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物から事柄へ:メタファーによる拡張

第 1 章 日本語の「上(うえ)」と中国語の「上(shang)」との比較

3. 日本語の「上 ( うえ ) 」の意味

3.1 辞書における解釈

3.4.1 物から事柄へ:メタファーによる拡張

「上(うえ)」は、「に」、「で」、「は」といった格助詞あるいは取り立て助詞と組み合わせる ことによって、空間的な意味のみならず、非空間的な意味を有するようになり、句と句、あ るいは、文と文の関係を言語化できる。先行研究では、「うえに」、「うえで」、「うえは」に おける「上(うえ)」の機能と形態は、形式名詞の用法や接続助詞の用法として説明されてい

る(田中 1999; 方2008; 馬場2005, 2006; 長谷部 2014)。 形式名詞や接続助詞といった用

語を用いて、「うえに」、「うえで」、「うえは」の用法を記述するには有効であるものの、「上 (うえ)」の他の意味項目との関連性を説明するには必ずしも適切とは限らない。

馬場(2005)は、「うえで」、「うえに」、「うえは」について「相互に不可欠な前件と後件 図1-3 表向き

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の累加」という共通の特徴を指摘している。前件と後件との緊密な関係、すなわち不可欠性 が、一体どのように生じたのかについて、より詳しく分析する余地が残されている。本節で は、先行研究の知見を踏まえるが、そのまま踏襲することはしないで、「上(うえ)」の本来の 空間的な用法を重視する立場から、メタファーによる拡張という認知言語学の視点を加味 して、「上(うえ)」の機能を分析する。

メタファーが言葉の意味と機能のあらゆる面に浸透していることは、すでに西村(2002)、 菅井(2003)をはじめとする多くの研究で例証されている。つまり、言葉の機能拡張や文法 化といった現象の背後に、「コト(出来事)をモノ(物体)として隠喩的に拡張する」(菅井 2003: 168)というメタファー的な写像が働いている。すなわち、物と物との空間的な関係か ら、出来事と出来事との抽象的な関係へというメタファーによる拡張である。この際に、出 来事を示す文法的な節や句は、物理的な実体のように捉えられる。

例えば、(19)は、日本語のニ格を示す標識が従属節マーカーに拡張する際に、<目的>と いう新たな意味を示せるようになった事例である。(19a)における「本屋」が実際の空間的な 概念であり、また、「本屋に行った」というのも空間における実際の移動である。これに対

して、(19b)の「買いに行った」という表現における「に」は、「買い」という実体ではなく、

動作の目的を示すものである。「本屋に行った」から「買いに行った」にかけて見られる「に」

の機能の拡張という現象の背後には、空間的な概念出来事が抽象的な出来事へと拡張する というメタファー的な写像が認められる(菅井 2003: 168)。

(19) a. 太郎は本屋に行った。

b. 太郎は本を買いにいった。

(菅井 2003:169)

ここで指摘したいのは、「うえで」、「うえに」、「うえは」における「上(うえ)」の機能は、

メタファーによる拡張の一種だということである。そして、結論的には、馬場 (2005) によ って取り上げられた「相互に不可欠な前件と後件の累加」という特徴は、「上(うえ)」の「接

1-4 メタファーによる機能拡張

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触ありの高所」という本来の空間的な用法に基づいているということである。つまり、「う えで」、「うえに」、「うえは」という 3 つの表現は、それぞれの機能が異なっているものの、

共通の空間的な動機付けを有するということである。

馬場 (2005)の「相互に不可欠な前件と後件の累加」という指摘と同様に、田中 (1999)で は、「うえで」、「うえに」、「うえは」という3つの表現の共通の性質をめぐって、「必然的に 積み重ねられる 2 つの事態の関係を表す」というように解釈している。ここで特に注意して おきたいのは、田中 (1999)の解釈における「積み重ね」という分析は、認知言語学の枠組み で説明すれば、まさに「上(うえ)」の「接触ありの高所」という空間的な用法と対応してい る、ということである。

図1-4におけるaの部分は、「上(うえ)」の本来の空間的な意味、すなわちトラジェクター がランドマークより高い所にあるという「接触ありの高所」の意味を示している。また、図 1-4のbの部分は、前件と後件の間に「必然的に積み重ねられる」という抽象的な関係を示 している。aの用法とbの用法は、異なる領域であるため、2つの楕円でそれぞれ囲まれて いる。つまり、図1-4に示されているように、「上(うえ)」と「で」・「に」・「は」によってつ なげられた前件と後件という 2 つの事柄は、モノから関係へというメタフアー的な写象を 介して、それぞれランドマークとトラジェクターとが対応している。

3.4.2 「うえで」の機能

「うえで」の用法は、意味の観点から見れば、主に「前提・継起」と「領域・側面」とい う2つの用法がある。「うえで」と前から接している成分の種類から見れば、主に名詞と述 語という2つの種類に分けることが出来る。3.4.2.1節では「うえで」の「前提・継起」の用 法を、3.4.2.2節では、「うえで」の「領域・側面」の用法を見ることにする。

3.4.2.1「うえで」①: 前提・継起

「うえで」の「前提・継起」という用法とは、ある出来事が終結した後に、完結したその 出来事を踏まえて、次の出来事や動作を引き続いて行うということである。ここで強調しな ければならないのは、この2つの出来事のあいだには、単なる時間軸における継起関係では なく、前件の出来事があってはじめて、(20)のように後件の出来事の成立条件が整うという 関係にある点である。

例えば、お風呂に入って寝るという2つの出来事が時間軸に沿って発生したことで、継起 的な関係はあるものの、(21a) は不自然となる。一方、(21b) で示されているように、入浴 という前件の行為は、薬を塗るという行為の条件あるいは前提であるため、「うえで」が使 用できる。

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(20) a. 万々承知のうえで、登美子を捨てて康子と結婚しようとした。

<CJBC>(石川達三著 『青春の蹉跌』) b. そういうリスクを全部承知したうえで、覚悟を固めなければいけないのだ。

<BCCWJ>(三田誠広著 『団塊老人』)

(21)a. ?入浴したうえで寝る。

b. この塗り薬は、入浴したうえで、塗ってください。

「うえで」と接続する前件のタイプについては、すでに多くの先行研究で、動作を表す名 詞である場合と、述語動詞のタ型との連用という二種類があると分析されている。このよう な「うえで」という表現の空間的な意味が次第に薄くなり、実物どうしの間の具象的な関係 に基づき、出来事と出来事との抽象的な関係を示すようになる過程を、メタファーによる拡 張という認知言語学の観点からも説明できると考えている。

ここで指摘したいのは、「うえで」①の「前提・継起」の用法は、「上(うえ)」の「接触あ りの高所」という空間的意味と緊密な関係にあるということである。すなわち、空間におけ る物体と物体の上下関係の捉え方が、出来事と出来事との関係にも使用されているという ことである。「太郎は机の上で寝っている」という空間的なシーンでは、トラジェクターの 太郎は、ランドマークの机より高いところに位置している。このような位置関係が成立でき るのは、ランドマークの机が支持力を与えて太郎を支えているからである。

上記の空間的なシーンと類似して、前件と後件の出来事は、いわゆる前件にあっての後見 という継起的な関係で、後件の出来事が前件の出来事の基礎でもあり、前件の成立の条件を 支えている根幹である。前件と後件の出来事は、下の位置にある物体と上の位置にある物体 とがそれぞれ対応しているということである。

「うえで」の「前提・継起」の意味項目は、図1-5で示されている。図1-5では、白い長 方形が前件の事柄を意味し、斜線の長方形が後件の事柄を意味している。下方の長方形は、

その上方にある長方形に支持力を与え、支持力の方向が「↑」で表記されている。「↑t」と 図1-5 「前提・継起」

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いう標識は、時間上の前後関係を表し、前件の事柄が後件の事柄の時間より先に完成すると いう意味である。

3.4.2.2「うえで」②: 領域・側面

「うえで」②の「領域・側面」という用法は、話し手がある出来事の価値について、主観 的な評価をするという用法である。田中 (1999: 155-156)は、この用法について、「関連する 方面、場合『において』を表す言い方」であり、「ある局面に対する対処的、適合的な用法 もあり、しばしば『する意味でも』の言い方とも置き換えられる」と指摘している。本節で は、「うえで」②という非空間的な表現の動機付けについて調べ、空間的な意味とのつなが りを分析する。

(22) a. 木材の安定的な供給、地域振興などの国民経済及び国民生活のうえで重要な使

命を担っている。

<BCCWJ>(日本林業協会編集 『林業白書』) b. 今日という日は二人の歴史のうえで本当に特別の日だった。

<BCCWJ>(田辺亜木訳 『ブレッシング』)

c. このバリアフリーとは、「共生」の街づくりを進めるうえで大切なキーワード

であり、私たちは最も重要なテーマとして、このバリアフリーに取り組んでい きたいと考えています。

<CJBC>(乙武洋匡著 『五体不満足』)

(22)で取り上げられた例から分かるように、「うえで」②が用いられる際に、「うえで」と 前接するのは名詞あるいは動詞である。特に注意しなければならないのは、前接する成分が 動詞の場合では、タ形で接続する「うえで」①と違って、「うえで」②の場合では、動詞が 一般的にはル形だということである。また、「うえで」②は、通常「重要だ」や「役に立つ」

や「不可欠である」といった態度を表す表現と後接して共起している。前件の事柄が後件の 事柄の必要条件、あるいは実現のための重要な状況、条件であるという読みがある。「うえ で」②に含まれ、前件が後件の重要な状況や条件であるというニュアンスは、「うえで」① の「前提」と類似している。

ただし、「うえで」①と比べ、「うえで」②は、時間上の前後関係がないという点で大き く相違している。つまり、「うえで」②の場合では、従属節の動作と主節の述語の間に は、「うえで」①のような継起関係が見られない。例えば、「バリアフリーは共生の街づく りを進めるうえで重要である」という文では、従属の「街づくりを進める」という動作 と、主文の「重要だ」という述語との関係は、時間上の前後関係はなく、評価あるいは描 写的な記述であるというつながりを示している。

31 3.4.3 「うえに」の用法: 添加

「うえに」の「添加」とは、ある事情について、前件の状況または事柄に加えて、さらに 他の状況または事柄が添加されるという用法であり、英語のin addition toという表現に相似 する。例えば、人間の不幸という事情についての「人間が何より苦しいのは貧乏の上に病気 になることだ。」という文では、前件の「貧乏」というネガティブな事柄があり、さらに「病 気になる」というネガティブな事柄が加えられる。「うえに」は、(23a)のようなネガティブ な「添加」のみならず、(23b)といった例からわかるように、ポジティブな「添加」を示す こともできる。そして、前件の事柄と後件の事柄が必ずしも異なることだとは限らない。

(23c)と(23d)では、前件の事柄と後件の事柄が同じであり、それぞれ「罪の添加」と「努力 の添加」という関係を示しており、この際に、「うえに」は同じ事柄の添加、すなわち、反 復の意味である。

(23) a. 貧乏のうえに病気が重なり、死を間近にひかえていた

(夫馬進著 『善会善堂史研究』) b. 花子は美人のうえに、成績も優秀だ。

(安藤栄里子著 『耳から覚える日本語能力試験2級文法トレーニング』) c. 罪のうえに罪を増す。

(中村健之介著 『宣教師ニコライと明治日本』) d. 努力のうえに努力を積み重ねる。

( PHP研究所著 『松下幸之助日々のことば』)

「うえに」の用法は、図1-6で示されている。抽象的な概念や事柄の添加を表す「うえに」

という表現の動機づけについては、「前提・継起」の用法として用いられている「うえに」

の動機付けと同様に、「接触ありの高所」という空間的な用法に基づき、メタファー的に拡 張されて生じたものであると解釈することができる。ランドマークである実物とその上部 に位置しているトラジェクターの実物は、メタファーを通して、それぞれ後件の事柄と前件 の事柄とが対応している。つまり、事柄と事柄の添加、累加という抽象的な関係は、実際の 空間における物体の上下関係に対する認識と体験に依拠しているということである。

(24)a. 今日の天気は曇っているうえに風が強いので、とても寒く感じられる。

(安藤栄里子著 『耳から覚える日本語能力試験2級文法トレーニング』)

b. 家が貧しいうえに、父親が病気にかかってしまった。

(金谷俊一郎著 『日本人の美徳を育てた「修身」の教科書』)

c. 成績優秀なうえ、スポーツもよくできる。

(安藤栄里子著 『耳から覚える日本語能力試験2級文法トレーニング』)