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D3類

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報7 (ページ 158-168)

A類

轟 ご q)'轟

)

(唐

lb類

)

(220) (158)

(唐車

la類

)

G類

噸ぷ 鰯

Bl類

D3 

特殊桔梗文

+唐

3C類 E 

四弁花

+唐

3d類

F ?十

唐草

4類

三引両文 十唐草

5類

これ らのうち、中心飾 りが不明であった

G類

は、三引両文 十唐草

5類

とい う組み合せである ことが今回報告の資料 によ り明 らかになった。

B類

では唐草

2aと 2bが

雪持笹 の細葉 と太葉 に対応す る。

 

形態 と文様の相関

瓦当はいずれ も下辺 を垂下 させた りしない一般的な形態の もので、計測で きるものは垂れ長 5.3〜 6.2cmの ものである。

A・

G類

は桟瓦の垂れ部分 に用い られていた ことが確実である。 また、二の丸跡第

4地

42 区ピッ ト10では、

A類

Bl類

が、細長 い板状 の桟 のつ く塀桟瓦の一種 とみ られるものに用い られている。

 

層位別出上状況

A〜 G各

類 の層位別出土状況では、A・

G類

が二の丸廃絶後 (Ⅳ

)の

層か らのみ出上 して いる。

B〜 F類

では、

E類

が帰属層不明な他 は、いずれ も元禄盛土以下か らの出上が確認 され るが、 これ らが どの ように変遷す るのか出土層位か らは明 らかにで きない。

 

文様の系譜 と変遷

A類

に用い られ る唐草

1類

と組み合 う中心飾 りとしては、二の丸跡第

4地

(三引両文 。星 文

?)(年

5)(註

1)、 志田郡松 山町上野館跡 (剣花菱

)(佐

久間ほか

1993)の

出土例か ら、

必ず しも三枚笹文 ばか りで はない ことが明 らかである。

唐草文 としては変形 の著 しい

1類

は、3回の反転 とその方向か らみて

5類

を祖型 とすると考 えられ る。

5類

の外側 を包む ように輪郭 をた どれば

1類

を描 くことがで きるのである。

ともにⅣ期の遺構 と堆積層か らのみ出土することか ら近い時期の存在が想定 され、桟瓦の垂 れ部文様 に採用 されていて、他類では組み合 うことのない三引両 と組 み合 うことな ど共通点が 多い ことか ら、

5類

を もとに

1類

が考案 された とい うような経緯 を想定することが可能である。

A・

B類

に共通す る笹文 についてみると、細棄雪持笹、太葉雪持笹、三枚笹の順 に笹の形が 実物 とはかけ離れた ものにな り、三枚笹では雪の表現 もな くなる。 また、雪持笹 に組 み合 う唐 草文の

2aと 2bで

は後者 のほうがやや退化 した もの とみなす こともで きる。

B類

は元禄以前 の層か ら出上があるので18世紀初頭以前 に出現 していることが明 らかである。 また

Bl類

は茂 庭氏 の居館である松 山町上野館跡か ら明和四年 (1767年

)銘

刻印 をもつ ものが出上 してお り、

18世紀中葉 に も製作 されていた ことが確認できる。三枚笹 は唐草

1類

とのみ組 み合い、二の丸

で は最 も新 しい部類 の もので あ る。

上記 の点か ら、A・ B・

G類

につ いて は、唐草文 か ら

G→ Aの

変遷 、笹文 か ら

Bl→ B2→

Aと

い う変遷 をた どる ことがで きる。唐草

2類

お よび

5類

の祖型 につ いて はい まの ところ特定 の もの を指摘 で きないが、他類 のいずれ とも関連が薄 い と考 え られ、独立 して導入 された もの か もしれない。

中心飾 りに花文 を もつ C・

DoE類

は、

D3類

をのぞ けば花 の種類 や細部 が異 な るだ けで よ く似 た もので あ る。

Dl類

が 陸奥 国分寺跡 で1点出上 してお り薬 師堂 に用 い られた可能性 も考 え られてい る。(青沼 ほか1984)こ の類 が薬 師堂創建 の17世 紀初頭 に存在 していた とすれ ば、二 の丸地 区に用 い られた もののなかで は最 も古 く位置づ けることが可能 な例 とな る。変化 した文 様 が み あた らない こ とや、桟瓦 に用 い られた ものが確認 されていない ことも、 これ らが比較的 古 い時代 を中心 として用 い られ、 その後 の造瓦 の際の瓦 当文様 として採用 され に くい状況 にあ つた こ とを示 してい る と考 え られ る。

F類

は文様全体 が明確 で ないた め検討 で きない。

以上検討 して きた なかで、A・ B・

G類

とC・

DoE類

とで はその あ り方 に種 々 の面で差が 認 め られ る。 この うち層位 的 に江戸時代 中の製作使 用が確実 なのは

BoC・ D類

で、 いずれ も 元禄年間以前 に出現 してい る。

B類

とC・

D類

の間 に型式的連続 は認 め難 く、異 な る系譜 の も

とに各 々生 み出 された可能性 が あ る。

以上 、文様 の系譜 と桟 瓦 での使 用 の有無、層位 的知見 か ら、 C・

D(・ E)類

B類

G類

A類

とい うおお まか な変遷 が想定 され る。

(註

1)第 4地

点 出上 の星 文

?(年

73‑4)と

した もの は、報告 で は星 で あって鎮台 との関連 が想定 され る もの としていたが、輪郭 に丸 み を もってい る点か ら陸軍関係 に用い られ た星 とはやや異 なってい る ともい え、五弁 の花文 を簡略 に描 いた ものの可能性 も捨 て きれない。

したが って ここで は星文 と断定 しないでお きたい。

≪引用・参考文献

>

青沼一民ほか

 1984 

『史跡陸奥国分寺跡昭和58年度環境整備予備調査概報』

仙台市文化財調査報告書第63集

佐久間光平ほか

 1993 

『上野館跡』宮城県文化財調査報告書第156集

佐藤洋ほか

 1985 

『仙台城三の丸跡発掘調査報告書』仙台市文化財調査報告書第76集 東北大学埋蔵文化財調査委員会

 1985 

『東北大学埋蔵文化財調査年報』1

東北大学埋蔵文化財調査委員会

 1990 

『東北大学埋蔵文化財調査年報』3

東北大学埋蔵文化財調査委員会

 1992 F東

北大学埋蔵文化財調査年報』4・ 5

東北大学埋蔵文化財調査委員会

 1993 

『東北大学埋蔵文化財調査年報』6

5。 ま とめ

最後に、この丸跡第

5地

点の調査成果について、簡単にまとめておきたい。

(1)検

出遺構

 

5地

点の検出遺構 は、層位的な検討から、

 I期

II期・IH期・IV期に大別 される。

 I期

H期

。Ⅲ期は、それぞれa・

bの

、新古

2段

階に細別 され、合計

7段

階に分けられた。

 la期

は、仙台藩初代藩主伊達政宗の長女五郎八姫が、元和

6年

(1620年

)に

帰仙 した際 に造営された西屋敷にあたる。五郎八姫の死去する寛文元年 (1661年

)ま

では

Ia期

が続 くと

考えられる。西屋敷の範囲を推定復元 した結果、調査地点は、西屋敷の中でも奥よりの部分に 相当し、礎石建物 と池を配 した庭園が検出されている。

 lb期

は、五郎八姫の死去した寛文元年 (1661年

)以

降、二の丸の改造が行われる元禄年 間までの間に限定できる。

Ia期

と同様 に、池を造成 している他、礎石建物 と掘立柱建物など が検出されている。

 

Ⅱ期 は、二の丸が改造 され、中奥が北側 に拡張される、元禄年間に相当する。

Ib期

の遺 構 は、廃棄物層や整地層 によって埋 められ、 この廃棄物層か らは元禄

4年

の紀年のある、荷札 木簡が出上 している。 これ らの層の上面 にあたる

Ha期

は、遺構密度が低 く、存続期間は短か った もの と考 えられ る。

 Hb期

は、

Ha期

の遺構面 に盛 り上 を行 い形成 され、畑の畝状遺構が展開する。 この

Hb

期の遺構面 に、 さらに大規模 な整地 を行い、HI期の二の丸期 の地表面が形成 され る。

 

Ⅲ期 は整地層 をはさんで、

ma期

と皿

b期

に細分 され るが、両期 を通 じて、 ほぼ同 じ場所 に、同様 の遺構が検 出されてお り、調査区全体で造 り替 えが行われている。その時期 は、出土 遺物 か ら見て、18世紀後葉以降であるが、細かな年代 は確定で きなかった。

 

Ⅲ期の遺構 は、絵図 との対比か ら、中奥の北辺 とそれに伴 う門の周辺か ら、北側の中奥馬 場・ 屏風蔵 な どを経 て、二の丸北側 の堀 にいたる部分 に相当すると考 えられる。門の東側で検 出された多数の掘立柱柱穴 は、絵図 との対比か ら「腰掛」に相当す ると考 えられ、北辺の塀 と

ともに、何回 も建 て替 えられていることが判明 した。 また、 これ までに検出されていた二の丸 期 の建物跡の、絵図 との対比 を再検討 し、新たな対比案 を示 した。

③   Ⅳ期は、明治以降の層位で検出された遺構 と、検出層位が不明でも出土遺物から明治以降 に下る遺構を一括したため、さらに細かく時期が分かれる可能性がある。二の丸期とは、土地 利用のあり方が大きく変化している。

12)出

土遺物

 

元禄年間の整地層 を中心 に、多種・ 多量の遺物が出上 したが、元禄年間より前の時期の遺

物は少ない。

 

陶磁器は、元禄年間の整地層・遺構、18世紀前葉の

3号

土坑、19世紀前〜中葉の1・

2号

土坑から、良好な一括資料が出土 している。 これらをもとに、大堀相馬 と周辺の産地の陶器を 検討 し、大堀相馬の生産が17世紀末にさかのぼることを指摘 した。 また、消費地遺跡出土資料

をもとに、大堀相馬製品の編年案を呈示 した。

 

土師質土器 は、皿が圧倒的多数を占める。瓦質土器は出土量が少ない。一括資料を中心に 検討 した ところ、土師質土器皿 には大・ 中 。小の作 り分けがあると考えられた。焼塩重につい

ては、地元産 と考えられる、コップ状格子タタキロを施すものがその多数を占める。

 

瓦は、各時期の資料が多量 に出上している。以前の調査で出土 した資料 も含めて、軒丸瓦・

軒平瓦の瓦当文様 を中心に文様の変遷の整理を試みた。

 

木製品・ 漆塗製品は、元禄年間の層を中心に多 く出上 している。二の丸跡の調査では、ま とまった資料 としては、初めての例である。木簡 も出上 してお り、元禄年間の紀年銘を持つも のもある。木製品には、櫛、箸、下駄などがあり、漆塗製品としては漆椀などがある。

 

金属製品には、古銭・煙管などがある。

 

その他の遺物 としては、石器、温石、火打ち石、鼈甲製の警などがある。ガラス製品 。革 製 品 は全 て明治以降 の もので あった。

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報7 (ページ 158-168)