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3 多音節訓仮名

3.3 助詞・助動詞

3.3.2 助動詞

つまり,文節末の「しか」は多音節訓仮名表記が積極的になされてもよいはずであるが,

実際はほとんどみられない。

このように,「だに」が文節末にくる比率と「しか」が文節末にくる比率とは,ほとんど 変わらない。それにもかかわらず,「だに」は積極的に多音節訓仮名での表記がなされ,「し か」はわずか1首しか多音節訓仮名による表記がみられない。このことから,ある助詞が積 極的に多音節訓仮名で書かれるかどうかは,その助詞が文節のどの位置に出現するかとい うこととは別の事情が関係すると見通されよう。

まし(まし・終) …… 此間毛有益(ココにもあらまし)柘之枝羽裳(3・387)

まし(まし・体) …… 消毳死猨(ケかもしなまし)戀乍不有者(10・2258)

ましじ(ましじ・終)…… 戀乃増者 在勝申自(ありかつましじ)(11・2702)

上記の助動詞について,表記の実態を整理すると【表2】のようである。

「全体」をみると,多音節訓仮名表記 0.374,仮名表記0.254,訓字表記 0.229,読添え

0.077,混合表記0.044,その他の表記0.019である。3.3.1項でみた助詞と同様に,「全体」

では多音節訓仮名表記の比率がもっとも高いが,個別にみると,多音節訓仮名表記の比率が 高い「つる(つ・体)」「まし(まし・体)」から,その比率が低い「なら(なり・未)」

「たる(たり・体)」まであり,多様である。

先行研究では,全体的な傾向として,助詞に比べて助動詞の多音節訓仮名表記が少ないこ とが指摘されており,その理由として助動詞に活用があることが挙げられている(橋本 1966)。しかし,実例に即してみてゆくと,助動詞に活用があることそれ自体が多音節訓仮 名の使用を妨げているとは考えにくい点がある。その1点目の理由として,同じ助動詞でも 活用形によって多音節訓仮名表記の割合が異なることが挙げられる。たとえば,【表2】の

「まし」は終止形と連体形が同じ形を取るが,多音節訓仮名表記の比率は,「まし(まし・

終)」0.250と「まし(まし・体)」0.644であり,大きな開きがある。助動詞1語と多音節 訓仮名1字とが対応関係を構築するのであれば,終止形「まし」も多音節訓仮名表記が多く てもよさそうなものであるが,そうはなっていない。

合計

用例数 用例 比率 用例 比率 用例 比率 用例 比率 用例 比率 用例 比率

全体 401 150 0.374 102 0.254 92 0.229 31 0.077 18 0.044 8 0.019

しメ(しむ・命) 1 1 1.000

つる(つ・体) 鶴・釣 70 55 0.785 13 0.185 1 0.014 1 0.014 まし(まし・体) 益・申・猿 90 58 0.644 20 0.222 3 0.033 9 0.100 なる(なり・体) 成・鳴 24 10 0.416 13 0.541 1 0.041 ましじ(ましじ・終) 益・申 9 3 0.333 1 0.111 4 0.444 1 0.111 なり(なり・終) 22 7 0.318 14 0.636 1 0.045 まし(まし・終) 益・増 12 3 0.250 7 0.583 1 0.083 1 0.083 しか(き・已) 鹿・然・敷 23 3 0.130 12 0.521 2 0.086 6 0.260 ませ(まし・未) 9 1 0.111 4 0.444 4 0.444 ぬる(ぬ・体) 塗・柒 23 2 0.086 1 0.043 4 0.173 10 0.434 6 0.260 たれ(たり・已) 12 1 0.083 1 0.083 7 0.583 3 0.250 たる(たり・体) 足・垂 87 5 0.057 1 0.011 77 0.885 3 0.034 1 0.011 なら(なり・未) 19 1 0.052 15 0.789 1 0.052 2 0.105

【表2】助動詞の表記

助動詞 訓仮名 多音節訓仮名 仮名 訓字 読添 混合 その他

2点目の理由として,ひとつの助動詞の表記で複数種類の多音節訓仮名が使用されるケー スがある点が挙げられる。たとえば,「しか(き・已)」の多音節訓仮名表記では,次に挙 げる〈敷〉〈鹿〉〈然〉の3字が使用されている。

天數 凡津子之 相日 於保尓見敷者(おほにみしかば)今叙悔(2・219)

焼津邊 吾去鹿齒(わがゆきしかば)駿河奈流 阿倍乃市道尓 相之兒等羽裳(3・284)

昨日社 公者在然(きみはありしか)不思尓 濱松之於 雲棚引(3・444)

これらの多音節訓仮名のうち,〈然〉は3.3.1項でみた助詞「しか」の表記や,次の3.3.3 項でみる助詞「し+か」の表記などでも使用されており,〈敷〉は3.4節でみる形容詞活用 語尾の表記でも使用されている。そして,次の3.3.3項で再び言及するように,ひとつの多音 節訓仮名が異なる複数の語の表記を担うことはひろく確認できる。

以上のように,ひとつの助動詞は活用形によって多音節訓仮名表記の割合が違ったり,反 対に,ひとつの助動詞が異なる複数の多音節訓仮名で書かれたりしている。これらをふまえ ると,助動詞1語と多音節訓仮名1字とは必ずしも1対1の関係を成しておらず,助動詞は活 用形ごとに多音節訓仮名と対応関係を築くことができたと考えられる。したがって,助動詞 が活用することが多音節訓仮名表記の比率をさげる直接的な要因とはいい難いであろう。

では,どのような事情が助動詞の多音節訓仮名表記の多寡と関連するのであろうか。この 問題を考えるにあたって,本節では,多音節訓仮名表記の比率が高い助動詞は類型的な表現 で使用されている,という点に注目したい。

【表2】のうち,多音節訓仮名表記の比率が突出して高いのは,「つる(つ・体)」0.785,

「まし(まし・体)」0.644である。これらの助動詞の出現のしかたをみると,たとえば,

「つる(つ・体)」は全70例のうち35例が,次のように終助詞「かも」をともなった詠嘆用 法として文末に現れる。

不手折而 落者惜常 我念之 秋黄葉乎 挿頭鶴鴨(かざしつるかも)」(8・1581)

左夜深而 妹乎念出 布妙之 枕毛衣世二 嘆鶴鴨(なゲきつるかも)(12・2885)

さらに,25例は次に示すような係助詞をうける連体形終止法である。

…… 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴(そでゾふりつる)(2・207)

孫星 嘆須孋 事谷毛 告尓叙来鶴(つゲにゾきつる)見者苦弥(10・2006)

これらふたつの用法の合計は,「つる(つ・体)」の約8.5割(0.857=(35例+25例)

/70 例)を越えている点で,訓字主体表記歌巻における「つる(つ・体)」の出現のしか たはかなり類型的であるといえるであろう。

類型的な表現で使用されるということは,「まし(まし・体)」においても指摘できる。

連体形「まし」は,全90例のうち53例が「巻手宿益乎(まきてねましを)」(6・1036),

「下著益乎(したにきましを)」(10・2260)のような「ましを」の形である。さらに,28 例は「聞益物乎(きかましもノを)」(10・2148),「有益物乎(あらましもノを)」(12・

2867)など「ましものを」およびそれに類する形である。両用法の合計は 9割(0.900=

(53例+28例)/90例)にのぼり,「まし(まし・体)」の大部分は「ましを」あるいは

「ましもノを」という類型的な表現で使用されているといえる。いっぽう,「まし(まし・

終)」も多音節訓仮名表記がみられるが,その比率は0.250と低い。これは,終止形「まし」

に連体形「まし」のような類型的な表現がみられないことによるものと思われる。

このように,訓字主体表記歌巻において,「つる(つ・体)」や「まし(まし・体)」は

「つるかも」「つる(連体終止)」,「ましを」「ましもノを」といった類型的な表現で繰 り返し使用されているために,多音節訓仮名表記の比率が高くなっているといえる。この点 を考慮すると,助動詞の多音節訓仮名表記の多寡には,活用の有無ではなく,同巻において 類型的な表現で使用されるか否かという点が深くかかわると推察される。

ドキュメント内 『萬葉集』における訓仮名の基礎的研究 (ページ 36-39)