Ell A類
皿 B類 耳 皿A類 耳 皿B類 灯 火 具
小 型 中 型 大 型
︲ 7 c
初頭〜前葉
Vl
W
攣
鰯
学 鯵
最上多
〜4 7 8:二の 跡第9地点I期5
風浄 柳
︲ 7 c
末〜
︲ 8 c
初頭
\二士全/9
ジ 10
辛 1
\\彰 3
\ ミ ミ 三 三 ∃ 三 Ξ Ξ ラ フ そ
4彰 5
嘲
\\ 嗚
廼
◇ 幽
21
醒
◇ 攘
22
〜22:二 の九跡第t
元禄年間の整〕地点 由層 遺構
▼ V6
︲8c 前 葉
く こ 三 Ⅱ 三 三 フ ち
3 ヤ 4\ 瑶
:二 の丸跡第5地■3号土 坑
︲8c 後 葉
ヤ 28
ウ 9
マ c
彰
1く
(EE亘三
[三三 こ ろ 房 ζ
2拳 \ \ ミ こ ≧ Ξ と 三 三
=ク
ン ζ
4す ―― 引 /
一 39
40
ヤ
として、小型 。中型・大型 に区分で き、いずれ も17世紀初頭〜前葉か ら19世紀中葉頃の資料 ま で、全ての時期 に認め られる。 この内、日径15伽より大 きい大型の ものは、そ もそ も出土点数 が少ないこともあ り、特 に集中す るところは認め られない。そのため、以下では、小型 と中型 の ものについて見てい くこととする。
17世紀初頭 〜前葉の第
9地
点I期の資料 1は 、出土点数が少ないこともあ り、法量分布で集 中するところが読み とり難い。同時期の三の九跡I期の資料では、小型の資料が見 られず、少 数の大型の ものを除けば、中型の ものに集中 している。 したがって、小型 ・中型 ・大型の作 り 分 けが、存在す るもの と考 えられる。中型の ものの中では、日径11釦前後か ら12cmにかけてのものが、
1グ
ループにまとめ られる可能性があるが、あまり明確ではない。元禄年間の資料 と18世紀後葉の資料では、小型 と中型の区分は、明確 になってお り、小型の ものは、 さらに
3群
に分かれている。元禄年間の資料では、この小型の3群
への分離は、あま り明確でないが、ほぼそのように考えて良いだろう。中型では、第9地
点の15号土坑の ものが、やや分布 の中心がずれるが、いずれ も日径12cm前後 に 1つ の集中が見 られる。 しか も、各時期 の皿の中で、 この口径12cm前後のグループに、 もっ とも多数が集中する。 この回径12cmと いう のが、土師質土器の皿で中心 となった一群であろう。これより大 きいものは、やや散混な分布 を示す。
元禄年間 と18世紀後葉の間の時期である18世紀初頭の第5地点
3号
土坑の資料 は、残念 なが ら、資料数が少な く、明確 なグループ分 けは難 しい。ただ、中型の中に、器高が2 cmに満 たな い、浅い ものが少数なが ら含 まれている。同様の浅い ものは、18世紀後葉の資料の中にも、少 数存在する。18世紀末〜19世紀初頭の資料 と、19世紀 中葉頃の資料では、小型の ものの数が少 な く、その 様相 は良 く判 らない。中型の ものでは、前者では、やや散浸な分布であるが、口径が大 きめの もの と、小 さめの ものに分 けることがで きそ うである。 また、その分布の中心が、18世紀後葉 の ものよ り、わずかに小 さい方へ移 っているように見える。この傾向は、19世紀 中葉頃の資料 では、より明確 になっている。中型の ものが、大小
2群
に分かれ、特 に小 さめのグループでは、その中心が回径1lcm前後の ところに移 っている。器高では、浅い ものが前段 階には少数見 られ たが、 この両時期の資料では、中型の もの全体が、浅 くなっていることが見て取れる。
B類
は、元禄年間以降に出現するが、 この時期 の ものは数が少ないこともあって、明確 な集 中は認め難い。18世紀前葉の資料 と18世紀後葉の資料では、ほぼ口径H〜
12cmの ところに集中 が見 られ、各時期 とも、もっ とも多数が集中す る。皿A類
の口径12cm前後のグループと同様 に、皿
B類
の中で中心 となるグループであろ う。これ よ り小 さい ものは、数が少 な く明確でないが、第
9地
点15号土坑では、口径9〜10cmに、一つの集中が認め られそうである。 また、18世紀前158
三の九跡I期(17c初頭〜前葉)
。A類
。B類
10
二の九跡第9地点I期(17c初頭〜前葉)
̲毛、・
T
口径
(Cln)
10 15
二の九跡第5地点元禄年間の整地層・遺構(17c.末〜 18c初 頭)
10
二の九跡第9地点16号土坑 (18c後葉)
5 1o 15 二の九跡第9地点15号土抗 (18c後葉)
図
35
仙 台城跡 出土土師質土器 皿 の法量分布(1)Fig.85 Scatter diagrams Of size of ceramic dishes tom Sendai Casdc(1) 類
類 点点 点
A B l 2 3
類 類 小占 点
A B l 2
口 径 (cm)
口径
(C/m)
■.
159
醸醸 嫌豪 蛛
Щ4 3 2 1 0
鴫 4 3 2 1
紳∝4 3 2 1
。3号土坑A類
。3号土坑B類
・2号土坑A類
口 径 (cHl)
10 15
二の九跡第5地点3号土坑(18c前棄)・ 2号土坑(19c中葉頃)
o2号池A類
。2号池B類
・3 cttA類
。3 cttB類
・3 bttA類
̀3 bttB類
5 1o
二の丸跡第9地点2号池,3c層・
口径 15 20 (cn)
3b層 (18c末 〜 19c初 頭)
0 5 1o 15 20 25 二の九跡第9地点1号池・3c層 ,3b層 (19c中業頃
)
口 径 (cnI)
図
86
仙 台城跡 出土土師質土器皿の法 量分布 確)Fig.86 Scatter diagrams Of size ofceramic dishes frOm Sendai Castle(2) 葉 の資料 には、 日径 力泣Ocmに 近 い、大型 の もの もあ る。
18世紀末〜19世紀初頭の資料 と、19世紀中葉頃の資料では、分布の中心が、小 さい方へ移動 す る。18世紀末〜19世紀初頭の資料では数が少 な く明確でない ところ もあるが、19世紀中葉頃 の資料では、日径10cm前後の ところに集中す る。その数 も最 も多 く、18世紀 に口径11〜12cmの グループが、月ヽ型化 しここに分布の中心 を移 した もの と考 え られる。 これ以外の資料は、散漫 な分布 をしめ し、明確 な集中は認めることは難 しいが、19世紀 中葉頃の資料 には、日径20cmに 近い大型の ものが存在する。 また、18世紀末〜19世紀初頭 の資料以降でば、器高が浅 くなって い く傾向が読み とれる。
以上の法量分布 の移 り変わ りを見 ると、確実でない部分 も残 るが、全体 としては、元禄年間 か ら18世紀後葉の時期 に、法量での作 り分けが明確 になってい くことが見 て取れる。 また、18 世紀末〜19世紀初頭の資料以降、小型化が進んでい くとともに、全体 に浅い ものへ と変化 して いることが明 らかである。 このような変化は、
A類
・B類
の両方 に共通 して見 られる変化であ る。160
左 回 転 右 回 転
a 技 法
b 技 法
(拓本の香号 は第9地点の遺物登録番号)
図
87
仙 台城 二 の丸跡 出土土師質土器皿 の糸切 り技 法 と回転 方 向Fig.87 Variety of string‐cut bases of ceramic dtthes from the second citadel of Sendai Castle
loЭO/O
I I I I I
第9地点 I期 (17c初 頭〜前葉)
第5地点元禄年間 (17c末 〜18c初 頭)
第9地点16号 土坑 (18c後 葉)
第9地点15号 土坑 (18c後葉)
第9地 点2号 池3c層 3b層 (18c末 〜19c初頭)
第9地点1号池 (19c中葉)
技法a左 技法b右
図
88
仙 台城 二 の丸跡 出土土師質土器皿の糸切 り技法 と 回転 方 向の比率Fig 88 Histograms of ceramic dishes from the second citadel of Sendai Castle by kind of stling―cut bases
外面 の再調整 につ いて は、
18世紀末〜19世紀初頭の資料 と19世 紀 中葉 頃の資料 で は、
ミガキ調整が丁寧でな く、そ の前段階 に施 された回転ヘ ラ 削 りの痕跡が観察 される もの が多い。 これ らの時期 よ り前 の ものでは、ケズ リ調整の痕 跡が認め られる資料 はほ とん どない。 このため、 ミガキ調 整 の前段階にケズ リ調整が行 われていたか どうかは確定で きないが、新 しくなるととも に、 ミガキ調整が雑 になる傾 向は指摘で きる。
C.底
部切 り離 し技法 と 回転方向皿
A類
について、底部の回 転糸切 りの技法 と、回転方向 の時間的変化 を検討 してみた い。技法 aと した ものは、通 常 に見 られ る回転糸切 りで、糸切 り痕跡の中心が、 どちら か一方向に片寄 り、そ こか ら 外 側 に抜 けて い くもの で あ る。技法bと した ものは、中 心 が底 面 の ほぼ 中央 に位 置 し、糸の圧痕か と思われるも のが、 この中心か ら弧状 に伸 びる ものであ る (図87)。 こ の糸切 り技法の違い と、 ロク ロの 回転 方 向の違 いの割合
161
を、時期 ごとに示 したのが図88である。なお、第
5地
点の資料 を整理 した時点では、糸切 り技 法の違いを識別 していなかったので、報告書 に図示 した ものを再検討 して、集計 した ものである。
技法
bは
、17世紀初頭 〜前葉の資料 には見 られない。三の九跡I期の資料で も、報告 された 資料 に限れば、全て技法aで
占め られている。技法bは
17世紀末〜18世紀初頭の資料で、少数出現 し、18世紀後棄以降では、技法 aと ほぼ同 じ割合 を占めるようになる。
技法aの中での回転方向の違いを見 ると、17世紀初頭 〜前葉か ら18世紀後葉では、左 回転が 多数 を占めるのに射 して、18世紀末〜19世紀初頭 の資料以降、逆 に右 回転 の ものが多 くなる。
ところが、技法
bで
は、18世紀後葉以降、19世紀 中葉頃に至 るまで、左 回転が多数 を占め、両 者の比率 はほ とんど変化 を見せ ない。単純 にロクロの回転方向が移 り変わってい くのではな く、糸切 り技法 によつて、回転方向の変化が異 なっている。
糸切 り技法での違い と、法量や形態 との関係 については、小型の ものには技法
aが
多い とい うこと以外、明瞭な関係 は見い出せ なかった。 また、色調や胎土の違い と、糸切 り技法 との関 係 について も、今 回検討で きなかった。糸切 り技法の違 うもので、明瞭な形態上の差が見い出 し難い ことや、回転方向の変化が技法 ごとで異 なることは、糸切 り技法の違いが製作者の違い の反映である可能性 を示唆する。D.ス
スの付着割合灯火具 に使用 した痕跡 と考え られる、ススの付着の有無 を、次 に検討す る。姑象 とした資料 が、前述の ように完形品ばか りではないため、煤の付着 していない資料で も、破片の場合、本
iO
O%
前 墜 1雛 場 頭 蟹
1"挽頭著
図
89
仙 台城 二 の丸跡 出土土 師質 土器 皿 の ス スの 付 着割合Fig, 89 Percentages of soot―covered ceramic dishes from the second citadel of Sendai tttle
当にススの付着が無い とは言い切れない が、おお よその傾向は示すであろう。図 89に煤の付着 した資料 の割合 を示 した。
A類
とB類
での違い とい う点では、16 号土坑 を除 くと、両者の付着率 は、ほ と ん ど変わ らない。16号土坑でのB類
の付 着率の低 さについては、その理由を十分 説明で きないが、資料群の性格 による可 能性が考 えられる。16号土坑では、白木 の箸が大量 に出土 してお り、 この16号土 坑 出土遺物の中に、饗宴 などで使 われた ゴミが含 まれていることは確実 と思われ る。B類
の皿 にススの付着す るものが少162