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意味公式をめぐる問題と本研究の立場

第3章  文末表現とポライトネス

5.1 意味公式の定義

5.1.1 意味公式をめぐる問題と本研究の立場

[1] 類似する意味公式の分類

Beebe et al. (1990)は、「今後の約束」は将来承知するという約束で”will”か”promise”

を用いるものであり、「代案の提示」は①Yの代わりにXができる、②Yの代わりにXを したら?という基準を提示しており、「将来や過去になら受け入れることができたという 条件提示」(以下、「条件提示」とする)は基準を示さず、例を挙げている。しかし、この 3つの意味公式は明確に分類できない場合がある。以下、これらの例を示す。文頭の数字 と文字は、場面番号(場面①は①)、国(日本はJ、韓国はK)、性別(男性はM 、女性はF)、

被験者の通し番号を順に示したものである。

(27)②JF52 申し訳ありません。その日はちょっと都合がわるくて、駄目なんですけど、

またの機会に何かありましたら、手伝いさせていただきます。

(28)②JM39 えーと、申し訳ないんですけど、ちょっと用事がその日あるんで、お手伝い できないと思うんですね。んーと、誰か知ってる人でも手伝いに行かせましょうか。

(29)①JF4 えーと、今日はちょっと体ーー調もよくなくて、あれーーちょっと手伝うの が大変なので。明日じゃ駄目ですか。明日だったら大丈夫なんですけど。

Beebe et al. (1990)の分類に従うと、(27)は「今後の約束」、(28)は「代案の提示」、(29) は「条件提示」に該当する。しかし、(27)の例は「今後の約束」としたが、現在は相手の 要求を受け入れることができないが、将来なら受け入れることができる(Xの代わりにY ができる)と考えると、これらの例は「代案の提示」とすることもできる。また、将来な ら受諾することを示しているので、「条件提示」とすることもできる。(29)の例では、今日 ではなく明日なら可能であることが示されているため、「条件提示」としたが、将来なら受

諾することが示されているため、「今後の約束」と分類することもできる。さらに、(29) の例では現在はできないが、明日ならできる(Xの代わりにYができる)ことが示されて いるため、「代案の提示」とすることもできる。このように、Beebe et al. (1990)の分類で は、「今後の約束」、「代案の提示」、「条件提示」のような類似している意味公式が別の意味 公式として設定されているが、この3つを明確に線引きできない場合がある。

一方、藤森(1994)は「代案の提示」、「条件提示」、「今後の約束」という3つの意味公式 を、相手との関係維持の積極性の有無によって、「代案」と「関係維持」の 2 つに統合し ている。「代案」とは、「相手との関係を維持したい旨の積極的な表出」であり、「関係維持」

とは、「相手との関係を維持したい旨の消極的な表出」(p. 5)であるとしている。さらに、

村井(1998)は藤森(1994)の「代案」と「関係維持」を、「積極的関係維持」と「消極的関係 維持」に分類し、「積極的関係維持」は「約束をしたり、代案や条件を提示して相手との関 係を積極的に保持しようという意志の表明」であるのに対し、「消極的関係維持」とは、「相 手に対する儀礼的行為としての発話の意味が強い」(p. 203)と述べている。村井(1998)を参 考に上記の例を分類すると、(27)の例は相手に対する儀礼的な意味が強いと思われるため、

「消極的関係維持」、(28), (29)の例は代案の提示によって相手との関係を積極的に保持し ようとする意志が強く現れているため、「積極的関係維持」として捉えられる。村井(1998) では、「積極的関係維持」と「消極的関係維持」における「積極的」、「消極的」という用語 が何を意味しているのかが詳細に言及されてはいないものの、Beebe et al. (1990)の分類 よりは分かりやすい。そのため、本研究では、村井(1998)を参考に、Beebe et al. (1990) の「今後の約束」と「代案の提示」と「条件提示」を、<積極的関係維持>と<消極的関 係維持>とする。

[2] 意味公式の範囲

Beebe et al. (1990)の「弁明」は理由を並列して述べる並列型と前の理由が後の理由に なっている埋め込み型に分類することができる。以下に例を示す。

(30)③JM39 えーとね、その日ちょっとね、最近いろいろ考え事とかあってね。いろいろ やらなくちゃいけないことがあって。申し訳ないんだけどね、ちょっと手伝えないな。

→並列型の<弁明>=<弁明>+<弁明>

(31)①JM11 えーと、その日その時間なんですけど、と、ちょっと実家から荷物が届くこ とになってて、その時間にちょっと家にいなくちゃいけないんですよ。だから、すみ ませんけど、ちょっと手伝いできないんです。すみません。

→埋め込み型の<弁明>=<弁明>+<弁明>?

Beebe他(1990)は「弁明」とは、「弁明、理由、説明(Excuse, reason, explanation)」で

あるとしている1。「弁明」には例(30)のように理由を並列して述べる並列型と例(31)のよう に前の理由が後の理由になっている埋め込み型に分けることができる。例(30)では、「弁 明」が2回用いられている。(31)でも「弁明」が2回用いられているかという疑問が生じ る。埋め込み型の「弁明」の例(31)では、前の弁明、あるいは後の弁明だけではやや不自 然に感じられる。前の弁明が後の弁明の原因となっている、又は、後の弁明を詳しく説明 しているという、どちらともとれる構造になっている。従って、埋め込み型の「弁明」は 全体で1回の<弁明>であると捉える。

[3] 意味公式の種類

本調査のデータを観察すると、先行研究の意味公式では捉えきれない発話の要素や何ら かの理由で意味公式として捉えられないものがあった。ここでは、どのような発話の要素 を本研究における意味公式として新たに設定し、どのようなものを意味公式として捉えな かったかについて述べる。

本調査のデータには、Beebe et al. (1990)、藤森(1994)、村井(1998)では言及されている 意味公式のみでは捉えきれないものがあった。日本語と韓国語の断わりの言語行動の特徴 を生かした分析を行うため、これらの中で、発現頻度が高いものを意味公式として新たに 設定する。以下に例を示す。

(32)②KF36 교수님, 죄송한데요. 약속이 있어서 안되거든요. 다음에 꼭 해드릴께요.

(先生、申し訳ありません。約束があって駄目なんです。今度は必ずします。)

1 筆者訳による。

(32)の例では、Beebe et al. (1990)、藤森(1994)、村井(1998)の意味公式に含まれていな い呼びかけが用いられている。特に、韓国語では教官の依頼を断わる場面でこのような呼 びかけが多用されているため、本研究では新たな意味公式として<呼びかけ>を設定した。

しかし、依頼された相手に対して、直接断わるという本調査の場面設定を誤解し、留守 番電話の伝言を想定して回答した被験者がいた2。留守番電話の伝言は対話相手がいないこ とが前提とされているものであるため、他の被験者のデータとかなり質的に異なり、意味 公式として捉えないことにする。以下に、例を示す。

(33)①JM36 いつもお世話になってます×3。今度の引っ越しのお願いの件ですけども、

いや、いつもお世話になって申し訳ないんですけども、と、今回僕の都合がつかない んです。すいません。えーと、と、お手伝いできないんで、遠慮させて下さい。申し 訳ないです。

(34)④JM36 や、久しぶり。今度の引越しの手伝いは、と、僕の勘弁していい、と、今は いろいろ都合があって。ま、また今度の機会に。

(35)③KF17 엇, 어, 진짜 미안한데, 내가 지금 학원가야 되거든. 그래서 못 도와줄 것 같다. 응, 미안. 다음에 도와줄께. 다음에 맛있는 것 사줄께. 끊자.

(あっ、あ、本当にわるいんだけど、私が今学院に行かなければならないの。だから、

手伝えなさそう。うん、ごめん。今度手伝うよ。今度美味しいもの奢るね。切るね)

(36)②KM32 아, 예, 교수님, 저, 재료공학과의 누구누굽니다. 그, 교수님말씀 들었는데,

사실 오늘 저녁에 아르바이트가 있기 때문에 제가 꼭 가고 싶긴 한데, 어, 아르바이트 뺀다는 게 좀 힘들어서 제가 나중에 저녁때라도 시간이 되고, 할 일이 있다면 제가 찾아가겠습니다. 교수님, 오늘 죄송합니다.

(あ、はい、先生、あの、材料工学科の誰々です。先生のお話を聞きましたが、実は今 日の夕方アルバイトがありますので、ぜひ行きたいんですが、あの、アルバイトを休

2 このようなデータが得られた理由は、実際の対話相手がいないのに、被験者の返答を録音するという調 査方法が影響したと考えられる。

3 ×は聞き取れなかった音節のことを指す。

むことがちょっと大変なので、後で夕方でも時間があって、することがあったら、お 伺いします。先生、今日は、申し訳ありません。)

(33)の例では、依頼した教官に対して、世話になっていることを感謝したり、依頼の内 容の一部を繰り返したりしている。(34)の例は、親しくない友人の依頼を断わる場面での 挨拶である。(35)の例では、断わりの最後に、電話を切ることを明言している。また、(36) の例では、依頼した教官に対し、自分の所属を示している。これらの例は、留守番電話へ の録音を想定していると考えられるため、依頼された相手に対して、直接断わるという本 調査の場面設定にそぐわない事例である。したがって、被験者が状況を誤解して答えた回 答は、他の意味公式と対等に捉えることができないため、意味公式として設定しないこと にする。

そして、「あの」、「えーと」、「そうですね」のような応答詞や相づちは、遠慮やためら いを示す機能があるため、断わりの言語行動の分析に重要な要素であり、Beebe et al.

(1990)はこれらを「断わりに付随する発話(Adjuncts to Refusals)」4の1つである「ポー

ズ・フィラー(Pause fillers)」として分類している。しかし、これを含めると、意味公式の 中で、これの発現頻度が最も多いため、様々な意味公式の組み合わせによる断わりの構造 が現れ、典型的な断わりの構造を抽出することが難しくなる5。したがって、本研究では、

ポーズ・フィラーを意味公式として捉えないことにする。

4 「断わりに付随する発話」として以下の4つを設定している(筆者訳。Beebe et al., 1990, 72-73)。

1. 好意的な意見・感情、同意の表明 2. 共感の表明

3. ポーズ・フィラー 4. 感謝

5 ポーズ・フィラーを含めた発現頻度が最も高い断わりの構造を「談話完成テスト」のデータから調べる と、親しい指導教官の依頼を断わる日本語の場面①では、<ポーズ・フィラー>+<謝罪>+<弁明>+

<ポーズフィラー>+<不可>+<謝罪>である。しかし、この構造はわずか3(3.2%)にすぎない。親 しくない教官の依頼を断わる場面②では、<謝罪>+<弁明>+<不可>+<謝罪>であり、6例(6.4%) が用いられた。親しい友人の依頼を断わる場面③では、<謝罪>+<不可>+<謝罪>であり、6例(6.4%) が用いられた。親しくない友人の依頼を断わる場面④では、<ポーズ・フィラー>+<謝罪>+<弁明>

+<不可>+<謝罪>であり、5 例(5.31%)が用いられた。韓国語の場面①では、<呼びかけ>+<謝罪

>+<弁明>+<不可>であり、5(4.7%)が用いられた。場面②では、<呼びかけ>+<弁明>+<不 可>+<謝罪>であり、8例(7.6%)が用いられた。場面③では、<弁明>+<不可>+<積極的関係維持

>であり、これは3(2.9%)にすぎない。場面④では、<弁明>+<謝罪>であり、6(5.7%)が用いら れた。このように、「ポーズ・フィラー」を意味公式として捉えると、様々な組み合わせによる断わりの 構造が現れ、典型的な断わりの構造を抽出することが難しくなる。