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第 3 章 日本語の「前(まえ)」 ・ 「先(さき)」と中国語の「前(qian)」との比較

4. 日本語の「前(まえ)」 ・ 「先(さき)」と中国語の「前(qian)」の時間的な意味

4.1 時間メタファー理論

4.1.3 主体性と時間メタファー

前節では、Moore (2001, 2014)は、時間的な概念を「過去・現在・未来」という 3 項から なるAシリーズと、Earlier・Laterという 2 項からなるBシリーズを区別するというMcTaggart

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(1908)の時間論に基づいて、時間メタファーを三分するという新たな理論の枠組を概観した。

ここまでを見る限り、Lakoff & Johson (1980, 1999)と比べ、時間概念の種類の違いを重視

するMoore (2000, 2014)のほうが妥当であるかのように見える。しかしながら、A、Bシリー

ズの時間概念が根本的に異なるものと見なし、直示性の有無によって時間メタファーを分 類するというMooreの想定については、さらなる検討が必要である。

A、Bシリーズの時間概念を明確に分けるMooreの理論の枠組は、次の点を改めて精査し なければならない。つまり、A シリーズの時間概念とBシリーズの時間概念とがどのよう な関係にあるのか、共起できるのかどうかという「関連性」及び「共起性」に関わる問題点 である。

A、Bシリーズの時間概念の「関連性」と「共起性」を論じるには、McTaggart に戻らな ければならない1。McTaggartは時間概念を 2 つのパタンに分けたが、時間の源がA シリー ズ時間概念であると論じている。言い換えれば、Aシリーズの時間概念こそがより本質的な もので、それを介して B シリーズの時間概念が生じてきものだということである。その一

方、このMcTaggartのAシリーズがBシリーズより時間の本質に近いという考え方に対し

て、Russellが疑問を持ち、BシリーズがAシリーズより本質的だと主張している。どのパ タンの時間的な概念がより本質的なものであるかという哲学的な問題は、McTaggart と

Russellがそれぞれの代弁者を通して、現在に至っても論争が続いている (本多 2011c: 33-56,

碓井 2002b: 1-26)。

Mooreの時間メタファー理論では、Earlier・Laterを示すFB-MTは、「過去・現在・未来」

を示すE-MTとは独立に存在するとされている。つまり、この 2 種類の時間概念の関連性に ついては、論外にされ、断片的に分析されている。

ここで指摘したいのは、AからBへ (McTaggartの主張)、あるいはBからAへ (Russell の主張)といった過程を通して互いに変化する、ということから分かるように、「過去・現在・

未来」とEarlier・Laterとは決して無関係ではなく、むしろ緊密な関係がある、ということ

である。

Langacker (1985)をはじめとする研究では、主体性および主体性の変化という概念を提起 している。本論文は、この主体性という概念を導入することを通して、主体性A、Bシリー ズ時間概念がどのように共起しているかを説明して、Lakoff & Johson、Mooreの時間メタフ ァー理論を踏まえながら、時間メタファーを改めて分類する。

結論から言えば、A、Bシリーズの時間概念が根本的に異なるものでなく、互いに緊密に

1 We may sum up the relations of the three series to time as follows: The A and B series are equally essential to time, which must be distinguished as past, present and future, and must likewise be distinguished as earlier and later. But the two series are not equally fundamental. The distinctions of the A series are ultimate. We cannot explain what is meant by past, present and future. We can, to some extent, describe them, but they cannot be defined. We can only show their meaning by examples. “Your breakfast this morning” we can say to an inquirer,“is past; this conversation is present; your dinner this evening is future.” We can do no more.

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関わっていて、時間メタファーの分類が直示性の有無によって判断するものではなく、直示 性の変化によって判断するべきものだ、ということである。

Langacker (1985:182)によれば、主体性というのは、言語主体と概念化されたものとが関与 する度合いのことである。具体的に言えば、認知文法の視点から、認知主体は外部の世界を 概念化する際に、たとえ同じ場面、事態であっても、認知主体の視点や解釈、すなわち言語 主体が概念化されたものと関与する度合いによって異なってくる。

図 3-17 主体性の変化 (Langacker 2010: 319, 並び順は筆者による)

図 3-17におけるMSとISはそれぞれ、Maximal Scope (最大領域)とImmediate Scope (直 接領域)を示している。前者は、ある表現によって喚起できる内容のすべてを表しているが、

後者は、表現では最も直接的に関わっている部分、すなわち直接的にプロファイルされてい る部分である。また、Gはグランドを意味し、発話者に当たる。

(35) a. 言語学が好きだ。

b. 僕は言語学が好きだ。

c. 太郎は言語学が好きだ。

(町田 2012: 3)

また、Langackerを踏まえ、町田 (2013: 661-666)は、主体性の高いモデルから、主体性の低

いモデルへと変化するプロセスを次のように説明している(町田はこのような主観から客 図 3-18 主体性の減少の現象 (町田 2012: 3, 一部修正)

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観への現象を「脱主観化」とも呼んでいる)。例えば、(35)における 3 つの例文では、主体 性がaからcへ行くに従って、主体(図3-18では、Cで示されている)との関与する度合い、

すなわち主体性が低くなる。具体的に言えば、aのような主体性が高い段階では、認知主体 は、事態を概念化する者であると同時に、事態に参加する者でもある。b の段階に入ると、

認知主体は、aの段階と同じく事態の参加者であるが、傍観的な立場から事態を捉えている。

そして、さらにcの段階に入ると、認知主体の主体性がさらに減少し、もはや事態の参加者 ではなくなり、ほとんど中立で傍観者の視点から、事態を言語化している。