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おわりに

ドキュメント内 『萬葉集』における訓仮名の基礎的研究 (ページ 122-125)

8 音仮名と訓仮名 ――訓字との両用とその影響をめぐって――

8.4 おわりに

本章では,訓字主体表記歌巻で,同じ音節を表す音仮名と訓仮名の関係の把握を目的とし て,用例数の多寡,語の表記における分布,同一の付属語の表記を担う際の文字列といった 観点から,両者の関係を考察してきた。その結果,いずれの観点においても仮名の属性(音・

訓)の別は指標になり得ず,文字ごとに仮名としてのありようが異なることが確認された。

これは,訓字と仮名とがその表記を互いに補いあう環境において,仮名の属性の別が重視さ れなかったことを示唆するものとして重要である。さらに,訓字主体表記歌巻では,仮名ご とに異なる,特定の文字列で用いられる傾向がある。同巻では,ひとつの〈漢字〉が表語用 法である訓字と表音用法である仮名に両用されることが少なくないことに鑑みると,この 傾向は仮名が訓字との動態上のかかわりのなかで存立している可能性を示すものであり,

文字列の固定や偏りが,仮名であることを担保するひとつの方法として機能していると考 えられる。

なお,本章では相対的に用例数の少ない仮名について詳しく言及していない。はやく武智 雅一(1933)が指摘し,近年では,二合仮名と多音節訓仮名の関係を論じた尾山(2010)

も指摘しているように,用例数の少ない仮名については歌意との関連を検討する必要があ る。歌を書くにあたっての一回ごとの臨時的な仮名の選択と,本論のなかで言及した文字列 としての仮名の運用との関係を解明することも,今後の課題である。

【注】

音仮名群・訓仮名群の用例数を比較する研究としては,はやく大野透(1962)があるが,大野 は動態としての訓字(表語用法)との関係について詳しく検証していない。

橋本(1959)はひとつの〈漢字〉は音仮名と訓字の両用を避ける傾向があるとするが,本章で 考察する〈等〉や〈家〉をはじめとして,ひとつの文字が音仮名と訓字に両用されることは少 なくないと思われる。

本章は,訓字主体表記歌巻では,訓仮名だけではなく,音仮名も動態としての訓字とのかかわ りのもとに存立している可能性を提示する足がかりの章である。訓字主体表記歌巻における 仮名と訓字のかかわりかたは多様であるが,その多様なありかたの全体像を把握するための 第一歩として,本章では「い」「け」「ト」「み」を典型例として取りあげた。ほかの音節を表 す仮名についても,今後,言及する予定である。

本研究は用例数の多い仮名に着目して行論するものであり,【表 1】で押さえたいことは,同 じ音節を表す複数の仮名のなかに相対的な用例数の差があることである。したがって,「い」

を表す〈異〉1例,「け」を表す〈價〉1例をはじめ,一部の用例数が少ない音仮名の字母は本 編の議論にはかかわってこないため,表から省くことにする。

接頭辞「み」の表記を担う音仮名〈美〉4例は,次のようである。「美籠母乳(みこもち)」(1・

1),「美夫君志持(みぶくしもち)」(1・1),「美草苅葺(みくさかりふき)」(1・7),「國都美 神乃(くにつみかミノ)」(1・33)。

「い」の仮名には音仮名〈以〉2例もあるが,これら2例は接頭辞「い」の表記を担わず,ど ちらも「過西戀以(すギにしこヒい)」(12・2927),「公以必(きみいかならず」(13・3287)

のように助詞「い」の表記である。

「け」の仮名のうち,用例数が10以下のものは表から割愛した。なお,【表5】には示してい ないが,付属語に準ずるものとして「箭之繁計久(やノしゲけく)」(2・199),「戀家口(こ ヒしけく)」(10・2039)のような形容詞のク語法がある。これを含めても,音仮名〈家〉の 突出した多さが助動詞「けり」の表記からきていることに変わりはない。

【表7】で示すのは,「ト」の訓仮名が助詞「ト」の表記を担う際に後接する〈漢字〉で

ある。いっぽう,7章の7.3.1項で訓仮名〈跡〉〈常〉の後接〈漢字〉を示した際には,

特定の語の表記に限定していない。【表7】の数字と7.3.1項に示した数字とが違うのは そのためである。

名詞「われ」に関連するものとして,「物尓波在跡吾妹子之(もノにはあれドわぎもこが」(3・

481),「去来者行跡吾戀流(かよひはゆケドあがこふる」(4・485)などがある。

音仮名〈登〉のばあいも訓仮名〈跡〉のばあいも,〈吾〉を後接する用例は句をまたいでいる。

また,音 仮名〈等〉に多い「打蝉等念之時尓(うつせみトおもひしトきに)」(2・210)の「等 念」や,「将成哉等人曽耳言焉(ならメやトひトゾささやく)」(7・1356)の「等人」,訓仮名

なども句をまたぐことがある。歌において句の切れ目は重要なマーカーであったと思われる が,いっぽうで,このような傾向は句の切れ目に必ずしも対応しない形で仮名が運用されてい た可能性をうかがわせ,注意されるところである。この傾向は,3.5節で言及した自立語の全 体が仮名で書かれる際に,語幹・活用語尾の切れ目と多音節訓仮名とが必ずしも対応しないこ とや,3.3.3項の注➄で言及した多音節訓仮名と語との対応関係の多様性・柔軟性とも関係す るかと思われる。言語の分節と,それを文字を用いて書く表記の分節との関係性に関する考察 は,今後の課題である。

「み」で頻用されるものとしては音仮名〈弥〉もあるが,〈弥〉は特定の文字列で使用される傾 向がみられない。

たとえば「み」の音仮名〈美〉のように,頻用される仮名のなかには上代の資料で横断的に使 用されるものがある。乾善彦(2018ほか)は,このような仮名を「基層の仮名」とよび,ひ らがなやカタカナのような文字体系としての「かな」へと連続する基盤とみる。ただ,訓字主 体表記歌巻では,そうした表音用法に特化してゆく仮名であってもある特定の文字列で現れ る傾向があり,このことは,訓字主体表記歌巻では仮名が単独ではなく,特定のまとまりで運 用されていることを示唆するものとして注目される。

訓字〈等〉の上位5は,同じ用例数(2例)で次の3種類の文字列が該当する。

「弟等」 諸弟等之(もロトらが)(4・773)

諸弟等(もロトらが)(4・774)

「部等」 祝部等之(はふりらが)(10・2309)

祝部等之(はふりらが)(12・2981)

「妹等」 妹等所(いもらがり)(7・1121)

妹等者立志(いもらはたたし)(13・3299)

訓仮名〈跡〉〈常〉の文字列が訓字〈跡〉〈常〉のそれと異なることは,7章でふれている。

「け」の仮名として頻用される音仮名〈家〉も訓字として131例使用されており,その際,大 半が名詞「いへ」およびその複合語の表記を担う。音仮名〈家〉が助動詞「けり」の表記を 担う際の表記が「家里」をはじめ少数の固定的な文字列に偏る(8.2.3項【表6】)のも,仮名 であることを担保する一方法として機能しているものと思われる。

ドキュメント内 『萬葉集』における訓仮名の基礎的研究 (ページ 122-125)