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ドキュメント内 第6・7次調査 (ページ 117-130)

A〃 C D

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 13 べ土ゴー        8    9    〜11a/      12b/       13 〈A断面〉

       2 d SDO3e

10      7 6       11a          12;_一_          〈8断面〉   e 6 1 7 8 4

坐』(12b 45a5b 6d l 9 ≠一一一 B 巳∫Om 2」Om C 3=Om       1[〔ユ⇒二=:

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      〈C断面〉 C 8

一∠こ:=:二=

D 旦Om }τ一グ『 1.造成土 2.灰褐色粘質土(粗砂) 3.明茶褐色砂質土 4.明黄灰色砂質土(Fe帯状斑紋) 5a.黄灰褐色砂質土   (Fe・Mn帯状斑紋)

12b 5b.暗黄灰褐色土   (Fe・Mn帯状斑紋) 6.暗灰色粘土(Fe・Mn多) 7.淡灰褐色砂質土   (細砂多、上面にFe多) 8.明黄灰色土(Fe多)

11b 9.暗灰褐色土(Fe過多) 10a.黒褐色土(Mn多) 10b.黒灰色粘質土 10c.淡黒灰色粘土 11a.暗灰褐色粘質土(Mn) 11b.淡灰褐色粘質土(炭、焼土)

      乙Om      〈D断面> 0      2m 11c.黄灰褐色土   (黒灰色粘質土ブロック) 12a.明黄褐色粘質土(Fe多) 12b.明黄茶褐色土(Fe多) 13.青灰〜緑灰色粘土 図87 調査区土層断面図(縮尺1/80)

の7層に対応するが、同調査地点で見られた畦畔は、本地点では5層による削平によって消失 している。上面レベルは、北西部分で3.1mとやや低いが、全体的には3.2m前後でほぼ平坦と

言える。

 遺物は、中世土師器が大半を占め、吉備系土師器椀の最終末のタイプが目につくことから、

本層は室町時代、14世紀中ごろに位置づけられる。

〈7層〉 細砂を多く含む淡灰褐色砂質土で、上面に鉄分が多く沈着している。南に向かって 砂質を強め、ほとんど砂になる。第6次調査地点の8層に対応し、洪水砂の可能性が考えられ る。調査区南端付近で東西方向の坪境溝の一部を検出した。上面のレベルは、やはり北西部が 若干低いが、全体的には3.1m前後で、大きな地形的変化は認められない。

 時期は土層関係から古代に属すると考えたい。

〈8層〉 砂質を帯びた明黄灰色土である。鉄分とマンガンが少し沈着している。南に向かっ て次第に砂質を強める。上面の高さは3.Om前後であり、調査区全域はほぼ水平である。層厚は 10cm程度である。

 水田畦畔および東西方向の坪境溝の一部を検出した。水田区画は東西方向の方形を呈す。遺 物は比較的多数の土器類が出±している。古代の遺物が中心であるが、弥生時代〜古墳時代の 土器も比較的多く含まれ、時期幅は大きい。造成土的要素が強いと考えられる。本層の時期は 古代(平安時代中頃〜後半)と言えよう。

 第6次調査地点の9層に対応する。

〈9層〉 水田層である。暗灰褐色土で鉄分の沈着が上面を中心に非常に顕著である。上面の 高さは2.95〜3.Omでほぼ水平である。層厚は10〜20cmを測る。

 遺構は上面および下半において検出された。本層は土質からの分層は困難であったが、遺構 の状態から、上半を9a層、下半を9b層として捉えている。

 9a層上面では、東西南北に方形に区画された畦畔および直線的に走る東西溝1条を検出し た。東西溝は第6次調査地点の溝(SDO8)から続くものである。9b層では、北東から南西方 向の溝1条と数個のピットを検出した。9層上面水田以前の遺構であると思われる。

 出土遺物は、量的には、弥生時代後期を中心に中期後半までが主体を成し、縄文土器・弥生 前期土器・古墳初頭のものも少量出土しているが、最も新しい時期では古墳時代後半、6世紀 後半〜7世紀初頭の須恵器が認められており、9a層の時期は該期に求められる。9b層は、

弥生時代後期〜古墳時代前半期の可能性が考えられる。

〈10層> 3層に細分できる(10a・b・c層)。10 a層は黒褐色土でマンガンの沈着が著しく 硬くしまっている。上面の高さは2.6〜3.Omで、地形としては北西方向に下降する。10b層は 黒灰色粘質土、10c層は淡黒灰色粘土で、ともにその下降する調査区北西部に認められる。層

厚は、約20〜50cmで、下降する北西に向かって厚くなる傾向がある。平均的には30cm程度であ

る。

 上面では、地形に規制されて区画された水田畦畔と溝が検出された。遺物は弥生前期土器が 中心である。そのほかには縄文後期の土器も少量含まれる。突帯文期の土器はほとんど出土し ていないが、周辺部のこれまでの状況から、本層は形成期は突帯文期まで遡り、最終段階が弥 生前期と考えたい。

 第6次調査地点の17層に対応する。

〈11層> 10層から12層への漸移的な層である。3層に細分できる(11a層,11b層,11c 層)。11a層はマンガンを含む暗灰褐色粘質土、11b層は炭、焼土を含む淡灰褐色粘質土、11c 層は黒灰色粘質土ブロックを含む黄灰褐色土というように次第に変化して12層に近づく。上面 は南東から北西に向けて傾斜した地形を示しており、その高さは南東部で2.8m前後、北西部 で2.4m前後である。

 上面では南東部を中心に±坑・小ピット群を検出した。遺物は少ないが、縄文時代後期の土 器片が出土しており、本層の時期は縄文時代後期に求められる。

 第6次調査地点では確認されていない層である。

〈12層〉 本調査区の基盤層を成す層である。大きく2分される。12a層は、鉄分の沈着が著 しい明黄褐色粘質⊥で、12b層も同様に鉄分の沈着の著しい明黄茶褐色土で、北西部に行くに

写真25 調査区南壁断面(北から)

つれ、グライ化が激しくなる。上面の高さは南東部で2.4m、北西部で2.2mを測り、南東から 北西に向け傾斜している。

 上面において多数の小ピヅト群と炉跡を検出した。ピット群は標高の高い南東部により多く 分布する。炉跡1の周辺には炭が集中し、縄文時代後期の土器片が僅かに出土した。全体的に 出土遺物は僅少であるが、他地点での状況と考えあわせて、12層の時期は、縄文時代後期頃と 考えられる。

 第6次調査地点では19層に対応する。

〈13層〉 本調査区の基盤層の下部を形成する。青灰色〜緑灰色粘土層であるが、一部で鉄分 の沈着から黄色を強める部分も認められる。上面レベルは大半は2.10〜2.2m程度を示すが、

低い部分で1.8rn、高い部分で2.25mの値を示すところもあり、かなりの起伏が存在すること が想定される。遺物の出土は確認されていない。土層関係から縄文時代後期以前に形成された 層と考えられる。

 第6次調査地点では直接対応する層は認められない。

〈13層以下> 13層以下は、地下室予定地の立会調査の際に観察を行なった。その結果、流木 など木質を多量に含む粘質土層と砂層の互層が確認された。この状況は、標高0.3mまで続い ていた。さらにその下層には、第6次地点21層に相当する砂礫層が存在することがボーリング 調査の結果から推測される。

b.地  形

〈縄文時代後期以前〉…13層より下層〔第6次:20層以下〕

 ボーリング調査の結果から本調査区内での最古段階は砂と礫で形成されていることがわかっ ているが、自然堤防の後背側に位置するようである。また、流木片などの木質を多量に含む粘 質土層と砂層の互層も認められているが、おそらく後背湿地に堆積した層であろう。

〈縄文時代後期〉…12層〜11層〔第6次:19層〕

 初めて人為的痕跡が検出される。調査区南東部から北西部に向かう緩斜面が存在する。自然 堤防の後背側斜面だろう。多くの小ピット群や炉が掘られ、かなり活発な人間活動を感じさせ

る。

 この段階で、弥生時代までの基本的な地形が形成されたと考えられる。

〈突帯文期〜弥生時代前期〜古墳時代前半期〉…10層・9b層〔第6次:17層〕

 前段階に形成された地形の中に、有機物を多く含む黒色土が形成される。突帯文期〜弥生時 代前期である。これは本地区がいわゆる湿地的様相を有していたことを示す。上面には自然地 形に規制された水田が形成される。

 こうした状態は古墳時代前半期(9b層)にも続いてみられ、地形に沿った溝が検出され る。弥生時代後期〜古墳時代前半期段階でも、まだ自然地形に制約されていたようである。

〈古墳時代後半期〜古代〉…7〜9a層〔第6次:8〜10層〕

 それまで残存していた自然地形の影響は古墳時代後半期の造成によってかなり小さくなり、

大きく状況が変化する。古墳時代後半期段階には、それまでの自然地形に規制された区割りか ら、東西南北の方形区画へと大きく変化し、さらに、古代(平安時代後半)には条里の坪境の 位置に大溝が出現する。これらは、以後踏襲されるもので、その後の区割りの基礎が完成した

と言えよう。

〈中世以降〉…6〜2層

 古代で完成した地形は、その後近代に至るまで基本的に変化しないで継続する。その中で、

中世(室町時代)段階に再び大規模な造成が行われた可能性が認められ、地形はさらに平坦化 する。水田区画も長地型に変化しているようである。これ以後、景観に大きな変化は認められ なくなり、近代に至る。

 地形については以上のような変遷が認められた。

 まず、縄文後期から古墳時代前半期の地形変化については、第6次地点でもふれたが、周辺 地域も同様の様相を呈している。ただ、本地点は自然堤防の後背側斜面という点で、他地点と 少し異なる様相を示している部分もある。これらは、縄文海進以降の沖積作用の進展と平野の 形成や、いわゆる弥生小海退に伴う海面の低下などの自然環境の変化と密接に結び付いた変遷 を示していると考えられる。

 次に、古墳時代後半期以降の変遷については、第6次地点と全く同じといえるだろう。しか し、既述のように、構内以南では必ずしも一致した状況を示さない。このことは、地域に一律 に土地開発が行われたのではないことを示しているだろう。それは条里制がどのように施行さ れたのかとも絡んで重要な問題点を含んでいる。

3.縄文時代の遺構・遺物

 本調査地点は、南東から北西に傾斜する自然堤防の後背側の緩斜面にあたっている。その上 面において、炉跡2基と小ピヅト群を検出した。元位置を保つ炉跡は2基であったが、そのほ かにも、焼土塊などの集中が周辺に認められており、人的な活動の存在を窺わせる。小ピット 群の中には、有意な配置を示すものは確認できなかったが、より標高の高い方に集中する傾向 がある。遺物はほとんど出土していない。

ドキュメント内 第6・7次調査 (ページ 117-130)