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4. 火山災害における避難指示と想定外リスク

4.2 本研究の基本的考え方

地震,台風,豪雨,火山噴火等の災害による損害を軽減するための危機対応策について,多 くの研究が蓄積されている.林 4)は,災害に対する危機管理を,時間的局面と対策の目標から

「被害防止」,「事前準備」,「事後対応」,「復旧・復興」の4局面に分けて捉えており,阪神淡 路大震災を教訓として,実際に災害が顕在化あるいは発生した後の危機管理における意思決定 の重要性を説いている.

災害が顕在化した際に,生命を護るために最終的に残された手段が避難である.今日では,

さまざまな災害を対象としてリアルタイム情報技術が発達しており,これらの情報技術を用い た避難誘導に関する研究が蓄積されている.例えば,片田ら 5)は,避難にかかる施策検討のた め,津波災害シナリオ・シミュレータが必要であることを指摘し,行政の危機管理の効果の確 認や避難指示の規模を決定する方法論を提案している.また,津波災害のシナリオ・シミュレ ーションが住民のリスク認知にもたらす効果を分析している 6).梅本 7)は,アンケート調査を 実施し,津波からの避難過程における住民の意思決定行動について実証的に分析している.豪 雨災害に対しても,個人の避難行動に関するシミュレーションモデルが考案されている.豪雨 時には避難経路が浸水している可能性がある.片田らはこのような水害時における避難の状況 依存性について分析し 8),避難勧告の際に,河川水位や堤防の状況に関わる情報,避難経路の 浸水状況といった付加的な情報を提供することが効果的であるとしている.

火山災害では,噴火の兆候が現れてから火砕流などのハザードが発生するまでのリードタイ ムに不確実性が存在するために,避難指示発令のタイミングや避難経路等の指示事項を決定す ることは容易ではない.こうした問題意識から,藤井ら 9)は,積雪期における樽前山での大規 模な噴火を対象に,融雪型泥流に対して住民の自家用車による一斉避難の交通シミュレーショ

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ンを行い,避難シナリオごとに避難完了に要する時間を算定し,効率的な避難計画の策定に資 する知見を導いている.また,火山噴火はその活動が終息までに時間を要することが多く,災 害発生後における再噴火リスクを考慮しつつ,事後対応の合理化が必要となる.このような視 点から,石原は2000年6月に発生した三宅島での噴火事例を対象に,市町村長による対応が 住民の活動に及ぼす影響を時・空間的に把握する方法を提案している10).これらの研究は住民 の意思決定に着目しており,災害時における行政の役割には,焦点が当てられていない.

発災時の市町村長による対応に着目したものとしては,中谷11)が時間的制約のある災害対応 において迅速かつ適切な対応をとるための防災マニュアル作成の方法論を提案している.また,

地方自治体の職員は一般に2~3年で部署移動することが多く,防災知識や技能を維持・向上さ せることが困難であるという問題がある.これに対して小山ら12)は地震発生後からの応急対策 の過程をその震度に応じて整理し,防災に不慣れな職員でも迅速に対応可能できるようなモデ ルを提案している.しかし,これらの研究は,行政による計画的対応に関わるものであり,Eモ ードにおいて実施される意思決定について考察しているわけではない.

以上のように,既往研究においては,避難指示に関する意思決定に関する規範的な視点は欠 如している.このような中で,関ら 3)は有珠山噴火を対象として,火山災害時における危機管 理の意思決定構造を分析している.そこでは,危機管理における意思決定モードをNモードと Eモードに区別するとともに,モード変化に関するメタ意思決定の構造と意思決定原理につい て考察している 3).筆者らの知る限り,危機管理におけるメタ意思決定の重要性をはじめて指 摘した研究であると評価できる.本章で対象とする市町村長による避難指示の決定は,関らが 定義する N モードから E モードへの変換を決定するメタ意思決定に対応している.このよう なメタ意思決定の視点から,避難ルールにアプローチした研究はほかに見当たらない.

4.2.2 避難実施に関わる市町村長の責任

事前避難は,個人の意思でも実行可能な行為である.災害対策基本法第60条により,市町村 長には,災害時あるいは災害の恐れがある場合に,住民に対して避難を勧告あるいは強制する 権限が付与されている.個人の意思でも実行可能な事前避難行為に対して,公的介入が行われ るようになった背景には,伊勢湾台風における惨事がある.事前避難の公的介入の権限を規定 している災害対策基本法1)の立法趣旨には,

避難のための立ち退きの指示等については,水防法,地すべり等防止法,警察官職務執行 法等の規定がある.しかし,災害時の様態や発令の用件,発令権者等がまちまちであり,

伊勢湾台風において惨事を招くことになった.そのため,住民に最も身近な市町村長に災 害全般についての避難勧告又は指示の権限を与え,事前避難のための立ち退きの勧告につ いても規定することにより,住民の生命・身体の保護に万全を期することとした.

とある.災害対策基本法 1)では,市町村長の権限を通じて,被害の軽減を図ろうとする一方,

避難の判断は,基本的には自己の責任で行うべしとする自己責任原則の考え方に基づいている.

自己責任原則は,個人の意思決定が

ハザード事象が生起する蓋然性の評価に関わるすべての情報に容易にアクセス可能であ り,獲得した情報を適切に評価できる能力(合理的意思決定能力)を持つ

個々人の避難行動が,他の人々に影響を与えない(外部性の不存在)

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自らの力で避難することができる能力(避難モビリティ)を持つ

という条件を満足するとき,個人の合理的な避難行動を通じてを避難行動の全体の最適化を導 くことができるため,望ましい責任原則となる.しかし,現実には以上の条件が成立すること は困難であり,避難実施に関わる市町村長の役割は極めて大きい.特に,住民は災害リスクの 認知に関して正常化の偏見13)を有するが,専門的知識を有しないことがさらに状況の楽観視を 助長する.市町村長の権限による避難指示により,楽観的バイアスに基づいた住民の行動を是 正し,より望ましい避難行動を履行させることが可能になる.また,避難行動が道路混雑を引 き起こす場合には,避難経路を指示することによって,避難行動を合理化することが求められ る.また,高齢化の進展により,避難のためのモビリティを持たない人々に対して,行政がモ ビリティの手段を補完することが必要となる.また,災害の状況を把握するためのさまざまな 情報観測技術及びリスク分析技術の発展により,行政と住民の間における情報ギャップも大き くなっており,市町村長が発令する避難指示の役割が増加している.

4.2.3 火山噴火の不確実性と避難指示の決定

一般に,火山災害では,噴火現象の前兆を観測することが困難であるとされてきたが,研究 の進展や観測体制の充実化により,前兆現象の観測に向けた取り組みが強化されてきた.前兆 現象が観測されてから噴火に至るまでのリードタイムには多くの不確実性が介在し,時間的余 裕がまったくない場合から数時間,数日間の時間的猶予が存在する場合まで多様に分布する.

また,噴火のタイミングと規模,火口の位置といった噴火シナリオを事前に予測することは困 難である.このように火山噴火には多大な不確実性が介在することから,火山噴火の前兆現象 の観測に向けての取り組みを強化するとともに,避難が火山被害を回避するための有効な手段 となる.

市町村長は,噴火シナリオの不確実性を排除できない中で,避難指示に関する意思決定を行 わなければならない.避難指示のタイミングが遅れたり,避難指示が発令されなかったために,

死傷者が出た場合には,その判断の適切性が問われる.また,避難生活は,身体的,精神的ス トレスを伴う.現地で生計を営む家計や企業には,ビジネスの停止等による金銭的被害が発生 する.このため,市町村長による避難指示に関する意思決定は,ともすれば噴火シナリオが確 定した事後の時点において,その妥当性に関する評価に晒される.

自己責任原則の下で個人が避難に関する意思決定を行うかどうかは,あくまでも個人的な問 題である.一方,市町村長が住民に避難指示を発令する場合,市町村長は自ら下す避難指示に 関する正当性を確保しておくことが求められる.ここで,避難指示の正当性(justifiability)と は,市町村長が火山噴火リスクに関わる客観的な証拠に基づいて,避難指示に関する判断に至 った論理的根拠について説明可能であることを意味する.しかし,避難指示の妥当性に関する 判断の根拠が,住民と市町村長の間で共有されていなければ,住民が避難指示に従わない事態 や事後的に住民と市町村長の間で紛争が発生する可能性がある.避難指示の判断根拠や避難ル ールに関して市町村長と住民の間で合意形成が図られ,その内容が両者の間で共有知識になっ た場合に,市町村長が設定する判断根拠は正統性(legitimacy)14);15)を持つことになる.判断 の根拠を示すことが,合意形成の前提となる.この意味で,正当性は正統性の前提条件になる.

本章では,あくまでも正当性の観点から,避難指示に関する判断の妥当性を分析するための方