本章では、社会関係性がなぜ重要なのか、日本における認知症高齢者介護の歴史につい て、医療と介護の両面から体系的に整理した上で、これまでの日本の認知症高齢者介護の 変遷を反省的に捉え、現状と今後の課題について示す。第
1
節では、1960 年代から1990
年代の実践を検討するにあたり、その背景として、戦後から現在まで、どのような診断方 法や治療、看護が行われてきたのか、その変遷をたどり、認知症高齢者介護が社会問題化 した背景を明らかにする。また、第2
節では、地域課題として認知症高齢者介護が認識さ れ、宅老所を中心に認知症高齢者の生活の継続性を重視した実践が広まりをみせたことに ついて、社会関係性という視点から再評価する。第1節 社会問題としての認知症高齢者介護とその背景
1)日本における認知症研究の始まりと診断方法・スケール・治療の変遷
認知症とは、何らかの原因により脳に器質性の異常が起こり、一度発達した知能が後天 的に障害された状態が慢性に持続し、日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状 態のことである(日本神経学会
2010)
。認知症の原因疾患には、アルツハイマー病、レビー 小体型認知症、前頭側頭葉変性症をはじめとする神経変性を引き起こす疾病や脳血管障害 を引き起こす疾病が挙げられる。アルツハイマー病の進行抑制薬については、日本でも、1999
年に塩酸ドネペジル(アリセプト錠)が認可され、2011
年にメマンチン塩酸塩(メマ リー錠)、ガランタミン臭化水素酸塩(レミニール錠)およびリバスチグミン(イクセロン パッチ、リバスタッチパッチ)の処方が認可されているが、神経変性を引き起こす疾病に 対する根本治療薬は、現在も存在しない。本節では、1960 年代から1990
年代の実践を検 討するにあたり、その背景として、戦後から現在まで、どのような診断方法や治療、看護 が行われてきたのか、その変遷をたどる。a)
認知症研究と診断(1950年代)1950
年代、日本の精神医学は、アメリカの精神分析学やジェロントロジーの影響を受け、認知症(当時は老年痴呆)は、老年期の精神病として精神神経科や精神病院にて臨床診断 が行われた。組織病理学および解剖学によって、老年痴呆は、動脈硬化性痴呆やピック病、
アルツハイマー病と区別されたが、臨床診断ではその鑑別は難しく、CTや
MRI
の画像診 断が導入される1970
年代後半まで、他の疾病との鑑別だけでなく生理的な老化との区別も 難しい状況が続いた(猪瀬1957)
。また、診断にあたっては、記憶障害、記銘力の低下、性 格変化を主な診断項目としていたが(猪瀬1954)、老年痴呆と診断するにあたってのスケー
ルも、まだ存在しなかった。1950
年には、私宅監置の廃止や都道府県に精神病院の設置義務をうたった精神衛生法が45
制定され、1954年には、厚生省により第
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回精神衛生実態調査が実施された。この調査で は、全国に精神障害者が130
万人、そのうち60
歳以上の高齢者が約12
万人いると推計さ れ、さらにその約8
割が、老人性痴呆、脳動脈硬化性精神障害、脳卒中後遺症などである と報告された(厚生省公衆衛生局1965)。しかし、当時は、精神神経科の外来や精神病院
での認知症患者数も少なく(新福1956a、1956b)、猪瀬(1957)によれば、「ひどくぼ
けて、時に素人にもわかるほどの精神異常を示す老人もいるが、そのような人々が精神病 院や神経科を訪れることもなくて、家庭で看護されて一生を終ることも少なくない」状況 にあり、受診・入院する患者は、中重度に進行した後であった。例えば、田辺子男(1954)の戦後入院患者
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例の報告をみてみると、全症例が對語記憶試驗法を実施するのも難しい 程、認知機能の低下や妄想幻覚等がみられる状態であり、入院時に既に記憶障害の他に徘 徊や被害妄想、幻覚等の症状が現れている患者が約半数であったという。また、猪瀬(1957)の症例報告(器質性痴呆であり高度の痴呆と診断された
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歳男性の症例)をみても、家族 に対する暴力行為が出始め、家族介護によって負担しきれない状態となった為、入院とな った様子がわかる。こうした状況について、新福(1955)も独自に医療機関調査を実施し、欧米に比べ日本 は、老年痴呆患者数の少ないことを指摘している。またその原因として、①患者の多くが 放置または家庭において保護されている上、経済的貧困や社会福祉施設の未発達なども加 わり、医学的診療を受けることを抑制していること、②老年痴呆と生理的老耄とのあいだ の厳密な境界は少なくも臨床には設定されていない上、日本における精神病院の社会的役 割に違いがあること、③日本の家長主義的家族構造による家族の許容、敬老的社会風習が、
老人の対人的葛藤、経済的負担、心理的圧迫の少ないものにしていることを挙げている。
b)
実態調査と認知症スケールの開発(1950年代~1970年代)1950
年代後半になると、在宅の認知症高齢者に関する調査が行われ、その過程で、認知 症の診断スケールが開発された。新福は1955
年~1958年に老年痴呆患者数について、島 根県隠岐島にある黒木村、知夫村、海士村の3
地域において実態調査を行い、その結果か ら、日本において家庭にいる60
歳以上の人のうち、精神病有病率は5~10%と推定した(新
福
1956、新福 1958、新福 1959)
。さらに脳器質性精神障害の有病率は3~6%、老年痴呆
発症率は約
1.5%以下であると推測されることも報告しており、これが日本で初めて報告さ
れた老年痴呆患者発症率となった。また、この調査では、老年痴呆の診断に、知能テスト 結果と面接所見が用いられ、その判定は全て新福が行った。そしてその際使用したテスト が、新福の開発した簡易知能テストである。また杉村(1959)も、奈良県橿原市八木町にて
60
歳以上の人696
名に対し、戸別訪問 調査を行い、老人性精神病患者数について調査を行った。その結果、「精神障碍者」に該当 した人は44
名おり、そのうち「老人性痴呆及びその疑いあるもの」は15
名(2.16%)で あった。この際、杉村は、「精神障碍者」の判断を行うため「情意の障碍」、「知的能力の障46
碍」、「病的精神症候」で構成される判定基準を作成した。
1968
年には、新福は慈恵医科大学に赴任し、長谷川和夫らとともに東京都内の養護老人 ホームおよび特別養護老人ホーム他、計11
施設・病院1,241
名を対象に精神保健の実態調 査を行った(長谷川2007)
。この調査では、Anderson の精神診査スケールを用い、結果、認知症の有病率は、養護老人ホームが
6.5%、軽費老人ホームが 5.6%、特別養護老人ホーム
が
48.9%、老人病院 21.1%であった。新福らは、翌年にはさらに対象を広め、全国 904
施設(養護老人ホーム・特別養護老人ホーム・軽費老人ホーム)計
5,533
名に対し、「精神医 学的実態調査」を実施し、特別養護老人ホームでは41.0%に、養護老人ホームでは 6.1%に
痴呆が認められたと報告した(長谷川1970、新福 1972)
。新福は、新たにスケールを開発するにあたって、当時同大学の精神科講師であった長谷 川和夫に依頼し、長谷川は、
MSQ(Mental Status Questionnaire)や Anderson
とIsaacs
の 開発した痴呆診断スコアを参考にし、「精神診査スケール」を作成した(長谷川2007)
。さ らに実態調査を重ねる中でこれに改良を加え、WAIS(ウェクスラー成人知能検査)との相 関にて妥当性を検討しながら、1974
年に長谷川式簡易知能評価スケール(HDS)を発表し た(長谷川ら1974)。
また同時期、アメリカでは、1975年にフォルスタインらによって開発されたミニメンタ ルステート検査(MMSE)が発表され、その後、アメリカ精神医学会によって、1980年に
「精神障害診断基準(DSM-Ⅲ)」、1987年に
DSM-Ⅲ-R
が発表された。c)
スケールの活用とCT、MRI
による画像診断の始まり(1980年代~1990年代)1970
年代~1980年代にかけて認知症の症状に関するスケールの開発や改良、診断基準の 議論が行われた。その中で、1980 年代~1990 年代に日本でよく使用されたものとして、1974
年に発表された長谷川式簡易知能評価スケール(HDS)、1987
年にアメリカ精神医学会 から発表されたDSM-Ⅲ-R
が挙げられる。長谷川式簡易知能評価スケール(HDS)は、見当識(時・場所)、記憶連想、記憶記銘、一 般常識、計算を問う11問で構成され、各設問点数は重み付けされている。1991年には、改 訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)が作られ、2004年には長谷川式認知症スケール
(HDS-R)と改名し、現在も広く使用されている。
また、
DSM-Ⅲ-Rは、 1980年代に認知症の診断に使用され、原因疾患の鑑別診断のスケー
ルHachinskiの虚血点数と一緒に用いられた(目黒2008)。
Hachinskiの虚血点数では、 4点
以下がアルツハイマー病、7点以上が血管性認知症、その中間が混合型認知症と診断された。
また同時期、1970年代後半から
1990
年代前半にかけて、医療現場にCT
やMRI
が導入 されたことにより、認知症においても画像診断が進んだ。1968 年、Hounsfield らによりCT(computed tomography;コンピューター断層撮影)が開発され、1972
年に最初の臨床装置として