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文末表現「ノダ」、 「것 같다(geos gata)」とポライトネス

第2章  問題の所在と研究方法

2.1.1 文末表現「ノダ」、 「것 같다(geos gata)」とポライトネス

断わりの場面で用いられる文末表現として日本語では理由を説明する「ノダ」2、韓国語 では推測を表す「것 같다(geos gata)」3がある。元智恩(1999a 未公刊)では、「談話完成テ スト」から得られた日本語と韓国語の断わりの言語行動を分析し、日本語の文末表現「ノ ダ」、韓国語の文末表現「것 같다(geos gata)」が多用されていることを示した4。しかし、

推量を表す文末表現「것 같다(geos gata)」と対応している日本語の文末表現「ヨウダ」、

「ミタイダ」5は3例しか用いられておらず6、「ノダ」と「形式名詞+指定詞」という形態 的な類似点のある韓国語の「것이다(geosida)」は用いられていなかった7。さらに、表現の

1 久野(1973), 寺村(1984), 益岡(1991), 野田(1997, 2002)によれは、「ノダ」の意味・用法は「説明」であ るという。

2「ノダ」の機能にはいろいろなものがあるが、本研究では事情や状況を説明する機能を中心に分析する。

これは野田(1997, 2002)の対人的ムードの中の関係づけの「ノダ」に該当する。ここでの「ノダ」は、「ノ ダ」、「ノデス」、「ンデス」、「ンダ」などを代表する形として扱い、これらの待遇上の違いは見ないことに する。

3 「것 같다(geos gata)」に関する従来の研究では、主体推測のモダリティ(김동욱Gim Dong-Ug2000)、

推定(구연미Gu Yeon-Mi1992)、推測(전나영Jeon Na-Yeng 1999)、擬似判断(이기종Lee Gi-Jong1996)

などのように、不確実な判断を示す推量表現として定義されている。

4 日本語の文末表現「ノダ」が140回用いられ、韓国語の推量の文末表現「것 같다(geos gata)」が111 回用いられている。元智恩(1999a)では「ノダ」と「것 같다(geos gata)」の1人当たりの使用平均値(使 用頻度÷人数)を示したが、本研究では、便宜上、使用頻度に置き換えて示す。

5 「ようだ」と「것 같다(geos gata)」の対応関係については김동욱Gim Dong-Ug(1993)、高銀振(1997) で詳しく述べられている。

6 断わりの場面で話し手自身の行動について述べる場合に「ミタイダ」「ヨウダ」が用いられると、不自 然な表現になると思われる。例えば、「今日は用事がありまして、お手伝いできないようです/みたいで す」という表現は、不自然である。

7 日本語の文末表現「ノダ」と韓国語の文末表現「것이다(geosida)」は、「形式名詞+指定詞」という形

丁寧度に関する意識を問う質問紙調査を通じて、「ノダ」文と「것 같다(geos gata)」文は、

それらのつかない文より丁寧度が高いとし、「ノダ」、「것 같다(geos gata)」と丁寧さとの 関連を示した(p. 51-52)。一方、断わりの場面に特化したものではないが、McGloin(1983) は、「ノダ」とポライトネスとの関連、이한규Lee Han-Gyu(2001)は、「것 같다(geos gata)」

とポライトネスとの関連について指摘している。上記の先行研究から機能的には対応して いない「ノダ」と「것 같다(geos gata)」が、断わりの場面でポライトネスを表すという機 能において共通点があることが分かる。

本研究では、形式的・意味的に対応していない「ノダ」と「것 같다(geos gata)」が、共 にポライトネスを表すという機能を持つという仮定のもとに、断わりの場面で用いられた これらの文末表現とポライトネスとの関連を明らかにする。「ノダ」、「것 같다(geos

gata)」は肯定文、否定文などの様々な文につくことが可能である。その中でも、「その日

は用事があって行けません」のような可能表現の否定文は、相手の意向に従えないことを 示すため、会話参加者のフェイスを傷つける危険性がある。この可能表現の否定文に「ノ ダ」、「것 같다(geos gata)」がつくと、ポライトネスを表す機能がより明らかになると考え られたので、ここでは、可能表現の否定文に「ノダ」、「것 같다(geos gata)」の文末表現が ついた文を扱う。また、「ノダ」と「것 같다(geos gata)」はつかず、事情により行動を実 行することが不可能であることを示す可能表現の否定文(以下、「行ケナイ」文)や相手の意 に沿えないことを自分の意志として伝える否定文 (以下、「行カナイ」文)もある8。本研究 では、第3章において、「ノダ」文と「것 같다(geos gata)」文は、それらのつかない「行 ケナイ」文および「行カナイ」文と比べ、ポライトネスの度合いが高いかどうかを比較分 析する。

2.1.2 「中途終了文」とポライトネス

断わりの言語行動の特徴の 1 つとして、「不可」を表す主節まで言わず、残りは相手の 態的な類似点だけでなく、共に「理由を説明する」という機能がある。しかし、印省熙(2002)が指摘して いるように、「것이다(geosida)」の理由説明は過去の出来事の理由に限られる。そのため、現在や未来の 出来事の理由を説明する断わりの場面では、「것이다(geosida)」の使用が不適切になると考えられる。

8 「行カナイ」文は自分の意志で行かないことを直接的に表明する文であるため、ポライトネスがほとん ど表れていない表現であると思われる。しかし、ほとんどポライトネスが表れていない「行カナイ」文と 比較することにより、「ノダ」文、「것 같다(geos gata)」文、「行ケナイ」文のポライトネスの度合いをよ り明らかにすることができると考えられたため、「行カナイ」文を分析対象に加えた。

判断に委ねる表現(以下、「中途終了文」9とする)が用いられることがある。日本語では、理 由を表す接続助詞「ノデ」、「カラ」、「テ」などで終わる文があり、韓国語では、理由を表 す接続語尾「어서(eoseo)」などで終わる文がこれに当たる。依頼に対する日本語と韓国語 の「中途終了文」の例を以下に示す。

(5)a その日は用事があって。

b 그날은 일이 있어서. (直訳:その日は用事があって。)

(その日は用事がある+接続語尾「어서(eoseo)」)

生駒・志村(1993)は、「日本人は相手の地位が上の場合、顕著に「中途終了文」を使った」

と指摘し、「日本人は「中途終了文」を使うことにより、直接的な断わりを避け、地位が上 の人に失礼にならないよう気を付けている」(p. 47)と述べている。(5)の例は、「行けない」、

「行かない」などのような直接的な断わりの内容が省かれ、最終的な判断が聞き手に委ね られている。聞き手に最終的な判断を下す権利、話を進める主導権が与えられるようにな っていることから、ポライトネスとの関連がうかがえる。

しかし、水谷(1991)によれば、日本語母語話者にとって文末を省略する文が丁寧である のに対し、英語母語話者は、文末を省略しない完全文の方が丁寧であると意識していると いう。また、渡辺・鈴木(1981)は、韓国人は相手の要求に応じられないときに、「いいきら ない表現」を用いて断わるが、曖昧な言い方よりは、白か黒かをはっきりさせた言い方が 好まれる」(p. 103)としている。

これらの先行研究の分析対象および丁寧さの概念は、本研究の「中途終了文」およびポ ライトネスの概念とはズレがあるかもしれないが、これらの研究からポライトネスに関す る「中途終了文」の評価が、言語によって異なることが分かる。

本研究では、第4章において、主節が省略された日本語と韓国語の「中途終了文」と主 節が省略されていない「行ケナイ」文および「行カナイ」文との比較によって、「中途終了 文」とポライトネスとの関連を明らかにする。

9 「中途終了文」にはこれら以外のものもあるが、「中途終了文」の詳しい定義、本研究で扱う「中途終 了文」については、第4章「「中途終了文」とポライトネス」で詳細を述べる。