7 訓仮名と訓字
7.7 おわりに
訓字主体表記歌巻では,単音節・多音節を問わず,ひとつの〈漢字〉は訓仮名と訓字に両 用されることが一般的である。このこと自体は4章以降で指摘してきたところであるが,本 章ではそこからさらに踏み込み,どのように両用されているのかという用法上の分布と,あ る音節や語の表記においてどの仮名がよく用いられるか,という仮名同士のはりあいとを 関連づけることで,訓字と両用されることが仮名のありように対してどのようにかかわる のか,その具体相について検証してきた。
ひとつの〈漢字〉が訓仮名と訓字に両用されるとき,どの用法でどの程度使用されるのか は一様でなく,いずれかいっぽうに特化して使用されるものから,用例数のうえで両用法が 拮抗する形で両用を辞さないものまで拡がりがある。ただ,訓仮名と訓字とが用例数のうえ
で拮抗しているばあいでも,両用法は文字列やあるいは一首中における出現位置に違いが ある。こうした文字列上の違いについては,従来,訓仮名側の使用制限が注目されてきたが,
本章で繰り返し言及してきたように,訓仮名と訓字の文字列上の示差的特徴は,訓仮名に一 方的に課せられた使用制限によって成立するのではなく,訓字の側にもある程度の使用上 の偏りがあることに支えられ,実現するものして捉えられるべきである。つまり,単音節で あっても多音節であっても,訓仮名は訓字のありように強く依存しており,その関係性のな かにあって存立し得ている。そして,訓字と音仮名・訓仮名とが混在し,かつ,ひとつの〈漢 字〉が訓字としても訓仮名としても使用される訓字主体表記歌巻では,用例数の偏差だけで はなく,文字列や出現位置の違いも訓仮名であることを担保する要件としてあったと考え られる。
【注】
① 本章の目的は,訓仮名のありようと訓字としての用例数との関係を考えることにあるため,訓 字として用いられない訓仮名11字は考察の対象から除く。
② 澤崎文(2017)「『万葉集』における漢字の複用法と文字選択の背景」『萬葉語文研究』12 和 泉書院,pp.139-158。
③ 4章【表1】に示した訓仮名のうち,本章の議論にかかわらない用例数の少ない訓仮名につ
いては,一部,表から割愛したものがある。
④ 本研究でいう「文字列」とは,ある語の表記に相当する「綴り」と,「跡念(トおもふ)」や
「無三(なみ)」のように,語を超えての〈漢字〉の連続に相当するものと,その双方を含 む。
⑤ 「ぬ」を表す訓仮名〈寐〉は2例と少なく,どちらも助動詞「ず」の未然形の表記を担う。
⑥ 〈宿〉には多音節訓仮名かと思われるものが1例あり,それも「成宿者(なりぬれば)」(4・
622)のように「成宿」である。
⑦ 訓仮名〈迹〉が後接する〈漢字〉を多いほうから3種類挙げると,「迹我」2例,「跡思」2例,
「跡哉」2例である。本研究では,一応,〈跡〉と〈迹〉とを別に計上したが,『天治本新撰字 鏡』に「跡【質昔反。入,迹同字】」とあることを考慮すると,〈跡〉〈迹〉はまとめて扱って も差し支えないものと思われる。
⑧ 訓仮名〈跡〉の上位4は「跡云」13例。
⑨ 『肥前国風土記』には「造二鳥屋於此郷一」(養父郡・鳥樔郷・新編p.318)という一節があ る。この「鳥屋」は「鳥小屋」を意味する表語用法であり,「鳥屋」は資料によっては表語用
⑩ 「も」を表す訓仮名としてあまり用いられない〈喪〉〈哭〉は,「數悲哭(あまたかなしも)」
(7・1184),「解者悲哭(トケばかなしも)」(8・1612)の「悲喪/悲哭」や「苦喪」「惜 哭」への偏りがある。これらは〈喪〉〈哭〉の表語性を活かしたものと考えられ,「鳥屋」や
「成宿」のように訓字の表記に制限された文字列の固定性とは趣を異にする。ただ,訓字主体 表記歌巻において表語用法の「悲喪/悲哭」「苦喪」「惜哭」はみられず,訓字として用いられ ない文字列であるという点は共通する。
⑪「や」を表す訓仮名には〈八〉〈屋〉のほかに〈矢〉がある。訓仮名〈矢〉は2例と少なく,そ のうち「射矢遠放(いやトほざかる)」(10・2128)については,表語性を活かした用法である ことを奥田俊博(1998)が指摘する。
⑫ 訓仮名〈名〉の用例数の多さには,本論で言及した「名草」や「名寸」に加えて,副詞「本名
(もトな)」,動詞「名積(なづむ)」の表記の固定化も関係している。
⑬ 訓字主体表記歌巻で助詞「やも」の表記としてひろく用いられる「八方」は,『日本書紀』
では「示二朕心於八方一」(継体紀・新編p.304)のように表語用法で使用されている。
⑭ 付属語の表記を担わない「乍(つつ)」などは表に載せていない。また,表に示した多音節 訓仮名の用例数は付属語の表記を担う際のものであり,自立語の表記を担う際の用例数は除 いている。この表と4章【表1】の多音節訓仮名の用例数が異なるのはそのためである。