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65 b) 小規模ケアへの取り組み

ドキュメント内 - 社会関係性の視点から - (ページ 65-74)

1990

年代に入ると、施設における小規模ケアの取り組みが試みられ、グループホームや 宅老所へと展開していく。その代表的な取り組みが、島根県出雲市にあることぶき園(1987 年開設)、函館市シルバービレッジあいの里(1991年開設)、秋田県秋田市にある今村病院 のグループホーム(1990年、1993年開設)である。

欧米の高齢者施設では、大規模収容のケアの質の低さや不合理性の反省から、グループ ホームの実験的な試みがフランス、イギリス、スイスなどで行われ、その後アメリカ、ス ウェーデン、デンマークへと発展していた。スウェーデンでは

1985

年には、認知症高齢者 に対する新しいタイプのより人間らしい生活のできる居住をつくるというプロジェクトの 一環として、グループホームでのケア方式が始まり、一年後には、社会庁より調査を受け

『モータラのバルツァルゴールデンからの報告書

PM161/87』としてまとめられ、人間的

な優れたケア形式の一つであると評価されていた。日本においても、海外の取り組みを参 考にしながら、独自に認知症高齢者に対する小規模ケアの実践が広まっていく。

島根県出雲市にある小規模多機能型老人ホームことぶき園は、園長槻谷和夫が、特別養 護老人ホームに

11

年勤務の後、家族の近くで暮らしたいという願いを受け、在宅の延長線 上にある生活の場として、1987年に開設した(今村ほか

1994)

。一般的な住宅よりやや大 きめの平屋で、入所定員

8

名のホームである。「小規模多機能」を日本で初めて名乗った施 設であるとも言われている(甘利

2005)

。槻谷は、小学校区単位に定員

5~10

名までに小 規模なホームをつくり、ショートステイや入所を頼みやすいと考え、ことぶき園の理念を 参考にその後、「里家プラン」という出雲市独自の事業が発足された。

北海道函館市にあるシルバービレッジ・グループホーム(有料ホーム)あいの里は、30 数年病院で看護師をしていた林崎光弘が、病院での老人医療に疑問をもち、老人の決定権 が優先される生活の場として、1991年に開設した(林崎

1993)

。林崎は、病院や大型施設 では、個々のニーズよりも集団の規模やペースが優先されるため、さまざまな規則や画一 化があり、これによって、老人の生活時間は施設時間に変られ、痴呆性老人の「徘徊」「怒 り」「一方的ふるまい」をはじめとする混乱状態が引き起こされたり、助長されたり、本来 は本人にあるべき様々な決定権も、本人の知らない間に施設職員や家族に移行し、本人の 本音はどこかに消えていたと、当時の状況を振返っている(林崎

1996)

。こうした状況に対 し、林崎は、安らぎのある生活を提供できる新しい形の施設を自分の手で作ってみたいと、

1980

年代前半にフランス、イギリス、スイス、イタリア、アメリカなど計

30

数か所の施 設を見てまわり、1991年にグループホーム(有料ホーム)あいの里を開設した。入居者の 中には、混乱期をあいの里で過ごし、周辺症状が緩和し、状態が落ち着いたために自宅へ も戻った人もいるxiv。また、本人の馴染んだ暮らし方や、本人が不安定になったときに落ち

xiv こうしたケースは、開設後4年間で退去した22名のうち9名であった。こうしたケースでは、入居し ている間に、介護で混乱しきった家族の暮らしを立て直したり、家族は、本人への関わりや思いを見つ め直したり、面会に来るたびにスタッフの対応や説明に触れて、認知症の理解を深めたり、ケアのこつ を覚え、もう一度家で介護する意欲を蘇らせたという。

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着けることや物、場、会話内容などの情報をもとに、ゆったりと安心して過ごせる環境や 関わり方をあらゆる場面の中で作り出していくという介護手法も検討された。

秋田県秋田市にある今村病院の今村千弥子医師は、病院内で認知症高齢者が十分なケア も受けず、臭うような姿でたたずんでいる様子を見て、改善に向けて、精神医療をスタッ フと一緒に学び、他の病院や施設を見学し、1982年には認知症高齢者のためのデイケアを 始め、1989年に痴呆疾患専門治療病棟も開設した。痴呆疾患専門治療病棟のあり方を試行 錯誤しているうちに、入院治療が必要なのは、認知症高齢者のうちのごく一部であり、ご く一時期であることがわかり、受け皿とマンパワーと研修さえあれば、施設でも在宅でも、

どこでも生活が可能であることを確信した(今村

1994)。しかし、実際は、患者の家族は

介護に疲れきっており、在宅介護を続けるのは困難であった。そこで今村は、病院から徒 歩

15

分の場所にある

3K

の一軒家で認知症高齢者グループホームを始めた。グループホー ムの有効性は、精神障害者のケアでも評価されていたが、1990年に始まったこの実践は、

住宅構造への配慮不足、対象人数の少なさとスタッフ人数の少なさ、受診・往診の不便利 さ、スタッフや家族への教育とトレーニング不足等によって失敗に終わり、1992年に閉鎖 した。その後、これらの改善を行い、1993年に、今村は、認知症のある女性高齢者

4

名を 自宅に引き取り、介護職員

1

名と今村の息子

2

人と計

8

人で共同生活を始めた。家庭的な 環境は、認知症高齢者に対して家事を中心とした生活リハビリ効果を生み出すこともわか り、同年には、第

3

号となるグループホームもみの木の家が開設された。

このように、1980年代に、フランスやイギリス、スイスにおいて試みられたグループホ ームケアは、アメリカ、スウェーデン、デンマークへと広まり、日本でもグループホーム ケアやグループリビングケアといった小規模ケアとして展開された。そして、1990年代前 半までの日本の小規模ケアへの取り組みは、認知症高齢者を受容し理解することを基礎と し、大規模施設における環境や集団生活、画一的な介護による症状の悪化を抑え、これま での本人の生活の様子を知り、できるだけ住み慣れた生活様式を取り入れることで、認知 症高齢者にとって安心して過ごせる環境を作り出そうという手法であった。この手法は、

1997

年には痴呆対応型老人共同生活援助事業として制度化され、外山義をはじめとする高 齢者の住環境・空間研究へと発展する。

c)

在宅生活の認知症高齢者に対する宅老所の取り組み

認知症高齢者の受け入れに尽力した施設がある一方で、同時期には、人権を欠いた処遇 を行っている精神病院には入院させたくないという家族の想いや在宅介護を継続したい

(継続せざるを得ない)家族介護者に対するサービスも始まった。

前述の特別養護老人ホーム山水園では、東京都が他の地方自治体に先駆けて

1981

年に開 始した痴呆性老人短期保護事業を受託する以前から、独自にショートステイを始めており

(石井

1986)、他にも、前述の通り、 1981

年には、サンビレッジ新生苑が認知症高齢者向

けのデイサービスを始めたり、1982年に、今村病院が認知症高齢者向けのデイケアが始め

67

たり、1983年には聖マリアンナ医科大学付属病院精神科がデイケア水曜の会を始めた。

こうした活動が、病院や特別養護老人ホームで広がっていく一方で、同時期に日本各地 で、宅老所の活動も始まった。

1983

年、群馬県高崎市箕郷町にある老人健康管理センター・

みさと保養所(現・デイサービスセンターみさと)は、呆け老人をかかえる家族の会(現・

認知症の人と家族の会)群馬県支部の田部井康夫や加藤道子らによって開設された。日本 での宅老所の始まりといわれているが(平野

2000)、老人健康管理センター・みさと保養

所の代表であった加藤道子が、1980 年から自宅の電話で始めた電話相談xvは、その後、家 族が集い相談する場として、呆け老人をかかえる家族の会群馬県支部へと展開し、老人健 康管理センター・みさと保養所設立へと至った。元小学校の校舎として使われていた二教 室分のプレハブを利用し、電話相談事業「呆け

110

番」とデイサービス事業を行った。電 話相談では、デイサービスにつなぐ役割も担っており、デイサービスによって、家族介護 に対する過重な負担の軽減を図った(松井ほか

1987)。

その後、福島県郡山市にある愛の郷フランシスコの家(1985年開設)、埼玉県坂戸市に ある元気な亀さん(1986年開設)、青森県八戸市にある痴呆老人援助専門ミニホーム紬の 家ザ・セカンド(1986年開設)、千葉県支部による稲毛ホワイエ(1987年開設)、福岡県 福岡市にある宅老所よりあい(1991年開設)、富山県富山市の民間デイサービスこのゆび とーまれ(1993年開設)等の開設へと広がっていく。

青森県八戸市にある痴呆老人援助専門ミニホーム・サンシティ八戸紬の家および紬の 家・ザ・セカンドは、澤向裕子と夫の澤向忠の個人事業、無認可の個人経営のミニホーム という形で始まった(今村

1994)

。澤向裕子は、11年間国立療養所八戸病院で重度心身障 害児(者)の病棟指導員として勤務していたが、その中で、子どもの希望やニーズに対応 する際、組織が大きいために即時性を失っていることに歯がゆさを感じ、ミニホームの構 想が生まれ、また、その対象を、当時、一番深刻な問題として捉えていた認知症高齢者の 介護とし、1985年に古い民家を増改築し、定員

7

名の痴呆老人援助専門ミニホーム・サン シティ八戸紬の家を開設した。またその後、紬の家で他界した利用者の家族の協力で、遺 産であった家屋敷を提供され、居室棟を増築し、1988 年に定員

23

名の紬の家・ザ・セカ ンドを開設した(指田

1993)

また、福岡県福岡市にある宅老所よりあいは、1991 年、下村恵美子が、ある

92

歳の女 性との出会いにより、同じ特別養護老人ホームで働いていた

2

人の女性職員と一緒に、寺 の茶室を借りて開設した。下村は、認知症の祖母の介護と母の看護経験から、福祉大学に

30

歳を過ぎて入学し、その後デイサービスや特別養護老人ホームで働いていたが、排泄介 助より訓練などのその場のプログラム進行が優先されたり、つなぎ服を着用させる当時の

xv 加藤(1987)は、電話相談を始めた理由として、「老人に接することに慣れている老人ホームの職員で さえその対応に窮している現状ならば、在宅にいる「呆け老人」は、家族にとってはより一層介護が難 しく、毎日毎日を苦しみもがいているのではあるまいか。家族にとっては「呆け」という病気の理解と 認識ができないまま、老人の常識から逸脱した言動に振りまわされ、介護の方策が見出せずに疲れ切っ ているのであろう」と家族介護者の疲労や苦悩を察してのことだと述べている。

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