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東北大学埋蔵文化財調査年報9

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(1)

東北大学埋蔵文化財調査年報9

著者

東北大学埋蔵文化財調査研究センター

雑誌名

東北大学埋蔵文化財調査年報

9

発行年

1998-02-27

URL

http://hdl.handle.net/10097/45610

(2)

ISSN 1341-6952

東北大学埋蔵文化財調査年報

9

仙台城二の丸跡第10地 点の調査

芦 ノロ遺跡第

2次

。第

3次

調査

考察編―仙台城二の九跡の考古学的調査―

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター

1998

(3)

東北大学埋蔵文化財調査年報

9

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター

(4)
(5)

1.仙

台城二 の丸跡第 10地 点 Ⅲ層 出土陶磁器

(6)

1.仙

台城二 の丸跡第 10地 点 Ⅲ層 出土陶磁器

(7)

東北大学の構 内には、

lo万

年前 をはるかにこす前期 旧石器時代か ら近世 ま

で、永い歴史の貴重な遺産が多数地下 に眠っている。本センターは、昭和

58

年か ら平成

9年

まで大小

loo件

をこす構 内遺跡 の調査 を進めて きた。

その結果、青葉 山キャンパスや三神峯地区では、前期 。後期旧石器、縄丈

時代 の土器、住居跡 などが発見 されている。 ことに青葉山は厚 く堆積 した火

山灰層 中に旧石器時代の数時期 にわたる生活痕跡が保存 されてお り、重要 な

埋蔵文化財包蔵地である。 また、文科系 四学部や図書館、記念講堂の立ち並

ぶ川内南キャンパスは、仙台城二の丸や御勘定所の遺跡であ り、複雑 に重 な

りあ う多数の遺構 と膨大 な量の遺物が発掘 されている。 さらに川内北 キャン

パスは、仙台藩の上級藩士の屋敷跡 にあた り、多数の遺構 と様々な生活資材

が出土する。

発掘調査、その後の出土資料の整理、分析、報告書作成 といった一連の作

業 における調査研 究員の忍耐強い努力 によって、最近、 この構内遺跡の様子

が全体的に推測で きるようになって きた。 ことに二の丸跡では、明治

15年

火災で生 じた厚 い焼土の下 に、詰門、玄関、小広間、御書院 といった中枢施

設、そ して中奥が よ く保存 されていることが明 らかになった。

地道 な調査 の蓄積 によって、二の九 中枢施設、武家屋敷跡 など構内遺跡の

状況が よく把握で きるようになって きたことで、近世城郭の中で も重要 な文

化遺産である仙台城二の丸跡 をどの ように将来に伝 えてい くのか、東北大学

の教育・研究環境 を整備する計画のなかに、 こうした貴重な埋蔵文化財 をど

の ように取 り込んで活用 していけるのか、 といった課題 を検討 してい く必要

が生 じて きた といえる。

本年報では、仙台城古絵 図や歴史史料 との対比 を行いなが ら、これまでの

発掘調査成果 にもとづいて、二の丸建物跡の配置 と変遷 を検討 し、その復元

を試みた。作成 した二の九建物配置推定図は、仙台城研究の手掛か りとして

極めて重要 な資料 となるものである。 さらにこの資料 を通 じて、仙台城二 の

九跡 とい う掛 け替 えのない埋蔵文化財 に対す る理解 を深めて頂 くとともに、

構内施設の整備 と充実 をすすめてい くうえで、遺跡 との共生 をはかる手掛 か

りとして活用 して頂 きたい と考 えている。

本年度調査 の実施、報告書干

J行

にあたって、施設部 をは じめ関係部局 には

多大 な支援 と協力 を頂 いた。関係各位 に心か ら謝意 を表する次第である。

東北大学埋 蔵文化財調査研 究 セ ンター

センター長 須 藤

(8)

1.本

年報 は、東北大学構 内において、東北大学埋蔵文化財調査委員会が1991年度 に行 った遺 跡調査、ならびに研究成果 をまとめた ものである。 また、 これ までの仙台城二の九跡の調査 成果全体 を と りまとめた研 究成果 を、考察編 として掲載 した。あわせ て、「伊達治家記録」 等 に見 える仙台城二の九 に関係する造営・修理関係記録の抜粋 を、付編 として掲載 した。

2.報

告 される遺跡 と略号、調査期 間、調査担 当者 は以下の通 りである。 仙台城二の九跡第10次調査地点

1992年

2月17日∼ 3月 5日 山田 しよう 。藤沢教

(NM10)

芦 ノロ遺跡第

2次

調査

(TM2)1989年

10月23日∼

H月

22日 佐久間光平・山田 しよう 芦 ノロ遺跡第

3次

調査

(TM3)1991年

5月13日∼ 5月31日 山田 しょう 。藤沢教 3。 調査・整理作業は、東北大学埋蔵文化財調査委員会の委嘱を受け、埋蔵文化財調査室が行 っ た (1994年度か らは埋蔵文化財調査研究セ ンター)。

4.本

年報の編集は、須藤隆の指導の もとに、藤沢教・関根達人・菊池佳子が担当 した。

5,本

文 は、須藤隆・藤沢教 。関根達人・菊池佳子が分担執筆 した他、第 Ⅲ章

4に

ついては、 以下の方々に分析を依頼 し、原稿 をいただいた。

(2)遺

跡周辺の地形 と地質:中川久夫 (元東北大学理学部教授)

(3)C14年

代測定:木越邦彦 (学習院大学)

(4)テ

フラ分析:古環境研究所

(5)花

粉分析 :竹 内貞子 (斎藤報恩会 自然史博物館)

(6)昆

虫遺体 :保谷忠良 (宮城県立石巻養護学校) これ以外の本文執筆分担 は、以下の通 りである。 考察編

1,7:須

藤隆 第

I章

、第

E章

、第 Ⅲ章 1∼ 3・ 4(1)・ 5、 考察編2・ 4・ 6(2):藤沢教 考察編3・ 6(1):関根達人 考察編5。 6(3):菊池佳子 6。 発掘調査お よび整理・報告書作成 にあたつては、以下の方々や関係機 関か ら御指導・御協 力 を賜 った。記 して感謝 申 し上げる (敬称略)。 蟹沢聰史 (東北大学理学部)・ 阿子島香 (東北大学文学部)・ 本 田泰貴 (東北陶磁文化館) 仙台市教育委員会・東北大学考古学研究室 ・宮城県図書館

7.出

土遺物・調査記録 は、東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンターで保管・管理 している。

(9)

東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター設置規程

(平成

6年

5月17日 規第56号) (設置) 第一条 東北大学 (以下「本学」 とい う。

)に

、東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター (以下 「セ ンター」 とい う。

)を

置 く。 (目的) 第二条 センターは、本学の施設整備が円滑 に行われるために、構内の埋蔵文化財 に関する調 査及び研究 を行い、併せて資料の保管及びその活用 を図ることを目的とする。 (職員) 第三条 セ ンターに、セ ンター長、調査研 究貝及びその他の職員 を置 く。

2

センター長は、本学の専任の教授 をもって充て、総長が命ずる。

3

セ ンター長 は、セ ンターの業務 を掌理する。

4

センター長の任期 は、二年 とし、再任 を妨げない。

5

調査研究員 は、本学の専任の教官 をもって充て、総長が命ずる。

6

調査研究員 は、セ ンターの業務 に従事する。 (運営委員会) 第四条 セ ンターに、セ ンターの組織、人事、予算その他運営 に関する重要事項 を審議するた め、東北大学埋蔵文化財調査研究センター運営委員会 (以下「委員会」 という。

)を

置 く。 (組織) 第五条 委員会 は、委員長及び次の各号 に掲 げる委員 をもって組織する。東北大学施設整備委員会各地区協議会の協議員 各一名発掘調査 に関連のある専門分野の教授又 は助教授 若干名発掘調査地 に関連のある部局の教授又 は助教授で、その都度委員長が指名するもの 四 施設部長 (委員長) 第六条 委員長は、セ ンター長 をもって充てる。

2

委員長は、必要があると認めるときは、委員会の同意 を得て、委員以外の者 を委員会 に 出席 させ、議柔 について、必要な説明をさせ、又は意見を述べ させることがで きる。 (専門委員会) 第七条 委員会 に、埋蔵文化財の発掘調査 に関する専 門の事項 を調査審議 させるため、専門委 員会 を置 く。

(10)

2

専 門委員会 は、委員長及び次の各号 に掲げる専 門委員 をもって組織する。 一 調査研究員 二 発掘調査 に関連のある専門分野の教授又 は助教授 若干名 三 施設部企画課長 四 発掘調査地 に関連のある部局の事務部の長

3

委員長 は、セ ンター長 をもって充てる。 (委嘱) 第人条 第五条第一号か ら第三号 までに掲 げる委員並 びに前条第二項第二号及び第四号 に掲げ る専門委員 は、総長が委嘱す る。 (幹事) 第九条 委員会 に幹事 を置 き、施設部企画課長 をもって充てる。 (事務) 第十条 セ ンターの事務 は、当分の間、事務局施設部 において処理する。 (雑則) 第十一条 この規程 に定めるもののほか、センターの組織及び運営 に関 し必要な事項は、セン ター長が定める。 附

J(略

)

(11)

1.方

位 は、図

8が

磁北である以外は、真北 に統一 してある。

2,図

1と図

2は

、それぞれ国土地理院作成の、

2万

5千

分の1地形図「仙台西北部」 と「仙 台西南部」、

1万

分の1地形図「青葉山」 を使用 した。

3.川

内地区の仙台城二の九跡、および北方の武家屋敷地区にあたる地域の地形測量図は、仙 台市教育委員会の作成 による「仙台城跡地形図」(縮尺500分 の

1)を

使用 した。

4.遺

物の実測図お よび写真の縮尺は、各々に示 した。

5.挿

図中のスクリーン・ トーンの表現 は、特 に記 した以外 は、下記の通 りである。 遺構平面図 柱痕跡

:躊

整熱鐵

コンクリー ト:「 ::Ⅲ:士Ⅲl 遺構 断面図 柱痕跡

:解

鶏顕鐵

コンクリー ト:卜 ::じi士を

1

:│―

│: 遺物実測図 付着物

:解

彎毀錮

6.遺

物観察表の法量の単位 は、特 に記載がない ものは、cmである。

7.引

用 。参考文献 は、各項 目の末尾 に掲載 した。 また、本文中で、東北大学埋蔵文化財調査 年報 を引用す る場合 は、年報1という形で略記 した。 発掘調査参力日者 阿部志 う 阿部友衛 伊藤千穂 稲部裕美 歌川喜恵子 梅沢みえ 太田すゑ子 大田はるよ 小川徳子 鎌 田敏子 菅野春枝 菊地方朗 佐伯晴子 庄子一夫 庄司正 鈴木ちよ 鈴木宏行 高木晃 高橋和子 高橋 みや子 獲熙柱 千葉かつ 中鉢和子 中鉢司 津嶋知弘 津 島秀章 中村衛 新沼 よしえ 長谷)IIチエ子 横 山東市 整理作業参カロ者 青井恭子 今泉入重子 内海薫 大塚玲子 熊谷宏靖 後藤真希子 古山友子 佐 々木 きみ子 庄司明美 白石浩子 独古史恵

(12)

東北大学埋蔵文化財調査委員会

(り

9眸

) 委員長 学

長 委員

川内地区協議会委員長 青葉山地区協議会委員長 星陵地区協議会委員長 片平地区協議会委員長 文 学 部

教 授 文 学 部 教 授 文 学 部

助教授 工 学 部

助教授 事 務 局 長 調査員 文 学 部

助 手 文 学 部

助 手 幹事

長 庶 務 部 長 経 理 部 長 (文学部長) (理学部長) (区学部長) (遺伝生態研究セ ンター長) (調査室長) 西 澤 潤 一 渡 辺 信 夫 櫻 井 英 樹 平

則 夫 菅

洋 羽 下 徳 彦 須 藤

隆 今 泉 隆 雄 飯 淵 康 一 藤 村 和 男 山 田 しょう 藤 沢

敦 山 本

努 堀

道 博 山 田

(13)

東北大学埋蔵文化財調査研 究 セ ンタ

(1998年2月 現在) 委員長 セ ンター長

(文

学部 教授) 川内地区協議会

(文

学部 教授) 青葉山地区協議会

(薬

学部 教授) 星陵地区協議会

(医

学部 教授) 片平地区協議会

(素

材工学研究所 教授) 文 学 部

教 授 文 学 部

助教授 理 学 部 教 授 工 学 部 教 授 東北 アジア研究セ ンター 教 授 施

長 幹事

施 設 部 企画課長 委員長 セ ンター長

(文

学部 文 学 部

教 授 文 学 部

助教授 理 学 部 教 授 工 学 部 教 授 東北 アジア研究セ ンター 調査研究員

(文

学部 調査研究員

(文

学部 調査研 究員

(文

学部 理 学 部 事務長 施 設 部 企画課長 教 授 助手) 助手) 助手)

―運営委員会

東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター運営委員会専門委員会

(1998年2月 現在) 教授) 須 藤

隆 安 田 二 郎 大 内 和 雄 大 井 龍 司 島 田 昌 彦 今 泉 隆 雄 阿子島

香 蟹 澤 聰 史 飯 淵 康 一 入 間田 宣 夫 渡 邊 正 雄 渡 邊 三 郎 須 藤

隆 今 泉 隆 雄 阿子島

香 蟹 澤 聰 史 飯 淵 康 一 入 間田 宣 夫 藤 沢

教 関 根 達 人 菊 池 佳 子 金 田 一 夫 渡 邊 三 郎

(14)

巻頭 カラー図版 序 例言・凡例 東北大学埋蔵文化財調査委員会委員 (1991年度) 東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター設置規程 東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会委員 (1997年度) 目次 図 目次 表 目次 図版 目次 第

I章 1991年

度調査 の概要 ………■

1.は

じめに ・………1 2。 発掘調査 の概要 。………Ⅲ

(1)川

内地区の調査 ………

4

(2)青

棄山地区の調査 ………・4

(3)富

沢地区の調査………lo

(4)川

渡地区の調査………lo

3,そ

のほかの調査室の活動………`…13

(1)川

内地区測量基準点の設置………13

(2)第 2回

東北大学埋蔵文化財展の開催………14

(3)そ

のほかの活動………15 第 Ⅱ章 仙台城二の九跡第10地点

(NM10)の

調査………16

1.調

査経緯………16

(1)川

内地区の立地 と歴史お よび199o年度 までの調査 ………16

(2)調

査地点の位置………17

(3)調

査方法 と経過………17

2.検

出遺構 ………Ⅲ………・・T… ………・…Ⅲ…19

(1)1区

………19

(15)

(2) 2区

・・¨………。中●●●……・中●●●中●●-0…………中●¨●●●・………・・・・・・…・・………・・・中●●……●・・20

(3)3区

… … … …28 (4) 4区 ・中中¨ 中 ……0中 …… ……●……。…… ・ ―…… ・…… ・ ・ ・ ……… ・中¨● ●… …… ・ 中… …0中 いい……・ ・ ・● …… ・・ … ・ ― ・30

(5)5区

………30

3.出

土遺物………31

(1)陶

磁器 ………・・:………31

(2)土

師質・瓦質土器 ………33

(3)瓦

………36 修

)そ

の他 の遺物 ………48 4。 まとめ―・・・・・…・・・・―・………Ⅲ……Ⅲ………―…・・:い。………・中●●●●48 第 Ⅲ章 芦 ノロ遺跡第

2次

。第

3次

調査

(TM2・

TM3)…

………・50

1.調

査経緯 ………・………Ⅲ………・50

(1)遺

跡の立地 と周辺の環境 ………50

(2)調

査方法 と経過………50

2.基

本層序 ………55

3.検

出遺構 と出土遺物………56

(1)第 2次

調査 ………56

(2)第 3次

調査 ………62

4.8層

(泥炭層

)に

ついての検討………72

(1)8層

の分布 と層相………72

(2)遺

跡周辺の地質 。地形………74

(3)放

射性炭素年代測定………77 律

)テ

フラ分析………78

(5)花

粉分析………81

(6)昆

虫遺体 ………84 5。 まとめ………87 考察編 ―仙台城二の九跡の考古学的調査 ―………89

1.仙

台城の考古学的調査の歴史………89 2。 考古学的調査 か ら見 た仙台城二の九地区の変遷………93

3.仙

台城 における陶磁器の変遷 ………■21

4.仙

台城 における土師質・瓦質土器の変遷 ………。148

(16)

5.仙

台城の瓦 とその変遷 ………,173

6.木

製品 。漆器・Ⅲ………,…………・208 (1-)供膳具………Ⅲ………・208

(2)下

駄 ………Ⅲ218 (31 桶・樽類 ―と円板状木製品 Ⅲ………225

7.総

括 ・………・●│… …………・12a2 付編 文献 にみえる仙台城二の丸修造関係記録│…………°it… ………235 奥文要 旨 写真図版

(17)

1

東北大学 と周辺の遺跡 ………Ⅲ

2

19

仙台城二の九跡第10地点 図

2

仙台城 と二の九の位置 ………・

3

出土土師質土熙2)………41 図

3

仙台城二の九跡 ・武家屋敷跡

20

仙台城二の九跡第10地点 調査地点 ¨………・

5

出土土師質土頴3)………42 図

4

青葉 山地区調査地点 ・………・・

7

21

仙台城二の九跡第10地点 図

5

工学部機械工学科地点

出土瓦質土器(ll・………・・43 平面図・断面図 ・………・・

9

22

仙台城二の九跡第10地点 図

6

川渡農場 と周辺の遺跡………

H

出土瓦質土器(2)………44 図

7

川渡農場試掘調査地点

23

仙台城二の九跡第10地点 基本層序模式図………

11

出土瓦質土器(3)・………45 図

8

川渡農場試掘調査地点

24

仙台城二の九跡第10地点 調査区の位置………

12

出土瓦(1)………46 図

9

2回

埋蔵文化財展開催状況………

14

25

仙台城二の九跡第10地点 図

10

仙台城二の九跡第10地点

出土瓦(2)………47 調査区の位置………

18

26

仙台城二の九跡第10地点 図

11

仙台城二の九跡第10地点

出土硯………48 1区平面図・断面図………

21

27

富沢地区調査地点………51 図

12

仙台城二の九跡第10地点

28

芦 ノロ遺跡調査 区配置図

2区

平面図………

24 (1.実

験施設北側)・………52 図

13

仙台城二の九跡第10地点

29

芦 ノロ遺跡調査 区配置図

2区

断面図………

25 (2.研

究棟北側)・………53 図

14

仙台城二の九跡第10地点

30

芦 ノロ遺跡調査 区配置図 3・ 4・

5区

平面図・断面図………

29 (3.研

究棟南側)。………・・54 図

15

仙台城二の九跡第10地点

31

芦 ノロ遺跡基本層序模式図…………57 出土磁器(1)………

37

32

芦 ノロ遺跡

AC,D-6,7区

、 図

16

仙台城二の九跡第10地点

AI-7区

平面図・断面図………59 出土磁頴2)………

38

33

芦 ノロ遺跡

AR-5区

AR-12・

13区 図

17

仙台城二の九跡第10地点出土陶器…

39

平面図・断面図………61 図

18

仙台城二の九跡第10地点

34

声 ノロ遺跡

N2・

5区

断面 図………63 出土土師質土頴1)………40

(18)

35

芦 ノロ遺跡

N7・

8区

54

仙台城二の九跡第

9地

点 平面図・断面図………

65

Ⅳ期・

V期

の遺構配置図 ・………,■

H

36

芦 ノロ遺跡

N10,11。

14区

55

仙台城二の九跡第

9地

点 と 平面図・断面図………

66

絵 図 との対lⅨl)……・………112 図

37

芦 ノロ遺跡

N12区

平面図・断面図…

68

56

仙台城二の九跡第

9地

点 と 図

38

芦 ノロ遺跡

N15区

平面図・断面図…

69

絵図 との対士Ⅸ2)…………■13 図

39

芦 ノロ遺跡第

2次

。第

3次

調査

57

肯 山公造成木写之略図 ………■14 出土遺物………

71

58

肯 山公造成木写之略図の 図

40

芦 ノロ遺跡8層 (泥炭層

)の

台所門付近 ・………・・115 分布範囲推定図………

73

59

享和二年之御家作御絵図写 の

41

芦 ノロ遺跡周辺の地形 と地質………

75

二の九西端部分 ………Ⅲl 16

42

芦 ノロ遺跡8層における

60

仙台城二の九跡出土磁器の 花粉 ダイアグラム………

83

器種組成比率の推移 ・………123

43

仙台城二の九地区変遷模式図………

94

61

仙台城二の九跡出土陶器の

44

仙台城二の丸跡第

9地

器種組成比率の推移 ………■23 1期の遺構配置図………

96

62

仙台城二の九跡出土

45

仙台城二の九跡第

9地

供膳具 (碗類

)の

材質 ………・124 コ期の遺構配置図………

97

63

仙台城二の九跡出土 図

46

仙台城二の九跡第

4地

供膳具 (皿類

)の

材質 ………■24 下層検 出遺構 ………

98

64

仙台城二の九跡出土磁器の 図

47

仙台城二の九跡第

9地

点周辺の

産地別比率の推移 ・………126 二の九造営以前の遺構変遷模式図…

99

65

仙台城二の九跡出土陶器の 図

48

伊達宗泰の屋敷 と西屋敷の遺構 …。

lol

産地別比率の推移 ………・126

49

享和二年之御家作御絵図写 ………Ⅲ

104

66

仙台城二の九跡第

9地

点 図

50

仙台城二の九地区検 出

8層

出土陶磁器 ………■28 礎石建物の柱 間間隔 ………・

lo5

67

仙台城二の九跡第

9地

点 図

51

仙台城二の丸跡第lo地点 と

16号

溝・7層出土陶磁器 …………Ⅲ129 絵 図 との姑比 (文化元年図)・……・・

lo8

68

江戸時代初期の陶器の 図

52

仙台城二の九跡第10地点 と

産地別比率 ………・130 絵 図 との対比 (水抜御絵 図)い。……

lo9

69

仙台城三の九跡

53

仙台城二の九跡第

9地

5・

6・

9号

土坑 出土陶磁器 ……。132 Ⅲ期の遺構配置図 ………。1lo

(19)

70

江戸時代初期の焼物の 材質別比率 ………・135 図

71

仙台城二の九跡第

9地

点 15号土坑出土陶磁器 ………。137 図

72

仙台城二の九跡第

9地

点 16号土抗 出土磁器 ………。138

73

仙台城二の九跡第

9地

点 16号土抗出土陶器 ………■39 図

74 18世

紀 中葉∼後葉の陶磁器の 産地別比率 ………。140 図

75

江戸 における18世紀中葉∼後葉の 陶磁器の器種組成 ・………・・140 図

76

仙台城二の九跡第

9地

点 I期の土師質 ・瓦質土器 …………・149

77

仙台城三の九跡 I期の上師質・瓦質土器 …………・150 図

78

仙台城二の九跡第

9地

点16号土坑 出土の土師質・瓦質土器 "… ……。151 図

79

仙台城二の九跡第

9地

点15号土坑 出土の土師質・瓦質土器 …………■52 図

80

仙台城二の九跡第

9地

2号

池 ・

3c層

3b層

出上の土師質・ 瓦質土器 ………。153 図

81

仙台城二の九跡第

9地

点 1号池出上の土師質・瓦質土器 ¨。154 図

82

仙台城二の九跡第10地点 Ⅲ層出上の土師質土器 ………■55 図

83

仙台城二の九跡第10地点 Ⅲ層出土の瓦質土器 ………・156 図

84

仙台城跡出土 土師質土器皿類の変遷 ………Ⅲ157 図

85

仙台城跡出土 土師質土器皿の法量分布(1)………。159 図

86

仙台城跡出土 土師質土器皿の法量分布(2)………・160 図

87

仙台城二の九跡出土土師質土器皿の 糸切 り技法 と回転方向 ・………161 図

88

仙台城二の九跡出土土師質土器皿の 糸切 り技法 と回転方向の比率 ・……161 図

89

仙台城二の九跡出土 土師質土器皿のススの付着割合 ・・・162 図

90

仙台城跡出上の皿類以外の 上師質・瓦質土器の変遷 ¨………■65 図

91

火消壼の類例 ………。168 図

92

蚊遣 りの類例 と推定復元 …………・169 図

93

佐沼城跡出土七輪 ・………170 図

94

仙台城二の九跡第

9地

点 I期の瓦(1)………■77 図

95

仙台城二の九跡第

9地

点 I期の瓦(2)………。178 図

96

瓦の計測部位 ………。179 図

97

仙台城跡出土軒丸瓦類・ 軒桟瓦小 巴の文様 ………・180 図

98

仙台城跡出土菊九瓦の 文様 と形態 ………。182 図

99

仙台城跡出土£伏間の形態 ………■82 図

100仙

台城跡出土軒丸瓦の形態 ………・183 図

101仙

台城跡出土軒平瓦・ 軒桟瓦の瓦当文様(1)………。185 図

lo2仙

台城跡出土軒平瓦・ 軒桟瓦の瓦当文様(2)………・186 図

103仙

台城跡出土九瓦・谷九瓦 ・……-188

lo4仙

台城跡出土平瓦 ………。189

(20)

105仙

台城跡出土桟瓦 ・・………。191 図

lo6仙

台城跡出土 九瓦素材の小型製品 ・………・・195 図

107仙

台城二の丸跡第

7地

点出土 凸面 に叩 きのある輪違い 。…………196 図

108仙

台城跡出土平瓦素材の製品 ・…・・198 図

lo9若

林城跡

2号

土坑 出土憂斗瓦 ……。198 図

110仙

台城跡 出土 反 りをもたない製品(1)…Ⅲ…………200 図

111仙

台城跡出土 反 りをもたない製品(2)………。202 図

H2仙

台城跡出土棟瓦 ………・204 図

113仙

台城跡出土その他の瓦 …………。205 図

H4仙

台藩領内出土の漆器の変遷 ……。210 図

115仙

台城二の九跡出土 箸状木製品の長 さ ・・………。215 図

116仙

台城二の丸跡第

9地

点 I期の下駄 ………。219 図

117仙

台城三の九跡

6号

土坑出上の下駄 ………Ⅲ220 図

118仙

台城二の九跡第

5地

点お よび 第

9地

点15。 16号土坑出上の 下駄 ・・………。221 図

119仙

台城二の九跡第

9地

点 1号池出上の下駄 ………。222 図

120下

草古城跡出上の下駄 ・・…………・223 図

121仙

台城跡出土円板状木製品 ・………225 図

122仙

台城跡出土 円板状木製品の法―

i分

布 ・…………226 図

123仙

台城跡出土曲物 ………Ⅲ227 図

124仙

台城跡出土桶 。樽類(1)…………。229 図

125仙

台城跡出土桶・樽類(2)…………。230

(21)

1 1991年

度調査概要表 ・・………■

13

仙台城二の九跡出土供膳具 表

2

川内地区測量基準点測量成果表……

13 (碗

・皿類)の材質別出土点数 ……・124 表

3

仙台城二の九跡第10地点出土

14

仙台城二の九跡 出土磁器の 陶磁器集計表………

32

産地別出土点数 ―………。126 表

4

仙台城二の九跡第10地点出土

15

仙台城二の九跡 出土陶器の 土器・瓦 。その他の遺物集計表……

33

産地別出土点数 ………・126 表

5

仙台城二の九跡第10地点出土

16

江戸時代初期 の一括資料 における 磁器観 察表………

34

陶器の産地別出土点数 ………。130 表

6

仙台城二の九跡第10地点出土

17

江戸時代初期 の一括資料 における 陶器観察表………

34

焼物の材質別出土点数 ………。135 表

7

仙台城二の九跡第10地点出土

18 18世

紀 中葉 ∼後葉の 上師質・瓦質土器観察表………

35 -括

資料 における 表

8

仙台城二の九跡第10地点出土

陶磁器の産地別出土点数 …………。140 瓦観察表………

35

19

江戸 の18世紀 中葉∼後葉の 表

9

芦 ノロ遺跡8層における

一括資料 における陶磁器の 花粉百分率表………

82

器種別出土点数 ………。140 表

10

仙台城二の丸跡 出土

20

仙台城二の九跡第

9地

点 一括資料一覧 ・………

-121 1期

の瓦集計表 (改訂版)…………176 表

H

仙台城二の九跡 出土磁器の

21

仙台城二の九跡第

9地

点 器種別出土点数 ………。

123 1期

の瓦観察表 ………・178 表

12

仙台城二の九跡 出土陶器の

22

仙台城二の九跡出土 器種別出土点数 ・・………・

123

箸状木製品の先端形状 ………・215

(22)

目 次

図版

1

仙台城二の九跡第10地点

図版

12

芦 ノロ遺跡第

2次

調査 1区 。

2区

全景・遺構 …………・

249

調査状況(1)・・………Ⅲ260 図版

2

仙台城二の九跡第10地点

図版

13

芦 ノロ遺跡第

2次

調査

2区

遺構 ・………

250

調査状況(2)………・261 図版

3

仙台城二の九跡第10地点

図版

14

芦 ノロ遺跡第

2次

調査

2∼ 5区

全景・遺構 ・………

251

調査状況(3)………・262 図版

4

仙台城二の九跡第10地点

図版

15

芦 ノロ遺跡第

2次

調査 出土磁器 ………。

252

調査状況(4)………・263 図版

5

仙台城二の九跡第10地点

図版

16

芦 ノロ遺跡第

3次

調査 出土陶器 ………。

253

調査状況(1)………Ⅲ264 図版

6

仙台城二の九跡第10地点出土

図版

17

芦 ノロ遺跡第

3次

調査 土師質土恕1)………・

254

調査状況(2)………。265 図版

7

仙台城二の九跡第10地点出土

図版

18

芦 ノロ遺跡第

3次

調査 土師質土熙2)………・

255

調査状況(3)………・266 図版

8

仙台城二の九跡第10地点出土

図版

19

芦 ノロ遺跡第

3次

調査 瓦質土頴1)………・

256

調査状況(4)………・267 図版

9

仙台城二の九跡第10地点出土

図版

20

芦 ノロ遺跡第

2次

・第

3次

調査 瓦質土頴2)………・

257

出土遺物 ………・268 図版

10

仙台城二の九跡第10地点

図版

21

仙台城二の九跡第

9地

点 出土瓦(1)………・

258 1期

の瓦(1)………。269 図版

11

仙台城二の九跡第10地点

図版

22

仙台城二の九跡第

9地

点 出土瓦(2)………・

259 1期

の瓦(2)・・………・270

(23)

I章 1991年

度調査 の概要

1.

は じめ に 東北大学 には、川内・青葉 山・片平・星陵・雨宮の各 キャンパス に加 えて、他 に多 くの研究 施設があ り、その敷地 は10県にわたる広大 な もの となっている。 これ らの各地区の構 内には、 多 くの埋蔵文化財があ り、特 に川内地区は、近世の仙台城二の九跡 と武家屋敷跡 にあた り、青 葉 山地区には旧石器時代か ら古代の遺跡が存在す る (図 1・ 2)。 これ らの大学構内の埋蔵文化財 の調査 ,保護 を組織的に行 うために、1983年度 に東北大学埋 蔵文化財調査委員会が組織 され、その実務機関 として埋蔵文化財調査室が置かれた。調査委員 会お よび調査室は、1994年度に東北大学埋蔵文化財調査研究センターヘ と改組 され、現在 に至 っ ている。1983年度以来、調査委員会 ・セ ンターは、大学構 内の埋蔵文化財調査 を実施す るとと もに、調査成果 を『東北大学埋蔵文化財調査年報』 1∼ 8において報告 して きた。 1991年度 において も、仙台城二の丸跡 などの調査が行われ、新たな資料 を提供することとなっ た。本報告書 は、 これ らの調査成果 について とりまとめた ものである。 また、1983年度以来実施 して きた仙台城二の九跡の調査 については、前号の年報で報告 した 第

9地

点、本年報で報告す る第10地点の報告 をもって、江戸時代の遺物が まとまって出土 して いる調査 の報告 としては、一応の区切 りをむかえる。そのため、1983年度以来実施 して きた二 の九跡の考古学的調査の成果全体 を検討する形で、その調査成果 をまとめた ものを考察編 とし て本年報 に掲載することとした。

2.発

掘 調 査 の概 要 1991年度は、川内地区 Tab.1 青葉山地区・三神峯地区・川渡地区において、本調査1件、試掘調 表

1 1991年

度調査概要表

Excavations on the calmpus in the iscal year 1991

種 類 調 査 地 点 (略号) 原 因 調 査 期 間 面 積 時 期 本 調 査 仙台城二 の丸跡第10地点 (NMlo) 中善通 り外灯取 設 2117∼3/5 10nla 近 世 試掘調査 芦 ノロ遺跡第3次調査 (TM3) 原子核理学研 究施設 放射光 リング等新設計画 5/13∼5/31 159n17

川渡農場 第2次調査 (KW2) 川渡農場職員宿舎新営 10/14∼18 63濯 工学部機械工学科地点 航 空 工 学 科 ク リー ンル ー ム新 営 10/29 30 31n2 立 会 調 査 理 学 部 附 属 植 物 園 地 点 (91-1) 附 属 植 物 園 囲 障 取 設 4/16 17 工学部特高変電所地点(91-2) 特高変電所排水整備 4/24 文学部南倒地点(91-3) 共 同濤 狭 気 出 入 日取 設 7/30 7/31 文学部東側 北側 地点(91-4) 電気 ケーブル埋設 8/3 4 文学部南側地点(り1-5) ガス管埋設 8/19 法 学 部 北 側 南 側 地 点 (9■6) 火災警報 ケーブル埋設 8/26 教 養 部 厚 生 会 館 前 地 点 (91-7) 通信 ケーブル改修 法 経2番講義室西側地点(91-8) 冷房施設整備取設 工 学 部 管 理 棟 北 側 地 点 (91-9) ガス管改修 3′25 教養部基準点地点(91-10) 埋蔵文化財調査 室基準点設置 3/30 4/6

(24)

Ruin of Sendal Castlc Kawauchi steles AobayaIIla Site Loc B Aobayalna Site Loc E Aobayarna Sitc l oc C

Aobayama Site Loc A

Aobayatna Site Loc D Ashinokuchi Si俺 青葉山遺跡A地点

7:青

葉山遺跡D地点

8:声

ノロ遺跡

91片

平仙台大和宮の板碑 lo:郷六大 日如来の碑 葛岡城跡 12:郷六城跡 13:郷六建武碑 14:沼田遺跡 15:郷六御殿跡 16:郷六遺跡 17:松ケ岡遺跡 向山高裏遺跡 19:萩ヶ丘遺跡 20:茂ケ崎城跡 21:ニツ沢横穴墓群 22:萩ヶ岡B遺跡

23:人

木山緑町遺跡 ニ ツ沢遺跡 25:青山二丁 目遺跡 26:青山二丁 目B遺跡 27:杉土手(鹿除土手

)28:砂

押屋敷遺跡 砂押古墳 30:富沢遺跡 31:泉崎浦遺跡 32:金洗沢古墳 38:土手内窯跡 34:土手内遺跡 土手内横穴墓群 36:三和峯遺跡 37:金山窯跡 38:三神峯古墳群 39:富沢窯跡 40:裏町東遺跡 裏町古墳 42:原東遺跡 43:原遺跡 44:八幡遺跡 45:後田遺跡 46:町遺跡 47:和漉山遺跡 御堂平遺跡 49:上野山遺跡 50:北前遺跡 51:佐保山東遺跡 図

1

東 北 大 学 と周 辺 の 遺 跡

Fig。 l Archacological sites and Tohoku University 1 6 11 18 24 29 35 41 48 Sendai Casde (Tohoku Univ) 仙台城跡

2:川

内古碑群

3:青

葉山遺跡B地点

4:青

葉山遺跡E地点

5:青

葉山遺跡C地点

(25)

2

仙 台城 と二 の丸 の位置 Fig 2 Distrおuticln of Sendai Casde

(26)

3件

、立会調査lo件の、合計14件の調査 を実施 した (表 1)。

(1)川

内地区の調査 川内地区では本調査1件と立会調査

7件

を実施 した (図3)。 仙台城二の九跡第10地点 は、川内南地区を南北 に走 る道路 (通称 中善通 り

)に

、タト灯 を設置 す るのに伴 う本調査である。外灯基礎 お よびハ ン ド・ホール設置部分 と、埋設ケーブルが道路 を横 断す る部分だけが、二の九面 までの削平がお よぶ と予想 されたため、重機 による掘削時に 立 ち会い、精査が必要 な部分か ら、随時本調査 に切 り替 えた。道路横断部分以外のケーブル埋 設部分 については、掘削深度が浅いため、立会調査 のみで調査 を終 えている。調査面積がかな り狭 いにもかかわ らず、石敷遺構 ・石組溝 などが検 出 され、幕末∼明治初頭 の遺物が まとまっ て出土 した。 これについては、本年報で報告す る。

7件

実施 した立会調査 の うち

5件

は、二の九跡 にあたる川内南地区での調査である。その内

4件

は、前年度 に本調査 を実施 した、文 。法学部合 同研究棟新営 に伴 う付帯施設の工事 に関す るものである

(91-3∼

6)。 残 る

2件

は、武家屋敷 にあたる川内北地区での調査である。 こ の内、共同溝換気 ・出入 口取設 に伴 う調査

(91-3)で

は、石組の溝が発見 され、手掘 りで全 体 を検 出 したが、底面 にコンクリー トを敷いた明治以降の陸軍第二師団期の もの と判明 したた め、それ以上の調査 は行 っていない。その他 は、いずれ も掘削深度が浅 く、新 しい盛土の範囲 内にお さまるものであった。

(2)青

葉山地区の調査 青葉 山地区では試掘調査 1件、立会調査

3件

を実施 した (図4)。 試掘調査 を行 ったのは、工学部航空工学科 のクリー ンルーム新営 に伴 うもので、工学部構内 で も東端 に近い所である。旧石器時代の遺構 ・遺物が発見 されている青葉 山遺跡

B地

点 ・

E地

点か らはかな り距離があるが、段丘上の火山灰層の保存状態が良好である と予想 されたことと、 この区域での調査 はそれ までに全 く行 われていないことか ら、限定 した規模で試掘調査 を行 う こととした ものである。建築 される建物 の基礎が、柱 の部分 のみ深 く入 る構造であったため、 柱 の位置 にあわせ て、

lm×

lmの

試掘 区を3ケ所設 けた (図 5)。 西 区 。中区では、火 山灰 層が比較的良好 に保存 されてお り、川崎ス コリア層 も確認で きた。東区では、 ローム層が認め られるものの、西 区 。中区 と比較すると、全体 に しま りがな く、斜面の堆積物である可能性が ある。また、西区では、戦前の陸軍演習場時代 と推定 される、大規模 な掘 り込みが認め られた。 いずれの調査 区で も、遺構 ・遺物 は発見 されなかった。 立会調査 の

3件

は、いずれ も掘削の範囲が小規模で、深 さも浅いため立会調査 とした もので

(27)

騒塞図

1991年

度?

辞嬰

I::8

3

仙 台城二 の丸跡・武家屋 敷跡調査地点

Fig。

3 Lo∽

tion of ex∽ vations until 1991 at却 7nο,彪ピu mtti.e secOndary Citadell and sattLrar residence c3K)

︻ オ

υ

5-6

(28)

圏 カ ツテ イング 凹 発 掘 調 査 地 点 阿 立 会調 査 地点

ー 図

4

青葉 山地 区調 査 地 点

Fig 4 Location of甑 ∽vations at Aobayama campus

(29)

フ 00〇 一

X=-194 0 中央 区 h     ′ ′     / た

i

l/\ /

ミと

,

― 西 区南 壁土層柱状模式図 1層 大学による盛土 2層 盛土以前の旧表土 3層 黄褐色 シル ト質粘土 硬質 4層 黄褐色粘土質シル ト 粘性強い 3層との境は漸移的 場所 によっては上面 に川崎スコリアが認められる 5層 やや青みを帯びた責褐色粘土質シル ト 粘性弱い 6層 やや赤みを帯び岩片 を含む火山灰層 やや硬質 図

5

工学部機械工学科地点平面図・断面 図

Fig 5 Plan and cross s∝ tion of test trenches at he campus of Faculty of Engineering

\ 々 ′μ T

(30)

ある。調査の結果、遺構 。遺物 は発見 されなかったので、それ以上の調査 は行っていない。

(3)宮

沢地区の調査 三神峯丘陵の北側 にある富沢地区の理学部附属原子核理学研究施設では、試掘調査1件を実 施 した (芦ノロ遺跡第

3次

調査、

TM3)。

原子核理学研究施設では、従来 よ り、放射光 リングをは じめ とした、大規模 な施設拡充の計 画 を有 している。1985年度 に試掘調査 を実施 した ところ、平安時代 の遺構 。遺物が発見 され、 周知の遺跡の範囲 も、芦 ノロ遺跡の範囲を拡大す る形で、研究施設全域 にまで拡大 されている。 そのため、施設整備計画 との調整のデータを得 る目的で、1985年度の調査 の際に調査 を行 って いない区域の遺構 。遺物の有無 と、その分布状況を把握することが必要 とな り、 さらに1989年 度 と1991年度の2ケ年 にわたって試掘調査 を実施することとなった。調査 の結果、縄文時代 。 古墳時代・平安時代の遺構 ・遺物が若千検 出 された。 また、水成堆積層 を下 'デ た、現地表下1 ∼1.5m程の ところか ら、約

3万

年前の泥炭層が検 出され、樹木・種子 な どの 自然遺物が大量 に出土 したが、人工遺物 は発見 されていない。本年報では、この2ケ年分の調査 をまとめて報 告する。 い

)川

渡地区の調査 川渡地区では、試掘調査1件を実施 した

(KW2)。

川渡地区に所在する農学部附属農場 は、宮城県北部の玉造郡鳴子町大口字蓬田ほかに所在 し、 合計2,215haと い う広大 な面積 を占めている。農場の入回は、 」

R陸

羽東線川渡駅の西 にあ り、 この農場入口を入 った所 に職員宿舎や宿泊施設が置かれている。今回の調査は、この職員宿舎 の建て替 え計画 に伴 う試掘調査である。宿舎の予定地が、北西 を1989年度 に本調査 を実施 した 町西遺跡 (弥生 。年報7)、 北側 を町

A遺

跡 (縄文後期・古代)、 東偵Jを‖多験 院善教坊跡 (近世 寺院跡)に囲 まれる場所であ り、これ らの遺跡の範囲が広がって くる可能性が考 えられたため、 遺構 。遺物の有無 を確認する 目的で試掘調査 を行 ったものである (図6)。 建物 と排水桝 の予定範囲 に合 わせ て、

3m×

3mの

試掘 区 を7ケ所 設定 して調査 を行 った (図 8)。 人為的に動か されていると判断 された2層までを重機で除去 し、その後、手掘 りで精 査 した。旧石器時代の遺構 ・遺物の存在 も考慮 し、全ての調査区で深掘 り調査 を行 った。クロ ボク土は厚 く良好 に保存 されていたが、ローム層 は薄 く、再堆積の可能性が考えられる(図7)。 いずれの層序か らも、遺構・遺物は発見 されなかった。

(31)

番 号 遺 跡 名 種 別 時 代 番 号 遺 跡 名 種 別 時 代 町西 遺跡 包 含 地 弥 生 中女 寺 跡 寺院跡 近 世 東 北 大 農場 2、 3号畑 遺跡 包 含地 縄 文 丸森遺 跡 包含地 縄 支 上 川原還 跡 也含 地 縄文晩、弥生 3 町A遺跡 包 含地 縄 文 後 、古 代 大室 院 跡 寺 院跡 近 世 町B遺跡 包 含 地 縄文後 久 田遺 跡 包 含 地 縄 支 5 4歩験院善教坊跡 寺 院跡 近 世 石 の梅 古 墳 前 万後 円墳? 古 墳 鍛 冶谷沢 町宿駅 跡 宿 駅 跡 近 世 鍛 冶 谷 沢 町検 断跡 検 断跡 近 世 住 吉 神 社 跡 神 社 跡 中 世 町C遺跡 包 含地 縄 文 、古 代 行 蔵 院帥 寺 院跡 近 世 観 音 館 謝 城 館 中 世 大西 館 跡 城 館 中 世 図

6

川 渡 農 場 と周 辺 の 遺 跡 Fig.6 ArchaeO10gical sites and University Farln

1層 2層 3層 4層 5層 6層 7層 8層 表土 現代の整地層 10YR212 黒褐色 ンル ト粘性弱 しまり強 小礫を少畳含む 下部に3∼4側 の厚さで酸化鉄が集積 した部分が層状に認められる 75Y貶独 黒色 シル ト粘性弱 しまり中 クロボク土 径l mm程度の費色 白色砂社を含b 10YR3/4 褐色 シル ト粘性弱 しまり中 Fl移層 黒色土と黄褐色上がブロック状に混 じる 10YR5/6 黄褐色 砂質ンル ト粘性弱 しまり中 10YR5/6 黄褐色 ンル ト質砂 粘性弱 しまり弱 10YR4/6 褐色 シル ト質砂 粘性弱 しまり弱 砂礫層の上部 1ヽ 5 cmの礫 を多 く含む くされ礫が混じる 6層より砂の粒子は粗い 7 5YR414 褐色 シル ト質砂 活性弱 しまり弱 礫層 径2ocn以下の礫を多霊含tr 図

7

川渡農場試掘調査地点基本層序模 式図

Fig.7 Schenlatic prO■ les Of testtrenches at University Farm

(32)

葎耐

` ヽ

__[コ

\ \ \ / / \ \ ハ \ \ \ \満 / /

/ \ \ 、、 / /

バ \ \

8

川渡農場試掘調査地点調査 区の位置

Fig.8 Location of test trenches at University Famn

つ 々 ― ― Om \

戸\ミ

(33)

3.そ

の ほ か の 調 査 室 の 活 動

(1)川

内地区測量基準点の設置 これまでの川内地区の調査では、調査の度 に基準杭 を設定 し、調査 区の位置は、恒久建造物 との位置関係 を計波1することによって、縮尺500分 の1の構 内地形測量図に記入 して きた。 し か し、 この ような方法では、調査地点が異 なる遺構 の方位や、遺構 間の位置関係 を厳密 に計測 し、比較す ることは困難である。特 に、二の丸跡の ような、計画的に造成 された と考 えられる 遺跡 を調査するにあたっては、それぞれの調査 において検 出された遺構 の位置 を、国土座標上 に位置づ け、離れた調査 区で発見 された遺構 の、相互の位置関係 を正確 に把握す ることが不可 欠であることは言 うまで もない。 とりわけ、絵 図 との姑比 にあたつては、正確 な位置関係の把 握が欠かせ ない。 この ような観点か ら埋蔵文化財調査室では、以前か ら測量基準点設置の要求 を行 って きた。その結果、1990年度 に川内南地区の

H点

分が、1991年度 に川内北地区の

9点

分 が予算化 され、基準点の設置 と国土座標値 。標高の測量 を測量会社 に委託 した。 基準点設置 にあた っては、道路 に沿 って仙台市が設置 してい る基準 点

(A-11、 A-12、

A-14)を

利用 し、それに結合 させ る形で、北地区・南地区それぞれ別 に トラバ ース を組 んで いる。各基準点のデー タは、表2の通 りであ り、基準点の位置は図3の中に 示 した。国土座標は第

X座

標系である。 この測量基準点の設置 を受け、二の 九跡の第

4地

点 。第

5地

点・第

9地

点 については、調査時の基準点が保存 さ れていたため、基準点測量 を行い、国 土座標値 を算 出 した。 これ らについて は、すでにそれぞれの報告の際に、基 準点の国土座標値 を報告 している (年 報5∼ 8)。 表

2

川 内地 区測量基 準点 測 量成 果 表 Tab.2 List of datuna pointt for measば ement at

Kal■rauchi camp嗚

基準点 X座標 Y座標 標 高 (m) All 93 603 580 +1 817 487 61 368 A12 93 508 636 +1 974 100 56 610 A14 93 785 416 +2 073 402 61 262 93 820 846 +1 978 763 61 87] 93 766 070 +2 145 738 58 907 No 3 93 610 064 +2 160 848 56 588 No 4 93 650 729 +2034689 59 249 No 5 93 666 933 十 987 399 61 495 No 6 93 714 234 十 836 565 63 554 No 7 93 780 877 十 867 090 65 929 No 8 93 817 860 十 833 963 69 759 No 9 93 857 47 + 867 810 70 123 No10 93 879 068 + 994 749 64 450 Noll 93 595 326 + 836 592 60 702 No12 93 639 654 + 707 075 66 892 93 504 543 + 638 941 66 56と No14 93 403 276 十 677 377 64 932 No 93 418 655 十 738 247 64 514 Nα16 93 358 079 十 802 582 60 656 血 7 93 342 446 + 882 509 57 778 No18 93 309 82 + 966 962 57 152 No19 93 400 152 +2 039 003 56 784 No20 93 435 320 +2 096 652 54 318 13

(34)

(2)第 2回

東北大学埋蔵文化財展の開催 第

2回

東北大学埋蔵文化財展 を、 6月24日か ら7月 6日 までの期 間で、附属図書館 の協力 を 得て、図書館本館 のエ ン トランス・ホールで開催 した (図 9)。 今 回の展示 は、「仙台城二の九 跡の出土遺物」 と題 し、本学構 内の埋蔵文化財 の中で も、川内南地区にあたる仙台城二の九跡 に焦点 を当てて開催 した。昭和60年7月 に開催 した第1回の埋蔵文化財展か らは、

6年

ぶ りの 開催である。 この間に、二の丸跡では第

5地

点、第

9地

点な どの調査 によって、多 くの遺物が 出土 してお り、 これ らの調査で出上 した主要 な遺物 を紹介することを目的 として、展示 を構成 した。 展示 にあたっては、

B4版

。二つ折で片面カラーの解説 リーフレットを作成 した。 リーフレッ トは会場 に置 き、 自由に取 つて もらうように したが、期間中に合計535部 が配布 された。 リー フレッ トを取 らず に観覧 された方 も多かったため、実際の観覧者数は、 この数 を大 きく上回る であろう。新聞な どの報道 を見て、学外 か ら来 られた方々 も多かった。 また、今回初めて英文 解説 を作成 し、50部を準備 したが、早々 と全部 な くな り、関心の高 さが示 された。東北大学 に 海外か ら来 られている方々に、東北大学 をめ ぐる歴史環境 の豊か さを知 って もらい、それを通 じて 日本 の歴史や文化への理解 を深めていただ くためにも、 この ような展示 は有効であると思 われる。 会場でアンケー トをお願い したが、93名か ら回答 を得 た。約

4分

の3の方が、川内南地区が 仙台城二の九 にあたること、構 内で発掘調査が実施 されていることを知 っていた。その一方で、 学生 には、二の九跡 を知 らない方が多い傾向が見 られた。やは り、繰 り返 し公開 してい く必要 性があると思 われる。 アンケー トの最後 には、 自由に意見 を記入 して もらう欄 を設 けた。回答の中で最 も多かった のは、 この ような展示 を今後 も開 催 して欲 しい という希望であった。 常設展示 を希望 された方 も多かっ た。 また、展示や宣伝 の方法 を工 夫すべ きだ との厳 しい指摘 や、他 大学の研究者や学生が東北大学 を 訪 れた ときに案 内で きる ように、 キャンパス内に二の九の建物の位 置 をわか りやす く掲示 して欲 しい とい う、積極的な提言 もあ り、今 後のために大いに参考 となった。 図

9

2回

埋 蔵 文 化 財 展 開催 状 況

Fig.9 S∝ond exhibition of archaeological remains

from the campus

(35)

(3)そ

の ほかの活動 学会 で の発 表 と して は、6月29'30日 に東京 において『発掘 された江戸 時代』 を大会 テーマ に して開催 された、江戸遺跡研 究会 の第

4回

大会 で の発 表依 頼 を受 け、「仙 台城 二 の九 跡 の調 査 」 として、 これ までの調査成果 の概 要 を発表 した。

〕 学 内へ の広 報 活動 と して は、上記 の第

2回

埋 蔵文化財展 の案 内 を『東北大学学報』第 1296号 に掲載 し、展示 の報告 を「東北大学構 内の埋蔵 文化財 とその活用」 と して 『東北大学学報』第 1301号 に投稿 した。 また、刊 行 は翌年度 にな ったが 、「仙台城二 の九跡 第 10地 点 の調査 」 と題 して、二 の九跡 第10地 点 の調査成果 の速報 を、『東北大学学報』第 1324号 に投稿 した。 また、東北 大 学教 育学 部 附属 大学教 育 開放 セ ンター主催 の、放 送 に よる東北大 学 開放 講座 『中世 み ちの くの城館 』 の第18回 (最終 回

)の

担 当依 頼 を受 け、「仙 台城二 の九 を掘 る」 として 二 の九跡 の調査 の概 略 を解 説 した。 《引用・参考文献》 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1985

『東北大学埋蔵文化財調査年報』1 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1986

『東北大学埋蔵文化財調査年報』2 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1990 F東

北大学埋蔵文化財調査年報」3 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1992

『東北大学埋蔵文化財調査年報」4・ 5 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1993

『東北大学埋蔵文化財調査年報』6 東北大学埋蔵文化財調査委員会

1994

『東北大学埋蔵文化財調査年報』7 東北大学埋蔵文化財調査研究センター

1997

『東北大学埋蔵文化財調査年報』8 山田しよう

1991a

「仙台城二の丸を掘る」『中世みちのくの城館』pp 177∼ 186 東北大学教育学部附属大学教育開放センター 山田しょう

1991b

「仙台城二の九の調査」F発掘された江戸時代』 江戸遺跡研究会第4回 大会発表要旨 別紙 15

(36)

第 Ⅱ章

仙台城二 の丸跡第

10地

(NM10)の

調査

1.調

査 経 緯

(1)川

内地区の立地 と歴史および199o年 度 までの調査 東北大学の附属図書館、お よび文系

4学

部、記念講堂、国際文化研究科 などが置かれている 現在の川内地区は、江戸時代 の仙台城二の九跡、周辺の武家屋敷跡 などに相当する。 仙台城 は、仙台市街地の西方、広瀬川 を渡 った、通称青葉山の東端 に位置 している (図 1)。 本九 は、北 。東・南の三方 を広瀬川 と竜の口渓谷 に囲 まれた海抜115∼

140mの

急崖上 に位置 し てお り、 また北側の二の九、北東の三の九 も、それぞれ海抜61∼ 78m、

40mの

階段状の河岸段 丘上 にある。 この中で二の九 は、東方 を蛇行する広瀬川 に向かって緩やかに傾斜する上町段丘 上 (武蔵野面相当

)に

位置す る (図 2)。 仙台城 は、慶長

5年

(1600年)、 仙台藩初代藩主の伊達政宗 によって、本九の造営が開始 さ れる。川内地区の後 に二の九が造営 される区域 には、伊達政宗の四男である伊達宗泰の屋敷が 置かれていた。元和

6年

(1620年

)に

は、この伊達宗泰の屋敷の北側 に、政宗の長女五郎八姫 の居館 「西屋敷」が造 られる。 寛永15年 (1638年)、 二代藩主伊達忠宗 は、 もとの伊達宗泰の屋敷地において、二の九の造 営 を始める。幕藩体制の安定 とともに、本九の山城的な立地が不便 となったことが、二の九造 営の理由 と考 えられている。二の九完成後、仙台藩の政治・諸儀式の中心 はここに移 され、二 代藩主以降はその居館 ともなる。二の九の北隣には、五郎入夕臣の「西屋敷」が存続する。 寛文元年 (1661年

)に

は五郎人姫が死去 し、西屋敷のあった場所 は「天麟院様元御屋敷」 と 呼ばれ、蔵や作業場、下級藩士の居所 など、実務的な空間 となる。 さらに17世紀末か ら18世紀 初頭の元禄年間には、四代藩主伊達綱村 によって二の九 は大改造 され、 もとの西屋敷の敷地を 取 り込んで拡大 される。その後い くたびかの災害や火災 を被 るが、その度 に再建 され、二の丸 は幕末 まで、事実上仙台城の中枢 として機能 してい く。 版籍奉遠の明治

2年

(1869年

)に

は、二の九 に勤政庁が置かれ、明治

4年

(1871年

)の

廃藩 置県後は、仙台城が明治政府・兵部省の管轄下 に移 り、東北鎮台 (後に仙台鎮台

)が

置かれる。 この頃に本九の建物群 は取 り壊 されるが、二の九建物群は依然 として残 っている。 しか し、明 治15年 (1882年

)の

火災 によって、二の九建物群はほとんどが焼失す る。その後陸軍第二師団 が置かれ、敗戦 まで続 くことになるが、敗戦間近の昭和20年 (1945年

)7月

、仙台空襲の際 に 大手 門な どわずか に残 つた建物 も焼 失 して しまう。戦後 は米軍 の駐留地 とな り、昭和32年 (1957年)、 米軍 よ り返還後、東北大学が川内地区に移転 し、現在 に至 るのである。なお、川内 16

(37)

地区の変遷 については、これまでの調査成果 を合 わせて本書の考察編 において詳述 している他、 『伊達治家記録』記載の二の丸 に関係す る災害 ・造営 。1多理 関係記録 も付編 に掲載 したので、 あわせて参照 されたい。 仙台城二の九跡・武家屋敷跡である川内地区の発掘調査 は、仙台市教育委員会、東北大学考 古学研究室 によって小規模 な調査が行 われた ことがあるが、組織 的・継続的 に行 われるのは、 東北大学 に埋蔵文化財調査委員会が設置 された1983年度以降のことである。以来、委員会 によ る二の九跡の調査 は、199o年度 までで

9地

点 を数 える。 これ らの調査成果 については、『東北 大学埋蔵文化財調査年報』 1∼ 8において報告 して きた ところであ り、本書 の考察編 において も、 これ までの調査の歴史が まとめて詳述 されているので、そちらを参照いただ きたい。

(2)調

査地点の位置 今 回の調査 は、川内南地区を南北 に走 る道路 (通称 中善通 り

)に

外灯 を設置す ることに伴 う 調査である。中善通 りの南端 は、 ロータリー となってお り、 ここか ら東狽1に伸 びる道路 を150

mほ

ど進 んだ ところが大手門にあたる。今 回の調査 は、中善通 りの主 に西側 にタト灯 を設置す る のに伴 う調査 で、 このロー タリーか ら北側 にかけての部分が対象 となった (図10)。 それぞれ の調査 区の面積 は狭 い ものの、南北両端の調査 区の間隔は、直線距離で

150mに

なる。 この内、 南端のロータリー付近の

2区

3区

とした調査 区は、1983年度 に調査 を実施 した第

2地

点 に近 い所 に位置する (年報1)。 第

2地

点は、絵図 との対比か ら、「小広間」 と呼 ばれた建物の周囲 をめ ぐる廊下 とその周辺 に相 当す る と考 え られている。「/Jヽ広 間」 は、本九の「大広 間」 に相 当す るもので、二の九建物群の中で も、 もっとも重要 な儀式 などで使用 された、中心的な位置 を占める建物である。一方、今 回の調査 区の北端 にあたる1区は、1990年度 に調査 を行 った第

9地

点 に隣接す る場所 である (年報8)。 絵 図 との姑比では、 この第

9地

点の調査 区の北東隅 に近い場所 に、二の九の裏門である「台所 門」が存在 した と考 えられる。 したが って今 回の調 査地点は、二の九の中枢部分か ら、裏門に至 る区域 に相当す ることとなる。

(3)調

査方法 と経過 道路横 断部分以外 のケーブル埋設部分 については立会調査 としたが、掘削深度が浅 く、明治 以降の盛土内にお さま り、特 に問題 となる箇所 は認め られなかったため、それ以上の調査 は行 っ ていない。掘削深度が深いのは、ケーブルが道路 を横 断す る部分 と、外灯本体の基礎が入 る部 分、ケーブルの分岐・接続用のハ ン ド・ホール設置部分であつた。 これ らについては、重機 に よる掘削時に立ち会い、精査が必要 な部分 は随時本調査 に切 り替 えた。 これ らの掘削深度が深 く、調査が必要であると予想 された部分が、おおむね5ケ所のグルー 17

(38)

\ ヽ IY‐ +2Ш

.■

d

ヽ )で

(

10

仙台城二の丸跡第10地 点調査区の位置 ng.10 Location of blM10

blM10 1.e.Location 10 ofか正nomarv(the secOndary citadel of Sendai Castle)

(39)

プに分かれていたため、工事 の進行 に合わせて調査 に着手 した順番 に、

1区

か ら

5区

とした。

1区と

2区

については、

lA区

lC区

2A∼

2D区

と細別 した。

lA区

2区

については、

縮尺

1/1oで

平面図・断面図 を作成 した他、

4区

の平面図 と、

3区

4区

5区

の断面図は、 縮尺

1/20で

作成 した。遺構 の検出されなかった調査 区については、平板測量 によって、調査 区の位置 を縮尺

1/1ooで

記録 した。遺構が検 出 された、

lA区

2区

4区

の沢1量基準点の 国土座標値 は、それぞれの平面図中に示 してある。

2.検

出遺 構 1区か ら

5区

までの調査 区の位置が、それぞれで離れてお り、層序 を対比 し共通の層名 を付 けることがで きなかったため、それぞれの調査区ごとで層名を付けている。なお、検 出遺構の絵 図との対比や、出土遺物については、考察編で二の九跡の他地′くの調査成果 とあわせて検討する。

(1)1区

(図11、 図版1) 1区 は、今 回の調査では最 も北側の部分で、199o年度 に調査 を行 った二の丸跡第

9地

点の調 査区の北東側 に位置する。ケーブルが道路 を横断する部分 と、道路東側のハ ン ド・ホール 1ケ 所、道路西側の外灯基礎 1ケ 所 とハ ン ド・ホール 1ケ 所が、工事 による掘削が深い部分であっ た。道路横断部分 は、道路東側のハ ン ド・ホール設置部分 をつなtデて、

lA区

とした。道路西 側の外灯基礎 とハ ン ド・ホール部分 は、位置がそれぞれで離れているため、別々に対応 し、そ れぞれ

lB区

lC区

とした。

lA区

の道路横断部分 は、道路 を全面通行止めにで きないため、東半分 と西半分 に分けて調 査 を行 うこととし、西半分か ら調査 を開始 した。西半分は、給水管設置の際に一度掘削 された 部分 (二の九跡第

4地

点、年報

5)を

また ぎ、それ以外の部分で も、掘削深度が明治時代以降 と考えられる3層以上に収 まるため、精査 は行なわなかった。東半分では掘削予定深度 まで掘っ た ところで、石組の溝 などが検出され、 また道路東側ハ ン ド・ホール設置部分では、石組溝 よ り深い所 まで掘削 されるため、手掘 りによる精査 を行 った。また、ハ ン ド・ホール設置部分で は、 より下層の状況 を確認す るために、南壁沿いに小規模 な深掘 り部分 を設けた。 基本層序 は8層が確認 され、

1層

は大学 によると考 えられる、ご く新 しい整地層である。2 層 と3層も、後述する石組溝 を埋 めてお り、石組溝の一部にコンクリー トが使用 されているこ とか ら、明治以降の ものである。

4層

以下が江戸時代 の整地層 と考 えられる。

4層

6層

は、 隣接する第

9地

点 との対比か ら、二の九造営時の整地層の可能性がある。7層の暗褐色土 と8 層の焼土 は、二の九造営以前の伊達宗泰 の屋敷が置かれた時代の地層である可能性が高い。 検 出された遺構 としては、石組溝 。暗渠が各1条ある。 D

参照

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