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ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報7 (ページ 133-148)

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56 

二の丸跡第5地点 出土陶磁器(4)

Fig 56 Porcelains and glazed ceramics from NM5(4)

2号土坑

│ 

か 向

瀬戸系磁器

 3 

産地不明磁器

 4 

肥前系磁器 7〜15 大堀相馬系陶器

 6 

瀬戸・ 美濃系陶器

32 

仙 台城二 の丸跡 第5地点 出土磁器器種別 出土 点数 (江戸 時代 中期)

Tab 32 Count of porcelains from N 【5(middle Of Edo pettod) 磁器 器種 碗 類 皿 類 碗皿不明 壺甕瓶類 その他 不 明 混 入

北 区VI層 1 4 0

北 区Ⅵ層 2 0 0

4号土坑 8 0 3 1 3 0

北 区V層 7

3号土坑 1 6 2 5 0

33 

仙台城二 の丸跡第5地点 出土陶器器種別 出土点数 (江戸 時代 中期)

Tab.33 Count of glazed ceranics from N 15(3fniddle of Edo period)

陶器器種 碗 類 皿 類 鉢 類 壼・甕類 瓶 類 袋物不明 香炉火入 括 鉢 その他 不 明 混 入

北 区VI層 3 0 2 0 1 4 7 7 1

北 区Ⅵ層 6 1 1 2 0 0 1 2 l 7 0

4号土坑 2 1 0 0 0 1 0 0 0

北 区V層 2 1 l 4 2 l 6

3号土坑 0 2 0 2 l 2 2 0

34 

仙台城 二 の丸跡第5地点 出土磁器器種別 出土 点数 (幕末 か ら明治初頭)

Tab 34  Count of porcelains froln Nふ /15

(late of Edo period‐ beginning of  leiji period) 磁器器種 碗 類 皿 類 碗皿不明 壷甕瓶類 その他 不 明 混 入

1号土坑 2 4 l 0 0 4 2

2号土坑 4 2 3 l

35 

仙台城二 の丸跡 第5地点 出土 陶器器種別 出土点数 (幕末 か ら明治初頭)

Tab.35  Count of glazed ceranlics frolm N 15 (late of Edo perion‐ beginning of h/1eiji period)

陶器器種 碗 類 皿 類 鉢 類 重奏袋物  瓶 鍋 播 鉢 その他 不 明 混 入

1号土坑 1 0 6 8 1 1 3

2号土坑 3 2 1 136 3 2 6

北区

I・Ⅵ層 4号上坑 北区V層

3号上坑

口碗類  W皿類

  

回碗・皿不明□壺,甕・瓶 目その他

□不明

57 

二 の丸跡第5地点 出土磁器 器種組嵐1) Fig.57  Histgrams of porcelains shapes

from NMⅨll

1・2号土坑

■碗類

  

IIla  口碗・皿不明□壷・甕・瓶 田その他 国不明

60 

二 の 丸 跡 第5地点 出土 磁 器 器 種 組 成(21

Fig.60  A histgram Of porcelains shapes from NM5(2)

1・2号土坑

■碗類

 

Ш皿類

 

日鉢類

 

□壷・甕・瓶 国土瓶

 z鍋   

口括鉢

 

国その他 口不明

61 

二 の丸 跡 第5地点 出土 陶 器 器 種 組 成12)

Fig.61 A histgram of glatted ceramics shapes ttom NM5(2)

】ヒ区

VII・VI

4号土 北 区V層

■碗類

  

皿皿類

  

日鉢類

  

口壷・甕・瓶類

□香炉・火入 B指鉢

  Nそ

の他

 

□不明

58 

二 の丸 跡 第5地点 出土 陶 器 器 種 組 成(1)

Fig.58 Histgra■ ls of gia2ed ceramics shapes from NM5(1)

時 期

製 品 プレニの丸期 二の丸期

肥前系磁器

肥前系陶器

大堀相馬系陶器

北区

Io Ⅵ層 4号土坑 北区V層 3号土

■肥前

 

田瀬戸・美濃 自京・信楽軍大堀相馬 N小野相馬D中

  

口不明

62 

二 の丸跡 第5地点 出土 陶 器 産 地 別 組 成 Fig.62  Histgrams of glazed ceranlics by

producing district from NA/15

▲▲△  い

υ l

70  8.0  90  100  110  120  130日

(cm)

59 

二の丸跡第5地点 出上陶磁器 (碗類

)の

日径・ 器高分布 Fig.59  A scatter diagram of size of bowis,porcelains and giazed ceramics

江戸時代中期の陶器 の産地別組成 は、図62に示 した。陶器 は、17世紀末葉 には肥前製品が優 勢であった ものが、「 ヒ較的短期間の うちに、大堀相馬製品主体 に変化 した ことが判 る。月巴前製 品の占める割合 は、分析 を行 った17世紀末葉以前では、瀬戸・ 美濃製品 とな らんで、 さらに高 かつた ことが予想 され る。大堀相馬 に若干遅れて、小野相馬製品が出現する点 も看過で きない。

大堀相馬、小野相馬製品にお され る形で、それ らと競合関係にある瀬戸・ 美濃製品は、肥前製 品同様、比率が低下す る。京・信楽製品は、量的には少ないものの、常に一定量存在 している。

京・ 信楽製品の多 くは、京焼 と呼ばれ る「 ブラン ド物」であ り、 日常雑器 を主体 とする大堀相 馬、小野相馬製品の台頭 とは無関係であった と考 えられる。

幕末か ら明治初頭 の1・

2号

土坑では、磁器 は瀬戸産が肥前産 を上回 り、陶器 は大部分が大 堀相馬産で占め られ る。両土坑 あわせて、磁器 は、混入 した古い資料

2点

を除 き、48点出土 し ている。産地別では、肥前10点 (20.8%)、 瀬戸18点 (37.5%)、 不明20点

(41.7%)で

ある。

器種 との関係では、碗類 は瀬戸産が多 く、皿類や瓶類 は肥前産が多い。陶器 は、同 じく混入 し た古い資料9点を除 き、285点出上 している。産地別では、大堀相馬274点 (96.1%)、 堤3点、 瀬戸1点、不明

9点

となる。瀬戸産の1点は石皿であ り、堤産の ものは全 て括鉢である。

以上、本遺跡出土陶磁器で最 も注 目されるのは、大堀相馬の創業年代 と、創業期の製品の特 徴 を知 る手がか りが得 られた こと、 さらに、18世紀前葉 には、それが他の製品 を凌駕す るほど 大 きな士ヒ重 を占めることが明 らかになった こと、の2点である。 この成果 を受 けて、次に他の 消費地遺跡や窯跡出土資料 を検討 し、大堀相馬の生産 と流通 について考察 を加 える。

)18世

紀代の大堀相馬 と周辺の窯業生産

18世紀か ら19世紀初頭 の操業が確認 され る相馬。双棄地方の陶器 (酢目双 陶器」)、 な らびにそ の生産窯 は、主要製品のあ り方 と窯跡の分布状況か ら、次のように整理す ることができる。

大堀相馬系

 la 

浪江町大堀・ 小丸地区諸窯 (大堀深野窯、小丸渡辺窯他)

lb 

大熊町野上 山神窯

lC 

相馬市小野中平横 田窯 相双陶器

 2 

小野相馬系

 

相馬市小野中里窯

館 ノ下系

  3a 

相馬市館 ノ下

3b 

浪江町小野 田・ 田尻・ 酒井・ 末の森地 区諸窯?

相馬藩窯

  

相馬市田代窯

1〜

3の窯業生産 は、遅 くとも18世紀の後半 には、器種別分業 あるいは器種 内分業 とで も呼 ぶべ き体制 を採 ってお り、酢目双陶器」 というような、それ らを包括する概念が必要である。

大堀相馬系陶器 (以下 「大堀相馬」 と表記

)と

は、福島県双葉郡浪江町大堀地 区周辺で生産

された施釉陶器 を主 とする焼物で、近隣の大熊町や相馬市内で も、同一の技術系統 に属すると 考 えられる窯跡が確認で きる。

la 

浪江町大堀 。小丸地 区諸窯

浪江町内の窯跡 に関 しては、今 日まで組織的な分布調査が行われてお らず、大堀長井屋窯跡 の発掘調査報告書のなかで、山田秀安、大竹憲治の両氏によリー部の窯跡の分布図が示 された に とどまる。現状では、個々の窯の製品の特徴や、操業年代など、基礎的な知見がほとんど得 られていない。 また、最 も窯跡の集中している大堀地区では、宅地化が進んでいる上、旧窯の 上 に今 日まで窯が重複 して築かれている。そのため、表面的な分布調査 により窯跡の実態、特 に操業期 に関わるような古い段階の様相 を捉 えることは困難である。 しか し今回、工事等の際 に窯跡か ら出上 した資料 を検討 した結果、大堀地区では、現久保田氏宅(十日深野氏宅

)窯

跡で、

小丸地 区においては、北沢の渡辺氏宅窯跡他で、18世紀代の製品の生産 を確認 で きた (註1)。

旧深野氏宅窯跡採集資料 には、灰釉丸碗、同腰折碗、鉄釉・灰和掛 け分 け碗、灰釉皿がある。

灰釉 には、御深井釉 に近い ものか ら、いわゆる糠 白釉 まで、様々なものが含 まれ る。

腰折碗 の形態 に関 して も、体部 の沈線 の上 に明瞭な稜線が認められるものか ら、沈線・稜線 と もに不明瞭な ものまで、変異が大 き く、ある程度の時間幅が想定される。なお、灰釉皿のなか には、一重亀 甲型六角区画内に梅文?の印文 を見込みに有する資料が含 まれている。 これは、

見込 み印花文 を有す る皿が多 く確認 されている小丸地区では確認 されていないタイプである。

渡辺氏宅窯跡 は、小丸地 区に現存す る窯跡の中で最 も保存状態がよい。窯跡の存在 は古 くか ら知 られていたようで、故竹島園基氏のコレクションにも本窯跡の採集資料 (「渡辺 巳之助窯」

と注記

)が

含 まれてお り、その一部が「小丸窯」として紹介された ことがある (竹島1974)。 窯 本体 と考 えられる部分 は現在竹薮で、高 さ

3m以

上 の高 まりとして確認で きる。竹薮の北側 に は、県道落合浪江線が走 ってお り、県道拡幅工事の際に、物原 と考 えられる部分の一部が削平 され、多量の遺物が佐藤仁司氏 によって採集 されている。図63に示 したのは、今 回小丸地区の 踏査の際に、渡辺氏宅窯跡で表採 した資料である。製品は全て、灰釉 もしくは鉄釉、および両 者の掛 けわ けで占め られ る。灰釉 は、御深井釉 に近 く、糠 白釉は全 く認められない。中型の灰 釉丸碗が最 も多 く、他 に腰折碗、掛 け分 け碗、丸皿、折縁皿、小不、仏飯器、灯明皿がある。

小丸地区では、踏査の結果、渡辺氏宅窯跡 を含め、

6箇

所で窯跡の所在 を確認 した (図64)。

見込みに印花文 を有する碗皿類 は、渡辺氏宅窯跡 をはじめ、山田氏宅窯跡、小丸氏宅窯跡、同 東窯跡で も出上 してお り、小丸地 区の主要産品であった と考えられる。印花文 には、菊花文、

菊花枝文、二重剣先型六角区画内梅 (桔梗)文が見 られ る。菊花文 は碗 に、菊花枝文 は丸皿 に、

二重剣先型六角区画内梅 (桔

)文

は折縁の輪花皿 に用い られている。

lb 

大熊町野上山神窯

120

63 

福 島県浪江町小丸地 区渡辺氏宅窯跡採集資料

 1・

2・ 4・ 5。 7〜

12 

灰釉

13・

14 

鉄釉

 3・ 6 

素焼 き段階 Fig.63  0hbori― souma ware froni the site of kiln Of Omaru‐kita2a、va area,Nanlie to郡 ァn,

Fukushima prefecture

1 6

Fig 64

64 

浪江町小丸地区諸窯 と周辺遺跡

士 暑 吾 詈 嚢   子   棗 幡 倹 聾 璽  : :軍 鐘 詠 東 窯

 ;  尖 発 鸞 鼻 匡 藝 跡    出 口 堂ノ 前 窯

Distribution Of the sites Of kiln at Omaru area,Nanlie to瑯 /n,Fukushirna prefecture

町史編纂 に伴 い、大竹憲治氏 らによ り調査が行 われ、報告書が刊行 されてい る (大竹 ほか

1982)。 報告書 によれば、飯碗 としての用途が考 えられ る中型の腰折碗 と、湯呑 としての用途が

考 えられ る、 口縁部 に割菊花文 を施 した小型の丸碗が主要な製品である。18世紀末葉か ら19世 紀初頭 にか けて、短期間の操業が想定 される。

lC 

相馬市小野中平横 田窯

今回、故竹島國基氏 旧蔵 の近世陶器 コンクシ ョンを検討す る機会 を得、窯跡採集資料か ら、

横 田窯 において も、大堀相馬が生産 されていた ことが確認で きた。採集資料 であるため、必ず しも全体 の様相 を反映 しているとは言 えないが、割菊花文や山水文等の鉄絵 を施 した皿類が多 く認 め られ る。18世紀末棄か ら19世紀初頭の製品が主体であろう。

小野相馬系陶器 (以下「小野相馬」 と表記)

仙台城跡 をはじめ、宮城、福島県の近世遺跡か ら、大堀相馬 に伴 って普遍的に出土す る陶器 のなかに、特徴的な胎土・釉調 を持つ一群がある。 その特徴 は、「海鼠釉 を基調 とし、素地が粗 (飯1987)」 とい う点 にある。 これ までは、東北地方産である可能性が高い との認識 はあって も、産地不明 とされた り、大堀相馬 に含 めた り(飯村前掲)、 研究者 によって意見の分かれ ると ころであった。今回、故竹島國基氏 旧蔵の近世陶器 コレクションを検討 した際、相馬市小野 に 所在す る中里窯跡採集資料 のなかに問題 の一群が確認で きた。窯跡資料 には、碗、見込み蛇 ノ 目釉剣 ぎ小皿、片 口鉢、仏飯器、筒形香炉がある。消費地遺跡ではこれ以外 に、折縁輪花皿、

髯水入、花生、猪 口な どの器種が出土 している。 これ らには、いわゆる海鼠釉 と呼ばれ る青灰 濁か ら白濁色 の釉が掛か り、ザ ック リとした粗い胎土中には黒色 の粒子が認 め られ る。碗や片 口鉢の見込みには、 目跡が残 るものが多い。消費地遺跡か ら多 く出土す る器種 は、肥前陶器 を 写 した と考 えられ る見込み蛇 ノロ釉祭Jぎ小皿や片 口鉢であ り、費水入 も比較的 目立つ。 これ ら の器種 は、大堀相馬で はあまり生産 されてお らず、そ うした大堀相馬の間隙 を突 く形で、小野 相馬の販路が存在 していた もの と考 えられる。なお、中里窯では、緻密 な胎土 を持つ、灰釉鉄 絵 の碗皿類 も生産 されてお り、 これ らの製品については、大堀相馬 として流通 していた と考 え られ る。18世紀後半 を中心 とした年代 の操業が考 えられるが、仙台城二の丸跡第

5地

点の出土 状況が示す とお り、一部 の製品については、18世紀の前葉 にまで遡 る可能性がある。

(31 大堀相馬製品に関する消費地編年

大堀相馬の操業年代 に関 しては、発掘調査 された窯跡が浪江町大堀 の長井屋窯跡 と大熊町野 上 の山神窯跡 の

2箇

所 に限 られ、いずれ も18世紀後半 を遡 る可台Z性はないため、窯跡の調査資 料 に基づ き論 じることがで きない。地元では元禄

3年

(1690年

)創

業説が有力であるが (大堀 相馬焼協 同組合1988)、 その根拠 となっている史料 の年代 は、最 も古い「瀬土系譜」(半谷家文

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報7 (ページ 133-148)