(1)国連海洋法条約の概要
北極海に関する法的問題として想起されるものは、北極海域の利用の前提となる各海域 の帰属や法的な地位の確定に関する問題と、その域内の海洋や天然資源の利用に関するも のに大きく分けることが出来る。近年発生した具体的な事例としては、領海及び EEZ の 確定に関しカナダとアメリカの間に未画定区域が残されており、カナダとデンマークの間 にはハンス島という小さな島をめぐる領有紛争が存在している。また、バレンツ海では、
ロシアとノルウェーの間の境界画定問題があったが、約30年の期間を費やし2010年9月 に交渉が妥結した。
海洋に関する問題は、海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約、United Nations Convention on the Law of the Sea;UNCLOS)に多くの関連規定を見いだすことが出来る。
UNCLOSは、1982年に採択され、1994年に発効し、2015年1月時点で167ヶ国等が同条
約を締約している。米国は依然として加盟していないものの、この枠組みは国際慣習法と して扱われており、世界的な海洋秩序として一般的に受け入れられている。国連海洋法条 約は、下記の3つの事項を中心に、領海および接続海域、国際海峡、群島水域、排他的経 済水域、公海、海洋環境の管理、科学的研究、海洋における経済・産業活動、海洋科学技 術の発展と移転、海洋に関する紛争の解決など、海洋法における全ての問題を一括して扱 う320カ条の条約本文および9つの付属書から構成されている27。
排他的経済水域制度の導入
深海底の『人類の共同遺産』概念に基づく国際社会による管理体制の志向 海洋環境の保護・保全のための国際的な海洋汚染防止体制の強化
同条約において、海洋は法的に区分(内水、領海、接続水域、群島水域、排他的経済水 域EEZ、大陸棚、公海、国際海峡、深海底、氷に覆われた海域)されており、沿岸国の管 轄権とその他の諸国の権限を定めている。沿岸国が船舶航行や環境保護の権限に関して行 使することのできる管轄権はそれぞれの海域の区分により異なっており、各種管理を執行 する際の基本となっている。またこの中で『氷に覆われた海域固有の規定:第234条』は、
北極海を想定して導入された経緯のあるものである。この規定においては、
『沿岸国は、自国の排他的経済水域の範囲内における氷に履われた水域であって、
特に厳しい気象条件及び年間の大部分の期間当該水域を履う氷の存在が航行に 障害又は特別の危険をもたらし、かつ、海洋環境の汚染が生態学的均衡に著しい 害又は回復不可能な障害をもたらすおそれのある水域について、船舶からの海洋 汚染の防止、軽減及び規制のための無差別の法令を制定し及び執行する権利を有 する。この法令は、航行並びに入手可能な最良の科学的証拠に基づく海洋環境の 保護及び保全に妥当な考慮を払ったものとする。』
27 United Nations, Division for Ocean Affairs and the Law Of the Sea,
http://www.un.org/depts/los/convention_agreements/convention_overview_convention.htm
とし、氷に覆われた水域であって、特に厳しい気象条件が航行に障害、又は特別な危険 をもたらす水域については、沿岸国に海洋汚染の防止に無差別の法令を制定する権利を認 めるものとなっている。一方で、海洋汚染の防止に関する措置一般について沿岸国の権利 乱用を防止するための規定も設けられている。
今日、ロシア側の北極海航路では国際的な商業利用が始まっており、またカナダ側の北 西航路も部分的であるが航行が行われている。その航行・海域利用においては、沿岸国で あるロシアやカナダの主張する海域区分と管轄権の行使に際し、海域の境界と帰属、およ びそれに基づく外国船の航行に課せられている規定・制度の妥当性について、いくつかの 問題点が存在している。
(2)ロシア
ロシアは、1971 年以降随時関連法令を制定し、排他的経済水域を含む航路の航行に関 して事前通知、水先案内や砕氷船の随行などを義務付けてきた。そしてこれらの規制の根 拠は国連海洋法条約第234条に基づくものであると主張している。一方で2012年以前は、
水先案内の要件や航行計画の事前提出の義務等の規定の適用を外国船に適用する一方で、
自国船には同等に適用していないといった疑義が指摘されてきた。ただしこれについては、
現時点では解消され、平等に規定が適用されている模様である。とはいえ、ロシア沿岸の 北極海航路のうち、どこまでの範囲がこの氷に覆われた海域の定義にあてはまるか、およ び最良の科学的根拠に基づいて適用される措置とはどこまでのものか、という疑義がある。
さらには、今後もさらに海氷勢力が減退し、夏期に全く海氷のおそれが無くなった場合や、
通年でも航行可能なほど海氷が減退した場合にどう適用されるのかについても明らかで はない。
また、ロシアが管轄する北極海航路の通過する領海および排他的経済水域のなかには、
複数の海峡(カラゲイト、ビルキツキー海峡、ドミトリー・ラプテフ海峡、サニコフ海峡、
ロング海峡など)が存在し、原則的にはこれらの海峡のいずれかを通過しないと横断航行 は不可能である。ロシアは、これらの海峡は、海氷による厳しい自然条件のなか、従来よ り国際的な航行に利用されている実績に乏しいこと、および沿岸国であるロシアが長年に わたって自国の内水として扱ってきたことを背景に、内水とする国内法を制定している。
これによりロシアは、北極海航路に点在する海峡への国際海峡制度および通過通航権の適 用を否定している。したがって外国船舶は無害通航権を持たず、ロシアの管轄下で許可を 得て通航することになる。実態では、北極海航路を通過しようとする船舶は、事前にロシ アの北極海航路局に航行申請を提出し、航行許可を得て航行する制度が適用されており、
この航行許可が海峡の航行も合わせて許可していることになっている。なお、現時点では、
実際に航行申請が却下された案件は、航行時期・海氷状況に対して船舶のアイスクラスが 不適であったり、書類等が不備であった場合に限られている。
図-5.3.1 北極海航路と海峡
(3)カナダ
カナダ北極圏の多島海を通過する北西航路(Northwest Passage)の国際法上の地位につ いても、それが内水であるか国際海峡であるかをめぐって対立がある。カナダは、1973 年12月の外務省法務局書簡において、北極海の群島水域が内水であると述べるとともに、
1980 年 9 月の外務省法務局メモランダムにて、北西航路は国際海峡ではなく内水である ことを示した。これに対し、米国は、北西航路は国際海峡であり、すべての船舶及び航空 機は同海峡において妨げられない通行権をもつ、と主張した。上述のとおり、この海域が カナダの内水であるならば、カナダは同海域に対して領土主権を及ぼすことができる一方、
外国船舶は無害通航権を有さない。国際海峡であるならば、すべての船舶及び航空機は通 過通行権を有することとなり、沿岸国カナダは外国船舶の無害通航を妨げることができな いことになる。この問題を解決するために、①南極条約の主権凍結方式に倣い、両国の権 限主張を現時点で凍結し、②カナダに対し主権と234条に基づく特別な環境保護規定等の 制定権を認める一方、すべての船舶の通過通行を確認するレジームを設け、③マラッカ海 峡制度をモデルとして、海洋法条約に基づいて海峡に対する沿岸国の主権とすべての船舶 の通過通行権を確認する一方、沿岸国と海峡利用国が国際海事機関(IMO)を通じて通行 規制や環境保護規制を詳細に定める、などといった解決策が提示されている28。
(4)公海およびその他の課題
大きな面積ではないものの、北極海の中心付近には2箇所の公海があり、その海域の利 用や同海域へのアプローチにおいては、上述した沿岸国水域の通航問題が関わることにな る。また現実的かどうかは別として、北極海における公海漁業をどう管理するのかなどの 法的問題が存在している。こうしたハードローにおける不足を補うものとして、法的な拘 束力は持たないが、北極海をめぐる問題に関する重要な対話や協力の枠組みなどによる宣 言、ガイドライン、基準、行為規範などが、今後重要性を増す可能性がある。北極評議会
28 林司宣「『北西航路』の国際法上の地位」『北極海季報』第8号(2011)40頁。
カラゲイト
ビルキツキー海峡 サニコフ海峡
④ロング海峡
ドミトリー・ラプテフ海峡 ショカルスキー海峡