第 4 章 日本語の「後(あと)」と中国語の「後(hou)」との比較
4. まとめ
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ンドマークの余っている部分を言語化している。つまり、日本に滞在できるすべての時間が、
座れる人数全員と同様にランドマークと見なされて、「3 人」という収容できる余地と同様 に、トラジェクターの「3 ヶ月」という期間が、このランドマークにおいて余っている部分 を示している。
中国語の「後(hou)」は、空間的な意味として、トラジェクターがランドマークの後方に位 置しているという点に関しては、日本語の「後(あと)」と共通している。しかし、中国語の
「後(hou)」は日本語の「後(あと)」とは異なり、トラジェクターがランドマークにおいて余 っている部分、あるいは取り残されている部分という空間的な意味を有していない。つまり、
「後(hou)」は、「後(あと)」と比べると、「余地・残留」という空間的な意味が欠如している ということである。その結果として、「後(hou)」は、「残りの時間」を言語化できず、「後 3 ヶ月しか日本にいません」や「修学旅行まで後 2 週間」における「後(あと)」は、中国語で は他の表現で示さなければならないということになる。
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日本語の「後(あと)」と中国語の「後(hou)」との空間的な意味の相違点については、主に 次の 3 点が見られる。第一に、ランドマークが静止している場合では、「後(hou)」が使用で きるのに対して、「後(あと)」の使用は制限されている。例えば、「屋後有條河」という中国 語の表現における「後(hou)」は、「家の後(あと)に川がある」のように、そのまま日本語の
「後(あと)」と訳すと不自然になる。
第二に、トラジェクターがランドマークの後部の一部にある場合、「後(あと)」の使用が制 限される。例えば、「婆姨坐在車後, 漸行漸遠 (うしろに妻を乗せてしだいに遠ざかっていっ た)」という表現における「後(hou)」は、日本語の「後(あと)」ではなく「うしろ」と対応す るのが一般的である。
第三に、「後(あと)」の「余地・残留」という用法は、「後(hou)」との対応が困難である。
例えば、「後(あと)3 キロ」における「後(あと)」は、「後(hou)」との対応が難しい。
そして、本章では、日本語の「後(あと)」と中国語の「後(hou)」の時間的な意味について も考察した。「後(あと)」と「後(hou)」とは、両者のいずれも二種類のLater、すなわち現在・
発話時に関与する Later と関与しないLaterとして言語化する機能を持っている。しかし、
次のような相違点も見られ、日本語の「後(あと)」は、「残りの時間」という用法を持ってい るのに対して、「後(hou)」の使用は制限されている。例えば、「後数年で終わる」における
「後(あと)」は、「後(hou)」による対応が比較的に困難だ、ということである。中国語の場 合では、「後(あと)」の「残りの時間」の意味合いが、日本語の「まだ」に当たる「還(hai)」
や「残る」に当たる「剩(sheng)」といった表現を通して言語化されている。このような非対 応の現象がなぜ日中両言語で生じたのかについて、本章では、「後(hou)」が「後(あと)」の ような余地・残留という空間的な用法を持たないためと分析した。
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終章
本論文では、序章を踏まえ、第 1 章から第 4 章まででは、「上(うえ)」と「上(shang)」、「下
(した)」と「下(xia)」、「前(まえ)」・「先(さき)」と「前(qian)」、「後(あと)」と「後(hou)」とい
う日中両言語における上下軸および前後軸の空間辞の意味と機能について、認知言語学の 理論の枠組みに基づいて論じてきた。
本論文の終わりに、各章の内容をまとめたうえで、この論文によって明らかになったこと と今後の課題について述べることにする。
1.本論文で明らかになったこと
本論文で明らかになったことを章ごとにまとめると以下の 1.1 節~1.4 節のようになる。
1.1 「上(うえ)」と「上(shang)」について
第 1 章では、日本語の「上(うえ)」と中国語の「上(shang)」という 2 つの上下軸における 空間辞の意味と機能を記述したうえで比較を行った。以下では、この第1章の内容を①空間 的な意味に関する考察、②語彙的な意味拡張に関する考察、③機能拡張に関する考察という 3 つの部分に分けて概観する。
第一に、「上(うえ)」と「上(shang)」との空間的な意味の異同を次のようにまとめることが できる。具体的に言えば、現代日本語における「上(うえ)」と現代中国語における「上(shang)」
は、トラジェクターがランドマークより高い所に位置している。すなわち高所という空間的 な意味を有している。「上(うえ)」と「上(shang)」の空間的な意味を、本論文では、さらに「接 触ありの高所」と「接触なしの高所」という 2 つの用法に分けて詳しく記述した。
しかし、「上(うえ)」と「上(shang)」の空間的な意味は、決してすべてが同様であるとは言 えない。「上(うえ)」と「上(shang)」との相違点は語源からも反映され、異なっている。「上
(うえ)」の語源は、『岩波古語辞典』でも記述されているように、本来モノの外側の表面とい
う空間的な位置関係を示す表現であり、ウラと対義的な関係にあった。ただし、この用法は、
『日本国語大辞典』の記載によると、中世頃から「上(うえ)」とウラとの対義関係が衰退し はじめた。これに対して、中国語の「上(shang)」は、甲骨文字では「二」のように書かれて いたことからわかるとおり、トラジェクターがランドマークより高いところに位置し、そし てトラジェクターとランドマークとが接触していない、という空間的な位置関係を示す表 現である。
現代日本語でも用例は多くないが、「下着の上に着る」といった例からわかるように、「上 (うえ)」がウラと対義的な関係にあり、オモテの意味で用いられる場合もある。このような モノの外側を示す「上(うえ)」は、本論文では、「物体の外側」と呼ぶことにした。一方、本 論文の分析によると、トラジェクターがランドマークの外側に位置しているという空間的 な関係は、中国語では、「上(shang)」による言語化が困難である。
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第二に、「上(うえ)」と「上(shang)」との語彙的な意味拡張の分析結果を示せば、次の表 5-1 のようになる。Lakoff and Johnson (5-1980)では、英語では上方を示す表現が、メタファーを 介して、多くの場合に好ましい状態、社会におけるより優勢の地位、順番が先のほうといっ た非空間的な意味を示すことができると指摘している。英語と同様に、日本語の「上(うえ)」
と中国語の「上(shang)」も、上方という空間的な概念を示す空間辞として、「優れる」、「高 い地位」、「数量が多い」という 3 つの意味を有しており、共通している。
意味項目 「上(うえ)」 「上(shang)」 拡張プロセス
①優れる 技術は彼の方が上だ。 他的技術水平在我之 上。
メタファー(トラジェクタ ーがランドマークより高 いという空間的なシーン からの拡張)
②高い地位 上に立つ者 居人之上者
③数量が多い 彼の収入は私より上 だ。
他的收入在我之上。
④表向き 立春は暦の上での春
です。  ̄ ̄
メタファー(「上(うえ)」の
「物体の外側」という空間 的なシーンからの拡張)
⑤順序
 ̄ ̄
「上回」、「上次」、「上 世紀」、「上週」
メタファー(垂直軸の位置 関係から時間的な尺度へ の拡張)
表5-1 「上(うえ)」と「上(shang)」の非空間的な意味の拡張
しかし、「上(うえ)」と「上(shang)」との非空間的な意味について、次の 2 つのところで相 違している。「上(うえ)」には「物体の外側」という空間的な意味に基づき、「表向き」とい う拡張的な意味もある。例えば、「立春は暦の上での春です」という文における「上(うえ)」
は、「表向き」という意味で用いられ、英語のostensibly または superficiallyに当たる。しか し、中国語の「上(shang)」は、外観のみあり内実なしという「表向き」の意味を示すことが できない。これは、そもそも「上(shang)」が、「上(うえ)」のようにモノの外側を言語化する のが容易ではないからである。
また、「上(shang)」は、「順序」という非空間的な意味も有している。「上回」、「上次」、「上 世紀」、「上週」のような表現における「上(shang)」は、いずれも順序として早いという意味 を示している。しかし、「上(うえ)」は、このような順序の意味を言語化するのが困難であ る。日本語では「回」、「次」、「世紀」、「週」といった言葉もあるが、「上(うえ)」と共起する 場合、いずれも容認しがたい表現となる。
第三に、「上(うえ)」と「上(shang)」との機能拡張について分析した。「上(うえ)」と「上
(shang)」は、「接触ありの高所」という空間的なシーンから、他の機能を持つようになった
ということである。
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ただし、両言語とも「接触ありの高所」からの拡張とは言え、拡張のプロセス及び拡張の 結果は大きく異なっている。「上(うえ)」の機能は、次の表 5-2 が示すようにメタファーに よる拡張である。これに対して、「上(shang)」の機能は、表 5-3 が示すとおり主にメトニミ ーによる拡張である。
「上(うえ)」の機能拡張:物体と物体との関係 から、出来事と出来事との関係へ拡張する。
①前提・継起 危険を承知のうえで、け が人の救助を行った。
②領域・側面 詩精神の位相を再検討す るうえでも重要な文献で ある。
③添加関係 花子は美人のうえに、成 績も優秀だ。
④因果関係 契約を結ぶうえは、条件 を慎重に検討すべきであ る。
表5-2 「上(うえ)」の機能拡張
具体的に言えば、日本語の「上(うえ)」の場合では、「接触ありの高所」というモノとモノ との空間的な位置関係が、メタファーによる拡張で、事態と事態との関係を示すようになっ ている。つまり、メタファーによって、出来事を物体として捉えるという種類の拡張である。
このようなメタファーを介する種類の拡張を通して、「上(うえ)」は、「に」、「で」、「は」と いった格助詞あるいは取り立て助詞を加える際に、①前提・継起(「危険を承知のうえで、
けが人の救助を行った」)、②領域・側面(「詩精神の位相を再検討するうえでも重要な文献 である」)、③添加関係(「花子は美人のうえに、成績も優秀だ」)、④因果関係(「契約を結ぶ うえは、条件を慎重に検討すべきである」)という4つの事態と事態との抽象的な関係を言 語化するようになっている。
一方、中国語の「上(shang)」の場合では、「接触ありの高所」の空間的な用法に基づき、
メトニミーによる拡張で、名詞に場所性を与え、すなわち「場所化」という機能を持つよう になっている。例えば、「上(shang)」は、黒板と黒板に書かれた文字、天井面と吊り下げ照 明、乗り物と乗客との位置関係を言語化できる。
「上(shang)」の場所化の機能について、すでに一部の先行研究で論じられているが、本論
文では、認知言語学の枠組みに基づき、なぜ「上(shang)」がこのような機能を持つようにな ったのかについて分析した。
名詞の場所性というのは、移動や存在する位置を示す性質である。例えば、英語の John
went to Mary. という文におけるMaryが場所性を有する名詞であり、Maryという人が位置
している場所を意味している。しかし、日本語や中国語の場合では、Mary が場所性を有し
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ておらず、「?JohnはMaryに行った。/ ?John去了Mary。」の容認度が非常に低く、Maryの 後に「ところ」または「那兒」といった場所を示す表現を付け加えなければならない。「John は Mary のところに行った。」が自然な表現となり、このような非場所名詞を場所名詞にす る過程が場所化である。
「上(shang)」の機能が拡張する際は、主に表 5-3が示すとおり、空間の隣接性に基づき、
部分を全体で示すメトニミーと、時間的な隣接性に基づき、一方の状況がもう一方の状況を 示すメトニミー、という 2 種類のメトニミーが関わっている。このような拡張プロセスを介 して、「上(shang)」は、本来のトラジェクターとランドマークとが重力軸に沿って並んでい なくても構わず、壁のような垂直面、天井面、乗り物の内部、抽象的な範囲といった場合で も、場所化の機能を果たすようになっている。
「上(shang)」の機能拡張:物体と物体と
の位置関係から、物体と場所との存在関 係へ拡張する。この拡張のプロセスにお いては、全部で部分を示し、時間的な隣 接性に基づき、一方の状況がもう一方の 状況を示すという2種類のメトニミーが 関与している。
①垂直面の場所化 蜘蛛在墙上。
(クモが壁にいる。)
②天井面の場所化 天花板上有一隻蜘蛛。
(天井に一匹のクモがい る。)
③乗り物の場所化 火車上有小偷。
(汽車にはすりがいる。)
④行為の存在する 所の場所化
舞會上一起跳過舞,頗為 熟識。
(ダンスパーティーで一 緒に踊ったこともあり、
かなりよく知っている。)
表5-3 「上(shang)」の機能拡張
詳しく言えば、中国語の「上(shang)」は、①垂直面の場所化(「蜘蛛在墙上(クモが壁に いる)」)、②天井面の場所化(「天花板上有一隻蜘蛛(天井に一匹のクモがいる)」)、③乗り 物の場所化(「火車上有小偷(汽車にはすりがいる)」)、④行為の存在する所の場所化(「舞 會上一起跳過舞,頗為熟識。(ダンスパーティーで一緒に踊ったこともあり、かなりよく知 っている。)」)という 4 つのタイプの場所化機能を有している。「上(うえ)」の非空間的な機
能と「上(shang)」の非空間的な機能は、大きく異なっており、互いの対応が非常に困難であ
る。
171 1.2 「下(した)」と「下(xia)」について
第 2 章では、日本語の「下(した)」と中国語の「下(xia)」という 2 つの上下軸における空 間辞の意味と機能を記述したうえで比較を行った。以下では、この第 2 章の内容を①空間的 な意味に関する考察、②語彙的な意味に関する考察、③機能に関する考察という 3 つの部分 に分けて概観する。
第一に、日本語の「下(した)」と中国語の「下(xia)」の空間的な意味の異同は次のとおり である。日本語の「下(した)」は、①「下方の用法」、②「下部の用法」、③「内部の用法」
という 3 つの空間的な意味を持っている。これに対して、中国語の「下(xia)」には、①「下 方の用法」、②「下部の用法」、③「基部の用法」という3つの空間的な意味がある。
「下方の用法」の場合では、トラジェクターは、ランドマークの位置より低いところに存 在している。本論文では、この「下方の用法」に関しては、「下(した)」と「下(xia)」が対応 していると分析した。例えば、「ガラス製看板の下」と「玻璃燈匾下」、または、「枕の下」
と「枕下」における「下(した)」と「下(xia)」によって示されている空間的な位置関係は、
基本的には一致していると考えられる。
「下部の用法」の場合では、ランドマークとなるのが山やビルのような高い参照物に限り、
トラジェクターがその低いところに位置している。本論文では、「下(した)」の「下部の用 法」と「下(xia)」の「下部の用法」とは対応すると分析した。例えば、「山の下には寺が幾 つか集まっている」における「下(した)」と「山下叢集着一些廟宇」における「下(xia)」の 意味は同様である。
日本語の「下(した)」と中国語の「下(xia)」との空間的な意味の相違点は、主に次の 2 点 がある。「下(した)」は図 5-1 が示すように、トラジェクターがランドマークの内部にある という「内部の用法」を有している。「下(xia)」がこのような用法を言語化するのは容易な ことではない。「背広の下にセーターを着る」や「下着」や「靴下」といった表現における
「下(した)」は、いずれも「内部の用法」で用いられている。このような「内部の用法」は、
中国語では、「下(xia)」の代わりに、通常「裡(li)」や「内 (nei)」といった日本語の「うら」
や「なか」に当たる表現によって言語化されている。
図 5-1 「下(した)」の「内部の用法」 図 5-2 「下(xia)」の「基部の用法」