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放送通訳市場

ドキュメント内 日本通訳産業研究 (ページ 87-100)

20〜40人

5   放送通訳市場

放送通訳については、会議通訳市場ともっとも需給面で連動していながらも、会議通訳 市場と異なるいくつかの特徴や特殊性があるため、本項において、別途検証する。

5.1  会議通訳との違い

会議通訳との違いは、まず時間厳守の絶対性である。会議通訳であっても時間制限はあ る。まず、会議運営の厳しい時間管理の中で、スピーカーに大枠の持ち時間が割り当てら れ、通訳者にもスピーカーが話し終えるのとほぼ同時に通訳を終えることが求められてい る。ただし数秒遅れたとしても咎められることはない。スピーカー本人ですら、自らの持 ち時間をオーバーすることはしばしばである。スピーカーが持ち時間をオーバーしたから といって席を立つ人が出ることはまずないし、会議運営側にクレームの電話が入ることも ない。また、秒単位で持ち時間が元から定まっているわけではない。一方、放送通訳業務 の場合は、放映時間が秒単位で定まっている。番組スポンサーのコマーシャルが入る時間 も決まっており、番組を財務面で成り立たせてくれるスポンサーに失礼がないように、放 送局は神経を尖らせている。よって、時間をオーバーすることは断じて許されない。放送 通訳を行う前の元音声のほうでも、厳しい時間制限がしかれており、それを超えることは 人気キャスターであっても許されていない。専従のタイムマネージャーがすぐ横で秒数の 読み上げや指示出しをし、定まったタイムスケジュールにのっとって放映がなされるよう、

神経を尖らせている。そのような中での放送通訳業務は、内容をすべて訳すことではなく、

時間内に訳すことのほうか重要視される。

会議通訳の場合は、その会議の講演中に、多少の脱線があったり、言い回しに不自然な ところがあったり、咳をしたり、水を飲んだり等々の人間的な「蛇行」がままあるのが通 常である。また、蛇行だけではなく、後からその講演テープをテープ起こしすると、咳払 い、水のみ、いい損ない、言い直し等の「無駄」が多くあることがわかる。それらの話の

「無駄」な部分は、通訳者が繰り返す部分ではない。その「無駄」(訳さなくていい部分)

がある分、時間的に楽になる、とも言える。一方、放送通訳の場合、無駄が一切ないよう に、タイムキーピングのプロによって計算された原稿を、しゃべりのプロであるアナウン サーや報道記者が読むのを通訳する。よって、「無駄」による猶予は一切ない。一寸の無駄 な時間もないように、原稿の言葉遣いもその読む速度も注意深く管理されており、すべて 秒単位で計算されている。このような全く無駄もすきもない読み原稿を完全に再現通訳す るのはまず不可能である。アナウンサーの元原稿ではたとえば読むのに2分19秒かかる 文字数・情報量だったとしても、それをその場で即座に訳した場合にすべての情報を入れ ようとして、2分19秒では収まらない。たとえ時間をかけて、事前にアナウンサーの元 原稿を丸まる翻訳し、通訳者用読み原稿を作成したとしても、言語が異なれば、発するべ き音和数や発音、発話法が違うため、同じ時間内で訳文が入らないのは当然である。一方、

早口にまくしたてて、訳出しスピードをやみくもに上げれば一般視聴者にとっては聞きに

くいニュースとなってしまう。したがって、中身を少し削って、情報量がやや落ちたとし ても、時間内に収まる、聞きやすい言葉を流すことが放送通訳業務にとっては重要である。

時間の管理が、特に肝要となるのが放送通訳なのである。

次に、元音声の性質が異なる。会議通訳業務の場合、通訳するのは、特定分野の会議に 招かれた特定分野の専門家のスピーチや講演などである。スピーカーはその会議主題の専 門家ではあっても、ニュースキャスターのような「しゃべりのプロ」ではないため、わか りにくい話し方をする専門家も多い。発話法や発音等に癖のある演者も多い。会議通訳者 は、いろいろな勘を働かせて、言い損ないの中にも言いたかったであろう意味を捉えて訳 さねばならないし、回りくどい冗長な言い回しも、なるべくそのまま忠実に訳さねばなら ない。この点、放送通訳の場合は状況が異なる。元から万人にわかりやすい言葉遣いでキ ャスター用原稿が作られているうえ、アナウンサーはしゃべりのプロであり、聞きやすい 表現と発話法で原稿を読む。

また、訳語の単語選定においても若干の違いがある。会議通訳の場合、会議参加者は主 題に関する専門家集団であるため、会議通訳者は、難しい専門用語を正確にそのとおり訳 して、参加者がそのままわかるという想定のもと通訳をしている。一方、放送通訳の場合 はそうはいかない。すなわち、通訳を聞いている人々は不特定多数の人々であり、誰にで もわかりやすい表現で訳出しをしなくてはならない。

必要な知識を蓄え、仕事に備えるための準備内容にも差がある。会議通訳のように、数 日間、丸一日もしくは数時間、ひとつのテーマを掘り下げて議論する場での通訳ではなく、

放送通訳の場合は、テーマはひとつに定まらない。ある話題を数秒間取り上げ、次の話題 にすぐに移っていく。ひとつの話題を専門的に取り上げるのではなく、非常に幅広いトピ ックを複数取り上げるため、通訳者がそれに対応するためには深く狭い知識ではなく、浅 く非常に広い知識が必要となる。

一方、会議通訳の場合は、担当する会議の分野を徹底的に知ることが重要である。参加 者も演者もその分野のスペシャリストであるため、通訳者もその話題についていくために は、議論される中身を事前に頭に入れていく必要がある。事前に資料を入手し、これを読 み込み、専門用語を理解しておく。これが準備作業となる。他方、放送通訳者は、そのと きに取り上げられている事件や現象など、時事的な事情に通じている必要がある。ニュー スキャスターはひとつの分野の専門家ではなく、一般の人にわかりやすく伝える役割を負 ったしゃべりのプロである点、放送通訳者の機能と似ている。平易な分かりやすい表現で アナウンサーが話す内容を、通訳者も、同じく平易で分かりやすく、なるべく簡単な用語 で伝えることが要求される。そのためには、放送通訳者は難しい専門分野の議論の中身を 理解することではなく、そのときに一番ホットな内容を国内海外問わず、網羅的に把握し ていることが求められる。南米チリの経済政策にたいする民衆の反応はどうなっているの か、アメリカの選挙戦では民主党と共和党、それぞれどのような世論となっているか、ア イルランドの首相の名前を聞いてピンと来るか、南部アフリカ地帯で広がっている疫病の

名前が分かるか、などきわめて広い範囲での時事問題の把握がキーとなる。したがって、

放送通訳者の準備作業は、インターネットやその他種々の媒体を通じて、なるべく早く世 界各国の情勢を毎日入手し、それに通じていることである。スポーツ新聞は、スクープニ ュースの報道が一番早い情報媒体なので、毎日スポーツ新聞をチェックすると言う放送通 訳者もいる。一線の放送通訳者であっても、しばらくニュースを聞いていないと、復帰す るのに時間がかかるという。今の時点で何が世界でおきているかを頭に入れてからでない と、現場に戻ってこられない。ニュースで取り上げられる話題についていけることが放送 通訳者に必要とされる要件であるからだ。

また声だけでなく、映像が情報伝達の主要な役割を果たすことも放送通訳の特徴である。

一般会議の場合には、たとえビジュアルが準備されていたとしても、その役割は補助的な ものであることが多いが、一方テレビの場合には音声と同じくらいの重みが影像にも与え られている。すなわち放送通訳者が提供する音声情報は多分に映像で補ってもらえる面が ある。

さらにもうひとつの特徴は、実名で通訳者の名前がテロップで映像に載せられ、テレビ 画面を通して社会的に放映されることである。番組によっては放送通訳者の名前が出ない こともあるが、過半数の地上波のニュース番組では放送通訳者の名前が画面に出る。一方、

会議通訳者の場合は、通常パンフレットや資料に名前が出ることはない。この氏名が公に なるという点は、放送通訳者の職業観、意識、就業スタイル、また社会における認知度等 に影響があると思われる。たとえば、自分の通訳パフォーマンスに対する評価が実名で上 がってくる。放送局によれば、早口すぎる、という苦情などがよくあるという。また一方 で、素敵な声の主に対するファンレターが届く放送通訳者もいるという。

なぜ放送通訳者の名前が画面上で公表されるのか、この点をNHK情報サービスネット ワーク社というNHKの放送通訳者養成と派遣を行っている子会社の部長である山田茂氏 に尋ねたところ、特に思い当たる理由はないという。ただ、従前より、ニュース放送に携 わったさまざまなスペシャリストを最後にテロップで流すのは慣習として存在していたそ うである。たとえば、照明担当者やメイク担当者の名前も必ず出ている1

  緊急手配も、放送通訳のひとつの特徴である。会議通訳の場合は、念入りに準備する ことが求められる場合もあり、今すぐに来てほしいという依頼が入ることは、急病人の穴 埋めなどでない限り、まずない。しかし放送通訳においては、急な大ニュースが発生した ときなど、間髪入れず地元のニュースを生同通で流したり、声明文や公式発言を通訳した りすることがある。緊急手配の際は、通常の放送通訳者にだけではなく、会議通訳者にも 連絡が行く。通常の放送通訳者の多くは、生同通2ではなくセミ生3か時差通訳4しか慣れて

1 ただ、番組によっては(例:NHKナイトライン)通訳者の名前が出ない場合もある。そ れについては、以前からそうだったという以上の特別な理由はないそうである(山田氏)。

2 生同通:生放送中、即興で同時通訳すること

3 セミ生:何が話されるかについてなど、多少放送内容の事前情報やスクリプトがあり、準 備が事前に可能な同時通訳

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