第1章 国際標準としての IMO 船舶事故調査コード
第6節 小括
本章においては、IMO コードによる船舶事故調査に関する国際的な枠組みの成立につい て概説し、その特徴と歴史的意義を明らかにすることを試みた。すなわち、IMO コードに先 行する 1997 年 IMO コードの限界と、ヒューマンファクター指針の策定について述べ、IMO コードに示された船舶事故調査の基本的な考え方を IMO の会議資料、総会決議、条約、コ ードの条文等の関係文書から読み取った。これらをまとめると、以下のとおりである。
1997 年 IMO コードは、海運の国際的な性格と、事故調査における各政府間協力の必要性 の認識をもとに、事故調査の国際化に対する基本的な考え方を示したものの、強制力がな かったことから規範として一般化していくには限界があった。ヒューマンファクター指針 は、1980 年代後半からのヒューマンファクター研究の進展を踏まえたもので、船舶事故調 査に、ヒューマンファクター分析の考え方と系統分析の導入を意図したものであった。
海運の国際化の進展に関しては、時代状況として以下のような傾向を認識できる。まず、
1980 年代までに便宜置籍船化が進展し安全水準が低下したことに対抗し、寄港国による規
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制が導入されたことから、便宜置籍船国の中でも安全に留意する国が増えたこと、これに 加え近年、被害国や船員・乗客の国籍国などの利害関係国の中にも事故調査への参画を表 明する国が増えてきたことである。このため、従来の伝統的な沿岸国と旗国の国家管轄権 の競合に加え、関係国の事故調査への参加を調整する仕組みが必要とされるようになり、
調査協力に関し、その適用に強制力を持ち、標準化されたルールを設定する必要性が増大 した。
また、国連海洋法条約では、旗国の調査義務と旗国及び関係国間での調査協力について 規定されており、他方、既存の技術的な条約は、必要な改正に資するため旗国に船舶事故の 調査義務を課している。このため、条約の規定を遵守するうえでも、発生した事故への対応 として船舶事故調査の実施は不可欠のプロセスとなっている。
一方で、この時期においては事故調査論の進化がみられた。1990 年代初めのヒューマン ファクター研究の進展は、それまでの国際海事社会における海上安全への取り組みの仕方 に痛烈な反省をもたらした。従来の事故への取り組みが、技術的観点から船舶の設計や設 備に改良を加えることばかりに注力してきたという反省である。ここからヒューマンファ クターの重要性を認識し、これに徹底的に取り組むという姿勢が生まれたのである。
要するに、IMO コードの特徴的性格は、こうした二つの時代状況の中で、1997 年 IMO コ ードを実践してきた各国のベストプラクティスに基づき、事故調査にヒューマンファクタ ー分析を援用することを前提に、標準化された手法で、船舶事故調査に臨む各国調査機関 間での調査協力システムを構築するものであったといえる。
本章ではまた、IMO コードに基づき事故調査制度が満たすべき要件をまとめた。それら は、調査の目的、利害関係国との調整を含む調査の手続、調査の内容といった三つの項目に 分類できる。項目別に主要な点を列挙すれば、調査の目的に関しては、船舶事故を防止する ことを目的とした調査であること、責任を決定することを目的とした調査ではないこと、
原因と安全上のリスクを明らかにするものであること、国際海運界での安全上の問題への 取り組みに資すること、である。調査の手続に関しては、非常に重大な船舶事故について調 査が行われることを確保すること、利害関係国に参加の機会を与えること、調査の内容に 関しては、適切な時期に秩序立った調査を行うこと、直接原因だけでなく、背後要因まで探 究すること、責任の連鎖の中にある欠陥をも特定すること、ヒューマンファクター指針と 整合をとった調査であること、などである。
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船舶事故調査制度は、第 2 章で述べるように、世界史的な起源を見れば様々な交通モー ドの中でも最も古く、19 世紀を始原とする。しかし、制度の発足当時には海事関係を扱う 国際機関もなく、各国の制度がそれぞれの法制の下で独自の展開を遂げたために、国際間 で調整された各国共通の標準的な事故調査システムは、2008 年までの長期にわたって、存 在していなかった。
2008 年になって強制規定を含む船舶事故調査の国際的な規範が制定されたことは、航空 事故調査に遅れること 60 年弱であった。これは、異なる法制の下で展開してきた多様性の ある各国の制度の共通基盤について、コンセンサスを得るのが困難であり時間を要したこ とを示している。
また、本章においては、ジェームス・リーズンによる 5 つのモデルが事故調査制度の性 格を考えるうえで有効であると考え、その概要を示した。ようやく策定された IMO コード は、各国に対し船舶事故調査の共通の規範を提供するものとなった。同時に、IMO コードは、
リーズン・モデルによれば、事故調査に援用されるモデルがパーソンモデルからシステム モデルへと転換したことを明瞭に規定した点で、船舶事故調査の歴史の中でエポックとも いえる意義を有していることに言及した。本章でまとめた事故調査が満たすべき要件は、
本論文の以後の章において、わが国の海難審判制度の業績の評価を行う際に物差しとなる ものである。
48 [注]
(1) IMO は、現在では、174 か国の加盟国と三つの準加盟メンバーを有している。IMO ホーム ページ“introduction to IMO” http://www.imo.org/en/About(2018 年 8 月 5 日アクセ ス)
(2) International Maritime Organization, “IMO, What it is”, p.2.
FSI は 、2013 年の第 92 回 MSC に おいて規 則実施小委員会( Sub-Committee on Implementation of IMO Instruments、III)に改称されている。
(3) 森清(1968)『海難審判制度の研究』中央大学出版会、51 頁。
(4) 本件の具体的な発効条件は、「2009 年 7 月 1 日以前に、3 分の 1 を超える SOLAS 条約締 約政府又はその商船船腹量の合計が総トン数で世界の商船船腹量の 50%に相当する商船船 腹量以上となる締約政府により改正に反対する旨の通告がなされない限り、同日に受託さ れたものとする」というものであった。(IMO, Ibid. p.5、国土交通省ホームページ「1974 年の海上における人命の安全のための国際条約」
http://www.mlit.go.jp./kaiji/imo0001_.html (2018 年 11 月 13 日アクセス)
(5) これらの決議とは、1968 年採択の A.173(ES.IV)(海上事故の公的調査への参加)、1975 年採択の A.322(事故調査の実施)、1979 年採択の A.440(XI)(海上事故の調査のための情 報交換)及び A.442(XI)(事故調査及び条約違反に対応する主管庁の人員及び資材の必要性)、
1989 年に採択された A.637(16)(海上事故調査における協力)である。
(6) 海難審判協会 (2001)「IMO 決議 A.884(21) 1999.11.25 採択 海難及び船舶インシデン トの調査のためのコードの改正」、91~110 頁。
(7) 同上書、93 頁、103 頁。
(8) 同上書、95 頁、105 頁。
(9) 高等海難審判庁 (1997)『海難審判制度百年史』海難審判協会、486~488 頁。
海難審判協会(2001) 前掲、94 頁、104 頁。
原文では、“where either one or more interested States have a substantial interest in a marine casualty involving a ship under their jurisdiction”となっており、「事 故に自国の法的管轄下に属する船舶が関係する、1 か国又は 1 か国以上の利害関係国が実 質的な利害を有する場合」がより正確な訳である。
(10) 高等海難審判庁 (1997) 前掲書、486~488 頁。
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なお、1997 年 IMO コード(IMO コードを含む)は、SOLAS 条約に規定する事故調査に関する ものであり、SOLAS 条約の適用対象外の船舶(内航船、500 総トン未満の貨物船、漁船、軍 艦等)については、適用されない。
(11) 高等海難審判庁は、海難審判制度が「支障なく機能している」との認識を持っていたこ とをまず指摘しておきたい。また、新たな組織を設立することが困難なことについて、高 等海難審判庁は財政上の理由を挙げているが、これは不適当な主張である。なぜなら、新 組織の設立が財政上可能か否かは、組織改編の事務に該当するため運輸省大臣官房が所掌 し、関係省庁と折衝しつつ判断がなされる事項であり、高等海難審判庁が独自に判断する ことではなく、そのような協議が関係当局との間でなされたとも記されていない。高等海 難審判庁は、これらの事情を考慮せずに、単に理由としてもっともらしく見えることから、
ここに挙げているにすぎないものと筆者は考える(高等海難審判庁[1997]前掲書、486~
487 頁)
(12) 高等海難審判庁 (2008)『IMO 海難調査官マニュアル』海文堂、20~21 頁。
(13) 海難審判協会 (2001)、前掲、7~88 頁。
(14) IMO (2004), MSC79/20/4, MSC79/23.
IMO ホームページ
https://docs.imo.org/Category.aspx?cid=49&sortby=DisplayDate&sortdirection=Asce nding&session=79 (2019 年 8 月 8 日アクセス)
(15) IMO (2004), MSC79/20/8.
IMO ホームページ、同上。
(16) MAIIF は、船舶事故調査(marine accident investigation)を通じて得られた アイデア、
経験及び情報の交換を通じて海上安全と海洋汚染の防止を進展させることを使命とする、
イギリスに本部を置く国際的非営利団体である。1992 年に最初の会合がカナダのオタワで 開催されている。MAIIF は IMO を支援する役割を持ち、MAIIF の会長と IMO の事務局長との 間で取り交わした合意書に基づき、IMO が認証した政府間国際機関のステータスを有して いる。各国の船舶事故調査を行う機関がメンバーになることができる。毎年 1 回、メンバ ー国の持ち回りで 4 日間の会合を開いているほか、地域的な会合がある。
MAIIF ホームページ https://maiif.org/ (2019 年 7 月 24 日アクセス)
2005 年にバヌアツの首都ポートビラで開催された第 14 回 MAIIF に当たり、バヌアツ海事 局次長の Don Sheets は、現地の新聞のインタビューに答えて、「本会合の重大な議題は、