• 検索結果がありません。

4. 火山災害における避難指示と想定外リスク

4.3 避難ルールの決定基準

火山災害において,前兆現象から噴火に至るまでのリードタイムには多大な差異が存在する が,火山性微動のような火山活動の活発化を示す予兆が観測されるような火山災害では危機管 理過程を,図 4‐1 に示すように整理することができる.火山活動の活発化の兆候が見られる 初期段階では,火山災害がどのような噴火シナリオ(火口の発生箇所,規模,時期など)に従 って発生するかを知ることはできない.このため,火山活動の初期段階では,ハザードマップ のように噴火シナリオを総合的に考慮したリスク評価の結果に基づいて,あらかじめ計画され た対応策を実施することが合理的となる.すなわち,Nモードによる危機管理対応では,将来 起こる可能性があるさまざまな噴火シナリオに対処できるように備えることが求められる.

一方,噴火が顕在化する段階に入ると,市町村長は避難指示を発令し,人命保護を最優先し て危機対応を講じることになる.このようなEモードでは,現前で展開する状況から人命を保 護すべく,あらゆる手段が講じられる.火山噴火の危機対応プロセスでは,NモードからEモ ードにシフトさせるタイミングが重要な課題となる.言い換えれば,市町村長による避難指示 の発令は,NモードからEモードへのモードシフトに関する意思決定に他ならない.

市町村長の避難指示を契機として住民が避難行動に移ることが可能になるためには,「どのよ うに避難すればいいか」ということに関して市町村長と住民の間で知識を共有化しておくこと が必要となる.こうした避難指示に関わる市町村長と住民の間で共有化された知識を「避難ル ール」と呼ぶこととする.市町村長と住民との間で,「ありうるべき災害のシナリオとそれに対 する住民の避難のあり方」に関する想定がベンチマークとして形成されることにより,災害時 における混乱を可能な限り抑制することが可能となる.このような共通知識の存在を前提とし て,市町村長による避難指示の発令によって,どのような結果が生じるのかを合理的に推論す ることが可能となる.逆に,「どのような噴火シナリオであれば当該の避難ルールで対応できる のか,あるいはできないのか」を判断することも可能になる.避難ルールは平常時に策定され るものであるが,ありうるべき災害シナリオの多様性に配慮しつつも,過去の災害事例の詳細 や噴火ハザードに関する科学的検討をふまえて,可能な限り幅広い災害シナリオに対応でき,

かつ効率的な避難ルールを策定することが求められる.それと同時に,このように設定した避

80

図 4‐2 市町村の意思決定過程フロー

難ルールが有効な範囲をあらかじめ措定しておくことが求められる.ベンチマークとして想定 した避難ルールで対処できないような異常事態を事前に想定しておくことにより,万が一異常 事態が発生した場合における対応策を検討することが可能となる.このような異常事態に対す る避難ルールに関して,どこまで情報公開すべきかに関しては,今後の研究の課題とせざるを 得ないが,少なくとも住民に対しては,想定外のことも生起しうる点については周知を図って おく必要がある.

以上の避難指示に関わる市町村長の意思決定の流れを整理すると図 4‐2 のようになる.ま

81

ず,火山活動の活発化が観測された初期の段階では,Nモードにより危機対応に関わる意思決 定が行われる.その後,噴火の恐れが差し迫り,噴火シナリオが具体化すると,避難指示を発 令し,対応モードをEモードにシフトする意思決定を下す.Eモードへのシフトのタイミング に関わる意思決定の適切性に関する評価基準は,

4.3.2

で議論する.Eモードでは,現前で展開 する状況に対して,人命の保護を最優先として,危機対応に関わる意思決定を行う.このとき,

市町村長は,あらかじめ策定した避難ルールに従って避難指示を発令することが適切かどうか を判断し,適切な場合には避難ルールに従って避難指示を発令する.そうでない場合は,異常 事態に対応するような避難指示を発令する.このような避難ルールの規範性に関しては

4.3.3

で議論する.

4.3.2 モードシフトの規範的基準

市町村長が火山災害の危機対応プロセスにおいて直面する第1の問題が,危機対応モードの シフトに関する意思決定である.E モードでは,避難指示を発令し,住民の日常生活の自由を 制限する措置を伴う.したがって,市町村長による避難指示発令のタイミングの妥当性が常に 問題となる.避難指示発令のタイミングの妥当性は,E モードへのシフトに関する必要性を正 当化(justification)できるかどうかという問題に帰着する.

危機管理に関わる意思決定者にとって,火山噴火という危機的状況においても,当事者一人 一人に対して「自分の命を護る」という最低限の選択の可能性を保証することが至上命題とな る.近代市民社会は,個人の理性と自由意思による合理的選択に基づいて社会システムが機能 することを前提としている14).そこでは,外的世界の諸々の事象,すなわち「客体」の間にあ る原因と結果の間に存在する規則性や法則性がシステムの構成要素として埋め込まれている.

個人は「主体」として,自由意思でもってそれらを参照しつつ,外的世界へ働きかける.通常 の理性と判断力を備えた人間であれば,自由意思の適切な使用によって回避できる類の損害に 対しては,自らの意思と責任でそれを回避しなければならない.しかし,火山災害を含む自然 災害においては,通常の理性と判断力を持った人間であっても,災害を支配する因果関係を把 握できず,それ故,予測不可能であるような事態が常に起こり得る.特に,火山噴火時には,

厳しい時間制約・情報制約の下で,避難行動をはじめとした状況判断や意思決定を迅速かつ的 確に行うことが求められる.市町村長は全員の生命を保証するという目的を大前提として,E モードにシフトしない限りその目的が達成できないという事実に基づき,意思決定モードのシ フトに関する意思決定を正当化できる.

危機管理に関わる意思決定モードシフトの問題は,ある判断基準に基づいて最適な対策案を 求めるという問題ではなく,災害ステージの変化と対応して,当該の意思決定問題を定式化す るための意思決定モードそのものを選択するというメタ意思決定問題である.メタ意思決定に おいては,意思決定者自身が危機管理の根本命題に立ち返り,意思決定モードをNモードから E モードへシフトさせることにより,当事者全員の人命を護ることが出来るという自らの信念 を正当化できるか否かが問われる.すなわち,火山噴火による危機的事態においても「自分の 命を護る」という選択肢を保証することが,危機管理に関わるメタ意思決定の妥当性を担保す るためのメタ原則となる.現地の意思決定者は,こうしたメタ原則に基づいて,意思決定モー ドの選択・変更に関する自らの決断を信じることに正当な理由があるか否かを判断する.この

82

ように正当化された信念は,それ自体,意思決定モードの妥当性を評価するための高次の判断 基準(メタ基準)を表しており,「正当化された信念による判断基準」(“justified-belief”

judgment-guides)19)と呼ばれる.本章ではモードシフトのメタ基準として,「仮に噴火災害が

現実化した場合に,被災者が避難を終了する時間的余裕が存在するか否か」という基準を採用 する.

現実に,火山噴火の兆候が表れ,噴火ハザードの危険性が高まった場合,市町村長は「どの 時点で避難指示を発令するか」を決定しなければならない.火山災害では,火山噴火が開始し てから火砕流等による被害が発生するまえのリードタイムは極めて短い場合が多い.本章の実 証分析の対象である有珠山の場合でも,噴火とともに火砕サージが発生し,数分後には火山弾 が被害地域に到達している.したがって,予兆もなく噴火が突然始まったという危機的状況を 除いて,噴火の開始を待って避難指示を発令するという対応策は現実的でない.噴火の予兆が 現れると,市町村長,行政,火山噴火に関する専門家等で構成される災害対策本部が,噴火ハ ザードの変化をリアルタイムで観察しながら,適切なタイミングで避難指示を発令するという 体制をとることになる.その場合,市町村長が避難指示を発令したのちに,地域遊民が避難を 完了するまでにどの程度の避難時間が必要になるかという情報が極めて重要になる.換言すれ ば,噴火までに避難時間を確保するだけの余裕があるかということが,避難指示のタイミング を決定する上で重要な条件となる.さらに,火口の位置から噴火による被害が発生するまでの 噴火シナリオがかなりの程度明確になれば,あらかじめ定めていた避難ルールで対応可能かど うかを判断することとなる.噴火シナリオが事前の想定と異なる場合には,避難ルールを修正 するためにさらに余裕時間が必要となる.このような検討を効果的に実施するためには,市町 村長が避難指示を発令したときに,住民がどのような避難行動をとるべきかという避難ルール を設定することが前提となる.

4.3.3 避難ルールの規範的基準

市町村長が火山災害の危機対応プロセスにおいて直面する第2の問題が,住民に対する避難 指示に関する意思決定である.避難ルールによって実行される避難対応は,対象とする火山の 過去の噴火実績や火山学の知識に基づいて,もっとも起こりやすいと考えられる火山噴火ハザ ードとそれに対する対応方法を想定したものであり,平常時におけるリスクコミュニケーショ ンを通じて市町村長と住民により共有されるべき情報である.避難ルールの実効性を高めるた めには,ルールは可能な限り単純であることが望ましく,噴火ハザードのそれぞれに対して別々 の仕方で避難するといった個別的な対応をとるべきではない.

Eモードにおいて,住民等が迷いなく避難行動に移るためには,「いま,すぐに避難行動に開 始すべきか」,「どこに避難すべきか」の2つに対する答えを瞬時に判断することが必要となる.

住民がこのような判断を行うためには,事前に避難ルールとして,1)避難対象区域と2)避難 シナリオを規定しておくことが重要となる.火口の位置をあらかじめ想定することは困難であ るが,過去の事例や火山学等の知識に基づいて,あらかじめ火口の位置を空間的拡がりをもっ て想定し,それによって複数の噴火シナリオの下で被災する可能性の高い地域を避難対象地域 として指定する.このように設定した噴火シナリオ群に対して,避難対象地域内に居住する住 民に対して避難先,避難経路,避難手段等の避難シナリオを規定する.本章では,このように