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東北大学埋蔵文化財調査年報7

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全文

(1)

東北大学埋蔵文化財調査年報7

著者

東北大学埋蔵文化財調査委員会

雑誌名

東北大学埋蔵文化財調査年報

7

発行年

1994-03-25

URL

http://hdl.handle.net/10097/45608

(2)

東北大学埋蔵文化財調査年報

7

東北大学埋蔵文化財調査委員会

1994

(3)

東北大学埋蔵文化財調査年報

7

東北大学埋蔵文化財調査委員会

1994

(4)
(5)

1

二 の丸跡第5地点 元禄 年間の整地層・ 遺構 出土遺物

(6)

3

二 の丸跡 第

5地

1区

3A層出土遺物

(7)

遠見塚 の道路脇 に石棺 が放置 され、子供 が蓋 の石材 で シー ソー遊 び を

していた のが極 く最近 の こととして思 い出 され る。 当時、損逸 した文化

財 は大変 な数 にな るだ ろ うと考 える。測定装置 の進歩 が大変画期 的 な も

ので、バ イオ な どと共 に考古学 も最 も目覚 し く進歩 しつつ あ る学 問分野

で あ る。

その結果 か否 か は別 として、本学名誉教授 で あ られ る芹沢長介先生 の

長年 に亘 る御 努力 と、従来 の学術 に拘 らない観察が、効 を奏 して、東北

大学近辺 に最 も大 きい と云 って差 し支 えのない大変革 を喚 び起 こしつつ

あ る。高森遺跡 が50万 年前 とか、是川遺跡 が トップ級 の縄文文化 を示 す

とか、東北人 の心 を振 い立 たせ るような学 問的発見 が相 次 いで い るの は

本 当 に喜 しい こ とで あ る。

本学 の位置 す る所 に も多 くの発見 が あ り、遠 く数十万年昔 か ら、数百

年前、百年足 らず の ところまで、歴史 は散逸 して しまっていて、発掘 が

すべ て発見 につなが るので はないか とさえ思 わせ る。

ほんの数十 年前 の ことす ら散逸 して分 か らな くな ってい る こ とを考 え

る と、何 か矛盾 をさえ感 ず る昨今 で あ るが、 出来れ ば、我 々が 日々経過

してい る社会 自体 を、歴史 として記述 し一部 を保存 す る ことを併 用 しな

が ら考古学 を発 展 させ る ことが、歴史 をよ り効 果 的 に記述 す る こ とにな

るので はないだ ろ うか。

云 い換 える と、考古学 の方か ら逆 に歴史 の意 味 を教 え られ てい る こ と

にな るし、顧 る こ とに よって これか らを予測 す る、見通 す とい うこ とに

な るのが歴史学 の根底 だ と考 えてい る。

兎 に角、近年 の東北大学 の考古学研 究室 を中心 とした埋蔵文化財 の発

掘 が東北人 の心 を揺 るがせ、勇気 を振 い立 たせ た こ とは、東北地 方 の人

達 に も極 めて大 きな効果 を与 えた もの と大 い に自慢 し、喜 び としてい る

ところで あ る。

東北大学埋蔵文化財調査委員会委員長

剰ヒ

大学長れ考 濶 ―

(8)

1.本

年報 は、東北大学構 内において、東北大学埋蔵文化財調査委員会が1989年度 に行 った遺 跡調査、な らびに研究成果 をまとめた ものである。

2.報

告 され る遺跡 と略号、発掘調査期間は以下の通 りである。 仙台城二の丸跡第

5次

調査地点

(NM5)付

帯施設部分の調査

1989年

3月 9日 ∼ 4月28日 仙台城二の丸北方武家屋敷跡第

5次

調査地点

(BK5) 1989年

6月12日∼ 6月15日 川渡農場町西遺跡第

1地

(KWl) 1989年

5月 8日 ∼ 5月25日 仙台城二の丸跡第

5次

調査地点 については、1985年度 に実施 した試掘調査 の内、付帯施設 部分 に重 なる区域 の調査成果 も、合わせて報告す る。 また、仙台城二の丸跡第

5次

調査地点 全体 の、調査成果の検討 を掲載 した。

3.調

査・ 整理作業 は、東北大学埋蔵文化財調査委員会 の委嘱 を受 け、埋蔵文化財調査室が行 った。

4.本

年報の編集 は、須藤隆の指導の もとに、藤沢敦・ 関根達人・ 菊池佳子が担当 した。

5.本

文 は、藤沢敦・ 関根達人・ 菊池佳子が分担執筆 した他、第

H章

5。 自然科学的分析 につ いては、以下の方々 に分析 を依頼 し、原稿 をいただいた。

(1)花

粉分析 :守 田益宗 (東北生活文化大学) 鬱

)プ

ラン ト・ オパール分析 :古環境研究所 俗

)動

物遺存体 :富 岡直人・氷見淳哉・ 赤木進二 (東北大学文学部考古学研究室) は

)植

物遺存体 :内 藤俊彦 (東北大学理学部附属植物園) (動 昆虫:保谷忠良 (仙台市立図南萩陵高等学校) これ以外の本文執筆 の分担 は、以下の通 りである。 第I章、第 Ⅱ章1・ 2、

H章

4(2)、 第Ⅲ章1・ 3・ 5、 第Ⅳ章、第

V章

:藤沢敦 第

H章

3、 第

H章

4は

X第

Ⅲ章

4:菊

池佳子 第

H章

4(1)。 は)∼(6)、 第Ⅲ章2、 第Ⅵ章 :関 根達人 6。 発掘調査お よび整理・ 報告書作成 にあたっては、以下の方々や関係機関か ら御指導 。御協 力 を賜 った。記 して感謝 申 し上 げる (敬称略)。 阿子島香 (東北大学文学部

)飯

淵康― (東北大学工学部

)佐

藤洋 (仙台市教育委員会) 中川学 (東北大学記念資料室

)檜

山泰貴 (東北陶磁文化館) 宮城県教育委員会・ 仙台市教育委員会・ 宮城県立図書館 。東北大学者古学研究室

7.出

土遺物 は、東北大学埋蔵文化財調査委員会が保管・管理 している。

(9)

1.遺

物 の実測図お よび写真 の縮尺 は、各々 に記 した。

2.方

位 は、川渡農場町西遺跡 については磁北であるが、 その他 は真北 に統一 してある。

3.川

内地 区の仙台城二の丸跡、お よび北方の武家屋敷跡 にあた る地域の地形測量図は、仙台 市教育委員会 の作成 による「仙台城跡地形図」(縮尺500分 の

1)を

使用 した。

4.引

用 。参考文献 は、各項 目の未尾 に掲載 した。 また、本文中で、東北大学埋蔵文化財調査 年報 を引用す る場合 は、年報 1と い う形で略記 した。

5.挿

図中のスク リー ン・ トー ンの表現 は、特 に記 した以外 は、下記の とお りである。 遺構平面図 柱痕跡 :饉饉爾爛

杭 :饉顧騒翻

遺構断面図

柱痕跡

:鸞

騒錢鰯

:「

44孝

遺物実測図 青磁釉:隆1垂 =峯 剤 付着物

:Ⅷ

6.遺

物観察表の法量 の単位 は、特 に記載がない ものは、cmで ある。

(10)

1989年 度調査遺跡

(本

報告収録

)の

概要

仙台城二の丸跡第

5次

調査地点

(NM5)付

帯施設部分の調査 江戸時代 :礎石建物跡・ 溝 。堀・ 池・ ピッ ト :陶磁器・ 瓦・ 木製品 。金属製品 仙台城二の丸北方武家屋敷跡第

5次

調査地点

(BK5)

江戸時代 :溝 川渡農場町西遺跡第

1地

(KWl)

弥生時代:溝・ ピッ ト :弥生土器 整理作業参加者 青山博樹 岩井利佳 大井義夫 大谷基 小川徳子 小関満知子 熊谷宏靖 黒須靖之 斎藤健 佐藤剛 澤 田純明 高橋朋子 千田祐美恵 独古史恵 中野恵 成 田和歌子 橋本幸枝 樋 口優子 発掘調査参加者 阿部喜美 阿部志 う 阿部友衛 市村賢則 伊藤千穂 歌川喜恵子 梅沢みえ 遠藤 りつ子 大竹 ひ とみ 太田君子 太田すゑ子 太田はるよ 菅野 とみ子 菅野春枝 菊池 ス ミ子 菊池 とよゑ 佐伯晴子 佐々木寅男 庄子一夫 庄司正 菅原 よしの 高橋 い く子 高橋和子 高橋か よ子 高橋健寿 高橋典子 催熙柱 中鉢司 中鉢恒子 新沼 よしえ 長谷川チエ子 菱沼孝二 松川弘子 山岸清江 遊佐典子 横 山東市

(11)

東北大学埋蔵 文化財調査 委員会規程

施行 昭和58年11月 15日 改正 昭和63年 1月19日 (設置) 第一条 東北大学 に、東北大学の施設の整備 に ともなう埋蔵文化財の発掘調査 に関す る重要事 項 を調査審議す るため、東北大学埋蔵文化財調査委員会 (以下「委員会」 とい う。

)を

置 く。 (組織) 第二条 委員会 は、委員長及び次の各号 に掲 げる委員 をもって組織す る。 一 東北大学施設整備委員会地 区協議会委員長 二 発掘調査 に関連 のある専門分野の教授又 は助教授 若千人 三 発掘調査地 に関連 のある部局の長で、 その都度委員長が指名す るもの 四 事務局長 (委員長) 第二条 委員長 は、学長 をもって充てる心 (調査室) 第四条 委員会 に、委員会が定める基本方針 に基づ き、発掘調査 に関す る実施計画、実施の細 目及び調査報告書 に係 る事項 を処理 させ るため、調査室 を置 く。

2

調査室 に、室長及 び調査員 を置 く。

3

室長 は、調査室の業務 を掌理 し、調査員 は、調査室の業務 に従事す る。 (委嘱等) 第五条 第二条第二号 に掲 げる委員及び調査員 は、学長が委嘱す る。

2

室長 は、委員の うちか ら委員長が指名す る。 (調査員の出席) 第六条 委員長 は、調査員 を委員会 に出席 させ、議案 について、必要な説明 をさせ、又 は意見 を述べ させ ることがで きる。 (幹事) 第七条 委員会 に幹事 を置 き、庶務部長、経理部長及び施設部長 をもって充 てる。 (庶務) 第八条 委員会 の庶務 は、事務局施設部 において行 う。 (雑則) 第九条 この規定 に定 めるもののほか、委員会 の運営 に関 し必要 な事項 は、委員会が定 める。 附則 この規定 は、昭和六三年一月十九 日か ら施行す る。

(12)

埋蔵文化財調査 室運営方針

東北大学埋蔵文化財調査室 (以下「調査室」 とい う

)の

運営 は、東北大学埋蔵文化財調査委 員会規程 によるもののほか、次の運営方針 に基づ き行 うもの とする。

1

調査室の運営及び発掘調査の実施方針等 に関 して審議す るため、運営会議 を置 く。

2

運営会議 は、次 に掲 げる委員 をもって組織する。

(1)調

査室長及び調査員 鬱

)庶

務課長、主計課長及び企画課長

0)発

掘調査地 を所管する部局の事務長 は

)専

門委員若干名

3

調査室 は、東北大学構内遺跡の調査及び保護 にあたる。

4

調査室 は、発掘調査 による出土文化財 の整理 と調査報告書の作成 にあた り、公開、活用を イまか る。

5

調査室 は、出土文化財・ 資料 (図面、写真等

)の

保存、管理 にあたる。

6

調査室 は、文化庁長官、教育委員会等への発掘調査 に関わる届 け出業務(発掘届 けを除 く ) を担当す る。

(13)

東北大学埋蔵文化財調査委員会

Q989年

) 委員長 学

長 委員

川内地 区協議会委員長 青葉 山地 区協議会委員長 星陵地 区協議会委員長 片平地 区協議会委員長 文 学 部

教 授 文 学 部 教 授 文 学 部 教 授 文 学 部

助教授 理 学 部 教 授 工 学 部 教 授 文 学 部 長 法 学 部 長 理 学 部 長 工 学 部 長 事 務 局 長 調査員 文 学 部

助 手 文 学 部

助 手 幹事

長 庶 務 部 長 経 理 部 長 (教育学部長) (薬学部長) (医学部長) (科研所長) (調査室室長) 大 谷 茂 盛 細 谷

純 南 原 利 夫 吉 永

馨 藤 村 忠 雄 渡 辺 信 夫 羽 下 徳 彦 須 藤

隆 今 泉 隆 雄 中 ナII 久 夫 坂 田

泉 菊 田 茂 男 太 田 知 行 黒 田

正 尾 坂 芳 夫 垂 木 祐 三 佐久間 光 平 山 田 しょう 原 山 明 宗 堀

道 博 三 橋 正 夫

(14)

東北大学埋蔵文化財調査委員会 住

994年 1月

現在

) 委員長 学

長 委員

川内地 区協議会委員長 青葉山地区協議会委員長 星陵地区協議会委員長 片平地区協議会委員長 文 学 部

教 授 文 学 部 教 授 文 学 部 教 授 文 学 部

助教授 文 学 部

助教授 工 学 部

助教授 事 務 調査員 文 学 部 文 学 部 文 学 部 幹事 施

設 庶 務 経 理 局 長 助 手 助 手 助 手 部 長 部 長 部 長 (法学部長) (工学部長) (医学部長) (金研所長) (調査 室室長) 西 澤 潤 ― 小 山 貞 夫 阿 部 博 之 平

則 夫 増 本

健 渡 辺 信 夫 羽 下 徳 彦 須 藤

隆 今 泉 隆 雄 阿子島

香 飯 淵 康 一 廣 田 史 郎 藤 沢

敦 関 根 達 人 菊 池 佳 子 山 本

努 賀須井 昭 平 山 田

(15)

埋蔵文化財発掘調査及 び委員会審議 の手順

保 存処 置 ― ― 一 → 整 備工事 の実施

5

整理作業 印刷

(業

者への発注)

文化庁 な ど関係機関へ配布 遺物・ 記録 (写真類、図面、調査 日誌 な ど) 委員会への調査終了報告 整理手順 の決定 洗浄・ 乾燥 な どの準備作業 分類・ 観察・ 分析・ 計測 な ど資料化 図化 (実測図面の作成)。 写真撮影 遺物保存処理 収納・ 登録作業 遺物 の整理作業 記録 の整理 1     2     3     4     5     6

6

報告書の作成・ 配布 写真 。図面のレイアウ 原稿作成 な ど

7 8 の保管及び公開 (企画展示・ 資料貸出)

(16)

巻頭 カラー図版 序 例言・ 凡例 東北大学埋蔵文化財調査委員会規程 東北大学埋蔵文化財調査室運営方針 東北大学埋蔵文化財調査委員会組織 埋蔵文化財発掘調査及 び委員会審議の手順 目次 図 目次 表 目次 図版 目次 第

I章 1989年

度調査 の概要………1

1.は

じめに………1

2.発

掘調査 の概要…Ⅲ………。1

(1)川

内地 区の調査……∵………1 鬱

)青

葉 山地 区の調査………9 は

)富

沢地 区の調査 ………9

(4)川

渡地 区の調査………13 3。 そのほかの調査室の活動………13

H章

二の丸跡第

5次

調査地点

(NM5)付

帯施設 区域 の調査………Ⅲ…14

1.調

査経緯 …Ⅲ………・………14

(1)川

内地 区の立地 と歴史および1988年度 までの調査………14

(2)調

査地点の位置………15

(3)調

査方法 と経過………16

2.層

序 と時期 区分………20

3.検

出遺構 ………・………Ⅲ………。20

(1)10区

………20

(2)12区

………27

(17)

(3)1・

2・ ■区………29

(4)5区

………34

4.出

土遺物………・……… … …・………。36

(1)陶

磁器………36 鬱

)土

器・ 土製品………36

(3)瓦

………43 (つ 木製品………49

(5)金

属製品………49 脩

)そ

の他の遺物 ……Ⅲ………・………・………・……Ⅲ………49

5.自

然科学的分析 ―・…………Ⅲ………Ⅲ……・………61

(D

花粉分析…Ⅲ………Ⅲ………… ………Ⅲ…………Ⅲ…・………・・61 (動 プラン ト・ オパール分析………・…… … ………。…………Ⅲ…Ⅲ………・………・64

0)動

物遺存体……… … ……… ………Ⅲ………66 他

)植

物遺存体………Ⅲ…・―・…・………Ⅲ………・………Ⅲ………71

(5)昆

虫………76 第Ⅲ章 仙台城二の丸跡第

5地

点調査成果の検討………77

1.遺

構の変遷 ………・―・………・…………Ⅲ…Ⅲ………・77

2.陶

磁器 ………Ⅲ………Ⅲ………■2

3.土

器・ 土製品 ・・………・131

4.瓦

………・138 5。 まとめ ,………Ⅲ…Ⅲ…………Ⅲ………・………・"―・―¨¨・―中●………・・145 第Ⅳ章 二の丸北方武家屋敷跡第

5地

(BK5)の

調査 ………。147

1.調

査経緯 ¨………・…Ⅲ………・………・………Ⅲ…。147

2.層

序 ………。147

3.検

出遺構 ………・……… ………。147

4.ま

とめ ,…………・148

V章

川渡農場町西遺跡第

1地

(KWl)の

調査 ………Ⅲ…………・………150

1.調

査経緯 ……… ………Ⅲ………Ⅲ…・…………・150

2.層

序 ………・151

3.検

出遺構 ………Ⅲ……… ……… ………Ⅲ…………・。151

4.出

土遺物 ・…………・……… ………Ⅲ…・―・………。156

5.ま

とめ ・………・・157

(18)

第 Ⅵ章 研 究編 塩 引・ 御子篭考一仙台城 二 の丸跡 出土木簡 の検討一

関根 達人 英文 要 旨 写 真 図版

1

東北 大 学 と周 辺 の遺 跡 ………2 図

2

仙 台城 と二 の丸 の位 置 …… ……… …3 図

3

仙 台城 二 の丸跡・ 武家 屋敷跡 調査地 点 …… …… … ……… ……… …5 図

4

青葉 山地 区調査 地 点 … …… ……… …7 図

5

理学部数理科学記念館地点 平面 図・ 断面 図………10 図

6

工 学部生物化学工学科地点 平 面 図・ 断面 図 … …… ………… … …11 図

7

三神峯地 区調査地 点 ………12 図

8

二 の丸跡第

5次

調査地 点 調査 区の位 置 ………17 図

9

二 の丸跡第

5地

点 基本層序模 式 図………19 図

10

二 の丸跡第

5地

点 10区 平面 図(1)。 断面 図 … …… ……… ……21 図

H

二 の丸跡第

5地

点 10区 平面 図(動・………・・23 図

12

二 の丸跡第

5地

点 10区 33・ 34号 溝 断面 図………26 図

13

二 の丸跡第

5地

点 12区 平面 図・ 断面 図………28 図

14

二 の丸跡第

5地

点 1・ 2・ 11区 平面 図(1)・… …… …… … …… ………・・31 図

15

二 の丸跡第

5地

点1・ 2・ 11区

平面図鬱)。・………・32 図

16

二の丸跡第

5地

1区

断面図………33 図

17

二の丸跡第

5地

5区

平面図・ 断面図………35 図

18

二の丸跡第

5地

点出土磁器(1)………37 図

19

二の丸跡第

5地

点出土磁器(2)………38 図

20

二の丸跡第

5地

点出土陶器(1)………39 図

21

二の丸跡第

5地

点出土陶器(2)………40 図

22

二の丸跡第

5地

点出土陶器(3)………41 図

23

二の丸跡第

5地

点出土 土器・ 土製品………42 図

24

二の丸跡第

5地

点出上瓦(1)…………45 図

25

二の丸跡第

5地

点出土瓦(2)…………46 図

26

二の丸跡第

5地

点出土瓦③…………47 図

27

二の丸跡第

5地

点出土瓦(4)…………48 図

28

二の丸跡第

5地

点出土 古銭・ 煙管…………・………49 図

29

花粉分析結果………62 図

30

切痕 とネズ ミの噛み痕の見 られ る エフ トリ大腿骨………67 図

31 1a期

の遺構出土遺物………77 図

32

二の丸跡第

5地

点 全体遺構配置図

(Ia期

)… ………,79 図

33

正保二・ 三年仙台城下絵図…………80 図

34

二の丸跡第

4地

点下層検 出遺構 ……81

(19)

35

二の丸築造以前の遺構配置 と 西屋敷の復元………83 図

36

二の丸跡第

5地

点 全体遺構配置図

(Ib期

)… ………・86 図

37

天麟院様元御屋敷図…………・………87 図

38

二の丸跡第

5地

点 全体遺構配置図

(Ha期

)… ………・9o 図

39

二の丸跡第

5地

点 全体遺構配置図

(Hb期

)… ………。91 図

40

二の丸跡第

5地

点 全体遺構配置図

(Ha期

)… ………・93 図

41

二の丸跡第

5地

点 全体遺構配置図 (Ⅲ

b期

)… ………・94 図

42

享和三年御家作御絵図写………96 図

43

調査区周辺の絵図 (享和二年図)―・97 図

44

中奥 と屏風蔵付近の絵図 優]45 優]46 優]47 優]48 優]49 優]50 優]51 優]52 優]53 優]54 優]55 (享和二年図)… ………・98 御二丸御屏風蔵 御貸長屋絵図……99 詰之門周辺の絵図 ………。100 門跡東側の遺構 ……… … ……・101 調査区周辺の絵図 (文化元年図)。・・102 第

5地

点出土墨書陶器 ………・103 第2・第

3地

点遺構配置図 ………■04 第2・ 第

3地

点 と絵図 との対比 …Ⅲ105 二の丸跡第

5地

点 全体遺構配置図 (Ⅳ期

)・

…Ⅲ……。lo8 二の丸跡第

5地

点 出土陶磁器(1)………■13 二の丸跡第

5地

点 出土陶磁器(2)………。114 二の丸跡第

5地

点 出土陶磁器(3)………・115 図

56

二の丸跡第

5地

点 出土陶磁器(4)………・………116 図

57

二の丸跡第

5地

点 出土磁器器種組成(1)……… ………118 図

58

二の丸跡第

5地

点 出土陶器器種組成(1)………。118 図

59

二の丸跡第

5地

点出土 陶磁器 (碗類

)の

回径・ 器高分布 118 図

60

二の丸跡第

5地

点 出土磁器器種組成(動 ………… ……。118 図

61

二の丸跡第

5地

点 出土陶器器種組成り)・………・……・118 図

62

二の丸跡第

5地

点 出土陶器産地別組成 ………・118 図

63

福島県浪江町小丸地 区 渡辺氏宅窯跡採集資料 ………■21 図

64

浪江町小丸地区諸窯 と周辺遺跡 ―・121 図

65

消費地遺跡一括資料 に基づ く 大堀相馬系陶器 の編年 ………・125 図

66

二の丸跡第

5地

点一括資料 に伴 う 土師質・ 瓦質土器 ………・132 図

67

土師質土器皿 の法量分布 …………・133 図

68

二の丸跡第

4地

点出土焼塩重 ……・134 図

69

仙台藩領 内出上の焼塩壷 …………・135 図

70

二の丸跡第

5地

点出土土製品 ……・137 図

71

瓦の計測部位 ………・139 図

72

二の丸跡第

5地

点出土軒丸瓦類・ 軒桟瓦小巴の瓦当文様 ………・139 図

73

二の丸跡第

5地

点出土軒平瓦類・ 軒桟瓦垂れの瓦当文様 ………Ⅲ142 図

74

武家屋敷跡第

5地

点 調査区の位置 ………Ⅲ148

(20)

75

武家屋敷跡第

5地

81

町西遺跡第

1地

点出土遺物 ………・156 平面図・ 断面図 ………Ⅲ

149

82

仙台城二の丸跡第

5地

点出上の 図

76

町西遺跡の位置 と周辺の遺跡 ……・

150

鮭 に関する木簡 ………。159 図

77

町西遺跡第1地点調査 区の位置 …。

152

83

元禄四年 『伊達治家記録』 に 図

78

町西遺跡第1地点調査区

み られる鮭製品の贈収頻度 ………・167 全体図・ 基本層序断面図 ・……・―・

153

84

元禄四年 F伊達治家記録』 にみ ら 図

79

町西遺跡第1地点

れる贈収水産物の種類別割合 ……・167

1号

溝・ ピッ ト1実測図 …………Ⅲ

154

85

桃生郡和淵の鮭子篭仕方 図

80

町西遺跡第

1地

御役人衆居所 。…………・…………Ⅲ169 ピッ ト

2∼

10実測図 ・………155

1 1989年

度調査概要表………

1

14

二の丸跡第

5地

点 出土 表

2

二の丸跡第

5地

点出土磁器集計表…

50

軒平瓦類観察表………58 表

3

二の丸跡第

5地

点出土陶器集計表…

51

15

二の丸跡第

5地

点出土 表

4

二の丸跡第

5地

点出土

軒桟瓦観察表………58 土器・ 土製品集計表………

52

16

二の丸跡第

5地

点出土桟瓦観察表…58 表

5

二の丸跡第

5地

点出土瓦集計表……

53

17

二の丸跡第

5地

点出土 表

6

二の丸跡第

5地

点出土

板塀瓦観察表………59 木製品・漆塗製品集計表………

54

18

二の丸跡第

5地

点出土 表

7

二の丸跡第

5地

点出土

焚斗瓦観察表………59 その他の遺物集計表………

55

19

二の丸跡第

5地

点出土 表

8

二の丸跡第

5地

点出土磁器観察表…

56

輪違い観察表………・………59 表

9

二の丸跡第

5地

点出土

20

二の丸跡第

5地

点出土 土師質土器皿観察表………

56

その他の瓦観察表………59 表

10

二の丸跡第

5地

点出土

21

二の丸跡第

5地

点出土古銭観察表…59 土製品観察表………

56

22

二の丸跡第

5地

点出土 表

11

二の丸跡第

5地

点出土陶器観察表…

57

煙管 (吸口

)観

察表………60 表

12

二 の丸跡第

5地

点出土 その他の

23

二の丸跡第

5地

点出土 土師質土器・ 瓦質土器観察表………

57

煙管 (雁首

)観

察表……Ⅲ………60 表

13

二の丸跡第

5地

点出土

24

二の丸跡第

5地

点検 出 軒丸瓦類観察表………

58

花粉・ 胞子一覧表………63

(21)

25

プラン ト・ オパール分析結果………

65

器種別出土点数(江戸時代中期)―・117 表

26

二の丸跡第

5地

点出土

34

仙台城二の丸跡第

5地

点 動物遺存体種名表…… ………

66

出土磁器器種別出土点数 表

27

二の丸跡第

5地

点貝類出土表………

68 (幕

末か ら明治初頭

)・

………117 表

28

二の丸跡第

5地

点魚類出土表………

69

35

仙台城二の丸跡第

5地

点 表

29

二の丸跡第

5地

出土陶器器種別出上点数 鳥類・ 哺乳類 出土表………

70 (幕

末か ら明治初頭

)・

………117 表

30

二の丸跡第

5地

点出土種子一覧表…

72

36

仙台城二の丸跡第

5地

点 表

31

二の丸跡第

5地

点出土昆虫一覧表…

76

出土木簡 …・………。159 表

32

仙台城二の丸跡第

5地

点出土磁器

37

『伊達治家記録』にみられる 器種別出土点数(江戸時代 中期)… ■

17

鮭 に関す る記述 (元禄

4年

)…

…166 表

33

仙台城二の丸跡第

5地

点出土陶器

図版

1

二の丸跡第

5地

点10区遺構 ……。

179

図版

12

二の丸跡第

5地

点出土瓦(4)・…。・190 図版

2

二の丸跡第

5地

点10区・12区 。

図版

13

二の丸跡第

5地

点 11区遺構 ………。

180 V層

検出プラン ト・ オパール ー・191 図版

3

二の丸跡第

5地

点1区・

2区

図版

14

二の丸跡第

5地

5区

遺構 ………。

181

出土動物遺存体(1)………・192 図版

4

二 の丸跡第

5地

点 図版

15

二の丸跡第

5地

点 出土磁 器(1)………Ⅲ

182

出土動物遺存猟 2)… ………・193 図版

5

二 の丸跡第

5地

出土磁器

(2)。

陶器

(り

………Ⅲ

183

図版

17

町西遺跡第

1地

点全景・遺構 …。

195 図版

6

二の丸跡第

5地

点 出土陶器(2)………。184 図版

7

二の丸跡第

5地

点 出土陶器(3)・ 土器(1)………。185 図版

8

二の丸跡第

5地

点 出土土器(2)。 金属製品 ・…………186 図版

9

二の丸跡第

5地

点出土瓦(1)……。187 図版

10

二の丸跡第

5地

点出土瓦(2)……。188 図版

H

二の丸跡第

5地

点出土瓦(3)……。189 図版

18

町西遺 跡第1地点遺構・ 遺物 …・196

(22)
(23)

I章

1989年

度調査 の概要

1.は

じめ に 東北大学 は、明治40年 (1907年

)の

創設以来、順次拡充 。発展 を遂 げ、10学部 の他、多 くの 研究所・研究施設 を有す る。 そのため、川内 。青葉山 。片平 。星陵・ 雨宮の各 キャンパスに加 えて、他 に多 くの研究施設があ り、 その敷地 は10県にわた る広大 な もの となっている。 これ ら の各地 区の構 内には、多 くの埋蔵文化財があ り、特 に川内地区は、近世 の仙台城二の丸跡 と武 家屋敷 にあた り、青葉山地 区には旧石器時代か ら古代 の遺跡が存在す る (図1)。 これ らの大学構 内の埋蔵文化財の調査・ 保護 を組織的に行 うために、1983年度 に東北大学埋 蔵文化財調査委員会が設置 され、その実務機関 として埋蔵文化財調査室が置かれた。以来、大 学構内の埋蔵文化財調査 を実施す るとともに、調査成果 を 履東北大学埋蔵文化財調査年報』1 ∼6において報告 して きた。 1989年度 において も、仙台城二の丸跡 を中心 に調査が行われ、新たな資料 を提供す ることに なった。本報告書 は、 これ らの調査成果 について とりまとめた ものである。

2.発

掘 調 査 の 概 要 1989年度 は、本調査

3件

、試掘調査

4件

、立会調査

3件

の、合計10件の調査 を実施 した (表 1)。

(1)川

内地区の調査 川内地 区においては、本調査

2件

、試掘調査

1件

と立会調査

1件

を実施 した (図 2・ 3)。 附属図書館増築 に伴 う本調査 (仙台城二の丸跡第

5次

調査地点、

NM5)は

、1985年度 の1 次調査、1987年度 の

2次

調査、1988年度の

3次

調査 に続 く、

4次

調査 にあた る。 これは、附属 表1 1989年度調査概要表

Tab.l Excavations on the campus in he fiscal year 1989

種 類 調 査 地 点 原 因 調査期間 面積 時期 本 調 査 仙台城二の丸跡第5地点(NM5)第 4次調査 附属図書館本館増築(排水管設置) 3/9∼4/28 110nギ 仙台城北方武家屋敷地区第5地点

(BK5)

教養部学生実験棟昇降機取設 6/12∼6/15 40m2 近 世 町西遺跡第 1地点

(KWl)

農学部附属川渡農場宿泊施設新営 5/8∼5/25 300m2 弥 生 試掘調査 仙台城二の丸跡第 9地 点(NM9) 文・法学部研究棟新営 6/29∼ 7/26 260∬ 近世 理学部数理科学記念館地点 理学部数理科学記念館新営 8/8∼8/31 51m2 工学部生物化学工学科地点 工学部生物化学工学科新営 9/20∼10/4 41∬ 声の口遺跡第 2地点

(TM2)

電子ライナック施設新設計画 10/23∼■/22 300コr 縄文 立会調査 仙台城二の丸跡中善通 り地点 道路擁壁取設 9/30 15∬ 工学部情報工学科テニスコート地点 テニスコー ト擁壁取設 50m2 理学部超高圧発生実験室地点 理学部超高圧発生実験室新営

(24)

1仙 台 城 址

2 青 棄 山遺 跡A地点

Ruin of Sendai Casde

Aobayanla Site Loc A

〃 〃 B 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 C D E F B地点 C地点 D地点 E地点 F地点 北 前 遺 跡 山 田上 の台 遺 跡 芦 ノ 回遺 跡 三 神 峯遺 跡 富 沢 遺 跡 上 野 遺 跡 原 子 核 理学研 究施 設 地 点 Kitamae Site

Yamada Uenodai Site

Asinokuchi Site Mikamine Site

Tomizawa Sie Uwano Site

Lab of Nuclear Science

1

東北 大学 と周辺 の遺跡

Fig l Archaeological sites and Tohoku University

1 1400 1 2!解

Sendai Castle

(25)

″ ′夕

″韓

図書館の増築部分 に伴 う、付帯施設 (排水管

)部

分の調査である。1988年度 までに実施 した、 建物本体部分の調査 に引 き続 いて実施 した ものである。試掘調査 として実施 した、1985年度の 1次調査、および1987年度の

2次

調査の内、 この排水管部分 にあた る区域 の調査成果 も、本年 報であわせて報告す る。 また、

1次

か ら

4次

にわた る、第

5地

点の調査成果 について、 まとめ て検討 し、本年報 において報告す る。 川内地 区の もう

1件

の本調査 は、教養部 の学生実験棟 に昇降機 を設置す るのに伴 って実施 し た ものである(武家屋敷跡第

5地

点、

BK5)。

この場所 は、二の丸の北側 を区画す る堀 の外側

ふ \

= 4そ

0 1 図

2

仙台城 と二の丸の位置 Fig 2 Distribution Of Sendai Castle

︼脚

″衛

¨・ ”朦

'十 1内元支倉

線とだ

2煮 :/Vlitt Third Citadel

本丸

h/1ain Citadel

け′

労属

t上

´

(26)

で、江戸時代 には一貫 して武家屋敷が置かれていた区域 にあた る。仙台城 の範囲の外側ではあ るが、一連 の遺構面が続 いていることが想定 され、仙台城 と密接 に関連す る周囲の武家屋敷地 区であることか ら、調査 を行 った もので、 これについては本年報 において報告す る。 試掘調査 を実施 したのは文 。法学部研究棟新営計画 に伴 うもので (仙台城二 の丸跡第

9次

調 査地点、

NM9)、

法学部棟 の東側 にあたる場所である。ここは、仙台城二の丸では、裏門であ る「台所門」の内側 にあた る場所である。 また、二の丸造営以前の17世紀初頭 には、初代藩主 伊達政宗 の四男である伊達宗泰 の屋敷が置かれていた場所 にあた る。図書館造営 に伴 う第

5地

点の調査 において、試掘調査段階での計画が、本調査 を開始す ると大幅 な変更 を余儀 な くされ た ことの反省 に立 ち、建築計画区域の全域 を対象 として、精査が必要な遺構面の数、遺構 の残 存状況、遺物の包含状況 を把握 し、本調査 の計画 を詳細 にたてることを目的 とした。立木 な ど の支障物 の移転が完了 していなかったので、 これ らの支障物 を除いた、可能 な限 り広い範囲に おいて、重機 によって明治以降の盛上 を排除 し、幕末か ら明治初頭 にあた る遺構面 を露出 した。 その結果、多少の撹乱 による破壊 はあるものの、ほぼ全域で遺構面が良好 に残存 していること が判明 した。 また、撹乱 を利用 して下層の状態 を確認 した ところ、二 の丸造成 に伴 う大規模 な 整地層の下層 において、江戸時代初頭 の遺構面が残存 していることが判明 し、伊達宗泰の屋敷 に関わ る遺構 である可合蟄性が高 くなった。 この遺構面 に伴 う遺物包含層 には、木製品・ 漆塗製 品や動物遺存体 な どの有機質遺物が良好 に残存 している部分があることも明 らかになった。 こ の結果 を踏 まえて本調査計画 をたて、本調査 は翌年の1990年度 に実施す ることとなった。 その ため、 この調査結果 については、1990年度 の年報 (年報

8)に

おいて まとめて報告す る予定で ある。 立会調査 としたのは、文系

4学

部 を南北 に走 る道路 (通称 中善道路

)の

北端付近の、沢 を渡 る部分である。豪雨のため道路 の一部が損壊 し、その補修 をかねて擁壁 を造 るのに伴 う調査で ある。この場所 は、江戸時代 に も沢 を渡 る土橋 となっていた所であるが、新 し く盛土がなされ、 また排水管が設置 されてお り、 その際に破壊 されていると判断 されたので、工事施工時の立会 調査 とした。調査の結果、排水管な どの埋設 によって、大 き く掘削 されて しまってお り、遺構 面 は残 っていない ことが確認 されたため、 それ以上の調査 は行 っていない。

(27)

帯\

3

仙台城 二の丸跡 。武家屋敷跡調査地点

Fig 3 Lochtion of excavations until 1989 atハ Iテποη,α夕″ι(N l ie Secondary Citadel)

and Mηク陶ゲresidence(BK)

(28)

□ 発掘 調査 地 点 田 カ ツア イング

0 100rn ― 図

4

青棄 山地 区調査地 点

Fig 4 Location of excavations atッ ヽobayama campus

工 。生

θ

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1

J命

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│ ミ ンニ‐__卜 tV !!!│IIIイ υ`【 ―古│ 7 ヽ9 8

(29)

12)青

葉山地区の調査 青葉 山地 区では試掘調査

2件

と立会調査

2件

を実施 した (図4)。 理学部数理科学記念館地点 は、前期お よび後期 旧石器時代の遺物が発見 されている青葉 山遺 跡

B地

点 (年報

2)の

北西縁 にあた る場所である(図5)。 建設予定地東側 の露頭では、後期 旧 石器時代 の地層 はかな り削平 されていた ものの、前期 旧石器時代 の地層 は良 く残 っていること が観察 されたので、遺跡の広が りを確認す るために、試掘調査 を実施 した。5ケ所 に調査 区を 設 けて調査 したが、西側の

1区

3区

では谷地形の上 に大学造成時 に

2m近

い盛上がなされて いたため、東側 の3ケ所 に集中 して調査 した。

B地

点で石器が発見 されている7層

(B地

点で は11層と呼称

)を

掘 り抜 くまで調査 した。愛島軽石層直下の

6層

上面 と

8層

上面で浅 い落 ち込 みが、7層上面で谷状 の大 きな落 ち込みが発見 されたが、いずれ も自然 に形成 された もの と考 えられ、遺構・ 遺物 は発見 されなかった。 工学部生物化学工学科地点 は、青葉山遺跡

B地

点か ら南側 の谷 をはさんだ場所 にあた り、遺 跡の有無 を確認す るために試掘調査 を実施 した(図6)。 東側の建物本体部分で は、4ケ所 に調 査 区を設定 し、重機で盛上 を排除 したが、いずれにおいて も大学造成時の盛上が

3∼

4mに

も お よぶため調査 を断念 し、西側 の共同溝予定地の2ケ所の調査区で調査 を行 った (1・

2区

)。 共同溝 の予定の深 さである現地表か ら

2.5mま

で調査 した ところで

(8層

途 中

)終

了 した。調査 の結果、火山灰層の上面で、円形 の地下式遺構が陥没 した もの

2基

・ 溝・ 柱穴 な どが検 出され たが、針金 な どの鉄製品が出上 し、埋土が非常 に軟質であることか ら、明治以降 にこの場所 に 置かれていた陸軍演習場 にかかわ るもの と判断 される。旧石器時代の地層か らは、遺構・ 遺物 は発見 されなかった。 工学部情報工学科テニスコー ト地点 は、擁壁取設 に伴 うもので、斜面で火山灰の堆積状況が 良 くな く、盛土 もなされているため立会調査 とした もので、遺構・ 遺物 は発見 されなかった。 理学部超高圧発生実験室地点 は、旧石器時代 の遺構・遺物が発見 された青葉 山遺跡

E地

点(年 報2)の南側 にあた る場所である。予定地南側 の道路 の露頭の観察で は、旧石器時代 の地層 は、 大 きく削平 されていることが想定 されたため、立会調査 とした ものである。調査の結果、遺構・ 遺物 は発見 されなかった。

13)宮

沢地区の調査 三神峯丘陵の北側 にある富沢地区の原子核理学研究施設で は、試掘調査

1件

を実施 した (戸 の口遺跡第

2次

調査、

TM2)。

原子核理学研究施設では、従来 よ り、放射光 リングを初 め とし た、大規模 な施設拡充の計画 を有 している。原子核理学研究施設 は、南側 に縄文時代前期の三 神峯遺跡、北側 を古代 の遺跡である芦 の口遺跡 にはさまれた場所 にあた る。 そのため、遺跡の

(30)

i聰

― ・

/

A/ォ 山 “ ‘ ︲ ノ

/

)巧′ 〕ヽ/

挙 、

│ │ 2区東壁 5区北壁 154rn 153rn 152rn E―:≡ 三::Ξ三三:そ│す:モ夏S:F手:│: 154rn 153rn 152rn 2rn … 大学 による盛土層 10YR6/6 明黄褐色 粘土質 シル ト 粘性中 しま り中 10YR6/6 明黄褐色 粘土質 ンル ト 粘4生中 しま り中 511m以下 の岩片 をわずかに含む 7 5YR5/6 明褐色 粘土質 シル ト 粘性 中 しま り中 lm以下の岩片 をわずかに含む 愛島軽石の風化層 10YR7/6 橙色 粘上質 シル ト 粘性 中 しまり中 l cm以下の岩片 を多量含 む やや風化 した愛島軽石層 10YR5/8 黄褐色 粘上質 シル ト 粘性中 しま り中 l cm以下 の岩片 をわずかに含む a 5YR4/8 赤褐色 粘土質 シル ト 粘性 中 しま り強 2 md以下のマンガ ン粒 を多量含 む 赤色風化層 b 75YR5/8 明褐色 粘土質 シル ト 粘性中 しまり中 2 mm以下のマ ンガン粒 を多量含む わずかに赤色風化 C 10YR6/6 明黄褐色 粘土 粘性強 しまり中 5 mm以下のマンガ ン粒 を多量含 む 金体 として白色粘土化 a 10YR5/6 黄褐色 シル ト質粘土 粘性強 しまり中 2 mm以下のマンガン粒 を多量含む b 75YR5/6 明褐色 粘土 粘性強 しまり中 l mm以下のマンガ ン粒 をやや多 く含 む a 5YR7/8 橙色 シル ト質粘土 粘性強 しまり強 2∼3 cmの自色の網状斑が多 く入 る b 5YR5/6 明赤褐色 粘土 粘t生強 しまり強 網状斑が入 るが発達が少 ない 10YR7/6 橙色 粘上質 シル ト 愛島軽石層が一部粘土化 落 ち込 み埋土 10YR6/8 明黄褐色 ンル ト質粘土 粘性強 しまり強 下部 にマ ンガ ン沈殿 落 ち込み埋土 10YR5/8 黄褐色 シル ト質粘土 粘性強 しまり強 l mm以下のマ ンガン粒 を多量含む 谷埋土 10YR6/8 明赤褐色 シル ト質粘土 粘性強 しま り中 やや粘上化 2 cm以下のマ ンガ ン粒 を多量含む 谷埋土 10YR7/6 明黄褐色 粘土 粘性強 しまり中 l mm以下のマ ンガ ン粒 を多量含む 落 ち込み埋土 10YR8/6 明黄褐色 ンル ト質粘土 粘性 中 しまり中 5 mat以下のマ ンガン粒 を多量含 む 落 ち込み埋土 A B C D E F 図

5

理学部数理科学記念館地点平面図・ 断面図

(31)

ヽ ′W

ヽ重

la lb 2a 2b 2C 3 A B C D E 2区南壁 158m

0 2m

― ― アスファル ト・ 砕石 10YR3/4 暗褐色 シル ト 盛上 炭化物が葉理状 に入 る 10YR3/4 暗褐色 ンル ト粘性弱 しま り弱 10YR6/6 明黄褐色のコーム層起源のブロックを含む 10YR3/4 暗褐色 シル ト粘性中 しまり中 10YR6/6 明黄褐色のローム層起源のプロックを含む 10YR3/4 暗褐色 シル ト粘性弱 しまり無 10YR6/6 明黄褐色のローム層起源のプロックを含む 10YR4/6 褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しまり弱 川崎スコリアの5 cm程のブロックを含 む 10YR6/6 明黄褐色 シル ト質粘土 粘性中 しまり弱 l mm以下のマ ンガン粒 を多量含む 10YR6/4 にぶい黄褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しまり弱 2硼以下のマンガン粒 をやや多 く合む 7 5YR5/7 明褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しまり弱 2 mm以下のマンガ ン粒 をやや多 く含む 7 5YR5/6 明褐色 シル ト質粘土 粘性中 しまり弱 2 11BI以下のマ ンガン粒 を少量含 む 5Y6/4 オ リーブ黄色 砂 粘性無 しまり弱 10YR6/6 明黄褐色粘土質 シル トのプロックが混 じる 10YR7/8 黄橙色 軽石層 粘性弱 しまり中 粒径l cm以下 風化 して粘土質 シル トに近 くなる 愛島軽石層 10YR3/4 暗褐色 シル ト 粘性弱 しまり弱 10YR6/6 明黄褐色のローム層起源のブロックを含む 溝埋土 10YR3/4 暗褐色 シル ト 粘性弱 しまり弱 10YR6/6 明黄褐色 のローム層起源のプロックを多量含 む 溝埋上 10YR3/4 暗帽色 シル ト 粘性弱 しまり弱 10YR6/6 明黄褐色のコーム層起源のプロックを含む 溝埋上 10YR3/4 暗褐色 シル ト 粘性弱 しまり無 10YR6/6 明黄褐色のローム層起源 のプロ ックを多量含 む 溝埋土 10YR3/4 暗褐色 シル ト 粘 性中 しま り弱 10YR6/6 明黄褐色のローム層起源のブロックを含 む 溝埋土 図

6

工学部生物化学工学科地点平面図・断面図

(32)

範囲を確認す る目的で、1985年度 に試掘調査 を実施 した(年3)。 その結果、平安時代の遺構・ 遺物が発見 され、遺跡の範囲が、研究施設のほぼ全域 に広がることが半J明した。遺跡地図登載 の周知の遺跡の範囲 も、声 の口遺跡の範囲を変更する形で、研究施設全域 にまで拡大 されてい る。 そのため、施設整備計画 との調整のためのデータを得 る目的で、1985年度の調査の際に調 査 を行 っていない区域 の遺構 。遺物の有無 と、その分布状況 を把握す ることが必要 とな り、2 ケ年 にわたって、 さらに試掘調査 を実施することとなった。本年度 はその1ケ年 目として、調 査予定地の西側 を中心 に調査 を実施 した (図7)。 調査の結果、縄文時代 と古代の遺構・遺物が 若干検 出された。また、水性堆積 の火山灰層 を下げた、現地表下1∼

1.5m程

の ところか ら、約

3万

年前の泥炭層が検出 され、樹根・ 種子 な どの自然遺物が大量に検出されたが、人工遺物 は 発見 されなかった。2ケ年 目の調査 は、1991年度 に実施 してお り、 これ ら2ケ年の調査結果 を

昌霊

/\

0電

tチ

τ

100rn O _ ー 図

7

室沢地区調査地点 S

)f excavations at To■ liza郡/a campu

Fig.7 Location( / 1 キ ヤ ヽ ブ / 野 球場

//)φ

ヽ ヽ

(33)

まとめて、1991年度の年報 において報告する予定である。

(4)川

渡地区の調査 川渡地 区では本調査

1件

を実施 した(町西遺跡第

1地

点、

KWl)。

農学部附属農場 の宿泊施 設新営 に伴 う調査で、町

A遺

跡 な どに隣接す る地点であったため、1988年度 に試掘調査 を行つ た ところ、弥生時代後期 と見 られ る土器が出上 したため、本年度に本調査 を行 うこととなった ものである。本年報では、試掘調査の結果 もあわせて、まとめて報告する。なお、この地点は、 新たに発見 された遺跡であるため、町西遺跡 (宮城県遺跡登録番号36106)と して、新たに登録 されている。 3。 その他 の 調 査 室 の 活 動 1989年度 は、1988年度か ら継続 して実施 したこ の丸跡第

5地

点の調査が完了 し、多 くの成果 が得 られた。それを学内に紹介す るため、第

5地

点の調査成果 を「仙台城二の丸跡 の調査 (そ の5)」 として、『東北大学学報』第1252号に寄稿 した。 また、 これ までの仙台城二 の丸跡の調 査成果 と、古絵図 との対比 について「学内の埋蔵文化財

-3-」

として『広報』配136に寄稿 し た。 また、第

5地

点か らは、元禄年間の紀年 を持つ ものな ど、多 くの木簡が出上 した。 その速 報 のため、『木簡研究』第11号に「1988年度出上の木簡 仙台城二の丸跡 (第

5地

点)」 として 投稿 した。

(34)

H章

二の九跡第

5地

(NM5)付

帯施設区域 の調査

1.調

査 経 緯

(1)川

内地 区の立地 と歴史および1988年度 までの調査 東北大学の附属図書館、お よび文系

4学

部、記念講堂、教養部などが置かれている現在の川 内地 区は、江戸時代の仙台城二の丸跡、周辺の武家屋敷跡などに相当する。 仙台城 は、仙台市街地の西方、広瀬川 を渡 った、通称青葉山の東端 に位置 している (図 1)。 本丸 は、三方 (北 。東・ 南

)を

広瀬川 と竜の口渓谷 に囲 まれた海抜115∼

140mの

急崖上 に立地 してお り、 また北側の二の丸、北東の三の丸 も、それぞれ海抜61∼ 78m、

40mの

階段状 の河岸 段丘面上 にある(奥津春生1967)。 この中で東北大学構 内の二の丸 は、東方を蛇行する広瀬川 に 向かって緩やかに傾斜する上町段丘上 (武蔵野面相当

)に

位置する (図2)。 仙台城 は、慶長

5年

(1600年

)伊

達政宗 によって本丸 の築城が開始 される。 しか し幕藩体制 の安定 とともにその山城的な立地 は不便 とな り、三代藩主忠宗は、寛永15年 (1638年)、 その麓 において二の丸の造営 を始める。 これ以前、当地 には政宗の四男宗泰 (岩出山領主

)の

屋敷が 置かれていた。二の丸の北隣には、政宗の長女五郎八姫の居住する西屋敷が元和

6年

(1620年) 以降存続 している。 二の丸が完成 して後、仙台藩の政治・諸儀式の中心 はここに移 され、二代藩主以降 はその居 館 ともなる。 さらに元禄年間には、四代藩主綱村 によって二の丸は大改造 され、 もとの西屋敷 の敷地 を取 り込んで拡大 され る。その後い くたびかの災害や火災を被 るが、その度 に再建 され、 二の丸 は幕末 まで、事実上仙台城の中枢 として機能 してい く (仙台市教育委員会1967)。 版籍奉還の明治

2年

(1869年

)に

は、二の丸 に動政庁が置かれ、明治

4年

(1871年

)の

廃藩 置県後 は、仙台城が明治政府・兵部省 の管轄下 に移 るとともに東北鎮台 (後に仙台鎮台 と改む) が置かれ る。この頃に本丸の建物群 は取 り壊 されるが、二の丸建物群 は依然 として残 っている。 しか し、 この二の丸建物群 も、明治15年 (1882年

)の

火災 によって、ほ とん どが焼失 して しま う。 その後、当地 には陸軍第二師団が置かれ、敗戦 まで続 くこととなる。敗戦間近の昭和20年 (1945年

)7月

、仙台空襲の際、大手門な どわずかに残 った建物 も焼失 し、仙台城の建物 は全 て失われて しまう。戦後 は米軍の駐留地 とな り、昭和32年 (1957年)、 米軍 より返還 されてのち 東北大学が この川内地区に移転 し、現在 に至 るのである。 仙台城二の丸・ 武家屋敷である川内地 区の発掘調査 は、仙台市教育委員会、東北大学考古学 研究室 によって小規模 な調査が行われた ことがあるが、組織的・継続的に行われるのは、東北 大学 に埋蔵文化財調査委員会が置かれ る1983年度以降の ことである。委員会 による川 内地 区の 発掘調査 は、 これ までに

8地

点 を数 える。 この中で特 に第

2地

点では、二の丸の中心である小

(35)

広間の周辺の建物 と推定 される礎石建物跡が発見 されている。第

3地

点 。第

4地

点 。第

6地

点 では、それぞれ二の丸 の南・ 北東・西の外郭 にかかわ る遺構が発見 されている。第

7地

点では 二の丸東方の蔵 にかかわる遺構が発見 されてお り、第

8地

点では二の丸北側 の堀 (池

)が

発見 されている。 また、第

4地

点の調査では、二の丸造成時の大規模 な整地層の下層か ら、宗泰の 屋敷 に関連す ると考 えられ る遺構 も検出されている (年報1、 3、 4・ 5)。

12)調

査地点の位置 第

5地

点 は、附属図書館 の西側で、グラン ドとして使用 されていた場所である。当地点 は、 江戸時代初頭 には伊達政宗の娘である五郎八姫の居館「西屋敷」が置かれていた場所 にあたる。 五郎八姫 は文禄

3年

(1594年)、 伊達政宗 と正室愛姫 の長女 として生 まれ、慶長

4年

(1599年)

6才

の時、徳川家康 の七男松平忠輝 と婚約 し、慶長11年 (1606年

)松

平家 に嫁 いだ。 しか し忠 輝 は、元和元年 (1615年

)の

大阪夏の陣の際の遅参・ 怠戦 と、家臣による旗本殺害の不謝罪 と によって改易処分 とされ、越後お よび信濃の領地 を没収 され、元和

2年

には伊勢朝熊 に配流 さ れ る。五郎八姫 はこの時、越後高田城か ら江戸 の伊達家下屋敷 に帰 され る。さらに元和

6年

(1620 年)、 五郎八姫27才の時、仙台 に帰 ることとなった。 この元和

6年

に帰仙 した五郎八姫 のために造営 されたのが、西屋敷である。西屋敷 を記 した 絵図面 は、正保2・

3年

(1645・ 46年

)の

「奥州仙台城絵図」が唯―の ものである (阿刀田令 造1986)。 これは城下全体 を記 した絵図であ り、屋敷内の建物 な どの配置 は描かれていない。こ れ によると西屋敷 は、二の丸の北側 に位置 し、東西百三間、南北六十間 とされている。 この絵 図で二の丸 とされている区域 には、二の丸造営以前 には、伊達政宗の四男である宗泰 (後の岩 出山領主

)の

屋敷が置かれていた。宗泰の屋敷 と西屋敷 を区画す ると考 えられ る清跡が、第4 次調査地点の調査 において検 出されている(年報5)。 西屋敷が造営 され る以前 については、「御 西様被成御座候二付。竹被切払御作事御座候」(東奥老士夜話)との記録が あ り、竹林であった ことが伺 える (土生慶子1987)。 寛永13年 (1636年

)に

伊達政宗が死去す ると、 もとの仙台藩奉行茂庭綱元 (了庵

)が

、それ まで住 んでいた愛子村栗生の屋敷 を五郎八姫 に差 し上 げ、 自分 は栗原郡文字村 (現、栗駒町文 字

)に

引 き篭 った。 この愛子村栗生の屋敷 (西館

)と

は、現在 の仙台市青葉 区下愛子栗生 にあ る西館跡 と考 えられ る。 この寛永13年に愛子栗生の もとの茂庭綱元の屋敷 を五郎八姫が譲 り受 けて以降、川内の西屋敷が どのように使われたかについては、伊達治家記録の寛文元年 (1661 年

)5月

12日に、五郎八姫 の死去 について「天麟院殿去ル八 日仙墓城西館二於 テ卒去セラル」 とあることか ら、姫 の死去 まで存続 してお り、愛子栗生の西館 は仮御殿 として別荘的な性格 を もっていた もの と考 えられている (佐藤宏-1987)。 天麟院 とは五郎八姫 の法号である。

(36)

一方、西屋敷の南隣 にあった伊達宗泰の屋敷 の跡 には、寛永15年 (1638年

)に

、二代藩主伊 達忠宗 によって、二の丸が造営 され る。四代藩主伊達綱村 の元禄年間に、二の丸 はもとの西屋 敷の敷地 を取 り込 んで、北側 に拡張 され、もとの西屋敷の敷地 には中奥が置かれる。当地点 は、 この拡大後の中奥の もっ とも北 よ りの部分か ら、中奥の北側 に置かれた「中奥馬場」 にか けて の地点 にあた ると考 えられ る。 中奥の建物群 はたびたび建 て替 えられ、 また文化元年 (1804年

)の

雷火 による二の丸の全焼 な ど、い くたびかの災害で被害 を被 り、その度 に再建 されている。絵図において も、中奥 の建 物群 は細部で は複雑 な変遷 を示 している。 しか し、今回の調査地点 にあた ると考 えられ る中奥 の北辺部分 は、その外郭の位置 はほ とん ど変化がない ことが、各時期 の絵図か ら見て取れる。 明治

2年

(1869年

)の

版籍奉還 に伴 い、藩務 と家務が区分 され、元の藩主伊達慶邦 の家族 は 中奥 に移 され、二 の丸 の表 の建物 は勤政庁 となった。 さらに明治

4年

(1871年

)の

廃藩置県に よって、仙台城が明治政府 の管轄下 に移 り、二の丸 には東北鎮台が置かれ、同15年 (1882年) の火災 による焼失 に至 る。 この版籍奉還以降の当地点の変遷 については、明確ではないが、廃 藩置県以降、軍隊が利用す るようになって、土地利用が大 き く変わった もの と推定 され る。

13)調

査方法 と経過 附属図書館の新館 を増築す ることにな り、まず1985年度 に試掘調査 を実施す ることとなった。 調査 は、既存の附属図書館 の建物 の西側 に合わせて基準線 を設定 し、

4mの

グ リッドを組 んで 行 った。以後、

4次

にいた る調査 は、すべて このグ リッドに基づいて調査 を行 っている。グ リ ッ ド設定の際の基準点の国土座標値 は下記の とお りで、基準線 は北か ら18°10/50″西偏 している (図4)。 原点

NM5-①

X=-193612.285

原点

NM5-②

X=-193610。

729

Y= 1876.546 Y= 1881.283

当初の建物計画 は、既存の図書館の西側全面 に予定 されていたため、1985年度の

1次

調査で は、予定地 にあわせて

1∼ 7区

の調査 区を設定 した試掘調査 を実施 した。 この

1次

調査の結果 を受 けて、建物 は既存図書館西側 の南 よりの位置 に建設 され ることにな り、1987年度 にこの区 域 の調査 を実施す ることとなった。 この1987年度の

2次

調査では、

8区

9区

を設定 して調査 を行 ったが、調査が進行す るにしたがって、当初 の見通 しとは異な り、後世の破壊 を受 けてい ない ことが明 らか にな り、調査計画 は全面的に見直 さざるを得な くなって しまった。結局、既 存図書館 に附属す るサ ンク・ ガーデン部分 を除いた建設予定地のほぼ全域で調査が必要 となっ たため、1988年度 に再度調査 を行 うこととなった。 この1988年度 の

3次

調査が、建物本体 区域 の本調査である。 なお、1987年度 に、既設ガス管の迂回工事 に伴 う調査 も行 っている。

(37)

1989年 度 の

4次

調 査 で は、建 物本 体 に伴 う付 帯施 設 区域 の調査 を行 った。建 物 本体 か ら北側 に、

2本

の排水管 を設置 す る ことに伴 う調査 で あ る。一部 は、1988年 度 に既 に表土 を排除 し、 調査 を開始 して いたが、本体 区域 の調査 が予 定 よ り大 幅 な延長 を余儀 な くされた た め、 この 区 域 の調査 を進 め る こ とが で きなか った。本格 的 に調査 に着手 したの は、本体 区域 の調査が終 了 した後 の、

3月

9日か らで あった。 西側 の10区 は、

L-17区

か ら北 に延 び、

LoM-4区

にいた る調査 区で、排水管設置 に必 要 な深 さまで調査 す る こととし、 それ よ り深 い部分 について は調査 は行 っていない。東側 の11区 は、

D-16区

よ り北側 に延 び る調査 区で あ るが、調査 中 に既設 の排水枡 が存在 す る ことが判 明 したた め、途 中か らルー トを東側 に曲 げ、既設枡 に接続 させ る ことで、破壊 され る範 囲が少 な くな る よ うに した。 これ も排 水管 設置 に必 要 な深 さ まで調査 を行 った。 18列 よ り南側 の本体 区 について は、前年度 の年報6にお いて既 に報 告 した。本年報 で は、4 次調査 の成果 に合 わせ て、試掘調査 な どを含 めて、17列 以北 の区域 の調査結果 を報告す る。 今 回報 告 す るの は、

1区

2区

5区

。10区 。11区・ 12区 で ある。

1区

2区

5区

は1次 調査 で実施 した試 掘調 査 の 区域 で あ る。 10区 は、

4次

調 査 で実施 した、西側 の排水 管 に伴 う調 査 区で、■ 区 は同 じ く東側 の排水管設置 に伴 う調査 区で ある。11区 は1区・

2区

と一部調査 区 が重 な るた め、 この区域 は、

1区

2区

・ 11区 を合 わせ て報 告す る。12区 は、1987年 度 の

2次

調査 の際 に実施 した、既設 ガ ス管 の迂 回工事 に伴 う調査 区で、 この部 分 にガ ス管 の接続部 分 が 置 かれ、掘 削が深 く遺構 面 に達 す るた め、調 査 を行 った もので あ る。 《引用・参考文献≫ 阿刀田令造

1936

『仙台城下絵図の研究』 斉藤報恩会博物館図書部研究報告第四 奥津春生

1967

「仙台城の地形 。地質」Fイ山台城』pp.123∼165 仙台市教育委員会 佐藤宏―ほか

1990 F宮

城町西館跡、利府町郷楽・天神台遺跡』 宮城県文化財調査報告書第123寡 仙台市教育委員会

1967

『仙台城』 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1985

『東北大学埋蔵文化財調査年報』1 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1986

『東北大学埋蔵文化財調査年報』2 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1990

『東北大学埋蔵文化財調査年報』3 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1992

『東北大学埋蔵文化財調査年報』4・ 5 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1993

『東北大学埋蔵文化財調査年報』6 土生慶子

1987

『伊達政宗娘 いろは姫』 東光出版 17

(38)

正コ

1次 (1985年

)調

はほ 「

(1987年

)調

3次 住 悶 朝 阿 4次 仰 酪 瑚年 副 調 査 区 。江 戸 時代 か ら残 る杉 P∞

\こ __ラ /

:

ユ\

8

二 の丸 跡 第 5次 調 査 地 点 調 査 区 の位 置 Fig 8 LOcation Of N 【5 N 15 i.e.Location 5 of^帝 ケ %ο ttα 碗 (SeConndary Citadel)

(39)

北 区20∼ 22列 南区中央部 ―――-63rn 南 区西部 IIb期 Hla期 IIb期 IIa期 元禄年間 ―――-58■n =北区・ 南区共通

=

1層

米軍 。大学による盛土 2a層 10YR3/2黒褐色 シル ト。場所 により礫の多い部分や粘土質 シル トの部分がある。炭化物多 く含む。黄褐 色 シル トなどの不均質に混 ざる部分があ り、細分 される。 2b層 10YR4/6にぶい黄褐色砂。10YR5/2灰 黄褐色 シル トが縞状に入る。 地山 7 5YR5/1緑灰色 シル ト質粘土。一部砂礫が混ざる部分有 り。 こ北区

=

Ш層 10YR5/1褐灰色 シル ト砂。上面に鉄分沈着、炭化物多 く含む。

IV層 10YR5/3にぶい黄褐色砂。2.5YR5/2暗 灰黄色粘土質シル ト・2 5YR5/3黄 褐色 シル トが不均質に混 じる。 小礫含む (下部 に多い)。 炭化物含む。

V層 7 5GY4/1暗緑灰色砂質 シル ト。上面 に鉄分沈着。炭化物多 く含む。褐灰色・黒褐色 を呈する部分があり 細分 される。

=北区18'19列

=

VI層 10YR7/6明 黄褐色 シル ト・ 5 GY6/1オ リーブ灰色シル ト・10YR6/4に ぶい黄橙色粘土質シル トが不均質 に混 じる。上面に鉄分沈着。小礫 を多 く含む。 ⅥI層

細か く細分 されるが、7 5GY4/1暗 緑灰色粘土質シル トを主体 とし黒褐色粘土質シル トが不均質に混ざる 層 と、有機物層が互層になる。人頭大の礫が多 く含 まれる部分や、黄褐色 シル トを含む部分 もある。 ⅥⅡ層 10GY6/1緑灰色 シル ト質粘土 と5 GY4/1暗 オ リーブ灰色 シル ト質粘上が不均質 に混 じる。 =北区20∼ 22列

=

⑥層

細か く細分 される。年報 6図12参照。炭化物・礫 。瓦 。木片を多量 に含む。 ⑦層

細か く細分 される。年報 6図12参照。礫・炭化物などを含む。 ③層

細か く細分 される。年報 6図12参照。部分的に植物の堆積層が入 る。 三南区

=

2c層 10YR4/3にぶい黄褐色 シル ト 炭化物・小礫多 く混 じる。 図

9

二の丸跡第5地点基本層序模 式図

Fig.9 Schelfnatic profiles of Nha15

10区 北 区18・19列

一醐醐

/ ク ′ ′ /

(40)

2.層

序 と時 期 区 分 本体 区の調査で は、場所 によって基本層序の様相が異な り、厳密 に対比で きていない部分 も 残 しているが、大 き く

4期

に区分 された。

I期

は元和

6年

(1620年

)か

ら元禄年間の二の丸改 造 までの西屋敷の時期、

H期

は元禄年間の二 の丸改造の時期、Ⅲ期 は元禄年間の改造 によって 拡張 された後 の二の丸の時期、Ⅳ期が明治以降 に相 当す ると考 えられ る。

I期

H期

・ Ⅲ期 は それぞれ新古の

2段

階 に細分 され る (図9)。 今回報告す る17列以北 の区域 は、本体調査 区か ら大 きく離れ る部分 もあ り、基本層序の様相 も異 なる部分がある。 しか し、時期区分 については、本体調査区での区分 を変 える必要が認 め られ る部分 はないため、本体調査 区での時期 区分 を適用す ることとした。 10区は隣接す る本体北区18。19列と基本的 に同 じ層序であるため、同 じ層名 を使用 している。 その他の調査 区については、それぞれ独 自に層名 を付 けた。 そのため以下の記述では、 これ ら の地 区については、それぞれの遺構や層序が、本体 区の何期 に相 当す ると考 えられ るのかを、 記述す る方法 をとることとす る。

3.検

出遺構

(1)10区

(図10∼12、 図版1・ 2) ① 層序

L∼

M列

で本体北 区に連続す る調査 区であ り、Ⅵ層 までは同様 の層が認 め られ、 ■∼Ⅳ期の 各段階 に対応で きる。 よ り下層 については一部 の調査 なので確実ではないが、

Ia・

b期

に対 応す るもの として矛盾 はないため、同 じ層名 を用いている。 ② 各期の遺構 幅1.2∼

1.5mの

狭 い調査 区のためか もしれないが、各期 とも遺構 の密度 は高い とはいえない。 柱穴 はあって も、建物や塀列 として組 み合 うものは認 め られなかった。 L・

M-6区

では地山上で、北 に落 ちてい く斜面があ り、北側 の堀 の岸であると考 えられ る。 これは最終的に

2層

で埋 め立て られ るが、堀が機能 していた段階 に堆積 した とみ られるA・

B

層 には時期 を推定す る手がか りがな く、 これがいつ形成 された ものか明 らかにで きない。

A I期

(図11) I期の遺構 を検 出 したのは一部深 く調査 を行 った

L-9。

10区のみである。

L-9区

で はI 期 を通 じて北側 に向けて急 に傾斜す る大 きな段差が存在 してお り、西屋敷の北の区画 に関連す るもので はないか と考 えられ る。

Ib期

には

L-9∼

10区にか けて ピッ トが

3基

検 出されている。陶器鉢、平瓦類が出土 して いるが、いずれ も浅 く性格 は明 らかでない。

(41)
(42)

図 35  二の丸築造以前の遺構配置 と 西屋敷の復元………………………… 83 図 36  二の丸跡第 5地 点 全体遺構配置図 (Ib期 )… ………・ 86 図 37  天麟院様元御屋敷図…………・……… 87 図 38  二の丸跡第 5地 点 全体遺構配置図 (Ha期 )… ………・ 9o 図 39  二の丸跡第 5地 点 全体遺構配置図 (Hb期 )… ………。 91 図 40  二の丸跡第 5地 点 全体遺構配置図 (Ha期 )… ………・ 93 図 41  二の丸跡第 5地 点 全体遺構配置図
図 75  武家屋敷跡第 5地 点            図 81  町西遺跡第 1地 点出土遺物 ………・ 156 平面図・ 断面図 ……………………Ⅲ 149   図 82  仙台城二の丸跡第 5地 点出上の 図 76  町西遺跡の位置 と周辺の遺跡 ……・ 150      鮭 に関する木簡 ……………………。 159 図 77  町西遺跡第 1地 点調査 区の位置 …。 152   図 83  元禄四年 『伊達治家記録』 に 図 78  町西遺跡第 1地 点調査区             み られる
表 25  プラン ト・ オパール分析結果……… 65      器種別出土点数 (江 戸時代中期 )― ・ 117 表 26  二の丸跡第 5地 点出土           表 34  仙台城二の丸跡第 5地 点 動物遺存体種名表…… ……………… 66      出土磁器器種別出土点数 表 27  二の丸跡第 5地 点貝類出土表……… 68     (幕 末か ら明治初頭 )・ …………… 117 表 28  二の丸跡第 5地 点魚類出土表……… 69   表 35  仙台城二の丸跡第 5地 点 表 2
図 3  仙台城 二の丸跡 。武家屋敷跡調査地点
+7

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