このように難病研究は多岐にわたり、しかも疫学者のみならず臨床医、保健福祉従事者な どの協力が不可欠である。このため厚生労働省では 1976(昭和 51)年より難病の疫学に特 化した研究班を組織し、今日に至っている。この研究班は研究班独自で研究活動を行うので はなく、臨床研究を中心とした研究班(研究者グループ)と共同して研究を行ってきた。そ の1例を以下に紹介する。
クロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeldt-Jakob disease、CJD)は高齢者に発生する稀 な疾患で、急速に進行する痴呆を主症状とし、発病後数年以内の致命率がほぼ 100%という 予後不良の疾患である。プリオンによって感染する感染症としての側面を持つ反面、プリオ ン蛋白遺伝子変異によって発生する家族性の病態もある。1996年2月に英国より当時流行し ていたウシ海綿状脳症(bovine spongiform encephalopaty、BSE)と変異型CJDが関連して いるという報告がなされ、わが国でも変異型CJDの患者が存在するか否かを確認する目的で 厚生省(当時)の研究班が結成され、緊急全国調査が実施された4)。その結果、英国で問題 になっている変異型CJDの患者はいなかったが、43例のヒト乾燥硬膜移植歴を有する患者の 存在が明らかになった。このため、厚生労働省では引き続きサーベイランスを実施し、1999 年に感染症法施行により体制の変更があったものの、今日に至るまでCJDの発生動向を把握 している。このサーベイランスはCJDを担当する臨床班が主体となって情報収集を行ってい るが、解析は疫学班との共同研究として実施している。なお、このサーベイランスを実施す る際の情報の発端の1つとして前述の臨床調査個人票を活用している12)。CJDの記述疫学 研究として発生数の年次推移を詳細に解析し、わが国では患者数の真の増加が起こっている ことを明らかにした。
以上のサーベイランスによりわが国のCJDの疫学像が明らかとなり、現在もサーベイラン スによる監視が継続されている。わが国におけるCJDの問題点は硬膜移植歴を有する患者
(医原性CJD)の存在と、今後の変異型CJDの動向である。後者については今後ともサーベ イランスを継続することによって監視していくほかない。医原性CJDについては症例対照研 究を実施することによって硬膜移植のリスクを数量的に明らかにしたし、症例の詳細な疫学 的解析により今後ともこのような症例が発生する可能性が高いことを示した。なお、研究と は直接は関係ないが、これらの研究成果を元に患者が硬膜製造企業及び輸入販売を承認した 厚生省を訴えた民事訴訟に証人として出廷し、疫学的にはヒト乾燥硬膜移植がCJD発生の危 険因子であることは明らかであることを証言し5)、患者救済に一定の役割を果たした。
なお、マスコミなどで報道されているように、2005年2月に我が国で初の変異型CJD患 者が確認された。この症例について疫学の立場から感染経路の解明と2次感染防止対策を検 討している。
以上のように難病の疫学研究は多岐にわたり、さまざまな局面で社会に貢献してきた。前 述の裁判における証言はもっとも現実的な問題だが、危険因子の解明による予防法の確立は 国民個人個人の福利厚生に直接役に立つ課題だし、記述疫学研究による実態の解明は行政施
引用文献
1.Akamizu T, et al. Prevalence and clinico-epidemiology of familiar Graves' disease in Japan based on nationwide epidemiologic survey in 2001. Endocrine J 2003;50:429-36.
2.中村好一,他.臨床調査個人票からみた亜急性硬化性全脳炎(SSPE)の疫学像.脳と 発達 2003;35:316-20.
3.Kobashi G, et al. High body mass index after age 20 and diabetes mellitus are independent risk factors for ossification of the posterior longitudinal ligament of the spine in Japanese subjects: A case-control study in multiple hospitals. Spine 2004;
29:1006-10.
4.Nakamura Y, et al. Incidence rate of Creutzfeldt-Jakob disease in Japan. Int J Epidemiol 1999;28:130-4.
5.薬害ヤコブ病被害者・弁護団全国連絡協議会編.薬害ヤコブの軌跡 第1巻 裁判編.
日本評論社(東京) 2004:196-209.
4)
生活習慣と生活習慣病予防、21 世紀の将来展望
下光輝一(東京医科大学衛生学公衆衛生学教室)
喫煙、飲酒、食事、身体活動・運動、睡眠などの生活習慣が健康に及ぼす影響については、
すでに古代ギリシャ時代に認識されていた。わが国でも、貝原益軒が 18 世紀初頭にその著 書「養生訓」の中で、喫煙、多量飲酒、身体的不活動、飽食などの害を述べ、健康と長寿を 全うするための心構えを説いている。しかし、これらは経験論的な見地であり、生活習慣が 疾病のリスク要因であることが科学的なエビデンスとして明らかにされ始めたのは、20世紀 後半になってからである。特に、Breslow等によるアラメーダ地方での疫学研究は、生活習 慣の健康における重要性を明らかにした研究として画期的であった。すなわち、①喫煙しな い、②飲酒制限、③定期的な運動、④適正体重を保つ、⑤適切な睡眠時間、⑥間食をしない、
⑦毎日朝食を摂る、の7つの良い健康習慣を挙げ、これらの多くとも3つ以下しか有してい ない男性は、6つ以上の健康習慣を持っている男性に比べて、11年間も平均寿命が短いこと を明らかにしたのである。その後、それぞれの生活習慣について数多くの疫学研究が報告さ れるようになり、これらの健康習慣を保有していないことが、がんや脳血管障害、心臓血管 疾患、糖尿病などの危険因子となることが次々に明らかにされてきた。
疾病の発症要因は、遺伝要因、環境要因、生活習慣要因の3つの要因に分けられるが、環 境要因や遺伝要因は、現時点では介入を行うことは様々な理由で困難であることが多いが、
個人や地域・職域レベルで比較的容易に介入が可能で、改善しうるものは、生活習慣である。
我が国では、昭和 30 年代頃より、脳血管疾患、がん、心疾患による死亡が増加し全死亡
の60%を超えたことから、これらの疾患群を「成人病」と総称していたが、このような呼称
からは予防対策が生まれにくいという理由から、公衆衛生審議会は、平成 8年12 月に意見
「生活習慣に着目した疾病対策の基本方向について」をまとめ具申を行い、従来加齢に着目 し て い た 「 成 人 病 」 を 、 生 活 習 慣 と い う 要 素 に 着 目 し て 捉 え な お し た 「 生 活 習 慣 病 lifestyle-related diseases」という呼称に替えて、一次予防を重視した疾病対策の推進を図る ことを提案した。
これを受けて、平成12年に策定されたわが国の国民健康づくり運動、「健康日本21」に おいても、その戦略的目標項目として、栄養、身体活動・運動、喫煙、飲酒、心の健康づく り(ストレスと睡眠)の5つの生活習慣と循環器病、癌、糖尿病、歯科的疾患の4つの生活 習慣病について目標値を定めている。
このように 21 世紀の予防医学の時代に生活習慣と生活習慣病予防における公衆衛生学の 意義はいや増しに増している。この分野における研究の将来展望としては、まず第1に、生 活習慣を個人の健康行動と捉えることにより、行動科学的な研究と介入の飛躍的な発展があ ること、また、第2には、遺伝子医学などの生物学的研究の果実を生かした分子疫学の進歩
であろう。生活習慣と健康の関係がよりいっそう明らかにされ、その成果が公衆衛生・予防 医学に役立てられていくことが期待される。