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ドキュメント内 - 社会関係性の視点から - (ページ 47-52)

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[図表2-2] 1950 年代から 1980 年代に開発された認知症スケール

新福の開発した簡易知能テスト 長谷川が作成した「痴呆診査テスト」

新福尚武ら(1956)「高令者多数村の精神医学的調査」『米 子医誌』, 7(2), pp188より抜粋

長谷川和夫ら(1974)「老人の痴呆診査スケールの検討」『精 神医学』, 16(11), pp965-969より抜粋

MMSE Hachinskiの虚血点数

杉浦孝之(2007)「研究ノート 認知症スクリーニング検 査」『広島専修大学集(人文)』48(1), p362より抜粋

目黒謙一(2008)『血管性認知症 遂行機能と社会適応能力 の障害』ワールドプランニング, p21より抜粋

DSM-Ⅲ-Rによる認知症診断基準の要約

A.記憶(短期・長期)の障害

B.次のうち少なくとも1項目以上

1) 抽象的思考の障害 2) 判断の障害

3) 高次皮質機能の障害(失語・失行・失認・構成障害)

4) 性格変化

C.A・Bの障害により仕事・社会生活・人間関係が損

なわれる。

D.意識障害のときには診断しない(せん妄の除外)

E.病歴や検査から脳の器質的疾患の存在が推測でき る。

日本神経学会監修(2010)『認知症疾患治療ガイドライン 2010』医学書院, p2より抜粋

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d)

治療薬の不在と周辺症状の対処、看護・介護手法の模索(1980年代~2000年代)

1980

年代から

2000

年代にかけて、診断手法については発展みるが、鑑別診断について は脳科学の急速に発展した現在ほど厳密なものではなかった。また、治療に関しては、認 知症に対する根本治療薬は存在しておらず、アルツハイマー病進行抑制薬についても、日 本では

1999

年まで認可されることはなかったため、当時、「問題行動」と呼ばれた周辺症 状に対し、薬物療法や非薬物療法が行われ、中には、精神病治療薬の不適切な投与や拘束、

一方的な非難・指導といった人権を侵害する行為も行われていた(大熊

1981、林崎 1996)

。 新福は、痴呆出現率を

6%とし、痴呆老人の実数を約 42

万人であると推計した。そのう ち、精神病院に入院している患者を約

1.5

万人、老人ホームに入所している患者を

1.5

万人 と見積もり、痴呆老人の大部分は家庭にいると推測した。その上で、家庭で保護できるの であれば、入院主義をとる必要もなく、そのためには、「住宅対策、老人年金制度、老人 医療保障制度、訪問看護婦制度、ホームヘルパー制度などの対策が飛躍的に充実される必 要がある」と指摘していた(新福

1972)。

しかし、1963年に老人福祉法が制定されたが、当時の高齢者介護は身体介護を中心とし ており、認知症高齢者介護への対策は、依然として立ち遅れていた。

1963

年当時、全国

6,621

病院

794,434

床のうち精神病院(単科)は、629病院

136,387

床(一般病院精神科病床含

む)であった。1955年から比較すると、8年間でほぼ

3

倍増となる数値である。また、精 神病床の利用率は

109.7%と、一般病床の 81.2%に対しても高く、過去 8

年間毎年

100%を

超え、病院によっては、許可病床数をはるかにオーバーして入院させていたところもあっ た。金子が

1967

年に行った調査によると精神病院における老人患者

1,556

名中、老年痴呆 であったものは、436名(28%)であり、昭和

28

年に新福が行った調査と比較すると、老 年痴呆患者は増加していた(金子

1973)。その上、さらに 1973

年の老人医療費無料化に より、高齢者の社会的入院は急速に拡大した。

1982

年に老人医療費の無料化が廃止されたが、認知症は、依然として特別養護老人ホー ムの入所要件から外れており、認知症高齢者は、在宅生活が困難となった場合には、老人 病院といわれた特例許可老人病院や精神科病院に入院していた。特定許可老人病院は、

1983

2

月、老人保健法が施行されて制度化されたものである。入院患者数のおおむね

7

割以 上が老人慢性疾患患者であり、医師及び看護職員の配置基準は、一般病院よりも緩和され ていたi(小沼

2007)。

こうした状況に対し、認知症高齢者等の受け入れを拡大するため、医療施策の一環とし て、

1977

年に老人精神病棟の施設・設備整備事業が開始され、1980年には、公衆衛生審議 会から厚生大臣に対して意見具申「老人精神病棟に関する意見」が出された。植田(2001)

によれば、「老人精神病棟に関する意見」は、日本における認知症疾患を含む高齢者の精 神障害対策に関する初めての公式見解であるという。1980年の意見具申では、老人精神病

i 入院患者100人の場合の人員配置基準を一般病院と比較すると、一般病院は医師6名、看護職員25名で あるのに対し、老人病院は、医師3名、看護職員17名、介護職員13名であった。

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棟の必要性について、痴呆・意識障害等に基づく徘徊、夜間不穏、精神運動興奮等の問題 行動を起こすため行動制限を必要とするもののための病棟、精神症状に加えて重度の身体 合併症を伴うもののための病棟の必要性が挙げられ、病床数は

30

床ないし

50

床、病棟の 面積は共通部分を含めて

1

床あたり

23m

2程度といったように、老人精神病棟の施設基準に ついても述べられた。

また、1970年代後半から、一部の病院や施設において、認知症介護手法についても模索 が始まった。当時、精神科の外来受診は、発病から

3

年程経過し、家族介護者が介護に困 難を感じて受診するケースがほとんどであった。聖マリアンナ医科大学神経精神科学教授 であった長谷川和夫は、根本治療薬も進行抑制薬もない状況に対し、「ことにアルツハイ マーの診断は、CTが普及し始めた時ですから、診断は早期にできるわけです。しかし、そ の当時は、お薬が何もありませんでした、アリセプトがまだなかったから。医者としては 本当につらい。無力感というか、恥ずかしいというか。患者さんとその家族に対してもう 申し訳ない気持ちでした。診断はしたけれども、もうこれ以上はここへ来ていただいても、

何も私にはできませんから、もうここへ来ても無駄ですよという感じでした。」、「(ア ルツハイマー病進行抑制薬であるアリセプトが処方できるようになり、)とにかくある一 定のエビデンスを持ったお薬を投与できるということで、真っ当な診療体制になったとい うことです。根本治療薬ではないから、治すわけにはいきませんが、しかし、少なくとも 進行を止めることはできます。『やってみましょう』、『これから一緒に考えるから、何 でも相談して下さい。いつも私は、あなたと一緒にいるから、何でもいいから電話しなさ い』と、とにかくそれが言えます。それが診療だと思います。診断しかできないというの は、医療者とは言い難いですよね。」と、当時のことを振り返っている(片山ほか

2010)。

1977

年には、熊本県にある国立療養所菊池病院(院長:室伏君氏)に認知症高齢者専門 病棟が新設され、1979年には、新潟県長岡市に認知症を専門とする三島病院(院長:田中 政春)が開設された。また、1981年には佐々木健医師らによって、岡山県井原市木之子町 に特別養護老人ホームきのこ荘(50 床)が開設された。きのこ荘では、重度の認知症高齢 者も受入れ、その運営の中で、佐々木医師は専門病院の必要性を感じ、1984年に、岡山県 笠岡市に日本初の認知症高齢者専門病院としてきのこエスポワール病院が開設された

(佐々木

1988)。当時は画期的な手法として注目された回廊式の廊下が設置され、多くの

視察者が訪れた。

そして

1983

年、聖マリアンナ医科大学付属病院精神科にて、日本で初めて認知症高齢者 に対するデイケアが始まった。患者家族は、診療場面で様々な不安や疑問を尋ねるが、そ の全てを回答するには限界があったため、長谷川和夫が、同病院の病棟看護師であった五 島シズに相談し、毎週

1

回、家族介護者のために水曜の会を開催することとなった。

その後、1988年には、痴呆性老人専門治療病棟は、「精神症状や問題行動が特に著しい 老人性痴呆患者に対して、精神科医療と手厚いケアを短期集中的に提供するものであり、

単なる治療だけでなく、在宅療養の指導、デイ・ケアなどのサービスも同時に提供される」

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病棟として制度化されたが(厚生労働省

HP『昭和 63

年版厚生白書』)、整備基準iiをみて みると、1病棟おおむね

50

床、1病室定員を

4

名以下とし、従来型の精神科病棟にあった 保護室や鉄格子を設置しないことが規定されたが、概ね全長

50m

回廊部を有することも規 定されており、認知症高齢者の周辺症状に対応するための模索の様子が伺える。

また、認知症看護においても同様に、認知症の周辺症状に対する模索が行われていた。

1980

年代前半、聖マリアンナ医科大学付属病院精神科に勤務していた五島シズは、全人的 な理解と個別ケアを示しコミュニケーション手法の改善等を示していたが(五島

1983)、

当時これらは広く浸透してはおらず、周辺症状に対し、回廊式の廊下、監視カメラの設置、

つなぎ服を着せたり、鍵をかけて閉じ込めるなど行動制限を行うことが、病院の至るとこ ろで行われていた。この頃のことを永田(2003)。や佐々木(2000)は「ケアなきケアの 時代」と呼んでいる。

[図表2-3] 認知症高齢者の医療・看護・介護・内容の変化

佐々木健(2000)「痴呆グループホームの意義」『Modern Physician』20(5), p600より抜粋

ii 痴呆性老人専門治療病棟及び痴呆性老人デイ・ケア施設の施設整備基準について(昭和六三年七月五日、

健医発第七八五号、各都道府県知事あて厚生省保健医療局長通知)

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