第 3 章 日本語の「前(まえ)」 ・ 「先(さき)」と中国語の「前(qian)」との比較
2. 日本語の「前(まえ)」 ・ 「先(さき)」と中国語「前(qian)」の空間的な意味
2.2 日本語の「前(まえ)」と中国語の「前(qian)」の空間的な意味
2.2.3 視点の位置に依存する場合
103 人間の前方向が椅子の前方向と見なされる。
(12) a. デイヴは長椅子の前を通りすぎ、壁に耳を当てた。
<BCCWJ> (大久保寛著 『ブルー・ムービー』) b. 走到椅子前站立。
(椅子の前に行き、立ち留まる。)
(郭英麗著《MBA 面試指導》、日本語訳は筆者による)
(13) a. ソファの前には小さなテーブルがある。
<BCCWJ> (ねじめ正一著 『昼間のパパと夜明けの息子』) b. 沙發前有個玻璃茶几。
(ソファの前にはガラス製の机がある)
(顔俊傑著 《不死器官》、日本語訳は筆者による)
「前(まえ)」と「前(qian)」の語義を解釈するときに、辞書を含め、従来では「物の正面」
という言い方は、物体の方向性とその機能との関連性を重視するという観点から言えば、よ り明確に解釈することができるということである。「物の正面」における「面」は、その物 体が道具として人間に使用され、機能を果たすときに、または、直接的に人間と関わる時に 重要となる部位である。すなわち、「物の正面」における「正」という方向性は、普段人間 がどのようにその物体を使用しているかによって決められるものである。そして、その決め 方としては、ノートパソコンのように、対峙的方略を通して、人間の身体の前後軸を反転し、
道具としての物体に付着させる類と、衣服のように、同方向的方略に依拠し、身体の前後軸 を反転することなく、直接的に道具としての物体に付着させる類がある。
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である。なぜなら、in the front of が可能なのは、内在的な前後軸が含まれた名詞に限られる からである。日本語と中国語においても同様に、「ボールの前(面)にいる」のような表現は、
視点の位置が分からない限り、ランドマークとトラジェクターとの位置関係を特定できな い。
(14) a. 彼は一本の薔薇の木の前に立ち止った。
<BCCWJ> (堀辰雄著 『プルウストの文体について』) b. 樹前放著石頭。
(木の前に石を置いておく。)
(李近春著《納西学論集》、日本語訳は筆者による)
(15) a. まばゆ老婆は水晶玉の前に坐り、目を閉じ、手を合わせて集中した。
(音羽広士著 『ルナティック』) b. 站到水晶球前,出神地盯著它看。
(水晶玉の前に立つ。水晶玉をうっとり見つめる。)
(朱曉翔著《盜墓玄機》、日本語訳は筆者による)
(16) a. 来場者に白い高さ 2 メートルの立方体の前に立ってもらった。
(『清泉女学院大学記事』) b. 拖到立方體前。
(立方体の前に引きずる)
(鐘嵐著 《Maya 6.0實用培訓教程》、日本語訳は筆者による)
ただし、(14)~(16)では、「木」、「水晶玉」、「立方体」が内在的な方向性を持たないにも かかわらず、空間の観察者(文の発話者)の視点の位置に依存し、これらのものも前方と認識 される部位、領域を持つようになり、「前(まえ)」・「前(qian)」と共起している。ただし、こ こで注意しなければならないのは、空間の観察者(文の発話者)の視点から、前方という方向 の捉え方が、言語によって異なっているということである。
Hill (1982: 13-42)では、英語とアフリカのHausa語が、それぞれ異なる方向付けの方略に
基づき、前後を捉えているということを指摘している。具体的に言えば、Hausa語を母語と する人は、図 3-5 におけるスプーンと容器の位置関係を捉える際に(いずれも静止の状態に ある)、トラジェクターのスプーンがランドマークの容器の前方ではなく、後方にあると認 識するのが一般的である。
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一方、英語を母語とする人は、通常スプーンが容器の前方にあると捉えている。つまり、
観察者の視点の位置に依拠し、前後関係を捉える際に、Hausa語では一般的に同方向的方略 で捉えられるのに対して、英語では通常に対峙的方略に依拠しているということである (Hill 1983: 24-29, Levinson 2003: 86-88)。
注目に値するのは、認知言語学および文化人類学の調査を通して分かったことであるが、
静止した状況で、相対的参照枠で参照物と対象物との位置関係を把握する際には、対峙的方 略で把握する言語が多く、Hausa語のようなとらえ方をする言語は比較的に少ないというこ とである。
視点の位置に依存する場合では、日本語と中国語ではどのような方向付け方略に基づき、
トラジェクターとランドマークの位置関係を捉えているのかという問題について、すでに 日本語学と中国語学の分野で、それぞれに分析されている。Shinohara and Matsunaka (2010) では、日本語の「前(まえ)」が基本的には対峙的方略で、トラジェクターとランドマークの 位置関係を言語化すると指摘している。林 (1993)は、英語との比較を加味し、中国語の「前 (qian)」も対峙的方略に依拠して、モノどうしの位置関係を捉えると主張している。
ここで指摘したいのは、日本語の「前(まえ)」と中国語の「前(qian)」は、トラジェクター とランドマークとの前後の位置関係を認識する際に、基本的には対峙的方略に基づいてい るということである。例えば、(14)~(16)における「前(まえ)」と「前(qian)」で示された前 方は、いずれも、英語のfrontと同様に、対峙的方略によって決められた前方である。すな わち、観察者は、ランドマークが自分に向いているように認識し、自分の身体の枠を回転し て、ランドマークに投影したうえで、トラジェクターとの位置関係を把握しているというこ とである。
ただし、ここで注意しておきたいのは、上記に取り上げられている(14)~(16)のような事 例におけるトラジェクターとランドマークが、いずれも静止している状態、厳密に言えば、
移動する傾向のない状態にある、ということである。移動及び主観的な移動といった要因が 加わると、「前(まえ)」と「前(qian)」との用法が一致しなくなり、この現象については3.1節 でまた詳しく分析していく。
図 3-5 Hausa語の前方(Hill 1982: 21)
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