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7万( 7.9万)

ドキュメント内 日本通訳産業研究 (ページ 70-77)

通訳者数

通訳料金

(著者作成)

注:2000年の消費者物価指数を元に計算した1985年の料金の2002年現在価値がカッコ内に 示されている。

4.4.4.1  供給曲線S4、S4’、S4’’、s4、s4

職業の認知がすすみ、通訳者志望者が増える。通訳職は女性にとって花形職業のひとつ となる。相対的に収入もよく、女性がひとりで経済的に自立できる数少ない職業だという認 識が存在するようになった。通訳者志望が増え、通訳訓練校に通うにも入学試験の倍率が増 す。最上級クラスを卒業して一人前として認められるのは様々な篩い分けを経て難関を突破 した少数であり、更に最終的に通訳者として成功する人数は限定的である。この時期活躍し ていた会議通訳者は約150〜200人程度と推計する(S4~S4’’)。通訳者にはなりたくても簡 単になれるわけではないため供給の価格弾力性は小さい。また、上の図では会議通訳レベル にはやや満たないが、通訳者として通訳市場で仕事をしている通訳者の供給を s4、s4’とし て表している。

この時代に養成された通訳者には、個人のカリスマ性はほとんどないが、仕事に誇りを 持った、努力家が多い。留学経験者も多い。依然社会の経済活動については男性中心と見ら れた中で、女性が積極的に活躍できる機会を求めて通訳者になったという社会参加意識の強 い人も多い。約9割が女性と思われる。一般的に教育水準が高く、修士号取得者も珍しくな い。他職業と比べると就業スタイルを自分で管理しやすく、結婚したり、子供を生んだりし た後も通訳を続ける人も珍しくなかった。仕事量を十分に確保できれば経済的に自立できる 報酬水準であったため、結婚せずに、または離婚して後、独身のまま女性一人で生計を立て る通訳者も増えてきた。また既婚者の場合は、夫も比較的社会的地位が高いとみなされる職 についていることも多かったようだ。例えば医者、大学教授、外交官等キャリア系国家公務 員などであり、一般企業であればマスコミ関係者、銀行員、証券マン、商社マンなど、当時 花形とされる職種で勤務している場合が多かった。女性の社会進出に理解を持ち、妻がある 程度稼ぐことに対して引け目を感じない必要があったのかもしれない。

一方、この時期フリーランスとして働いていた男性会議通訳者は、全体の約1割程度と 推計される。男性がフリーランスの会議通訳者として仕事をしていくには、技術レベル(す なわち報酬レベル)が相当高く、コンスタントに仕事依頼が入るだけの実力を持ち合わせて いなくては難しいようである。特に既婚者であって、家族を経済的に養う責任がある場合、

リスク分散の観点から、他の職業と兼任する例も見られた。例えば大学教員、翻訳家、通訳 エージェンシー社員との兼業が挙げられる。兼業することで収入が安定することに加え、一 定の社会的信用が得られるからである。クレジットカードを作る際やローンを申し込む際な ど、会社に帰属することで得られる信用が、フリーランスの場合は持ち得ない。世帯の中で、

誰も組織に属しておらず、外部に示せる信用力がないと、家族が苦労することもあったため である。

4.4.4.2  需要曲線D4、D4’、d4、d4’

日本の製造業や銀行、商社などが海外に進出して言った時代であり、円高、バブル景気 などによって日本企業の外国との接点が一般化し、需要は増えた。従来のAクラスレベルの

需要をD4からD4’、新人通訳者レベルであるCクラスの需要をd4からd4’の間の範囲とし

た。1985年のプラザ合意を経て、日本の通貨が 3年間で対ドルレートにおいて約二倍の価 値に跳ね上がる事態ともなり、日本の企業が海外の土地や美術品などを買い集めるバブル現 象も見られた。国際環境において日本が圧倒的な経済的強者として取り上げられるようにな り、日本の産業は存在感を強めた。貿易不均衡の是正や日本市場をもっと外国製品に対して 開くようにという外圧もかかった。金融や電気通信等の分野における政府間協議も頻繁に行 われ、通訳者の出番も増えていった。内容としては、バブル景気時には潤沢な資金の投資先 を提示する金融セミナーが盛況を収め、証券会社が開催する投資セミナーの通訳業務も非常 に多く存在した。

国際会議における日本語の重要性も増してきた。1980 年には、ILO 年次総会で、初め て日本語が正式に通訳言語として採用された。徐々に、日本が国際舞台で存在力を増すにつ

れて、国際会議における日本語通訳の需要も伸びていった。

4.4.4.3  通訳料金

需給バランスは、以前ほど売り手市場ではなくなる。需要は依然伸びているが、供給の 伸びの方が急速だからである。新興エージェンシーの設立が相次ぐことにより、産業のアク ターが増え、産業構造が以前ほど単純ではなくなる。産業としてはまだ成長中である。

通訳料金は、2002年の現在価値で計算すると、7.9万〜11.3万となり、現在の水準7万

〜10万を上回る値になる。

4.5  停滞期  ―ゼロ成長期―  1990〜99

草創期においては供給側である通訳エージェンシーが価格決定権を握っていたが、92〜

93 年頃からバイヤーズマーケットに転じた。まず理由として英語を話せる人材の希少性が 薄れてきたことがあげられる。英語を多少話せる人が増え、簡単な会議では社内の人材に通 訳を任せるという動きが進んだ。これが社会・文化的要因として挙げられる。次に、失われ た10年と呼ばれた日本経済不況期において、クライアント企業の通訳サービスに当てる予 算枠や政府の財政枠が削減されていったことが経済要因として挙げられる。日本経済が不況 の中、ボリュームディスカウント(大口で頼む場合の値引き)や経費削減のための値下げ要 求が出てくるようになった。需要の弾力化といえる。

日本の不景気と連動する形で、通訳産業もゼロ成長期に突入した。新興エージェンシー が乱立された結果、価格破壊が起きたと見る向きもある。大手老舗エージェンシーも新興勢 力のあおりを受け、価格の面で譲歩せざるを得なかった。この時期は、値上げどころか、む しろクライアント一社の受注を勝ち取るため、エージェンシー間で厳しい値引き合戦になっ た。価格競争に持ちこたえられなかった会社は倒産した。また価格競争時代を持ちこたえら れる体力を持った大手老舗エージェンシーでもその売上は横ばいであった。

  新興エージェンシーばかりではなく、一部人材派遣の枠組みで通訳業務が取り扱われる ことが増え、人材派遣業者の間でも競合するところが出てきた。特に上位レベルの難易度の 高い通訳業務の通訳者斡旋においては、人材派遣会社では太刀打ちできないこともあってそ れほど食い込まれなかったが、難易度が高くない業務の通訳サービスについては、エージェ ンシーの会議通訳者斡旋の事業は攻勢を受けた。供給の弾力化が見られるようになった。ま すますエージェンシーが若手新人通訳者を活用する場面が減ってしまった。 

需要サイドでは 90 年代は大事件や突発的イベントにより需要が喚起された時期でもあ る。91年の湾岸戦争や97年の香港返還の折には、その報道が増え、放送通訳の需要が増え た。98年や99年にはY2K 問題(2000年問題:西暦の下二桁が00になってしまうことに より、日付等のデータ管理が西暦下二桁で行われていたパソコンソフトやアプリケーション が誤作動を起こしてしまう問題)の対応に向けて、データ管理が事業の要である生保会社、

銀行、証券会社などの需要が急騰した。

規制緩和が進み、日本市場に外資が参入してきたことによる需要増もあった。銀行、証

券、投資顧問、保険等、金融産業における外資の参入が顕著であった。世界有数の規模であ るシティバンクも日本市場に本格参入し、日本の証券会社や財閥系保険会社と提携し、合弁 会社を設立した。保険の第三セクターと呼ばれる分野ではAFLAC(アメリカンファミリー)

やマニュライフをはじめとする外資勢が日本の保険会社より一歩先に商品を市場導入する ことが許され、大勢の外国人が日本に出向して来た。外資系企業における通訳需要は増えた。

この時期の通訳産業内の大事件としては、1997年11月に日本で通訳界をリードしてき た老舗エージェンシーであるサイマル・インターナショナルの経営破たんが挙げられる。同 社の通訳サービスを利用していたクライアントや、同社を介して仕事をしていた通訳者にと って大きな衝撃であった。山一證券が倒産した一日後のことであった。金融機関が一斉に融 資の引き締めに入っていったちょうどその頃である。ただし、経営破たんの原因は、通訳事 業の失敗ではなく、関連会社であったサイマル出版会の赤字を補填するために通訳事業の黒 字分が投入され、その行き過ぎにより運転資金不足に陥ったことである。

4.5.1  社会経済環境

1960年代70年代80年代と海外接触が増えた時代を経て、海外経験をもった人材が社 会で増えていき、英語を話せる人も増えていった。多少の通訳であればこなせるという人が 増え、簡単なレベルの通訳業務は希少性を失っていった。一方、国際化が進んだ分、今まで の時代以上に、よりこまかい意思疎通が必要となった。形だけ日本人も議論に加わったこと のしるしとして通訳者が手配されるのではなく、外交やビジネス交渉をする上で、本当に通 訳者が、緻密で正確な意思疎通をする上で不可欠であるゆえ手配されるようになった。外国 人とのやり取りが一般化する中、表敬的なうわべだけの友好的な国際交流だけではなく、厳 しい折衝を伴う駆け引きや真偽を問う裁判など、勝つか負けるかの深刻な勝負場面での通訳 業務が増えていった。そのような場面での通訳については、人材派遣等の「派遣業務に毛の 生えた通訳」ではないAクラスの会議通訳者が手配された。しかしそのパフォーマンスにつ いては、今までの時代以上に厳しい基準と期待値に基づいた評価がされるようになった。通 訳レベルとその質に対する評価が厳しくなったのがこの頃の特徴である。

4.5.2  エージェンシー数増加

90年代前半にも様々な規模で通訳エージェンシーやPCOが複数設立された。1990年6 月には株式会社コングレが隈崎守臣氏や吉岡純二氏らにより設立された。コングレは 2003 年6月現在、資本金9,900万円、社員550名(内契約社員390名)の規模である(同社ホ ームページ)。会議の準備、通訳者手配、文章翻訳、人材派遣やスタッフ紹介、通訳者養成 を含む教育事業などを手がけている。東京と大阪に本社があり、そのほか支社が名古屋、京 都、九州にある。コングレ・インスティテュートというスクールは、東京、大阪、名古屋に ある。2003年に開催された「世界水フォーラム」を受注したのもコングレであり、PCOと しては現在強力な存在となっている。設立者の両氏は、以前日本コンベンションサービス

(JCS)に在籍していた取締役と社員であったため、コングレ設立に当たっては JCS から の猛講義を受けた。JCSのホームページでは「最新情報」のページで「損害賠償事件、最高

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