20〜40人
10 今後の予測
需要供給に影響を与えうる社会的要素を検討する。2004 年〜2007 年、2008 年〜2011 年、2012〜2015年の三段階に分けて需給の見通しを予想する。更に通訳産業が他の産業と 統合する可能性について検証する。
10.1 社会の変化
グローバル化が進展し、コミュニケーションの絶対量が増加する。ビジネス面では越境 取引がますます増え、国家レベルでは外国政府との協議も増える。学術面では共同研究やそ の成果の共同発表も進み、一国を超えたコミュニケーションの必要が増大する。
グローバル化の進展により、基本的に通訳の需要は増えることはあっても減ることはな い。日本国民の英語力向上により、英語力の平均点はあがったとしても、母国語並みに話せ るレベルには簡単にはならないからである。
10.2 英語力に対する日本人の意識の変化
一方、自分の英語力である程度意思疎通ができると自認している日本人が、どの段階で 通訳を必要と考えるかが、通訳需要に直接的に関係している。それほど上手でない英語(い
わゆる Broken English )でもよしとする聞き手側話し手側のコンセンサスが醸成されれ
ば、専門的な話の会議でも通訳サービスを利用しないでも会議が実施される可能性がある。
特に、最先端の英語力を必要としない、仲間内の会議であれば、通訳サービスを利用せずに 済ませるケースが増える可能性が高い。
日本人の英語能力と、自分の英語力に対する自信がどのように推移するかで、通訳職の 需要は左右されるであろう。英語能力は、急速に変わることは考えにくいが、「自信」とい う面では、少しずつ変わっていくかもしれない。
例えばシンガポールでは、国民の多くが英語を話すが、米国人や英国人がその英語を聞 くとき、発音が中国語的であったり、使われる単語も純粋な英語ではなく中国語との折衷で あったり、違和感を覚えることも多いそうだ。しかしシンガポール人は、それを自国の英語 として自信を持って話す。英語に対するコンプレックスはない。
日本人は、英語能力を高めなければ、発音や単語以前に、シンガポール並みにはなれな いが、それ以上に英語コンプレックスがあるため、英語を積極的に使っていく人口はいまだ 少ない。英語コンプレックスが解消されて、自信がつき、国内の英語使用人口が増えれば、
通訳需要に影響があると考えられる。特に低レベル通訳サービスの需要減につながる可能性 がある。
10.3 英語の相対的な地位の低下
圧倒的な超大国であるアメリカの力が今後弱まっていけば、他の言語に対する英語の相 対的な地位も下がり、共通言語は必ずしもいつも英語でなくてもいいという意識が出来上が
る可能性もある。英語がドミナント言語(支配的言語)である現在では、他言語を母国語と する参加者が多く出席している場合でも、最大公約数を取り、英語が共通言語となることが 多い。今後は、従来と比べ、他の言語と日本語間の通訳が増え、日英の通訳需要が相対的に 減っていく可能性はある。ただし、絶対量としては、日英通訳が依然第一位の需要であり続 けることに変わりはないだろう。現在まで英語で積み重ねられてきたコミュニケーション量 の絶対量が膨大であり、それが無効とされることはありえないからである。
10.4 通訳者の就業意識の変化
供給サイドの多様化が見込まれる。会議通訳者の中にもいろいろなタイプと意識をもっ た通訳者が市場に混在するようになる。一般的に、会議通訳をやっている通訳者は、言葉に 対する感性が研ぎ澄まされていて、頭の回転が速く、黒子に徹するプロ意識を持ち、知的好 奇心が旺盛で、勉強熱心、しゃべり好き、また人間好きで、記憶力が良い人が多いと言われ ている。加えて、フリーランスとして仕事を続けていけるだけの個人主義志向と自立心、セ ルフマネージメントをする自律的ビジネス能力も会社員以上に持ち合わせているだろうと 思われる。また顧客や同業者に受け入れられなければビジネスを継続できないため、人との ネットワーキング力も必要とされる。会議通訳者として成功していくためのこれらの要素は、
今後も大きく変わらないと考えられる。したがって、通訳者の性格的な特長については今後 も大きくは変わらないと考えられるが、個々の通訳者の就業意識においてはばらつきが生じ ていく可能性がある。特に、価値観の多様化により、仕事に何を求めるかという部分におい て、個人個人が異なった意識と期待で通訳職にあたるであろう。
米国メジャーリーグのドジャーズ木田優夫投手の通訳として着任した塩川哲平氏は、木 田投手の通訳を務める以前は日本の商社に勤めていた。2003年2 月にドジャーズに赴いた ばかりである。2003年3 月に木田投手と同乗していた車での交通事故ですっかり有名にな ったが、商社マンがいきなり通訳に転身するということも以前であれば、比較的珍しいこと である。今後は更に、様々な背景を持った人々が通訳への転身を志すことも考えられる。す るとますます通訳者の画一化とは逆の方向に向かうであろう。今後、産業や職業としてのま とまりは、今以上に強まることはないと考える。
10.5 ボランティア通訳者の増加
専門職人としての通訳者だけでなく、ボランティア意識で通訳職を志望する人口も増え ることが見込まれる。様々な意識の「通訳者」が市場参加し、混在する供給市場となるであ ろう。ボランティア通訳者は、見かけ上は、供給量増に貢献するが、会議通訳市場(高レベ ル通訳サービス)の需給バランスには影響があまりないと考えられる。一方、低レベル通訳 サービスの需給バランスには若干の影響があるかもしれない。というのは、ボランティア通 訳として無給もしくは薄給である程度のレベルの通訳サービスを供給する人数が増えれば、
料金を請求して通訳サービスを提供するプロの通訳者に対する目が厳しくなる。具体的には
要求レベルが高くなると考えられる。技術面と品質面で、ボランティア通訳に勝る、料金を 請求するに足るアウトプット(パフォーマンス)が求められるであろう。また「ちょっと通 訳ができる」という簡単な通訳力に対する評価が低くなっていくと予想される。
ボランティア通訳に対する関心が高まっている様子は伺える。2002年にワールドカップ サッカーが日本で開催されたときや、1998 年冬季オリンピックが長野で開催されたときな どは、多くの日本人がボランティア通訳者としてイベント開催に協力したいと登録した。
2003年3 月に京都、大阪、大津で開催された「世界水フォーラム」では、多くの会議通訳 者や会場のバイリンガルスタッフ(有給)に加えて、多くのボランティア通訳スタッフも活 躍した。会議通訳者のために新たに出た資料のコピー取りをして届け、スピーカーに水を用 意し、外国人から会場への行き方などについて質問が出たら対応することなどが、ボランテ ィア通訳者の仕事であった。著者が会議通訳者として現場を歩き回り確認した限り、会議通 訳者が 150 人であったとすると、ボランティアスタッフは少なくともその倍の300 人ほど いたのではないかと思われる。
ボランティア通訳者の明確な定義はないが、日本通訳協会1は、ボランティア通訳者の検 定試験を行っている。この通称V通検の受験者は、年々増加している。学内などで、V通険 の受験を促すポスターが貼ってあるのも大分目に付くようになった。大学で通訳を教える講 師は、V通検の受験を勧めることも多く、通訳を学ぶ人々の間では認知が進んだと思われる。
10.6 通訳サービス供給媒体の変化
老舗のエージェンシーのみでなく、新興エージェンシーも勢力を伸ばすだろう。新興エ ージェンシーの中には、従来の通訳者斡旋に特化したエージェンシーだけでなく、異業種か らの参加者も考えられる。通訳を職人技として扱うのではなく、あくまでもビジネスの商品 として扱う流れが、今後更に強まると考えられる。
例えば株式会社ベネッセコーポレーションが老舗サイマルを引き継いだのは 1998 年の ことであるが、それまでベネッセは通訳ビジネスとは直接接点がなかった。ベネッセは旧福 武書店であり、「進研ゼミ」の会社として有名であった。倒産したサイマルを引き継ぐこと を決断した背景には着目点が三つあったという。現金ビジネスであること、無在庫ビジネス であること、教育に関わるビジネスであること、の三つである。同社はベルリッツも所有し ているため、英語学習ビジネスの上部組織に通訳者斡旋を置くことができると考えたそうで ある(ベネッセ CEO 福武總一郎氏が 1998年に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科にお いて大江健教授主催「中小企業変革論」の講演中に言及)。一般的に在庫を持たずに現金回 収できて、しかも教育ビジネスとも連動するというのは魅力的な話である。日本人の学習意 欲は高い。「物」に満足しきった世代が、今後ますます有形物よりも無形の「体験」を求め、
自分を高めることに金を出すようになってくると、教育ビジネスが更に栄えることが考えら れる。
1 第8章の日本通訳協会の項を参照。