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A のばあい

ドキュメント内 『萬葉集』における訓仮名の基礎的研究 (ページ 99-102)

7 訓仮名と訓字

7.3 用例数と表記

7.3.1 A のばあい

さらに精密な検討が加えられるべきものと考えられる。そこで以下では,A・B・Cそれぞ れについて,訓字と訓仮名の関係をみてゆく。

7.3 用例数と表記

たとえば,〈藻〉が訓字として用 いられる64例のうち40例が「玉 藻」であり,〈葉〉が訓字として用 いられる114例のうち61例が「黄 葉」であるように,それぞれの〈漢 字〉に頻出する文字列があり,そ れがおおよそ語の表記に相当す ることを指摘できる。とくに,

〈鳥〉や〈葉〉など,訓字として よく用いられるものは同じ表記 で現れる傾向が強いといえる。

では,訓仮名はどうか。仮名に も固定的な表記がみられること はすでに井手至(1969)による指 摘があり,一定の仮名の連鎖によ る語の表記によって,「視覚的な 意味喚起性」につながる二次的表 語性が獲得されるという。この指 摘をふまえたうえで本章で注目 したいのは,二次的表語性の獲得

と仮名としての汎用性とがかかわりを持つようにみえることである。

たとえば,「ぬ」を表す訓仮名が前接する〈漢字〉を整理し,多いほうから3種類を掲げ ると次のようになる

〈沼〉14:「来沼」3例 「鳴沼」2例 「有沼」2例 〈宿〉 4:「成宿」3例 「与宿」1例

訓仮名としての用例数が多い〈沼〉は〈来〉〈鳴〉〈有〉をよく前接する。これらの〈漢字〉

は,「く」「なく」「あり」のような基本的な語の表記を担うために頻出するものである。い っぽう,訓仮名としての用例数が少ない〈宿〉は,〈来〉〈鳴〉〈有〉をまったく前接せず,

「京師跡成宿(みやこトなりぬ)」(6・929),「京師跡成宿(みやこトなりぬ)」(6・1056),

「久成宿(ひさしくなりぬ)」(12・3082)のように,「成宿」への偏りをみせる。このよ 訓字

用例数

166 公鳥 72 千鳥 16 鳴鳥 8 78 者常 10 之常 8 Φ常 7 14 之跡 3 椅跡 1 御跡 1 4 石迹 2 景迹 1 足迹 1 宿 129 不宿 11 将宿 10 獨宿 8 66 不寐 10 将寐 6 而寐 4 4 隠沼 1 垣沼 1 小沼 1 64 玉藻 40 珠藻 5 奥藻 4 41 而哭 4 之哭 4 所哭 3 20 赤裳 7 玉裳 2 尓裳 2 1 新喪 1

13 尓似 4 毛似 2 云似 1 13 左丹 3 旗丹 1 狭丹 1 4 葦荷 1 乃荷 1 之荷 1 3 而煑 1 乃煑 1 菁煑 1 114 黄葉 61 木葉 18 下葉 6 12 朝羽 3 之羽 2 岐羽 1 2 之齒 1 竹齒 1

・「Φ」はなにも前接しないことを意味する(以下同)

【表2】訓字のときに前接する〈漢字〉

〈漢字〉

音節 上位1 上位2 上位3

うな前接〈漢字〉の異なりからまず想定されるのは,訓仮名〈沼〉〈宿〉が異なる語の表記 を担っているのではないかということであろう。ところが,訓仮名〈沼〉〈宿〉はどちらも 助動詞「ぬ」の表記が中心である。つまり,訓仮名〈沼〉〈宿〉は同じ語の表記を担ってい るにもかかわらず,前接する〈漢字〉の傾向が異なるということである。

また,「ト」を表す訓仮名では後接する〈漢字〉に次のような特徴がみられる。 〈跡〉406:「跡吾」24例 「跡念」23例 「跡不」17例

〈常〉 96:「常念」13例 「常云」11例 「常不」 7例 〈鳥〉 4:「鳥屋」 3例 「鳥羽」 1例

訓仮名〈跡〉〈常〉〈鳥〉は,どれも助詞「ト」の表記が中心である。訓字主体表記歌巻の 助詞「ト」には,「将摺跡念而(すらむトおもひて)」(7・1255),「神曽著常云(かミゾつく トいふ)」(2・101)の「~トいふ」「~トおもふ」に代表される引用の助詞「ト」が多い。

そのため,訓仮名〈跡〉〈常〉は「おもふ」の表記を担う〈念〉や「いふ」の表記を担う〈云〉

をよく後接する。いっぽう,訓仮名としてほとんど出現しない〈鳥〉は,〈念〉や〈云〉を 後接せず,「海人鳥屋見濫(あまトやみらむ)」(7・1234),「見尓波不来鳥屋(みにはコじト

や)」(10・1990),「秋登将云鳥屋(あきトいはむトや)」(10・2162)のように,訓仮名〈屋〉

を後接することが多い。「ト」を表す訓仮名はどれも助詞「ト」の表記を担っているが,〈鳥〉

にだけ「鳥屋」に固定化する傾向が認められるということである。

こうした訓仮名の傾向を訓字の実態とあわせると,訓字としての用例数が少ない(低頻度 語の表記を担う)ものは訓仮名として頻用され,前後にさまざまな漢字を取ることがあるの に対して,訓字としての用例数が多い(高頻度語の表記を担う)ものは訓仮名としてほとん ど使用されず,しかも固定的な表記を取る傾向があるといえ,訓字の用例数は訓仮名として の用例数だけではなく,その際の表記の固定性ともかかわっているようにみえる。このこ とは,次のように考えられるのではないか。すなわち,訓字としてどの程度使用されるか(ど のような語の表記を担うのか)ということによってもたらされる〈漢字〉の表語性は,その

〈漢字〉の訓仮名としての汎用性に制限をかけており,結果として,訓仮名群に用例数の差 が生じている。

たとえば,「ぬ」を表す訓仮名〈沼〉や「ト」を表す訓仮名〈跡〉は,訓字のときに低頻 度語の表記を担う。訓字主体表記歌巻において訓字としてあまり使用されないことは,訓仮

や「ト」を表す〈鳥〉など訓字のときに高頻度語の表記を担うものは,それ一字では訓仮名 であることが充分に保証されないものと思われる。ただ,〈鳥〉〈宿〉は訓字として使用され るときの表記がある程度固定しているため,訓字として用いられない表記は訓仮名である ことを示すマーカーになり得ると考えられる。つまり,〈鳥〉や〈宿〉は,「鳥屋」や「成宿」

という固定的な表記を取ることで,訓仮名として存立しているということである。このよう な固定的な訓仮名の表記は,一見,訓字の表記に制限されているようであるが,みかたを変 えれば,固定的な表記を取ることで訓仮名としての地位を得ているともいえるであろう。

ドキュメント内 『萬葉集』における訓仮名の基礎的研究 (ページ 99-102)