行政の実効性などに関 する論点や再発防止のための勧告も含まれていたこと、⑦勧告は、原因に限定して発出さ れるのではなく、調査の過程で明らかになった、安全上不適当な事項に対しても広く発出 されること、⑧正式調査の過程で、船員の不法行為や義務の不履行によって海難が発生し たことが明らかになった場合には、船員の懲戒も行われるものの二次的な事項であった。
懲戒の対象となるのは、不正行為や義務の不履行であるが、「船員の常務」に反しない判断 の誤りや、臨機の処置に関する判断の誤りは、懲戒の対象にならなかったこと、⑨正式調 査は、民事・刑事の裁判における参考となる事実情報を提供する機能を有するものの、正 式調査において提示された証拠や結論である報告書をそのまま、司法裁判において使用す ることを禁じていたこと、⑩商務省はその自由裁量によって、再調査(rehearing)を命ず ることができ、正式調査の際に提出することができなかった重要な新証拠を発見したとき、
又は調査に違法があるとの疑いを抱く理由があるときには、義務として再調査を行わなけ ればならなかったこと。
これらの点のうち、③以降は、わが国の海難審判制度とは正反対の特徴であった。後の章 で述べることを先取りすれば、わが国の海難審判制度は、③独立した組織を持ち、④予備 調査はなく、海難審判理事官による申立があり、⑤扱う事件の大半は衝突事件であり、⑥ 規制官庁に対し勧告は発出されず、⑦原因に関する事項のみを勧告の対象とし、⑧判断の 誤りは全て懲戒の対象になり、⑨審判の結果は、積極的に司法裁判の証拠とされ、⑩裁決 が確定した後の再調査は認められなかった。
19 世紀にイギリスで確立した正式調査制度は、現代の事故調査の論点をも早くから網羅 したものであり、現代の感覚から見ても事故調査システムとして傑出したところがあった。
わが国で一般にナイーブに思い込まれているように、イギリスでも日本同様の海難審判が 行われているというのは誤った認識であり、日本の海難審判が「イギリスの海難制度と軌
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を一にした」と表現することや(107)、正式調査を「イギリスの海難審判」と呼ぶのも不適当 であると言わざるを得ない。
更に、本章では事例研究として、1912 年に発生した「タイタニック号」の正式調査の報 告書を取り上げ、以下の点を明らかにした。同報告書では、商務省の質問に基づき、正式調 査が行われ、報告書には、調査の中で明らかにされた事実に対応し、24 項目の勧告が含ま れている。注目すべきことは、問 26 では、商務省の命令、規則及び行政の実効性について 報告し、再発防止のための勧告をも求めていたことである。またスミス船長の操船に関し ては、本件においては、彼の立場にあれば、どんなに熟練した船長であっても行ったこと に過ぎないので、非難することはできない、とした点であり、エラー(mistake)と、過失 (negligence)とを峻別する判断をしているという点である。
また、イギリスの影響を受けて成立したとされるドイツの制度については、以下のこと を明らかにした。すなわち、ドイツの制度においては、組織を整えることに重点を置き、独 立した審判機関を設立し、わが国の海難審判制度のモデルになった。ドイツの海難審判に おいては、刑事訴訟法の諸原則が援用され、審判の刑事裁判化に対する批判を受け、公益 を前面に出した海難審判の基本原則が規定されたが、これらは、第 4 章でみるように日本 の海難審判と共通であり、日本の制度はドイツから最も大きな影響を受けた。
オランダにおいてもドイツに似た海難審判制度が設けられ、フランスにおいては、刑事 罰を科す海員懲戒制度が確立した。アメリカ合衆国においては、イギリスの 1850 年の制度 に倣った海員懲戒制度が航海法に規定された。これらの欧米先進国の制度は、20 世紀まで 概ね継続した。
104 [注]
(1) 森清(1968)『海難審判制度の研究』中央大学出版会、44 頁。
(2) 松波仁一郎 (1912)「海難調査論」『法学協会雑誌』第 31 巻第 11 號、法学協会。
(3) 森は、「海難審判」という用語について「訳語選択すらはなはだしく困惑せざるを得な いのである。よって本書においては専ら自家考案の体系にもとづいてその梗概を述べ」と 述べている(同上書、60 頁)
(4) Walter Murton (1884), WRECK INQUIRIES. STEVENS & SONS AND PEWTRESS & CO.
(5) A.R.G.Mc Millan (1929), SHIPPING INQUIRES AND COURTS, STEVENS & SONS, LIMITED.
(6) 森清 (1968)、前掲書、22 頁。
(7) 小澤守 (2013)「ボイラー技術の史的展開 1.蒸気動力技術の幕開け」『ボイラ研究』
日本ボイラ協会、第 377 号、34 頁。
(8) 小澤守 (2013)「ボイラー技術の史的展開 2.産業革命期における蒸気動力技術(その 1)」
『ボイラ研究』日本ボイラ協会、第 379 号、42 頁。
(9) Martin Stopford (2009), MARITIME ECONOMICS, Third Edition, Routledge, pp.23~
25.
(10) ピアーズ・ブレンドン/石井昭夫訳 (1995) 『トマス・クック物語 近代ツーリズムの創 始者』中央公論社、108 頁。
(11) 金澤周作編(2013)『海のイギリス史―闘争と共生の世界史』昭和堂、12~13 頁、43~
44 頁、88~89 頁。
(12) Martin Stopford, op.cit., pp.28~30
(13) ピアーズ・ブレンドン(1995)、前掲書、29~30 頁。
(14) 同上書、186 頁。
(15) 荒井政治 (1989)『レジャーの社会経済史』東洋経済新報社、102~111 頁。
(16) 森は、「イギリスにおける海難審判制度の発達の経路」を便宜上三期に分け、「1836 年 の衆議院の自治的調査.....
の開始から 1846 年の法律制定までを第一期とする」と記述してい る。森のいう「自治的調査」の意味は明らかではない。1836 年の下院(Commons)による「調 査」(inquiry)は、マートンによれば、下院が特別委員会に当時頻発し社会的問題になって いた海難(shipwreck)の原因について調査するように命じ、同委員会がその調査結果を 10 か条にまとめて記述している。このことからも分かるように、同委員会が調査したのは海 難の原因一般であって、何ら制度的に支援機関を持たない下院の委員会が、海難の本格的