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Brown & Levinson(1987)のポライトネス理論の批判的検討

第1章  本研究の理論的枠組み

1.2 Brown & Levinson(1987)のポライトネス理論の批判的検討

Brown & Levinson(1987)のポライトネス理論は現在最も説得力のある理論として知ら れている7。これを受け継いだ研究が様々な言語を対象として行われている。一方では、

Brown & Levinson(1987)のポライトネス理論についてこれまで様々な批判もなされてき た。この節では、Brown & Levinson(1987)のポライトネス理論に関する様々な批判の中 で、次の2点を中心に議論する。

[1] Brown & Levinson(1987)のポライトネスは明確に定義されていない。

(Fraser1990, 고인수Go In-Su1996, Meier1997など)。

[2] Brown & Levinson(1987)の理論では、ポライトネスの度合いが実証的に示されていな いため、日本語と韓国語におけるストラテジー間や同一ストラテジー内のポライトネス の度合いが比較できない8

7 井出等(1986), Fraser(1990), Holtgraves&Yang(1992), 野呂(1996), 小泉(2001), 銅直(2001), 김영실Kim Yeong-Sil(1996)などを参照。

8 [2]の問題は、次の2つの批判をもとにしている。1つは、「Brown & Levinson(1987)では、ポライトネ スの度合いが実証的に示されていない」(Fraser1990, 岡本1997)という批判である。もう1つは、

「Brown & Levinson(1987)の理論では敬語体系を有する言語における言語使用がうまく説明されていな

上記の問題以外にもBrown & Levinson(1987)のポライトネス理論における普遍性の問 題(Matsumoto1988, 김영실Gim Yeong-sil1996など)があるが、ここでは直接的に扱わず、

Brown & Levinson(1987)の考え方に従い、ポライトネス現象、フェイスの概念は、日韓 両言語にも存在する普遍的なものとして捉える立場をとる。[1]、[2]の問題を踏まえて、日 本語と韓国語の言語行動を比較分析するための本研究におけるポライトネスの捉え方を示 す。以下、[1]、[2]それぞれの問題について、研究を引用しながら、述べる。

Fraser(1990)は、Brown & Levinson(1987)ではポライトネスの概念が明確に定義されて

いないと指摘している。また、고인수Go In-Su(1991)はBrown & Levinson(1987)のポラ イトネスの概念は明確に定義されていないために、Brown & Levinson(1987)の用いた用 語 に 関 連 す る 文 脈 を 通 し て 推 論 し な け れ な ば ら な い と 述 べ て い る 。Brown &

Levinson(1987)のポライトネスは近年よく用いられる言葉でありながら、明確に定義され ておらず、Kasper(1990), 宇佐美(2003), 北尾・北尾S(1988)などによって様々な定義がな されている。

Kasper(1990)は、「Brown & Levinson(1987)のポライトネスはFTAを軽減するために 取られる補償行為として定義される」(p. 194)としている9。また、宇佐美(2003)は、「Brown

& Levinson(1987)の言うポライトネスとは円滑な人間関係を確立・維持するための言語行 動すべてを指すもの」(p. 119)であると述べている。また、北尾・北尾S(1988)によれば、

「ポライトネスはコミュニケーションにおいてお互いの人間関係をより円滑にし、効果的 なコミュニケーションを行うためのストラテジー(手段)であり、(中略)コミュニケーシ ョンの相手と親密な関係を保ち、相手に負担をかけないようにして所期の目的を果たす手 段で、コミュニケーションにおいて重要な役割を果たしている」(p. 52-53)としている。こ のように、研究者によって、ポライトネスに関する様々な定義が行なわれているが、これ らをまとめると、ポライトネスとは相手のフェイスを脅かさないようにして、円滑な人間 関係を行うために役立つものであると思われる。

Brown & Levinson(1987)のポライトネスの定義が捉えにくいのは、上記のようなポラ イトネスそのものの定義にあるというより、以下の2つの理由が考えられる。

1 つは、ポライトネスが具体的に実現されるストラテジーが示す意味が非常に多様であ い」(Matsumoto1989, 宇佐美1993など)という批判である。

9 筆者訳による。

ることが挙げられる。Brown & Levinson(1987)の言うポライトネスは、5つのストラテジ ーの中で1つを選択してフェイスを守ることであり、ポライトネスはこの5つのストラテ ジーによって支えられている。この 5 つのストラテジーの中で「ポジティブ・ポライトネ ス」、「ネガティブ・ポライトネス」、「オフ・レコード」には下位ストラテジーがある。下位 ストラテジーにはnps5「敬意を示せ」、pps4「仲間グループのマーカーを用いよ」、ors12

「曖昧に表現せよ」などがあり、ポライトネスを単に「丁寧さ」、「礼儀正しさ」という定 義では捉えきれないところがある。

もう1つは、Brown & Levinson(1987)のポライトネスとストラテジーとの関係の捉え 方に問題があることが挙げられる。前述したように、Brown & Levinson(1987)は「力」、

「社会的距離」、「負担の度合い」の合計が大きくなるほど、「フェイスを脅かす度合い」が 高くなり、「フェイスを脅かす度合い」が高くなるほど、よりポライトなストラテジーが1 つだけ選択されるとしている。しかし、この捉え方では、次の2つの問題が説明できない。

第一の問題は、「1つの言語行動に上位のストラテジーが同時に用いられる場合がある」

ということである。Lim, Tae-Seop(1988)の指摘にもあるように、1 つの言語行動の中に npsとppsが同時に用いられることがある10。以下、1つの言語行動の中にppsとnpsが 同時に用いられる例を示す。

{教官からの依頼に対する断わりとして}

(1)やりたいことは山々ですが、その日は用事があるので、すみません。

(1)の「やりたいことは山々ですが」は、pps9「聞き手の欲求を理解し、関心を持ってい ることを想定せよ、もしくは、示せ」に当たる。「その日は用事があるので」は、pps13「弁 明を求めよ、もしくは、せよ」に当たる。そして、「すみません」は、nps6「謝罪せよ」

に当たる。例(1)は聞き手の「ポジティブ・フェイス」を脅かす断わりであるが、「ポジテ ィブ・フェイス」に向けられる pps だけでなく、nps も組み合わされて用いられている。

10 Lim, Tae-Seop(1988)は「ポジティブ・フェイス」と「ネガティブ・フェイス」が脅かされる場面で発

せられたメッセージを分析している。その結果、400人の被験者のうち、そのメッセージにpps nps の両方が含まれているのが、289人であり、npsだけを用いている人が87人、ppsだけを用いている人 11 人、何も用いていない人が 13 人であると述べている。また、강길호 Gang Gil-ho(1992)

Thomas(1995)、松村(1999)でも1つの言語行動の中にnpsppsが混合して現れることがあるという指

摘がなされている。

{友人からの依頼に対する断わりとして}

(2) 아, 진짜 미안한데, 다음에 맛있는 거 사줄께.

(あ、本当にわるいけど、今度、おいしいものおごるね。)

「미안한데」(わるいけど)は、nps6「謝罪せよ」に当たり、「다음에 맛있는 거 사줄께」

(今度おいしいものおごるね)は、pps10「提案、約束せよ」に当たる。例(2)の言語行動 においてもppsとnpsが同時に用いられていると考えられる。このように、実際の言語行 動には複数の上位ストラテジーが組み合わされて用いられる場合があるが、Brown &

Levinson(1987)の捉え方ではこの問題が説明できない。

第二の問題は、「上位ストラテジーを一律に比較できない場合がある」ということである。

岡本(1997)の指摘にもあるように、「ポジティブ・ポライトネス」と「ネガティブ・ポライ トネス」を一律に比較できないことがある。例えば、天気の話題などのように、聞き手が 同意できそうな話題を提供して、意見の同意を求めるという pps5「同意を求めよ」と、

nps6「謝罪せよ」を比較したとき、前者より後者の方がよりポライトであると単純には決 められない。また、pps6「反対意見を避けよ」とors4「控えめに述べよ」のどちらがより ポライトネスを示すか、決められないところがある。

上記の2つの問題は、5つのストラテジーの序列を「フェイスを脅かす度合い」という 1次元上に位置づけることができるという想定から生じる11。しかし、このようなBrown &

Levinson(1987)の見解を批判している研究の指摘のように12、「フェイスを脅かす度合い」

によって5つのストラテジーの序列が常にできるとは限らないと考えられる。

以上から、Brown & Levinson(1987)のポライトネスの定義が不明確になっている理由 を以下のようにまとめることができる。

11 Holtgraves & Yang(1990)は、依頼の場面でBrown & Levinson(1987)のストラテジーがポライトであ ると知覚される程度をアメリカ人と韓国人の被験者に評定させた。Brown & Levinson(1987)のストラテ ジーはポライトネスの程度によって序列化されているという結果が得られたとしている。しかし、これは、

典型的な一部のストラテジーのみの評定によって得られた結果である。したがって、Brown &

Levinson(1987)が提案したストラテジーの序列化は部分的には検証されたと言えるが、全面的に立証され たとは言えない。

12 松村(1999)、Fraser(1990)を参照。

[1-1] 「ポライトネス・ストラテジー」の意味が非常に多様である。

[1-2] 「ポライトネス・ストラテジー」の捉え方に問題がある。

[1-2]は以下の2つの具体的な問題を含んでいる。

[1-2-1] 1つの言語行動に複数の上位ストラテジーが同時に用いられる。

[1-2-2] 「フェイスを脅かす度合い」という1次元の軸上では、上位ストラテジーを

単純に比較できない場合がある。

次に、[2]「Brown & Levinson(1987)の理論では、ポライトネスの度合いが実証的に示 されていないため、日本語と韓国語におけるストラテジー間や同一ストラテジー内のポラ イトネスの度合いを比較できない」について詳しく見て行く。例えば、nps3「聞き手の返 答を悲観的に考える立場を表明せよ」とnps4「聞き手にかける負担を最小化せよ」のどち らがよりポライトであるか、判断し難い。

{先輩に本を借りる場面}

(3)これ、貸していただけませんか。

(4)これ、ちょっとお借りしたいんですが。

(3)の例は本を貸すという聞き手の行動が実現される状況に対する疑問を表すストラテ ジーであるため、nps3「聞き手の返答を悲観的に考える立場を表明せよ」の例になる。(4) の例は聞き手にかける負担を最小限にするため、「ちょっと」を用いて短い期間に本を借り たいことを示すストラテジーであるため、nps4「聞き手にかける負担を最小化せよ」の例 になる。この2つの例を見ても、どちらがよりポライトであるか否か判断に迷うところが ある。

また、nps3「聞き手の返答を悲観的に考える立場を表明せよ」の中にも、日本語と韓国 語では「貸してくれませんか」、「貸していただけませんか」、「貸してくれないか」、

「빌려줄 수 있습니까」(貸してくれませんか)、「빌려줄 수 있어」(貸してくれる?)の ようなポライトネスの度合いの差が存在している。Brown & Levinson(1987)では、この 問題について言及されていないため、ポライトネスに関わる日本語と韓国語の研究ではこ

ネスの捉え方を次の節で示す。