第2章 19 世紀先進諸国における船舶事故調査制度の創設
第4節 19世紀におけるその他の先進諸国の船舶事故調査制度
19 世紀は、蒸気船が数において徐々に帆船と拮抗していく時代だった。既述したイギリ スの事故調査の実例から明らかなように、汽船を活用したヨーロッパ諸国では急速に汽船 の事故の対策を講じる必要に迫られ、まず、船舶事故の発生の原因を探求するために事故 調査制度が設けられた。このような動きを率先して遂行したのがイギリスであった(76)。イ ギリスで蒸気船のトン数が帆船のそれを上回ったのが 1883 年であり、帆船 351 万トンに対 し、蒸気船 378 万トンであった。1890 年には、イギリスの蒸気船は 504 万トンになる。同 年の欧米諸国の蒸気船の保有トン数は、多い方から順に、イギリス(504 万トン)、アメリ カ合衆国(185 万トン)、ドイツ(59 万トン)、フランス(50 万トン)、スペイン(40 万トン)、
ノルウェー(20 万トン)、イタリア(20 万トン)、スウェーデン(14 万トン)、オランダ
(12 万トン)、ギリシャ(4 万トン)となっている。イギリスが圧倒的に他国を凌駕してい るのが明瞭だが、次に多いのがアメリカ合衆国で、次いでドイツ、フランスの順であった
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(77)。本論文では、これら上位の 3 か国のうち、最も先駆的なイギリスについて既に記述し たが、以下、ドイツ、フランス、アメリカ合衆国を取り上げ、更にドイツに似た制度を持 ち、現代では先進的な事故調査制度を有するオランダについても記述することとする。な お、スペイン、イタリアは、森清によって、フランスと同様の「海員審判主義」の国に分類 されており、資料も少ないため本論文では取り上げなかった(78)。また、ノルウェー、スウ ェーデン、デンマークのスカンジナビア三国では、1860 年代に民事裁判所による船舶事故 調査制度も設けられ、1890 年代には三国で海法の実質的な内容が統一された。海技免状の 処分は刑罰であり、刑事裁判所において審理され、海難の調査(審判)は、海難の原因を探 求する一点に限定され、その手続は非訟事件とされ海事裁判所が常置された。本論文にお いては、詳細については取り上げない(79)。
1. ドイツの船舶事故調査制度
(1) 船舶事故調査制度の創設と展開の経緯
ドイツにおいては古くから、多くは刑事制裁を加えるため、又は、私人間の損害賠償その 他の争いが生じた際の必要から、船長等に対し事実上海難の調査が行われていた。19 世紀 のドイツにおいては、海事の進歩に従い事故調査の必要を感じていたが、イギリスにおけ る 1876 年の海難委員制度の導入による船舶事故調査制度の充実を踏まえて、直接間接にこ れを模倣して新たな法律を制定し調査制度を導入したとされている(80)。実際に、ドイツは イギリスの制度を手本にしたが、イギリスの行政・司法組織が複雑であることから、それ をそのまま移し替えることはできなかった(81)。
ドイツにおいて、船舶事故調査のための法律が成立したのは、他のヨーロッパ諸国から 遅れ、1877 年であった。これが、Reichsgesetz, betreffend die Untersuchung von Seeunfällen vom 27 Juni (下線は筆者)であり、翌 1878 年から施行された。この法律は、
従来「海難審判法」と訳されているが(82)、ドイツの現在の船舶事故調査機関の名称 (Bundesstelle für Seeunfalluntersuchungen[下線は筆者]、連邦船舶事故調査所) と比 較すると、下線を付した部分に共通の用語が使用されているため、「海難審判」という用語 は使用せずに、「船舶事故調査に関する 1877 年 6 月 27 日の帝国法(以下、1877 年法とい う)」と訳すことにする。また、調査を行う機関として、Seeamt(以下、ゼーアムトという)
が設立された。ゼーアムトは、文字どおりには、「海の役所」を意味する。戦前に成立した ドイツのこの船舶事故調査制度は、形態的にも機能的にも、わが国の海難審判制度に一番
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近いものであると考えられる。Seeamt を、「海難審判所」ではなく、ゼーアムトと呼ぶこ とにするのは、第二次世界大戦後に旧東ドイツで設立された Seekammer(ゼーカンマー)も 訳語は「海難審判所」になるので、両者の区別をつける必要があるからである。ゼーアムト が船舶事故調査のために行う行政裁判の手続については、わが国と同様「海難審判」と呼 ぶことにする。
森によれば、新制度の導入の契機になったのは、ドイツ、イギリス間に外交協定が成立 し、ドイツ船がイギリス近海で海難に遭遇したときに、イギリス政府が正式調査の謄本を ドイツ政府に送付して報告することになったことであった。これに対してドイツ国内で非 難の声があがったことから、1875 年に連邦政府は各州政府の意見を聞いて、1877 年法の案 を帝国議会に提出し同年に成立、翌 1878 年から施行された。しかし、1877 年法は不備欠陥 が多く、船員の処分に関し不満が高まったことから、1880 年より改正運動が起きたものの 改正までには至らず、第一次大戦を経た後のナチス政権下の 1935 年に至り改正が実現した
(83)(Gesetz über die Untersuchung von Seeunfällen vom 28 September,1935、以下、1935 年法という)。1935 年法は、わが国の海員懲戒法の手本になったものであったが戦後も復 活して存続し、1985 年に Gesetz über die Untersuchung von Seeunfällen von 1985(以 下、1985 年法という)によって代替された。1985 年法は、調査体制の抜本的な改編が行わ れる 2002 年まで存続した。
(2)ドイツ船舶事故調査制度の組織
松波は、イギリスとドイツの法制度上の相違について、イギリスは種々の機関が沿革的 に順次発達して理論的に整理されていないが、ドイツにおいては、形式上の整頓がなされ ているとし、わが国の法制はドイツを模したところが多く、海難審判所もまた、イギリス よりもドイツが模し易いと述べている(84)。実際にわが国の海員懲戒法のみならず、その構 造を引き継いだ「海難審判法」も、そのモデルはドイツの法制であったということができ る。森清の訳による 1877 年法の第 1 条に、「商船の遭遇シタル海難ヲ審判(調査..
)スル爲 獨逸海岸ニ海難審判所ヲ設置ス」(括弧内は筆者による挿入)(85)という規定がある。海難 審判所は、行政裁判所の性質を有し、海難調査を唯一の目的とする専門の組織(86)であるが、
その設置に関する組織規定を法律の冒頭にまず置いているところにドイツの特徴がある。
海難審判所には 2 種類ある。一つは、中央政府がその管轄と数を決め、各州が設置する 第一審の海難審判所であり、二つめは、中央政府が設置する上級審の Reichsoberseeamt(以 下、オーバー・ゼーアムトという)であり、第二審が最終審になる。海難審判所は合議制の
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機関であり、1 名の審判長と 4 名の陪席審判員とで構成される(第 6 条)。審判長は、判事又 は高等行政官の資格を持つことが必要である。陪席審判員は、あらかじめ名簿に登録され た、船長経験者などの専門知識を持つ者の中から事件ごとに任命される。高等海難審判所 はハンブルクに設置され、1 名の審判長と 6 名の陪席審判員とで構成された(第 11 条)。ま た、審判所の土地管轄の区域は中央政府により定められた。
(3) 1877 年法及び 1935 年法の重要な規定
1935 年法による改正点の要点は、注に示したとおりの 3 点であるが、海難審判の骨格に 大きな変更があったわけではないので、1877 年法及び 1935 年法の両者を併せて以下に紹 介する。
① 審判の対象と基本観念
審判の対象は、船舶事故 (Seeunfall)である。その内容については、具体的に示されて いない。1877 年法の第 1 条は、1935 年法によって改正され、「公益の存するとき........
海難審判 所これを審判(調査)し」(括弧内及び傍点は筆者による挿入、von Seeämtern untersucht, wenn ein öffentliches Interesse vorliegt)という規定が追加された。森によれば「公益 の存する」とは、船舶事故調査は、国家が海上交通行政上の目的を達成するために行う必 要があるものであり、私人の利害を目的とするものでないことを明確にしたものである。
こ の 規 定 は 、 ド イ ツ に お け る 「 海 難 審 判 の 基 本 観 念 (der Grundgedanke der Seeunfalluntersuchung)」と呼ばれ、1877 年法の時代に審判権の乱用と審判の刑事裁判化.....
に対する批判があったことから、その弊害を阻止するために明瞭な規定を置いたものと考 えられている(87)。
② 船舶の定義
1877 年法では、商船(Kauffahrteischiff)のみをその対象にしたが、営利を目的としない 船舶(学術練習船、遊覧船等)も対象にすることが適当であるため、これら一切を包含する
「船舶」(Seefahrzeug)とした(88)。
③ 調査を実施する事故
海難審判所は、以下の事故の場合には調査を実施することが義務となっている(1877 年 法第 3 条、1935 年法第 3 条)
・船舶の沈没、放棄、行方不明(verschallen、1935 年法で追加)、人命の喪失。
・中央官庁(die oberste Reichsbehörde)(89)よりの調査の指示(anordnen)
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1935 年法では、これらに加え、調査の開始が海難審判所の自由裁量による場合として、
船舶の損傷、人の身体の傷害が特に挙げられている(第 2 条)ほか、外国船のドイツ領海 外の遭難で、ドイツ人の生命を害し、積荷に損傷を生じた場合などドイツの裁判権に属さ ないときなどには、中央官庁の同意が必要である(第 4 条)とされている。
④ 海難審判所の任務
1935 年法の第 5 条第 1 項には、海難審判所は船舶事故の原因(Ursache)及び状況 (Umstände)を探求すべきであると規定されている。1877 年法では、後半の部分は「相互に 関連する全ての事実状況 (sowie alle mit demselben zusammenhängenden Tatumstände) 」 と規定されていた。
1935 年法では、第 2 項では特に規定を掲げて、「海難」がとりわけ以下の理由により発 生したか否かを明確にする(feststellen)べきであるとされている。
(ア) 船舶の運航上の過失(fehler)によって生じた(verschludet)か。
(イ) 船舶の構造(Bauart)、設備(Einrichtung)、艤装(Ausrüstung)、性質(Beschaffenheit)、
積付(Beladung)、要員(Bemannung)等の欠陥(Mängel)によって発生したか。
(ウ)更に、航路、航路標識、水先制度、使用していた海図、航海用書籍及び通信事務、
救助設備、その他の海上交通施設の欠陥をあらわしたものではないか。もしくは、各施 設の管理にあたる者の過失に帰すべきものであるか。
(エ)航路法に違反したか否か、又は救助の義務を怠ったか。
⑤ 理事官、受審人、補佐人
中央官庁は、公益の保護のために(zur Wahrung der öffentlichen Belange)、各審判所 又は数個の審判所に対し、国の委員....
(Reichskommissar、ライヒスコミッサー) を 1 名置き、
更に、その代表を置くことができると規定された (第 9 条)。ライヒスコミッサーを、森は
「理事官」と翻訳しているが、もともとドイツに範をとったわが国の海難審判制度におけ る「理事官」も、Reichskommissar を翻訳して造語したものと考えられ、その役割も近似す ることから、以下に「理事官」ということにする。理事官は、調査の準備及び開始のための 申立を行う権限(Anträge)を有し、全ての調査の段階において記録を閲覧し、高等海難審判 所に対しても意見を述べる権限を有する。理事官は、審判手続に立ち会って証拠を提供し、
意見を述べ、懲戒の申立に当たっては、受審人と対立する当事者としての地位を有する。
理事官は、受審人との争いを目的とするものではなく、検事と同じく公益の代表であると されている(90)。
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第 3 章(第 12 条第 1 項)にその規定がある(Beteiligte)について、森はわが国の制度と 同様に受審人...
という用語を用いている。証人(Zeuge)のうち、以下の者が受審人...
の地位 (Stellung)を有すると規定されている。船長、船舶職員(海技免状を有する航海士、機関 士、機関長)、事故に遭った船舶を嚮 導きょうどうしていた水先人(Lotse)、但し、事件の状況によっ て事故について責任のない者を除くと規定されている。そのため、森は、これらの者が「海 難を惹起した責任を追及される者」であると述べている(91)。
受審人は、審判手続においてその状況にかかわらず、法律上又は事実上の解明のための 専門家の助言を得るために補佐人(Beistand)を用いることができる(第 12 条第 2 項)。法律 専門家とは弁護士資格を有する者であることが必要であるが、事実上の専門家とは航海技 術者であり、資格についての制限も審判所の認許の必要もないが、審判長は補佐人が演述 をするのに不適当と認めるときには拒否することができる。審判長は、弁護士の補佐人に は常に審判記録と証拠方法の閲覧を許可しなければならず、補佐人は公判手続に立ち会う 権利を有する(92)。
⑥ 審判の準備
海難審判所において、審判長は海難の発生を認知した時には他の機関の申立を待たずに 審判の準備に着手し、取り調べを行う権限が与えられている。森によれば、この手続を取 ることは任意であるが、船舶事故の原因は速やかに究明することを要するからであるとい う。わが国の海難審判庁は理事官の申立を待って準備を行うのと対照的である。この際に は、証人の尋問等の公判における証拠調と同様の手続を取ることが許された。また、この 準備段階において、審判長は陪席審判員の選任も行わなければならなかった(93)。
⑦ 公判における諸原則
公判 (Hauptverhandlungen) は、刑事訴訟手続における公判と同様に、海難審判の中核 部分であり(94)、審判長が主宰する。証拠と当事者の弁論とに基づいて、船舶事故の原因と これを惹起した船員や水先人の行為の価値を判断する手続であるとされている(95)。ドイツ 海難審判の諸原則も、刑事訴訟法における諸原則とほぼ同様であり、わが国の諸制度はド イツを模したところが多いため(96)、わが国の刑事訴訟の諸原則、海難審判の諸原則とも共 通するところが多い。それらの原則とは、公開主義、口頭弁論主義、職権主義、直接審理主 義、自由心証主義である。なお、評決は多数決によった(97)。