17.10 デーリースター紙が 2004年 4月 20日に報じたところによれば、「警察お よび準軍事組織バングラデシュライフル隊(BDR)は昨日、アワミ連盟(AL)
および非政府組織 Proshikaa の職員を取り締まり、翌日のBhaban tomorrow を包囲するアワミ連盟の計画を挫折させる意図で、少なくとも1,363人を逮捕 した。」その逮捕は、議席奪回の試みに向けたアワミ連盟の大衆デモ共同プロ グラムのさなかに発生した。Hawa Bhaban はバングラデシュ民族主義党
(BNP)の事務所が置かれた場所である。Dhaka警視庁長官の話では、「別に 新しいことではない。法と秩序を維持する目的で、日常的に行っている家宅捜 査を実施している。」 [38g] 4月23日のデーリースター紙が伝えたところによ れば、「アワミ連盟の政権奪還に向けた4月30日の期限を前に、引き続き一 斉検挙が行われ Dhaka 全域を窒息させた一方で、刑務所の門前では、心無い 政治工作の被害者の釈放を求めて、保釈書類を携えた不安そうな血縁者が群れ を成した。」4 月 20 日以来、数百人を超える国民が逮捕された。伝えられる ところによれば、警察はバス亭、駅および空港の出国ターミナルに到着した少 なくとも 5,000 人を「迎え」に行き、うち 2,910 人を既に混雑状態の Dhaka 中央刑務所に送り届けた。他方では4月22日夜に815人が刑務所から解放さ
れた。 [38h] 2007年4月27日にデーリースター紙が報じたところによれば、
「政府は1万5,000人を超える国民が8日間にわたる捜査網で逮捕されたのを
受けて、昨日、一斉検挙を中止し、警察に無実の人間を必要以上に苦しめない よう要請した。」 [38i]
第14項: 逮捕と拘禁– 法的権利も参照のこと
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り612台に比して)バングラデシュでは国民1000人当たりわずか7台のテレ ビ普及率であった。[49] 2005年に関する全国メディア調査(Global Information Society Watchが引用した),によれば、バングラデシュ国民の22.5%がラジオ 視聴者である。[48]
18.03 USSD 2006 報告書が述べるところによれば、
「現在、独立した日刊および週刊刊行物の数は数百に及んだ。新聞の多くは 時として、首相等の政府政策および活動に批判的でった。 [2a] (2a項)
「新聞の所有権および内容は直接的に政府の規制対象にはならなかった。政 府はラジオ局1社とテレビ局数社に対し、所有権または多大な影響力を持って いたが。これらの局はこれまでとは異なり、その報道対象の多くを政府に集中 しなくなった。民間衛星テレビ局6社は既に放送を行っており、民間ラジオ局 2社は1日数時間の試験放送を開始した。また、国内に映像を配信する外国の 現地ライセンスを持つ2つの衛星放送局もあり、国内の報道事業を支えている。
有線事業者は政府の干渉を受けずに機能するのが一般的であったが、伝えられ るところによれば、優先事業者は税金の支払いと引き換えにいくつかの国際チ ャンネルを放棄することを義務付けられた。民間放送局も無償ではあるが、事 業条件として選定限定された政府系報道番組や首相および大統領の演説を放 映することが義務付けられた。 [2a] (2a項)
「外国の出版社および映画会社は審査および検閲の対象になる。政府の息が かかった映画検閲委員会は国内外の映画会社を審査し、その管轄当局に映画を 検閲させた上で、国内治安、法と秩序、宗教的感情、猥褻さ、外交関係、名誉 毀損または盗用等に基づき配給を禁止させた。」 [2a] (2a項)
「政府は下品で猥褻な写真、明らかな不実表示、イスラム教に対する名誉毀 損または国民の指導者に対する異議に備えて、頻繁に検閲を実施した。」[2a] (2a
項)
「インターネットへのアクセスに関する政府管轄の規制はない。個人および 集団は電子メールを含め、インターネットを通じて様々な見方を平和的に表現 することが許される。[2a] (2a項)
「政府は学問の自由や文化的行事は制限しなかったが、慎重を期す宗教およ び政治上の題材に関する研究は当局により差し止められた。 [2a] ( 2a項)
18.04 「国際人権連盟は 2004年 12 月の事実調査任務に関する報告の中で、バン
グラデシュ当局がメディアの表現の自由を間接的に制限していると言われた 利用手段のいくつかを説明している。
• 立法手段: FIDHの報告が述べたところによれば、「表現の自由は憲法が 正式に記すところであるが、バングラデシュ政府は、法令の断片が重なり 合い一見増幅したかに見える特殊性があり、その断片を1つに収束すると、
いかなる者も情報へのアクセスならびに表現の自由に対して重大な規制を 与えることができることに憂慮を示している。さらに、即座に名誉毀損訴 訟が提起される不幸な慣行が発展し、報道の真実とは関係なく関連ジャー
ナリストの拘禁が可能になっている。これはメディアおよび個々のジャー ナリストに対する多大な圧力を創出する。」
• 商業的手段: 例えば、政府当局は特定の新聞に掲載される公共部門の広告 を量的に制限することができる。
• 行政手段: 例えば、印刷業、出版社および編集者のライセンスを規制する 法律により、「バングラデシュ人民共和国またはその政府の利益に好まし くない、もしくは有害な」文献資料の出版を禁止した。[68a] (pp7-11 and 15)
第4項:非常事態宣言も参照のこと。
ジャーナリストの対応
18.05 ジャーナリスト保護委員会がその報告書『新聞社への攻撃 2006』 [CPJ
2006]の中で述べたところによると、
「過去3年間で初めて、CPJは殉職したジャーナリストの事件記録を公開し なかった。しかし、報道機関の職員は党、学生活動家、警察、犯罪組織および 原理主義者から脅迫、威嚇行為さらに暴力を受けてきた。首都Dhaka郊外の ジャーナリストは特に危険な状態に身を置いていた。バングラデシュで極めて 活動的なある報道機関は、政府の直接検閲に比較的縛られずに報道活動を営ん だ。…その反面、政府官僚はジャーナリストに対し、バングラデシュのイメー ジ保護という名目で、批判的な新聞報道を戒めた。… 一部の政府高官も名誉 毀損関連の古い法律を利用して、批判的報道が大衆意識に影響を与えたジャー ナリストに対し訴訟を起こした。… 一部の事例、特にDhaka郊外の地域では、
物理的脅迫や暴力に加えてジャーナリスに対する正規の法的措置が伴う場合 もあった。一連の重大なジャーナリスト殺害事件の解決にはほとんど進展がな かった。…. ここ数年の間に殉職したShamsur Rahman、Manik Saha、Sheikh
Belaluddinその他の事件には動揺を誘う傾向が見られた。捜査が遅々として進
まないまま容疑者は釈放され、裁判は延期されて、そのほとんどが殺人のほぼ 全面的な刑事免責を確保する役目を果たした。[51a]
18.06 国境なき記者団 (Reporters Sans Frontières – RSF) 2007年次報告によれば、
「2006年には、絶え間ない政治危機が報道機関の正常な働きを阻害した。
政治家は幾度となく悪口雑言の中傷を浴びせ、ジャーナリストを逮捕の危険に さらしてきた。2006年にはジャーナリストの死亡は確認されなかったが、政 治的過激派、犯罪組織または治安当局からほぼ日常的に激しい暴力を受けた。
主力政党、特にバングラデシュ民族主義党(BNP) 内部の過激派は、報道の自由 侵害の多くを陰で取り仕切った。脅迫、殴打、焼打ちおよび不正な法的措置は すべて、報道機関の口封じを試みるKhaleda Zia政権の副大臣および閣僚によ って利用された手段であった。2006年を通じて、30数名のジャーナリストが 様々な脅迫行為により、BNPの管轄都市から逃亡することを余儀なくされた。
… 武装集団が『反イスラム的』とみなす記事を書いたとして、およそ25人の 新聞通信記者が威嚇行為の標的にされた。政治および司法体制は、[2005年]
に主にKhulna地域で発生したジャーナリストの殺害に関連した捜査または裁
判を追求する上で、決定力と効率に欠けていた。…これに対し、[2006年]3月、
警察は[2005年]のGautam Das殺害事件の最重要容疑者を逮捕した。… 報道 の自由に向けた明示的公約にもかかわらず、Khaleda Zia首相は日常的に発生 する報道機関への暴力事件の抑制が不可能であることを証明した。これは報道 機関が重大な問題を自由にその報道対象とすることを極めて困難にした。
…[2006年]3月、Sharishabariで行われた反対記者会見でBNP青年運動の構 成員がジャーナリスト11人を激しく殴打した。 …2006年を通じて、政府の 政治生命を特徴付けた多くの街頭デモにおいて、レポーターとカメラマンは職 務を全うしようと懸命に苦闘した。10月末、Dhaka、RajshahiおよびMohonganj において警察あるいはデモ参加者のいずれかにより、15人のジャーナリスト が負傷した。…その他アワミ連盟党員からひどく殴打された[レポーター1人]
を含む8人がDhakaで負傷した。民営報道機関は2006年を通じて、BNP副 大臣または大臣による−40数件の−名誉毀損訴訟の著しい増大に直面するは めになった。... 合計18人の編集長およびジャーナリストが『名誉毀損』とみ なされた記事をめぐる訴訟に直面した。」 [9i]
18.07 国境なき記者団 2006 年次報告が述べたところによれば、2005 年を通じて、3
人のジャーナリストが殺害され、少なくとも95人が身体的暴力を受けた。[9j]
18.08 USSD 2006 報告書 が述べるところによれば、:
「政府、政党員その他によるジャーナリストおよび新聞社を狙った攻撃、な らびに威嚇行為は頻繁に発生した。政治活動家によるジャーナリストの攻撃は 政治闘争の期間は珍しいことではなく、多くのジャーナリストが警察に怪我を 負わされた。Odhikarによればその年[2006年]を通じて、ジャーナリスト1人 が死亡し、ジャーナリスト183人が負傷し、6人が逮捕され、53人が襲撃さ れた他、114人が脅迫行為を受けた。 [2a] (2a項)
18.09 2006年3月3日のジャーナリスト保護委員会 (CPJ) の記者会見の記録によ れば、タブロイド週刊紙Blitzの編集長Salah Uddin Shoaib Choudhuryはまも
なく Dhaka の裁判所において、扇動罪疑惑の判決を受けることになった。同
氏は当初、会議に出席する目的でイスラエルに渡航しようとしたとして、2003 年 11 月に旅券法違反で逮捕され、旅券法違反が撤回され2005年 5月に釈放 されるまで 17 カ月間を獄中で過ごした。バングラデシュ国民がイスラエルに 渡航するのは違法である。された。2004年2月、Choudhuryは扇動の罪で正 式に告訴された。 同氏がCPJに語ったところによれば、扇動罪をジャーナリ スト業と関連付け、イスラエルとイスラム諸国間の関係を改善し、異教徒間の 対話を助長しようとしたのだ。[51f] CPJ ニュースアラートが2006年7月7日に報じた ところでは、7月5日、DhakaにあるBlitz 支局の建物付近で小型爆弾2体が爆発したが、被害 規模は小さかった。支局内では2体の不発弾が発見された。怪我人はなかった。[51g] 編集長の 扇動罪裁判は2006年9月に始まる予定だったが、延期された。 [2a] (1e項)
18.10 BBCニュースが2007年5月11日に報じたところによれば、ジャーナリスト
で人権活動家のTanseem Khalil は同日早朝に私服警官に逮捕され、パスポー ト、事務所の備品および書類を押収された。Khalil デーリースター紙と自身の ブログに記事を書き、CNN とヒューマンライツウォッチの取材を担当する。
同氏は国内の人権侵害について詳しい報告をしてきた。[20cu] Khalil はその後 5月11日夜に釈放された。(HRW) [10d]
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