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6 訓仮名群における用例数の差と出現位置の違い

6.5 おわりに

つまり,「を」を表す訓仮名は,用例数の多い〈尾〉〈𠮧〉と用例数の少ない〈緒〉〈雄〉

〈少〉〈男〉とに二分でき,前者のふたつは出現位置に相違がある。このような「を」を表 す訓仮名群のありようは,実は,「み」を表す訓仮名群のそれとよく似ている。すなわち,

「み」を表す訓仮名には〈三〉〈見〉〈御〉〈視〉の4字があり,これらの訓仮名の用例数は

〈三〉111例,〈見〉108例のふたつが多く,ほかは〈御〉1例,〈視〉1例と少ない。そし て,用例数の多い〈三〉〈見〉は,〈三〉が位置を問わず,どこにでも使用されているのに対 して,〈見〉は語末・接尾辞に限定されるという出現位置の相違がある。頻用される訓仮名 の数と出現位置の相違とがどのような関係にあるのかは,なお考察を要するが,「を」「み」

における訓仮名のありようが類似していることは注目すべき点として指摘しておきたい。

以上に述べてきたように,同じ音節を表す訓仮名群の用例数の差は,基本的に種々の語の 表記をどの程度担うことができるかということとは相関せず,特定ないしは少数の限られ た語の表記をよく担うかどうかということと関係する。ただし,頻用される訓仮名がふたつ ある「み」「を」では,それらに出現位置の違いがある点が注意される。なお,訓字主体表 記歌巻の訓仮名が付属語の表記を中心的に担う傾向は,同巻の表記のありかたから,当然予 測されるものである。ただ,音仮名は付属語だけではなく自立語の表記でもよく使用される 点を考慮すると,この当然予測される傾向は,訓仮名が訓字と共存し,その表記を補うこ とによって存立し得るものであることを示すものとして重要であると考えられる。

できるかということとが相関しない。したがって,用例数の差はそのまま,ある特定の語の 表記をよく担っているかどうかを示す指標として理解できる。いっぽう,後者については,

頻用される複数の仮名のあいだに出現位置の相違があり,用例数の差を単純に特定の語の 表記をよく担うかどうかということの指標として理解できない側面がある。頻用される複 数の訓仮名とそれらの出現位置の相違との関係についてはさらなる考察が必要であり,こ の点については次の7章で詳しく検証する。

以上,本章で述べてきたことと,5章で指摘したこととを勘案し,再度整理すると,訓字 主体表記歌巻で確認される,同じ音節を表す訓仮名群の用例数の差や出現位置の違いは,訓 仮名としてはやくから使用されていたかどうかという定着・浸透の度合いや,ほかの資料で どのように使用されているかということとは関連せず,同巻内部の問題として位置づけ得 る。そして,ひとつの〈漢字〉が訓仮名と訓字に両用される割合が9割におよぶことに鑑み ると,やはり,両用を辞さないことと,訓仮名群の用例数の差や出現位置の違いとがどのよ うな関係にあるのかが検証されてしかるべきである。そこで次章では,訓字の側のありよう の整理をとおして,訓字としても使用されることが訓仮名に対してどのような影響を与え ているのかという問題について考察する。

【注】

井手至(1999)『遊文録 国語史篇2』は,『萬葉集』について「巻一‐巻四,巻六‐巻十 三,巻十六の諸巻が,変体漢文(一部に漢字仮名交り文を含む。以下同じ)で表記され」と 述べている。

同じ音節を表す訓仮名が複数あるとき,それらのなかに資料上の出現時期に遅速のあるばあ いがある。たとえば,「主要万葉仮名一覧表」を参照すると,「メ」を表す訓仮名〈目〉〈眼〉

は,〈目〉が推古期遺文から確認できるのに対して,〈眼〉は『日本書紀』からしか確認できな い。いっぽう,「み」「や」を表す訓仮名は,いずれもはやくから確認され,資料上の出現時期 の遅速がないと考えられるため,本節では両音節を表す訓仮名を考察の対象とした。

「美濃国戸籍」の訓仮名については,犬飼隆(2005b)による詳細な検討がある。犬飼(2005b)

は各用例について考証を行い,人名の表記のなかに訓字を認めるが,本章ではすべて訓仮名と して扱った。そのため,犬飼論文と本研究とでは訓仮名の認定に異なるところがある。たとえ ば,本章で訓仮名の例として挙げた「八十麻呂」の〈八〉や「矢田部」の〈矢〉は,犬飼論文 では確実な訓仮名の例に挙げられていない。ただ,犬飼論文が確実な訓仮名と認める例のなか

仮名である可能性に言及したが,犬飼論文は「八知波」の兄が「八嶋」であることを根拠に訓 字と判断する。

『新編全集』は,92頁の頭注8で「八島牟遅能神」について「『八島』は多くの島の意」と注 釈し,92頁の頭注14で「八河江比売」について「多くの河の入り江をつかさどる女神」と注 釈する。なお,『古事記』の訓仮名の役割を論じた山口佳紀(1993)は,〈八〉〈屋〉〈矢〉を訓 仮名として扱わない。

『新編全集』は,92頁の頭注6で「神屋楯比売」について,「『神屋楯』は神殿のような盾の 意で,守護する力の強さをたとえたものか」と注釈する。

犬飼(2005b)は〈三〉を確実な訓仮名とし,〈見〉を確実ではないが訓仮名である可能性が あるとする。

たとえば,訓仮名〈丹〉は,助詞「に」のほかに助動詞「ぬ」の連用形「色付丹家里(いロづ きにけり)」(10・2212)や助動詞「なり」の連用形「衣丹有南(こロもにあらなむ)」(10・

2260)の表記を担う。また,訓仮名〈三〉は接頭辞「三雪落(みゆきふる)」(1・45)や接尾

辞「名乎霜惜三(なをしもをしみ)」(11・2723)の表記を担う。

たとえば,訓仮名〈緒〉には,次に示すように訓字の「紐(ひも)」とともに現れるものがあ る。

獨宿而 絶西紐緒(たエにしひもを)忌見跡 世武為便不知 哭耳之曽泣(4・515)

……白細乃 紐緒毛不解(ひもをもトかず)一重結 帶矣三重結 苦伎尓……(9・1800)

また,訓仮名〈雄〉は全8例のうち6 例が天皇御製歌や行幸歌など天皇とかかわりを持つ歌 であり,歌の種類に偏りがある。

泊瀬朝倉宮御宇天皇代【大泊瀬稚武天皇】

……師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母(いへをもなをも)(1・1)

三年丙寅秋九月十五日幸於播磨國印南野時笠朝臣金村作歌一首【并短歌】

……念多和美手 俳佪 吾者衣戀流 船梶雄名三(ふねかぢをなみ)(6・935)

たとえば,訓字主体表記歌巻で「ト」を表す音仮名〈等〉〈登〉は,助詞「ト」の表記を担う いっぽうで,「取等騰己保里(とりトド゙コほり)」(4・492),「聞之登聞思佐(きくがトもし さ)」(8・1561)のように,少なからず自立語の仮名表記でも使用される。「も」を表す音仮名

〈毛〉も「榎實毛利喫(えノミもりはむ)」(16・3872)をはじめ,自立語の仮名表記で使用さ れる。

ドキュメント内 『萬葉集』における訓仮名の基礎的研究 (ページ 92-95)