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2万( 12万)

ドキュメント内 日本通訳産業研究 (ページ 49-60)

(聞き取りデータを基に筆者作成)

4.1.3.1  供給曲線S1〜S1

この時期には通訳をすることのできる人材は少なかった。通訳者を組織する専門業者

(PCO やエージェンシー)は存在しなかったため、国際会議の主催者や通訳者を必要とす

る団体が、自ら人材集めをしなくてはならなかった。通訳者は皆非専従のアルバイトであっ たため、正確な人数は不明である。聞き取り調査の結果、約15〜40人と著者は推定する。

人材の希少性ゆえ供給線は左寄りになっている。また、通訳技能の特殊性から、通訳サ ービスを提供できる人材は常に稀であり、通訳能力を一夜にして身に付けることは不可能と いう想定の下、供給線の価格弾力性は基本的に小さいと考える。よって供給直線は直立気味 である。他方、この時代は産業前段階であり、通訳者や通訳業務の定義が存在せず、通訳者 と通訳業務に対する要求水準の統一見解がなかった。英語の能力さえ十分にあれば比較的誰 でも「突発的通訳者」になりやすかった。そこで、この時代においては、「お金がそこまで もらえるのならばやってみようか」という突発的通訳者の存在をかんがみ、価格弾力性をや やもたせ、供給直線が全くの直立ではなく、やや傾くと考える。

国際会議を主催する人に向けて書かれた日本初のマニュアル本とも言える『国際会議』

(吉田正男、渡辺克己、小浪充、1965:p226)の中で、小浪氏は、通訳者手配について、

日ごろ忙しい通訳者をつかまえるには、2−3 ヶ月前に予約しておくこともまれではない、

最もいったん約束しておいた通訳(者)が直前になってことわってくるということもあるか ら、予約はしてあっても十分確認しておく必要がある、と書いている。2−3 ヶ月前に手配 をすることは現在でも珍しくないが、通訳者が直前になって断ってくるということは、現在 ではよほどのことがない限り考えられない。通訳者手配が市場サービス化される以前だから こそ起こりえた現象と思われる。逆に言えば、そのような通訳者側の行為も許容されるほど、

供給が逼迫していたと考えられる。

4.1.3.2  需要曲線D1

需要の価格弾力性は小さい。競争市場が存在しないため、価格が下がればもっとサービ ス購入する、という選択肢がそもそも存在しない。需要の中身は国の案件が多く、通訳料金 の支払いは政府予算からであり個人財産の出費ではなかったため、通訳費を節約しようとす る動機も強く働かなかったと考えられる。

終戦直後の通訳サービスに対する需要については、発生元が限定的であった。主に戦後 の経済社会環境の変容による需要発生であった。米軍の戦後処理関連の案件、大使館の需要、

また国際会議の需要が若干存在した。国際会議件数とその需要は、この後、年を追うごとに 伸びていった。

4.1.3.3  通訳料金

需給が均衡した料金は、当時としては非常に高い料金であった。聞き取り調査の結果、

当時の料金で1〜2 万円の水準であったと推定する。当時の通訳サービスの供給は需要に対 して極めて希少であったことと、日英通訳の場合はアメリカやヨーロッパの料金設定2が模 倣されたことから、料金が非常に高水準であった。

前述『国際会議』の中で小浪氏は、逐次通訳の待遇について、個々の場合に応じて千差

万別で一般的には言いがたい、国際的な最低線3は、日本でもほぼ当てはまると見てよいが、

通訳の技術、本職とする職務の種類と、それに与える影響、負担の軽重等によって移動があ ると見なければならない、と書いている。この時代の通訳者は誰も専門・専従の通訳者では なかったため、本職の職務の種類によって料金が変わった、というのは特徴的なことであろ う。現在では、仮に通訳者がどんな他の職と兼任していようが、技術レベルが同じであれば、

料金が他職の内容によって影響を受けることはない。歌手と兼任していようが、美容師と兼 任していようが、通訳料金は同じである。

4.2  通訳職黎明期  −日本における通訳者登場の背景といきさつ―  1960〜69

個人アルバイトの時代が終わり、通訳職が誕生するのが 60 年代のことである。その以 前、日本に通訳を専門に行う職業者としての通訳者がいなかった頃は、英語のできる人々が、

時々に応じ通訳をするという状況であった。後に、アメリカで訓練を受け、通訳者として活 動した経験のある人々が日本に戻ってきてから、日本でも専業職業人(プロ)としての通訳 者が存在するようになった。彼らが後の日本の通訳産業を形成する基盤となった。

日本にプロの通訳者を誕生させるきっかけとなったアメリカでの通訳体験と、エージェ ンシーの設立の設立過程を概観する。

4.2.1  アメリカ国務省の求人

アメリカでの本格的な通訳の大規模需要が発生した。終戦後、米国による対日経済援助 が行われ、その一環として米国施設見学を含めた総合的な研修プログラムが実施された。そ の際に同行通訳をする業務が発生した。

米国政府は、日本の生産性本部との連携により、日本産業を育成する目的で、日本人の 財界・産業人を招聘した。日本からは、一研修につき約 10名の人材が、1ヶ月程の渡米研 修に参加した。GM, Ford, Chryslerなど、当時のアメリカを代表する企業がこのプログラ ムに協力し、セミナーや施設見学を実施した。日本からは鉄鋼産業のような重厚長大産業の 人材が参加し、米国人の専門家から研修を受けた。この視察プログラムの日本人参加者のた めに通訳をするのが米国務省募集の仕事内容であった。同時通訳用の機械や優先設備などの 機材一式は米国に全て揃っていた。

この通訳団の募集が日本で行われたところ、多くの人材が応募した。後に日本の通訳界 を牽引する立場となる小松達也氏もその一人である。同氏は、大学を卒業後、外資系企業に 勤務した後、応募した。そして1960年頃に渡米し、米国務省Language Service Department の通訳試験を受け、アメリカで通訳の仕事に就いた。最初の小松氏の仕事は石油関連の研修 であった。その他にもその後日本通訳界で第一線の通訳者として名を馳せることとなる國弘 正雄氏、近藤正臣氏、村松増美氏などがこのプログラムの募集に応じ、活躍した。サイマル 設立者の一人である村松増美氏は、1956年から10年間米国で通訳をした(3/23/2003日経)。 このプログラムは徐々に先細りし、1962年頃終了した。通訳者は日本に帰国した。

3 アメリカやヨーロッパの最低料金水準については4.2.4.1を参照。

この視察団派遣について生産性本部創立10周年記念出版「生産性運動10年の歩み」、(生 産性本部、1965:p39)から引用する。

「海外への視察団派遣は、生産性運動をこの 10 年に限って考えると、その業績か らいってもっとも高く評価される活動である。・・・視察団は、国民経済のほとんど あらゆる分野にわたって派遣された。・・・この10年間に派遣された視察団は総数約 660チーム、参加人員は6,600名を超している。しかも、この6,600 名はいずれも、

各界、各層の指導的立場にある、いわゆる影響力を持つ人々である。これだけの人々 が、それぞれ生産性の意識を持ち、生産性の問題を抱えて、先進国の経済、産業の 実情を精力的に視察し、その成果を国民経済の生産性向上にもちこんだのである。」 視察プログラムを能率的にサポートした通訳団の英語力と教養の高さ、また彼らの活躍 ぶりが、この視察旅行を効果的にせしめた大きな要因であったことが記されている(p46

−47)。

「日本人は相当に英語を勉強した人でも、話すのと聞くのは苦手というのが多い。

まして日常英語を使う機会も必要もない一般の日本人にとって、アメリカ人に十 分通用するだけの英語の力がなければ視察団に参加できないとなると、今回のよ うな大規模な視察団の派遣は、初めから成りたちえない相談であった。そうなる と、ICA 方式がどんなに能率的であっても、結局絵にかいたモチに等しい。それ を絵でなく本当のモチにしたのはワシントン駐在の強力な生産性本部通訳団の存 在である。視察団の通訳は、一とおり英語が読めて、書けて、喋れるというだけ ではだめであって、それこそあらゆる産業、あらゆる専門分野について、ある程 度の知識と理解力を持っていることが必要である。これは容易なことではない。

ワシントン駐在の通訳は、アメリカ大使館と本部の高度な語学試験を受け、これ をパスしたものが、さらに国務省の通訳訓練学校で厳しく訓練されてはじめて視 察団への同行を認められた。訓練学校の在校生は、最盛時には二十六名に達した。

視察団の派遣が所期の目的をあげたとすれば、それはこの人たちの猛烈な勉強と 献身的な活動に負うところが大きいことを忘れてはならない。視察団を送る壮行 会の席上、石坂氏(元経団連会長、初代生産性本部会長)はしばしば、「私は二十 数回海外旅行をしているが、生産性視察団の一員として渡米した経験は最も内容 の充実した効果の多いものであった。一ヶ月ばかりの視察であるが、もし個人で 計画すれば、一年かかっても、これだけの成果はあがらなかったであろう。」と語 ったが、この成果は、団員の熱意、ICA の能率的な運営、通訳の献身的努力が一 体となって実現したものである。

この生産性運動の誕生期に多くの責務を担った野口敏雄氏は、その著書「ある明治人の 手記」(制作日本生産性本部、1992年12月25日発行、非売品)の中で、視察チームに随行 した通訳チームとその選抜段取りについて下記のように書いている。

「視察チームに秀れた通訳者を随行させる要があるので、全国的に募集したところ

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