第 3 章 日本語の「前(まえ)」 ・ 「先(さき)」と中国語の「前(qian)」との比較
2. 日本語の「前(まえ)」 ・ 「先(さき)」と中国語「前(qian)」の空間的な意味
2.3 日本語の「先(さき)」の空間的な意味
106
107
上記の 3 つの研究の中で、認知言語学の新たな動向も加味して、「先(さき)」の意味を詳 しく考察しているのが、寺崎 (2010)である。しかし、この研究においては、次のような問題 が残っている。寺崎 (2010)によって挙げられた「移動性」と「方向性」という 2 つの要素 が、さらにどのように認知言語学の枠組みに基づき説明されるのか、という課題である。
この問題に関しては、本論文は、スキーマの複合と変換の視点から、そして、山梨(2000) によって提案されているスキーマのリストに照らして、「先(さき)」の「移動性」と「方向性」
という 2 つの動機付けについて考察する。
2.3.2 スキーマの複合と変換
前方を言語化する概念であるが、「先(さき)」は、「前(まえ)」と異なり、前後という方向 性のみならず、移動とも関連するという特徴がある。すなわち、「先(さき)」の意味構造に は、<前-後>のスキーマに限らず、移動に関連するスキーマも関与し、複数のスキーマの 複合によって構成されているということである。2.3.2 節では、まずスキーマの複合と変換 という 2 つのプロセスについて、山梨 (2000)の分析を概観する。
山梨 (2000: 149-152)では、スキーマどうしの関係を重視する立場から、日本語における言 語事実に基づき、認知主体の経験領域を反映する抽象度の高いスキーマのリストを提案し ている。山梨 (2000)によって提唱されているリストでは、<前/後>、<起点-経路-到達点
>、<軌道>、<容器>、<中心-周辺>などのスキーマが取り上げられている。各種類の スキーマが認知のレベルではそれぞれ独立しているが、互いに緊密に関係にしている。スキ ーマどうしの重ね合わせ、すなわちスキーマの複合を通して、新たな経験構造が生じること もある (伊藤 2013: 119)。
(17) a.モグラが穴から出て繁みに入っていった。
b.水が溜め池から川に流れ込んだ。
c.彼は町を出て田舎に移り住んだ。
(山梨 2012: 30)
(山梨 2012: 30)
例えば、(17)は、一見したら、移動者がある地点を出発点にして、一定の経路を辿り、到 達点に着くという事象を示している。すなわち、<起点-経路-着点>のスキーマによって定
図 3-7 <容器>と<起点-経路-着点>との複合
(山梨2012:31)
108
められた表現のように見える。しかし、(17)における出発点と到達点は、一定の容積のある 空間領域であり、<容器>のようにも捉えられる。つまり、(17)は、図3-7に示されている ように、<起点-経路-着点>と<容器>の2つのスキーマの複合を通して規定される事例で ある (山梨 2012: 31, 伊藤 2013: 119)。
スキーマどうしの複合のほかに、スキーマの間に変換の現象もよく見られる。この拡張プ ロセスについて、山梨 (2000: 164)は、「スキーマの構造自体に対する認知プロセスのシフト がある」と指摘している。よく取り上げられているスキーマ変換の例として、<複数個体>
から<軌道>への変換などの具体例がある。
(18) a. There is a fence along the road.
b. There are guards posted along the road.
(Lakoff 1987: 441)
例えば、(18)では、道路に沿ってフェンスが文字通りに継続的に連続している状況を表現 している。これに対して、(18)の警備員たちは、複数の個体として、間隔を置いて並んでお り、連結されていないものの、連続体のように捉えられている。とぎれとぎれの個体の集合 体を隙間のない連続体のように認識することができる理由は、<複数個体>が<軌道>に 変換したからであるというプロセスによって説明できる。
2.3.3 前方を示す「先(さき)」の意味構造
2.3.1 節でも触れたように、寺崎 (2010: 15)は「方向性」と「移動性」こそが「先(さき)」
の意味の構造を決める要因と論じている。しかし、「方向性」と「移動性」という 2 つの動 機付けが、既存の事態認知のネットワークにおいては、どこに位置しているかについて、寺 崎 (2010)では詳しく論じていない。結論から言えば、本論文では、この 2 つの動機付けを、
スキーマの複合と変換という 2 つのプロセスによって説明できると考えている。
具体的に言えば、山梨 (2000) によって提唱されているスキーマのリストに照らして、前 方を示す「先(さき)」の構造を決める動機づけである「方向性」が<前/後>への、また「移 動性」が<起点-経路-終点>と<軌道>への還元を通して解釈できる。言い換えれば、「先 (さき)」のスキーマは、<前/後>と<起点-経路-終点>と<軌道>の複合及び変換を通して、
「方向性」と「移動性」という 2 つの動機付けを説明できるということである。
山梨は (2000: 151)では、図 3-8 に示されているように、<起点-経路-終点>における<経 路>の部分を一定の視点から見れば、<軌道>のスキーマが立ち現れ、また、<経路>にお けるある目標に向かって進行していくと見る際に、進んでいく方向が<前>となり、反対の 方向を<後>と位置づけることができると指摘している。
山梨は (2000: 151)に照らして、ここで指摘したいのは、<前/後>、<起点-経路-終点>、
<軌道>が緊密に関わり、この 3 つのスキーマの関連性が、「先(さき)」の多義構造の土台
109
ともなる、ということである。「先(さき)」のスキーマを示せば、図 3-9 におけるdの部分の ようになる。
前方を示す「先(さき)」の構造には、<経路>から<軌道>へというスキーマ変換の現象 も伴っているということである。<経路>と<軌道>の違いについて、具体的に言えば、
Tyler and Evans (2005: 314)では、<軌道>が移動の動き(仮想的な移動も含む)を必要として
おり、いわゆる「動く過程の抽象的な表示」であるのに対して、<経路>が動きを必要とし ないと分析している。Clausner and Croft (1999: 23-25) は、<経路>と<軌道>という2つの スキーマを論じる際に、両者の相違について、前者の<軌道>が動きを必ず伴っていて、ダ イナミックな存在 (trajector moving along a path)であるのと対照的に、後者の<経路>は一次 元のような物体的な存在(one-dimensional trajector)であると指摘している。
<経路>から<軌道>へのスキーマ変更という現象は、人間の言語においてよく見られ る現象である。Lakoff (1987: 104-106)では、なぜ(19a)と(19b)のいずれもintoが、そして(20a) と(20b)のいずれも through が使用できるのかについて、移動の痕跡と空間的な広がりの間 には緊密な関係があり、<軌道>から<経路>へというスキーマの変換が伴っているから であると述べている。
(19) a. The man ran into the woods.
b. The road ran into the woods.
(Lakoff 1987: 106) (20) a. Sam ran through the forest.
b. There is a road through the forest.
(Lakoff 1987: 106)
「先(さき)」の空間的な意味の構造を示している図 3-9のdでは、「先(さき)」の前方とい う方向性が主に図 3-9の c の<前/後>のスキーマに由来しているため、短い垂直線を付し た矢印で「方向性」が示されている。特に注意しておきたいのは、図 3-9 のdについて、従
図 3-8 各種のスキーマ (2000: 151) 図 3-9 「先(さき)」のスキーマ
110
来の<起点-経路-到達点>のスキーマでは、真ん中の線が、<経路>を意味する実線で示さ れているが、図 3-9 における d の部分、すなわち「先(さき)」の意味構造には、<軌道>を 示す破線で表記されている、ということである。<起点-経路-到達点>における<経路>が、
<軌道>によって変えられたのは、<軌道>のほうが移動とより直接的に関与しているか らである。
2.3.4 「先(さき)」で示された前方の特徴: 心的な移動
2.2節では、「前(まえ)」と「前(qian)」で示された前方を分析した。「前(まえ)」と「前(qian)」
は、静止の状態では、対峙的な方略でトラジェクターとランドマークとの位置関係を言語化 している。しかし、「先(さき)」で示された前方は、動静を問わず、通常同方向的方略に依拠 して、前方を概念化している。
(21) a. 飛んでいくボールの先には、フェンスがある。
b. 飛んでいくボールの前には、フェンスがある。
(篠原2008: 191)
(22) a. 郵便局の先に、太郎がいる。
b. ?郵便局の前に、太郎がいる。
(篠原2008: 191)
具体的に言えば、(21)の「先(さき)」は、移動体のボールが一定のルートに従って前方へ 進んでいく場面を表現している。この場面では「先(さき)」と「前(まえ)」とは置き換えら れる。これに対して、(22)における「先(さき)」の用法について、(篠原2008: 191) では主観 的な移動の有無の点から、「太郎の位置を認知している主体が郵便局の方向に向かって移動 するという想定のもとで、『郵便局の参照点として主体が移動していく方向にある空間』が
『郵便局の先』」と論じているが、なぜ変えられないかについて詳しく説明していない。
ここで指摘したいのは、(22)における「先(さき)」は、一種の主観的な移動を示しており、
このような場面の前方が「前(まえ)」で言語化するのは困難である、ということである。
Talmy (1996: 212-213)では、There is a church across the street from hereのように、ある実体の 位置を特定するためのルートを心的に辿る主観的な移動をAccess Path Expression と呼んで いる。この定義から分かるように、Access Path Expressionという種類の主観的な移動の表現 は、真の移動と緊密に関わっている。
なぜ(22)の「先(さき)」が「前(まえ)」に変えられないかというと、それが「先(さき)」の 動機付けには移動が含意されているのに対して、「前」の動機付けには移動が含まれていな いからである。すなわち、日本語では、「先(さき)」と「前(まえ)」のいずれも前方という概 念を表現することができ、そして、両者を置き換えることができる場合も少なくないが、<
111
軌道>というスキーマとの関与の有無という相違で、上記のような状況では、仮想的な移動 の方向を言語化できるのが「先(さき)」のみということになる。