6.4.1 極域ツーリズム
(1)極域ツーリズムの現況
海氷勢力の減退に伴い、北極海は観光ツアーの重要なアイテムとして認識され、近年は 観光目的で多くの船が北極海に入るようになってきた。白夜、ホッキョクグマやイッカク など北極海特有の海棲哺乳類などは、北極観光の大きな魅力となっている。
ロシアの原子力砕氷船を運航するRosatomflot は、原子力砕氷船を就航させて、北極点 まで到達する観光ツアーを実施している。このほか、複数のクルーズ会社が、大西洋側か らは、アイスランド、スバールバル諸島、カラ海などをめぐるツアーを毎年実施している。
また北極海航路を横断する客船も現れた。ベーリング海側では、チュクチ海に入るだけで なく、ウランゲル島に寄るなど、これまではほとんど未踏の地を訪れるクルーズも行われ るようになった。
北西航路側でも、氷山や海棲哺乳類をアイテムに観光クルーズが行われており、2016 年には北西航路を横断するクルーズも計画されている。
このように、北極海の観光クルーズは年々増加する傾向を示している。今日、アジア側 において北極海へのアプローチ地点としての機能を持ちうる港湾は、北海道の数港および ロシアのペトロパブロフスキー・カムチャツキー港であろう。両地点の間には千島列島が 続き、これも無垢で特徴的な自然環境を備えており、カムチャツカ半島とともに観光資源 としてのポテンシャルは高い。北極観光とつなげた観光ルートとして、今後の開発が期待 される。
(2)北極海クルーズ事例
2014年、客船船Hanseatic(Hapag Lloyd)は、8月初旬にベーリング海峡側から北極海 航路に入り、チュクチ海のコテルニー島の西岸を通って北緯85度まで北上した後、ドミ トリー・ラプテフ海峡付近に南下し、その後再び北上してノボシビルスク諸島の北のチホ ノフルートを通って東に向かい、ノバヤゼムリヤ島の北から北極海航路を抜けるトランジ ット航行を実施した。同船はドイツ船級協会117の客船に関するアイスクラスE4となって おり、流氷の中および50cm厚の定着氷の中を航行できる能力を持つ。
2015年は同じくHapag Lloyd の客船MS Bremenが8月中旬にノルウェーのトロムソを 出港し、スバールバル諸島を経て北極海航路を東航して9 月初旬にベーリング海に出た。
同船はその後ベーリング海のロシア側海岸に位置するアナディールに寄港、宗谷海峡を通 って日本海に入り、最終的にはフィジーに向かった。
2016 年には、アラスカ側から北西航路に入り、これを横断してグリーンランドに向か うクルーズが計画されている。
117 Germanischer Lloyd E4 は1ASuper相当。
図-6.4.1 Hanseaticの概要118
6.4.2 極域ツーリズムの課題
前述のように、北極海は国際観光市場において新たな需要を喚起しつつある。しかし、
氷海航行に対する安全管理は十分とはいえない状況であることが、多くの関係者から指摘 されている。南極極域の観光利用に関しては、南極半島を中心とする「国際南極観光業協 会(International Association for Antarctic Tour Operators: IAATO)」が最大手の組織であり、
南極条約および議定書・付属書の主意を遵守することを定めた、次表のような協会加盟観 光業者に対するガイドラインおよび観光客に対するガイドラインを定めている。
表-6.4.1 Guidance for those Organizing and Conducting Tourism and Non-governmental Activities in the Antarctic
1. 観光業者が遵守すべき基本的義務 2. 観光業者が遵守すべき実務規定
・観光計画時
・南極条約地域での行動
・観光実務
・南極条約条項と報告規定 3. 付属書
観光業者が遵守すべき基本的義務:
当該機関への観光行動の具体的な計画の事前 報告
計画観光行動の環境影響評価
環境を損なう恐れのある場合における防止策 の策定(海洋汚染防止対策)
自給自足の確認と安全確保
学術研究および南極自然環境の尊重;保護区 への立ち入り厳禁、動植物保護
・禁止物質排出・廃棄・投棄の禁止
一方、北極海域の観光対象地域は、北極点、カムチャツカ半島、スバルバード、カナダ 多島海(グリーンランド西岸海域)、アラスカに大別され、北極海域全域に亘る観光業界 組織はなく、唯一「持続可能な北極圏観光協会(Sustainable Arctic Tourism Association:
SATA)」が2005年にスウエーデンに設立されているにとどまる。SATAはIAATOのガ イドライン同様にガイドライン(Principles and Guidelines)を定めている。ガイドライン
118 http://www.hl-cruises.com/ships/ms-hanseatic/photos-videos/、2015.3閲覧
では、1.地域経済への支援、2.環境に優しい観光、3.地域自然の保全・保護、4.地域の伝統 的社会・文化の尊重と支援、5.観光内容の充実と安全性確保、6. 地域自然と文化に関する 観光客教育、について定めている。しかし南極のIAATOに比して、十分な影響力を持つ には至っていない。
WWFは北極圏における観光基本原則(Ten Principles for Arctic Tourism)を独自に策定 し、公表している。その基本原理は以下に示す。各項それぞれにより具体的な指針が述べ られている。
1. 観光と環境保全の調和
2. 野生と生物多様性保護への支援 3. 自然資源の持続性ある使用 4. 消費・廃棄物・汚染の最小化努力 5. 地域文化の尊重
6. 歴史的および学術的遺跡の尊重 7. 地域社会への利益還元
8. 知識および経験豊かな専門ガイドによる観光 9. 学ぶべきこと多き観光たるべきこと
10. 安全基準・規則の遵守
またUNEP(国連環境計画)では、国際エコツーリズム協会(The International Ecotourism
Society: TIES)およびノルウェーの政府組織GRID-Arendal を通じて北極のツーリズムに
対処している。とはいえUNEPでは、船舶についてはIMO関連諸規則の遵守を求めるに とどまっている。このように、北極域のツーリズムに関する自然環境保護・安全確保に関 するガバナンスは、実際の活動状況に比して大きく立ち遅れている状態にある。
さらには、北極海における捜索・救難システム(SAR)合意に関しても、実際には各沿 岸国のインフラは依然として不十分なままである。また、沿岸地域における医療機関や滞 在のためのインフラは限定的で、大型船の事故があった場合に多数の乗客を収容する能力 は期待できない。また大きな事故は、沿岸域の先住民族社会に対して重大なインパクトを 与え得る。
このように北極海域の観光利用が拡大するなか、安全衛生、環境保護および捜索・救難 体制づくりは大きな後れをとっている状況にある。北極海を持続的に利用するためのガバ ナンス、安全管理のルール作りが、観光利用においても急務となっている。
6.5 北極海の海洋環境保護への取り組み