第4章 海難審判制度の分析
第2節 海難審判制度の概要
1. 「海難審判法」制定の契機
戦後、「海員懲戒法」を廃止し、「海難審判法」を新たに制定することが必要となった直接..
の理由は、「海員懲戒法」の規定中に、1946 年 11 月に公布された日本国憲法(以下、新憲 法という)の条文に抵触する部分があり、新憲法の施行に伴い所要の改正を行う必要があっ たことが挙げられている(2)。これは、戦前から指摘されてきた、海員審判制度の欠陥を是正 しようという意図が、直接に本改正の契機になったものではないことを意味している。しか し、当時の運輸省はこの機会をとらえて、本格的に「海員懲戒法」の改正に取り組むことと
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し、1946 年 9 月には運輸大臣が省内に海員懲戒法改正委員会を設置して、改正案の原案を 審議し、運輸大臣に建議させることとした。
まず、新憲法と抵触するとされたのは、「海員懲戒法」の二つの規定であった。それらは、
「海員懲戒法」第 22 条の、「被審人又は証人が受命審判官の呼出に正当な理由なく応じない 場合に引致状を発して引致することができる」という規定と、同第 7 条の、「審判に関し海 員審判法に規定のないものについては刑事訴訟法の規定を準用する」という、旧刑事訴訟法 に関する規定である。これらが、新憲法第 33 条の「逮捕の要件」及び第 35 条の「住居の不 可侵」の規定に抵触するとされた。それに加え、新憲法第 76 条第 2 項の「行政機関は、終. 審として裁判......
を行うことはできない」という規定や同第 32 条の「何人も、裁判所において 裁判を受ける権利を奪われない」という規定に整合する必要があった。新憲法によって、審 判所の裁決を、従前のように終審とすることはできず、裁判所に対し訴えを提起し得ること となるので、その点に関し何らかの措置が必要になった(3)。
ここであらためて強調しておきたいのは、戦前の海員審判所の行っていた審判は、「行政 機関の行う終審としての裁判........
」であったという点である(4)。そのため、新憲法のもとで新た に制定される「海難審判法」上の審判について、上述のように審判が終審とはならないよう な制度にするため、審判所の裁決に対し不服がある場合に、新たな規定を設けて対処する必 要があった。森は、これにより、わが国の海難事件は「結局は四たび審判機関の審判を経る こととなる。このような立法は他にその類例を見ないところである。(中略)私はイギリス のごとき二審制度をとる」(5)と述べている。森は、四審制...
を取る国は世界でも例がなく、海 難審判制度の発足に当たって四審制が最適であるという積極的な議論の結果としてではな く、新憲法の規定との整合性を取った結果、極端な制度.....
になったという点を指摘している。
海難審判所の裁決に関してなされる裁判所に対する訴えの提起は、「取消訴訟」と呼ばれ る。この取消訴訟という存在自体が海難審判制度の歴史の中で、事故調査制度としての海難............
審判..
の性格や限界を規定する強固な枠組みになっていったものと筆者は考える。この点に ついては第 5 章及び第 6 章において詳細に分析する。
2. 「海難審判法」による制度改正の要点 (1) 改正の要点
森島逸男は、「海員懲戒法」から「海難審判法」へと移行した改正の要点を、以下の 15 点 に整理している(6)。この整理を踏まえ、各改正点について概説するとともに、それらの内包
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する問題点について述べることとする。森島による 15 の改正の要点は、以下のとおりであ る。
①法律名及び組織名の変更(第1条)
②海難調査主義の原則の適用 (第 3 条)
③勧告制度の採用(第 4 条)
④情状等による懲戒免除制度の採用 (第 6 条)
⑤組織の整備と独立官庁の実体の付与(第 11 条)
⑥参審員制度の採用(第 14 条)
⑦簡易審判制度の採用 (第 16 条)
⑧事件の管轄についての船籍港主義に代え海難発生地主義の採用 (第 19 条)
⑨補佐人制度の整備 (第 23~第 27 条)
⑩理事官の強制権の廃止 (第 4 章)
⑪審判開始申立の理事官による独占主義の採用 (第 33 条)
⑫下調制度の廃止 (第 4 章)
⑬審判所の直接強制権を間接強制権へ変更 (第 32 条、第 65 条)
⑭裁決に対する訴(取消請求の訴)(第 53 条~第 56 条)
⑮裁決の執行を理事官の権限化 (第 58 条)
これら 15 の要点を改正の性格別に分類すると、以下に述べるように、海員懲戒から海難 審判への本質的な性格の変更に係るもの、新憲法との関係で必要になったもの、その他審判 手続上の改正、の三つに大きく分類することができる。
(2) 本質的な性格の変更に係る改正
この項目に関しては以下の 4 点が該当する。
①法律名及び組織名の変更
②海難調査主義......
の原則の適用
③勧告制度の採用
⑥参審員制度の採用
①は、「海員懲戒法」を廃止し、「海難審判法」が制定されたことにより、組織名も「海員..
審判所」を「海難..
審判所」に変更したことである。第 1 条において、法の目的として「海難 審判所の審判によって海難の原因を明らかにし、以ってその発生の防止に寄与する...............
こと」
(傍点は筆者)が規定され、わが国の船舶事故調査史上、初めて海難の発生防止が法目的に
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②は、海員審判....
主義が一掃され、海難調査....
主義(7)が採用されて審判の客体が海員から海難 となった、とされていることである。「海難調査....
主義」というのは、高等海難審判庁によれ ば「海難それ自体を審判の対象としてとらえ、あらゆる角度から原因を究明し、もって海難 防止を図ろうとするもの」(8)と定義されている。
これは新法の指導理念であり目的でもあるとされる。前章で述べたとおり、「海員懲戒法」
においては、以下のような二つの問題点があった。一つは、どんなに大きな海難が発生して も海技従事者の責任に基づいて発生したものでない限り、審判に取り上げることはなく、仮 にその責任に基づいて発生しても、死亡した場合は審判に取り上げることはできないとい う欠点であった(9)。二つめは、海難の原因として、海員の過失のみに着目するという欠陥が あったことである。海員審判所長を務め、海員懲戒法改正委員会の委員でもあった齋藤浄元 は、海員懲戒制度について「ここに海難が発生したとし、審判所がこれを審理する場合、そ の原因を探求する道程において、若しその間に介在する海員の過失を発見せんか、直ちにこ れを取り上げて、懲戒処分をなし、法の目的を達したものとする観がある」(10)と述べてい る。海難そのものを対象にする新たな審判は、これらの点について旧法の問題点を克服する ものと考えられていた。
海難審判理事官を勤めた今西保彦は、海難審判の使命について敷衍し、「直接的には事故 を起こした海難関係者にその原因を明らかにすることによって、再度同種の事故を起こさ ないための予防手段を公示することであり、間接的には潜在する海難原因を現実の課題と して審判で掘り起こし、審判の結果を海上交通の安全確保のための行政施策に反映させる ことにある」と述べている(11)。今西の記述は海難審判の性格について述べた標準的なもの であるが、使命の二つめに述べられている行政施策への反映を併せて考えれば、海難審判は その目的においては、海員審判に比し大きな改良が加えられていると言える。しかし、海難 審判は、事故を起こした本人に再発防止を働きかけることを直接の目的.....
にしている点で、第 1 章で述べたリーズンのモデルをあてはめれば、パーソンモデルに属していることは明瞭で ある。このことが実際の海難審判の運用において内包した問題点については、第 5 章及び第 6 章において述べる。
海難の定義については、第 2 条に以下のように規定されており、ここに列挙された種類の 海難が、審判の対象になり得ることを概括的に示すものであった。
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船舶に損傷を生じたとき、又は船舶の運用に関連して船舶以外の施設に損傷を生じた とき(第 1 項)
船舶の構造、設備又は船舶の運用に関連して人に死傷を生じたとき(第 2 項)
船舶の安全又は運航が阻害されたとき(第 3 項)
このうち、第 1 項は物的損害について、第 2 項は人的損害について規定し、第 3 項は物 的・人的損害が生じないものであっても安全又は運航が阻害されたときに審判の対象にな ることを示したものであり、近年「インシデント」と呼ばれているものに相当するものと考 えられる。更に第1条の目的規定を具体化すべく、第 3 条で海難の原因を探求するに当たっ ての観点を列挙している。
「人の故意又は過失に因って発生したものであるかどうか」(第 1 項)
「船舶の乗組員の員数、資格、労働条件又は服務に係る事由に因って発生したもので あるかどうか」(第 2 項)
「船体若しくは機関の構造、材質若しくは工作又は船舶のぎ装若しくは性能に係る事 由に因って発生したものであるかどうか」(第 3 項)
「水路図誌、航路標識、船舶通信、気象通報又は救難施設等の航海補助施設に係る事由 に因って発生したものであるかどうか」(第 4 項)
「港湾又は水路の状況に係る事由に因って発生したものであるかどうか」(第 5 項)
これらの規定は、当時の状況の下で、海員の過失以外にも海難の原因として考えられる要 素の調査範囲を、幅広く具体的に網羅する意図で設けられたものと考えられる。
③の「勧告制度」の採用は、海技従事者または水先人以外の者の行為であっても海難の原 因に関係があると認められるときは、将来の海難防止のため、その者に対し原因をなした......
障 害の除去について勧告することができるという趣旨のものであった(12)。海難の原因をあら ゆる角度から究明するのであれば、海技従事者以外の者が原因に関係することが明らかに なる場合が出てくる。その場合に、それらの原因関係者に対しては、懲戒によって再発防止 を図ることはできない。海難審判は、それらの者に対しては、「懲戒」の代わりに「勧告」
を行うことが必要となるという考え方を取った。そのために、受審人以外で海難の原因に関 係のある者をあらたに審判に参加させることとされたのである。