鈴江緑衣郎(元国立健康・栄養研究所長)
緒言
日本人の平均寿命は世界一となり、男子78.07才、女子84.93才と、世界一に位置し ている。またWHOで推奨している健康寿命でも日本は世界のトップとなっている。これを保っ ていくためには、国民の健康に対する知識の更なる拡充が必要なことはいうまでも無い。そのた めには、どのような方法があるか、医学者の立場からこれを簡単に論じてみたい。
かつて、日本学術会議では、第7部の予防医学研連において、この問題について議論していた ことがあった。岡田晃金沢大学学長、高石昌宏国立公衆衛生院院長(現国立保健医療科学院)、田 中平三国立健康・栄養研究所理事長そのほかの有志の人々である。その結果公衆衛生大学院を建 設すべきだという結論に達して、実際のプランまで出来上がったが、まだ日の目を見ていない。
これの実現はいかにして復活させるべきか。その点について私案を述べ、今後の日本の健康問題 解決に寄与してみたい。
1)専門家の養成の必要性
現状では日本に公衆衛生専門家、予防医学専門家に対しては法的な根拠は無く、日本では医学 部、工学部(主に産業衛生および上下水道、環境汚染など)、農学部(主に農薬など)を中心とし た学部における研究講義、研究機関としては国立健康・栄養研究所、国立保健医療科学院、国立 環境研究所(前国立公害研究所)などがあり、それぞれの分野で国民の健康に貢献している。し かし国民全体としては、予防医学、健康問題に関心を持つ人は少なく、鍼灸学校や理容師学校な どでは医学部の学生をアルバイトの非常勤講師として使って公衆衛生学の講義を行っているとい う話も聞く。また農学部の農薬専門家を女子大の公衆衛生学の教授として採用している話も耳に する。どうしても専門の公衆衛生または予防医学の専門家の数を充実させ、国民に予防医学の重 要性を知らせる必要がある。
厚生労働省の設置法には4条−17には、厚生労働省の役割として「国民の健康の増進及び栄 養改善並びに生活習慣病に関することを司る。」とある。このことから日本においても公衆衛生学、
公衆栄養学、保健医学の重要性が示されている。
公衆衛生学のうち、特に予防医学にとって必要なものは栄養学、疫学、生物統計学、環境保健、
労働保健などがあり、そのうち特に重要なものは母子保健、高齢者保健、栄養学である。これら
予防医学のもっとも発達している国は米国である。アメリカ予防医学委員会は、予防医学を「健 康の保持増進と疾病、障害、早期の死亡を予防するために、個人及び特定集団の健康問題を取り 扱う専門分野である」と定義しており、日本における「公衆衛生」の考え方と似ているところが 多い。修士課程や博士課程をもっている公衆衛生学部は全米に24校あり、2000人の教授陣 と9000人の学生が在籍している。栄養学でも有名な公衆衛生学部を持っている大学はハーバ ード大学、ジョーンズホプキンス大学、エール大学、コロンビア大学、カリフォルニア大学など で、栄養学に関する重要な発表もここでなされている。専攻分野としては栄養学、疫学、生物統 計学、保健医療管理学、環境保健、労働保健、母子保健、地域医療学などがあり、いまアメリカ で社会問題となっているエイズ感染の拡大、高齢者問題、医療保険に加入できない人の増加、薬 物中毒、十代の妊娠、少数民族の健康問題などに対処するために各分野で活躍しているが、臨床 などと比べて収入が少ないため、人材の確保に苦労している状態である。
3)医療関係者の必修義務の強化
予防医学、公衆栄養学、公衆衛生学は前述のように国民の健康保持のため欠くことができない 科目である。そのため、医学部では公衆衛生学は必修科目になっているが、学生の関心は薄いの が実情である。この三科目に学生の関心を持たせるには、①教授陣の質を高め、この講義が如何 に医学の役に立ち、国民の健康に寄与するか、②国家試験に公衆衛生学を中心として問題の数と 質を向上させ、合格のために予防医学の勉強がぜひ必要だと認識させるなどの方法がある。今公 衆衛生、予防医学、あるいは公衆栄養などが必修科目となっている課程は、直接人体と接触する 医学部の学生(これは必修義務がある必修科目になっていて、医師法にも明記されており、国家 試験の貴重な科目となっている)、歯科衛生士は衛生学、公衆衛生学を専門科目としている。診療 放射線技師も必須科目としている。調理師法には衛生法規、公衆衛生が必須となっている。
保健婦は人々と接触する機会が多い職業であるため、国家試験には疫学や保健統計学が出ること になっている。看護師と助産師もまた地域保健と母子保健学が必修科目となっている。美容師も また人と接することが専門の職業のため、衛生管理に関する国家試験が行われている。
国民の保健、衛生に重要な役割を占める栄養士、管理栄養士は公衆衛生学、公衆栄養学が必須 科目となり、また国家試験においても現行では出題数は臨床栄養学に次いで多い。この傾向は新 制度に移行しても余り変わらないと思われる。ただ現在のところ、これらの科目を受け持つ教官 は、農学部、工学部、薬学部出身者も多く、そのため、法令で公衆衛生、保健大学院出身者か、
医学部の公衆衛生学、保健学科の教授、助教授経験者に限るという法令を早く設定しなければな らない。
4)必修科目終了専門家の必置義務の強化
医療関係者を中心として、看護師、保健師、管理栄養士も入学できる、公衆衛生(公衆栄養を 含む)大学院大学を拡充、卒業生は予防医学の免許と学位を与える。その人たちの就職先を確保 し、また国民の保健衛生の実をあげるために、前記の公衆衛生、予防医学の講義担当者の資格は 予防医学免許所持者かまたは医学部で公衆衛生学、予防医学の教授、助教授の経験者のどちらか を当てなければならないとする必置義務に関する法律を作る。
また保健所長も将来は予防医学免許者をあてなければならないとする。この理由は、大学院構想 は20年も前からあったが実現性は弱く、まだ実現していないありさまである。その理由は大学 院を折角卒業してもその職業に対する必要性が少ないことによる。それを直すために、この保健 関係の大学院を卒業しなければ、上記の職につけないとすると入学希望者は増加し、その質も上 がり、その結果国民の健康増進に役立つことは非常に大きいと思われる。
さらにこれらの大学の教官としては、国立健康・栄養研究所の優秀な職員を当てるのがもっと も当を得た考えだと思われる。
4)結論
日本における予防医学、保健医学を拡充するために、専門の大学院大学を拡充する必要がある。
その結果専門の知識を持った学生が世間に出てゆき、医療関係の学校の教官または保健所の所長 の地位を確保するように法律で制定する。このように予防医学、または公衆衛生学区、公衆栄養 学の専門家を重視することにより、一般国民の予防学に対する関心が高まり、国民の健康増進に 寄与することが大きいと思われる。