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ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報9 (ページ 184-195)

一一

一一 一一 一一

瓦質火入

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

・9c 中 葉 頃

90 

仙 台城跡 出土の皿類以外 の土師質・瓦質土器 の変遷 ng.9o chronological sequence of ceramics except dishes

165〜166

この時期 には、軟質施釉陶器の焙烙は、出土点数が増加する。なお、このような軟質施釉陶器 の焙烙 は、 よ く似 た形態の ものが、近年 まで仙台市の堤 において生産されていた。

 

摺鉢

土師質の もの と瓦質の ものがある。瓦質の ものは、二の丸跡では良好な資料 に欠けるが、三 の九跡のI期の資料の中に、比較的多 く含 まれている。 これ らのおろ し目はかなり粗い。中世 以来、作 られて きた ものの系譜 を引 くものであろう。二の九跡で も、瓦質の情鉢は18世紀 ・19 世紀の遺構や層位か らも少数出上 しているが、いずれ も小破片で、確実に年代が判明するよう な資料 は無い。一方、土師質の悟鉢は、19世紀中葉頃の資料 に確認 され、全体の特徴 は不明で あるが、おろ し目は密 に施 されている。

 

その他の土師質の鉢類

17世紀初頭〜前葉の資料から、18世紀末〜19世紀初頭の資料に、鉢 と考えられる土師質土器 が見 られるため、図90に掲載 しておいた。このうち、18世紀後葉のものは、扁平な体部に短 く 直立する回縁部が付 くもので、体部側面には大 きな窓が開けられている。用途は不明である。

同様のものになると思われる破片が、18世紀末〜19世紀初頭の資料にも認められる。

 

火入

火入 としたものは、17世紀初頭〜前葉の資料 と、19世紀中葉頃の資料 に、瓦質のものがそれ ぞれ 1点 含 まれるに過 ぎない。両者は、形態的に差が大 きく、相互の関連は考え難い。前述の ように、17世紀初頭〜前葉の資料は、他地域から持ち込 まれたものの可能性 も含めて、今後検 討が必要である。

19世紀中葉頃の資料は、第10地点のⅢ層出土のもので、次に述べる火外の

B類

を小型にした ようなものである。法量の点から、火入 と考えた。この第10地点出土の火入 と同様の ものは、

19世紀初頭の佐沼城跡 S K13土 坑からも出土 している (佐久間・小村田1995)。

 

火鉢

今回、火鉢 としたものは、全て瓦質のものである。日径に対 して器高が浅 く、体部の立ち上 が りが緩い

A類

と、日径に対 して器高が高 く、体部の立ち上が りが強い

B類

に大別できる。

A類

は、日縁部直下の外面に、縄 目状の粘土紐 を貼 り付けるもの

(Al類 )と

、なにも付 け ないもの

(A2類 )と

に分かれる。いずれも、大 きさにはかなりの幅があ り、使われる場所に よつて、異なる大 きさのものが使用されたものと考えられる。

Al類

は、三の九跡 I期 の資料 の中に見 られ、江戸時代初頭から存在する。口縁端部は、内狽」がわずかに突出する。元禄年間 の資料 には、

Al類

A2類

の両方が見られ、日縁端部は、いずれも内側だけが突出させ られ ている。19世紀中葉頃の資料では、回縁端部が内外両側 に突出させ、断面が

T宇

状 となうてい る。このように、火鉢

A類

の時間的変化の方向としては、上記 した口縁端部の形状の変化が想

167

え恕 硼

::翌

91 

火 消 壺 の 類 例

Fig.91  Similar examples of charcOal cxtinguishers

定 される。ただ し、第

9地

点 Ш期 (寛永 15年〜元禄年間)に帰属する10号溝か ら、

A2類

で口縁部の断面が

T字

状 を呈する ものが出土 してお り、問題が残 る。

B類

とした ものは、18世紀前葉の資料 に、その可能性のあるものが含 まれるが、

確実ではない。19世紀中葉頃の第10地点

Ⅲ層では、

A類

をしの ぐ数が出土 してい る。

A・

B類

以外 にも、火鉢 になる可能性 のある資料が出上 している。18世紀後葉 の資料 には、口縁部 を外側 に折 り返 したようなものが出土 している。また、小破片がほとんど で、全体の特徴が判明する資料 は無いが、刻印を有する瓦質土器が、各時期 に見 られ、これ ら

も火鉢 になる可能性が残 っている。

 

火消壼

19世紀 中葉頃の第10地点出上の ものが、形態か ら火消壼 と考 えた。全 て土師質土器である。

法量で若千異 なるものが出土 している他、体部の張 りが強い ものがあるが、基本的な形態は共 通す る。 また、第

5地

点で、 これ らの火消重 の蓋 になる と思われる ものが出土 している (図 91‑1)。 第10地点出土のやや大型の もの と、法量が一致す る。

火消重 は、仙台市太白区富沢遺跡第15次調査 において、力・蓋 とも瓦質の ものが出上 してい る (図

91‑2〜

5、 斎野裕彦 ほか1987)。 この内

2号

墓 出土の ものは、舅に蓋 をした状態で出 土 している。蓋 をした状態か ら、火消壼で間違いない もの と思われる。二の九跡出土のもの と は、形態上の差が大 きく、瓦質である点で も、違いが大 きい。富沢遺跡出土のものも、二の九 跡出上の もの と近い時期 と思われ、二の九跡出土の ものが、火消壼 と考えて良いか、問題が残 る。 しか し、第

5地

点の蓋 を含めて考えると、現状では、別の用途が想定 し難いため、一応 こ こでは、火消重 としてお きたい。

 

蚊這 り

年報

8で

概略は指摘 したが、図92に示 した瓦質土器が、蚊遣 りになるものと考えられる。類 例 は、宮城県志田郡松山町の上野館跡で出土 してお り (佐久間ほか1993)、 円形の上半部 と、

逆台形の下半部からなる。底面には三足が付 くものと、リング状にしているものがある。上半 部 と下半部の境がふさがれ、そこに小円孔が多数開けられた、作 りつけのさなになっているも のがあ り、ここがふさがれていないものは、別に作ったさなを置いて使用 したものと推定され

168

12

一 

・  ヽ

6

斎涌Ⅷ 哩硼 勲盟Ⅷ 窯縣鶴鶴照騨軒斜噸 轍 iて報韓鰹縫

推定復元図

使用状況 推定復元図 図

92 

蚊遣 りの類例 と推 定復 元

Fig.92 Similar examples of mosquito― repellcat utensils and he reconstnttion of use of it 三嗽\慕

〉≧童 堅垂 く

早 苺ヽ

10

1∞

0    5    10 Cm

93佐

沼 城跡 出土 七輪 Fig.93 The portable cooking

る。 これ らの資料 の本体上半部 と蓋 の内面 には、多量のタール 状の付着物がついている。特 に、本体上半部 にあけ られた円窓 と、蓋 に開け られた円窓には、タト側 に垂れるようにはみ出すほ ど多量 のタール状 の付着物が認め られ、多量の煙 を出す用途が 想定 される。二の九 出土例の本体内側の底面中央付近 には、火 熱 を受 けた痕跡が認め られる。一方、上野館跡 出土例 の、作 り つけの さなになっている部分の上面では、小孔の周囲だけが火 熱 を受 けてお り、火熟が小孔の下側か らあたっていたことがわ かる。本体上半部 と下半部の狭 くなった部分 にさなを置 き、そ の上 に置いた植物 などを、下半部 に入れた炭で熱 して、煙 を出 stove tom ttnuma Castleし て燻す構造 と考え られる (図92)。 18世紀末〜19世紀初頭 の 資料か ら見 られ、19世紀 中葉頃にもほ とん ど同 じ形態の ものがある。

佐沼城跡のS K13土坑か ら出土 した19世紀初頭の一括資料 の中に、 ここで蚊遣 りとした もの に、比較的類似 した形態の資料が見 られる (図93、 佐久間・小村 田ほか1995)。 土師質で、日 がほとんどすぼまらず大 きく開いたままである。上半部 と下半部の境は、作 りつけのさなとなっ ている。残存部分が少 ないため確実では無いが、下半部には炭などを入れて火 を燃やすための 窓が開け られていた もの と推定 される。ただ し、上半部の内面 にタール状の付着物は見 られな い。 この点か ら、先 に復元 した蚊遣 りとは、異なった用途が想定 される。報告書では、七輪 と されている。基本的には同様 の形態 を取 りなが ら、一部の形 を変えることによって、様々な用 途の道具 を作 り分 けていた可能性が想定 される。今後、良好 な資料の蓄積 を待 って、個々の用 途 を検討 してい く必要があるだろう。

 

規炉 。手夫り

18世紀後葉の瓦質土器には、規炉 としたものと、手久 りが含まれる。規炉 としたものは、上 部がややすばまる円筒形のもので、本体の側面には、一方に大 きな窓を、もう一方に小円窓を 開ける。日縁部には、一ヶ所、切 り欠いた部分がある。一応、規炉 としたが、全体の形態が不 明であ り、確証はない。手久 りは、兎を模 したもので、特殊なものであろう。

 

その他の上師質・瓦質土器

これまでに述べた土師質・瓦質土器以外で、19世紀中葉頃の資料にのみ認められるものとし ては、炭櫃・五徳・十能 。甕

?が

ある。

炭櫃 としたものは、瓦質で、方形の箱形の本体に、水平に外側に突出する鍔状部を有するも のである。五徳 としたものは、土師質で、円筒形を呈 し、円形 と逆三角形の穴が開 く。上端に 突起がついていた痕跡があることから、これが土瓶などを掛ける部分の可能性を考えて、五徳

とした。十能は、火 を付 けた炭 などを運ぶための道具で、瓦質のち りとりのような平面形をし ている。瓦質の甕は、鍔状 に外側 に突出する口縁部を有するものである。

⑭ ミニチュア

大 きさなどか ら実用品 とは考 え難い ものを、 ミニチュアとしてまとめた。確認で きる種類 と しては、甕・壺 ・悟鉢・杯 ・蓋 などがある。18世紀後棄以降の資料 に見 られるが、 この18世紀 後葉の資料

4で

、 まとまって多種多様 なものが出土 している以外 は、 ご く少数の出上で、時間 的変化 を検討で きる状況 には無い。

これ らの中で、用途が半」明 しているものはほとんどないが、豆甕 については、用途 を推定で きる材料がある。宮崎町切込焼記念館で所蔵 している鉄釉 をかけた陶器製の甕で、高 さ7.Ocm の小型の奏 と、高 さ3.1伽の豆甕である。宮崎町内切込地区の庄司家の旧家屋解体時に、藁づ とに包 まれた状態で発見 された ものである。甕の中には米が納め られていたという。庄司家の 旧家 は、慶応頃の建築 と伝 えられ、家の新築時に行われた風習 と見 られている (畠山静子 ほか

1994)。 二の九跡第

9地

点16号土坑 出上の豆甕 には、「御落成」 との墨書が見 られる ものがあ り (図78‑756)、 同様 に、建物新築時な どに使 われた もの と考 えられる。 また、19世紀 の資料で は、二の九跡か らも陶器製の豆甕が出土 している。

(5)小

いまだ良好 な資料 に欠ける時期 も多いが、仙台城出土の土師質土器・瓦質土器の変遷 を検討 して きた。 この中で、大 きな画期 として とらえられるのは、元禄年間の資料であろう。 この元 禄年間の資料か ら、土師質土器 と耳皿に、外面 に ミガキの再調整 を施す

B類

が含 まれるように なる。 これ以降、

A類

B類

が併存 し、幕末 まで至る。皿類 は、土器類の中で、最 も出土量が 多 く、 この変化 は重要であろう。 また、地元産の焼塩壼 も、

D類

に統一 される。いわば、仙台 藩での土器類の基本的な姿が、元禄年間までに確立 していると言えよう。それ以降は、大型の ものを中心 に、随時器種が増加 してい く変化 として見ることがで きる。 このような変化が、何 時の時点に起 こるのかについては、17世紀 中葉か ら後葉の資料が欠落 している現在では、明確 に指摘で きる状況 にないが、少 な くとも元禄年間までに、このような変化が起 きたことは明ら かである。

(註

1)仙

台城三の九跡出土資料 については、報告書で図示 されている資料 について、観察表 に記載 された法量か ら分布図を作成 した。

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報9 (ページ 184-195)