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17.01   ヒューマンライツウォッチの『ワールドレポート 2006』の言及によると、

「バングラデシュ民族主義党(BNP)とアワミ連盟(AL)間の緊張は途絶え ることなく続いており、[両者の支持者]間での衝突に加え、支持者と警察との 衝突も頻発した。[10b] 自由の家が2007年の報告書『世界における自由』の中 で述べたところによれば、「最近になって、抗議デモおよびゼネスト中に政治 的暴力が発生し、主要都市では数百人の市民が死亡し、数千人が負傷した。警 察は野党の抗議運動に過度の武力を行使する。党指導者も標的の例外ではない。

2006年9月には、ALの指導者5人が街頭抗議の間に激しい殴打を受け、重症 を負った。現地の非政府組織 (NGOs) が報告したところによれば、2005年に 発生した政治的暴力で300人を超える市民が死亡し、9,000人近くが怪我をし た。政党傘下の学生組織は依然として激しい構内闘争に巻き込まれている。

[65b]

17.02   バングラデシュでは、学生政治組織の構成員を伴う暴力が頻発している。こ れは全国規模の統合組織ではなく、通常は特定の大学または単科大学もしくは

『縄張り』支配を求めて争う地域の学生/若者で構成される小集団を伴う。過 去数年にわたって多く見られたのは、アワミ連盟系の学生組織、『バングラデ シュ学生連盟(BCL)』とBNP系の『民族主義学生党(JCD)』および/また はイスラム協会系の『イスラム学生戦線』(ICS)間で発生した衝突であった。

しかし、これは常にそうであるわけではない。例えば BNP 系とイスラム協会 系は両党とも2001年に政権を握った連合政府の構成員であるが、伝えられる ところによれば、2004年1月13日のRajshahi大学構内での学生戦線(ジャ マート系)と学生党(BNP 系)の武装党員間に発生した衝突で、少なくとも 50人が負傷した。2003年12月9日には、Moulvibazar Government College 内での学生党(BNP 系)構成員との銃撃戦で、学生戦線(ジャマート系)の 党員1人が死亡し、他7人が負傷した。 [59d] エコノミストインテリジェンス ユニットが1998年5月の報告の中で述べたところによれば、「大学構内のホ ール(学生寮)の『占拠』−主要政党傘下の学生組織による有効な支配−には 長い歴史がある。」 [40g]

政治的発言の自由

第18項: 言論とメディアの自由および第6項: 政治体系も参照のこと

17.03   USSD 2006 報告書が述べるところによれば、「個人が報復を恐れず政府を

公然と批判することは常に不可能であり、政府は政治集会を非合法化するまた は解散させる方法で批判を阻止しようとした。」[2a] ( 2a項) 同報告書の記録に よれば、2001 年の議会選挙は非政党選挙管理内閣の監督下で実施され、散発 的な暴力行為という風潮が発生したものの、国内外のオブザーバーからは自由 で公正とみなされた。[2a] (第3項 )

結社と集会の自由

17.04 USSD 2005 報告書が補足するところによると、

「法は政府が4人を超える集会を非合法化することを認めており、現地人権 NGO、Ain O Shalish Kendroによれば、政府はその年に治安上の理由で4人を 超える集会を164回禁止した。政府は大量逮捕を行使して、デモ参加者が抗議 運動に参加するのを阻止したこともある。」 [2a] (2b項)

USSD 2006 報告書が補足するところによれば、「法はすべての民が道徳ま

たは公共秩序のために、『合理的な規制措置』に従って結社を作る権利を規定 しており、政府は概ねこの権利を尊重した。個人は自由に民間団体に参加する ことができる。」 [2a] ( 2b項)

17.05   2005年6月の自由の家 報告書によれば、

「バングラデシュ憲法は結社と集会の自由を保証するが、上記の権利は 2004年を通じて、政府から度重なる侵害を受けた。与党連合の党員支持者は、

新たに結成された政党BDBR [バングラデシュの新流]の会合の他、AL[アワミ 連盟]の大会や抗議行進を阻止した。さらに、法執行機関は過度の武力を行使 して平和的抗議デモおよび大衆抗議運動を鎮圧する傾向を見せた。」[65a] (p73)

  『世界における自由2007』 報告書によれば、政府は2006年を通じて、集 会の自由の権利を頻繁に制限した。 警察との衝突中にデモ参加者が死亡また は負傷することもあった。 [65b]

17.06   アムネスティインターナショナルは2005年8月18付けの声明の中で、2005 年8月15日にアワミ連盟の集会がBNP支持者により襲撃された事件について 報告した。伝えられるところによると、数百人に及ぶアワミ連盟の支持者が怪 我を負った。[7o] 2006年には、警察と野党間における衝突が多発した。アワミ 連盟率いる野党連合は政府への抗議を込めて、政府および BNP 事務所の『包 囲攻撃』や都市交通機関の封鎖を初めとする多数の『扇動プログラム』を組織 した。同連合は幾度となくゼネスト(ハルタル)を実施した。これらの抗議運 動のさなか、警察とデモ参加者は何度も衝突し、多数の死傷者を出した。(USSD 2006) [2a] (2b項)

反体制派集団と政治活動家 政治的動機による拘禁

17.07   USSD 2006 報告書が述べるところによれば、「政府の言い分では政治犯は

1人も拘束されていないことになるが、野党および人権監視団の主張によれば、

政府は多数の政治犯を逮捕しており、根拠のない刑事責任で有罪にした。」

[2a] (1e項]

17.08   同じ報告の補足によれば、

「恣意的逮捕は珍しいことではない。政府は継続拘禁を利用して、政治活動 家の釈放を妨害した」。 [2a] (1d項]

「政府は第54および86を用いて、野党党員およびその家族に嫌がらせや威 嚇行為を行った。警察はいかなる法的権限も引用することなく、抗議デモ前お よび期間中に反対派活動家を拘禁し、デモが終結するまでその身柄を拘束した。

… 政治的理由で拘禁された人数を推計するのは困難であった。活動家の多く は犯罪で起訴されたが、その犯罪者の多くは自らを政治活動家と主張するから である。かかる拘禁は、数日間または数週間続くものが多かったようで、被告 は多くの場合保釈を享受した。ただし、冤罪の無罪放免またはきそ訴訟却下に は数年を要した。」 [2a] (1d項]

17.09   2003 年の USSD 報告書が述べたところによれば、「内務相 Altaf Hossain Chowdhury は2002年3月、政府は2001年にBNPが政権を握って以来、政 治的理由で逮捕された1万1,706人を釈放したと述べた。2002年4月、PSA 廃止法が発効し、政府は SPA 法の下に提出された訴訟のどれを取り下げどれ を訴追するかを決定する権限を与えられた。[2b] (1e項)

17.10   デーリースター紙が 2004年 4月 20日に報じたところによれば、「警察お よび準軍事組織バングラデシュライフル隊(BDR)は昨日、アワミ連盟(AL)

および非政府組織 Proshikaa の職員を取り締まり、翌日のBhaban tomorrow を包囲するアワミ連盟の計画を挫折させる意図で、少なくとも1,363人を逮捕 した。」その逮捕は、議席奪回の試みに向けたアワミ連盟の大衆デモ共同プロ グラムのさなかに発生した。Hawa Bhaban はバングラデシュ民族主義党

(BNP)の事務所が置かれた場所である。Dhaka警視庁長官の話では、「別に 新しいことではない。法と秩序を維持する目的で、日常的に行っている家宅捜 査を実施している。」 [38g] 4月23日のデーリースター紙が伝えたところによ れば、「アワミ連盟の政権奪還に向けた4月30日の期限を前に、引き続き一 斉検挙が行われ Dhaka 全域を窒息させた一方で、刑務所の門前では、心無い 政治工作の被害者の釈放を求めて、保釈書類を携えた不安そうな血縁者が群れ を成した。」4 月 20 日以来、数百人を超える国民が逮捕された。伝えられる ところによれば、警察はバス亭、駅および空港の出国ターミナルに到着した少 なくとも 5,000 人を「迎え」に行き、うち 2,910 人を既に混雑状態の Dhaka 中央刑務所に送り届けた。他方では4月22日夜に815人が刑務所から解放さ

れた。 [38h] 2007年4月27日にデーリースター紙が報じたところによれば、

「政府は1万5,000人を超える国民が8日間にわたる捜査網で逮捕されたのを

受けて、昨日、一斉検挙を中止し、警察に無実の人間を必要以上に苦しめない よう要請した。」 [38i]

第14項: 逮捕と拘禁– 法的権利も参照のこと

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