第一章 米穀法成立以前の米価調節論――1910 年代の議論を中心として
第一節 農業側の議論
3 米価騰貴時の議論
その後、第一次世界大戦が勃発するとその影響もあって、どん底に落ちた米価は徐々に 跳ね上がっていき、やがて1918年に米騒動が起きる。この時期の『帝国農会報』での米価 調節論は、米価引き上げから引き下げ反対へと変わってきた。
まず、この時期の米価の「暴騰」28という評価について、『帝国農会報』では、異論が挙 げられている。
山田斂は1918年5月号に掲載された「米価調節に就て(消費者を顧慮すると同時に生産
28 第一次大戦後のインフレ、投機、買占め、売惜しみなどの理由が重なって、米価は上昇しつつあった。
それに対して、各新聞紙上では「暴騰」として報道されていた。例えば1918年1月29日付の大阪新報に
「米価の大暴騰:暴利取締令如何」、1918年2月19日付の神戸新聞に「米価昂騰趨勢」、1918年4月19 日付の万朝報に「米価暴騰抑止」、1918年5月10日付の福岡日日新聞に「米価暴落防止の急」など、「米 価暴騰」について触れている記事が多く存在している。(http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.html 神戸大学附属図書館・新聞記事文庫データベース)
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者を忘る可らず)」29において地主、自作農の経済状態を提示し、「米1石の消極的生産費は 地主として金22円99銭」で、「自作農として金22円9銭9厘」で「現今に於ける米価が 石22、23円となるときは、殆ど生産費に均しく、其の以下に陥る時は生産費を支ゆる能は ざること、彼の大正4年頃の大恐慌当時と同一の状態になるのである」とし、この時期の 米価は決して暴騰ではないと説いた。
このほか、一般物価や他の農産物の価格と比較し、この時期の米価は決して高いとはい えないと主張した東京帝国大学助教授那須皓の「現時の米価果たして不相当に暴騰せりや」
30が富山県農会報に掲載され、1918年6月号の『帝国農会報』の「抄録」に転載された。
那須はまず米価の騰貴を一般物価と比べ(表1.1.4)、そして、米と他の農産物の価格と比
べて(表1.1.5)、米価は割安であると論じている。
表1.1.4 大正期の米価、物価、賃銀指数
明治33-37
(1900~05)
年の平均
大正1
(1912)
大正2
(1913)
大正3
(1914)
大正4
(1915)
大正5
(1916)
大正6
(1917)
米価 100 160.9 166.9 125.0 101.7 105.9 173.0
物価 100 130.6 132.3 125.7 127.2 154.0 195.4
賃銀 100 134.4 136.9 135.9 132.3 138.6 169.1
表1.1.5 1917(大正6)年2月の価格及び指数(1914~16年の平均を100とする)
米 大麦 裸麦 小麦 麦粉 栗
価格(円) 24.610 14.350 20.320 24.320 ― 24.600 指数 172 315 236 210 205 400 作付状況 大正6年の作柄平
年に比し3分増
同5分増 同5分増 同3割4分増 平作 注:表1.1.4、1.1.5は那須皓「現時の米価果たして不相当に暴騰せりや」(『帝国農会報』8巻6号、74-77
頁)より作成
このように、米価は決して暴騰ではないという認識が農学者や農会関係者の中にあるこ とは明らかである。ここで、山田と那須は異なる視点から米価の「安さ」を説明している。
山田は米価がぎりぎり生産費を償える水準だということから、また那須は一般物価や賃金 と比較するアプローチに基づいて主張していた。何れにしても、米価が必ずしも「暴騰」
してはいないことを裏付けようとする議論であった。
政府の米価調節策に対する反対意見は、1918年前後の『帝国農会報』の中で散見される。
1918〜19年の米価調節論については、次のような記事が掲載されている(表1.1.6)。その
29 『帝国農会報』8巻5号、1-12頁。
30 『帝国農会報』8巻6号、74-77頁。
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中で、多くの記事には政府の米価引き下げ策に対する反対意見が示されている。その根拠 としては、那須の提示した議論と重なっている。つまり、一般物価水準から見れば米価の 騰貴は暴騰ではなく、米価のみを調節するのは農業に不利をもたらす「米価抑制策」だと いうのである31。
表1.1.6 1918〜19年『帝国農会報』における米価調節論
年代 巻 号 タイトル 著者
1918 8 3 米価調節調査会
5 米価調節に就て 山田斂
6 米価調節に関する建議 富山県農政倶楽部→政府
7 米価調節問題 斉藤宇一郎
7 米価調節と農民の帰嚮 中村孝二郎
7 米価調節に関する建議 山口県農会→政府
7 米価調節に関する建議 愛媛県農政倶楽部→政府 8 政府の米価調節について
1919 9 4 米価調節の恒久策 農学会
4 臨時国民経済調査会の米価対応策
9 今日の米価調節策を評す 横井時敬
9 米価緩和策を徹底的に断行すべし 山本美越乃
11 紛糾限りなき米問題 斉藤宇一郎
注:武田、1986、62-64頁より作成。
しかし、1918年前後、第一次世界大戦後のインフレの影響もあって、米価は上昇しつつ あった。7月に米騒動が起きて、様々のところに影響を与えたのは周知の通りである。米価 調節に対する要請は一般労働者だけではなく資本側、学識者側からもあった。このような 状況下、米穀国営の議論が一時的に盛んになった。
1918年9月26日の東京朝日新聞には、法学博士大場茂馬等による米穀国営期成会の「米 穀国営案」32が掲示された。それは「米価の暴騰暴落を防ぎ以て地主耕作者の利益及び消費 者の需用を確保し国民生活の安定を期す」とし、消費者と生産者の利益のバランスを取ろ うとする提案で、「農家の為」、「消費者の為」、「全国民の為」に主張されたものであった。
その具体的な実行方法とは次のようなものである33。
一、内外米の管理(後略)
31 この点については、桜井は「大正七年時の帝国農会の態度はやや農業者が身勝手のような印象を与える が、食糧不足は、農業が他産業にくらべて利益が極めて少ないことに基本があり、これを是正しないで、
米だけをとりあげるのは問題だという点に主眼がある」(桜井、1989a、60頁)と述べている。
32 「米穀国営案」東京朝日新聞1918年9月26日付。
(http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00733426&TYPE=IMAGE_FILE
&POS=1 神戸大学附属図書館・新聞記事文庫データベース、2016年2月20日にアクセス)
33 同前。
38 二、米の移出入管理
三、実行方針(略)
四、米価の決定、米の標準価格は地主耕作者及び消費者の利益を主眼と為し左の点を斟酌 し帝国議会の協賛を経て決定す
一、過去五箇年間に於ける標準米の平均市価(地主耕作者の利益、原文) 一、最低収入の生活を危うせざること(消費者の利益)
米の標準価格は五年毎に之を改定す但し帝国議会の協賛を経て臨時之を改定することを得 五、買収及び売却 (略)
六、機関 中央機関
(イ)内外米管理調査委員会を常設し内外米の管理に関する事項を審議せしむ
一、委員は(一)農民の利益を代表する者(二)消費者の利益を代表する者(三)官吏並に知識 経験ある者より選任す
一、委員会は米価案其他内外管理に関する法令案を作制審議す (ロ)(略)
地方機関 (略)
そして、国営の内容については、次のように述べられている34。
国営行為としては官権の干渉を避けたいと思う。併し米作に就ては第一指導監督を為し其改善 を計らねばならないのは勿論である。第二愈其米と為りたる暁に於ては之を検査し耕作者の消 費高を控除したる米を買収せねばならぬ。
以上の内容から指摘しておきたいのは、この国営案の中では、米価は政府の専断によっ て決められるのではなく、帝国議会で決めるべきだと主張されていることと、実行機関と して、中央に「内外米管理調査委員会を常設し内外米の管理に関する事項を審議せしむ」
ことが提案され、さらにその委員について「(一)農民の利益を代表する者(二)消費者の利 益を代表する者(三)官吏並に知識経験ある者より選任」することが提示されていたことで ある。これは戦後の米価審議会の設置及びそのメンバー構成を想起させるものである(第
34 「米穀国営論」東京朝日新聞1918年10月18日付。
(http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00733449&TYPE=HTML_FILE
&POS=1 同前)
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四章を参照)35。ただし留意したいのは、米価の制定標準は「過去五箇年間に於る標準米の 平均市価」という主張である。この時点からみれば、第一次大戦後のインフレが進行しつ つ、物価全体が上がっている背景もあって、比較的に低い「過去5年間」の市価を標準に するのは、耕作農家の利益への考慮というより、むしろ米価の引き下げを念頭に置き考案 されたものである。また、この案に構想された国営は、「官権の干渉を避けたい」という前 提で、政府の役割を「指導監督」及び「検査」「買収」に限定するものであり、1920年代末 及び1930年代以降に構想された米穀国家統制と異なる点に留意したい。
一方、『帝国農会報』では米価調節に対する批判的な意見以外、調節策として、米穀国営 案を取り上げる記事も見られる(表1.1.7)。
表1.1.7 米穀国営案に触れた記事
年代 巻 号 タイトル 著者 備考
1918 8 9 今が米穀官営の最好機なるを論じ
併せて其具体的法案に及ぶ
熊谷繁三郎
10 米麦公営案の提唱 不明 国民生活改良会による提唱
1919 9 4、5 米と営利との問題 澤村康
7 米穀国営論に就て 高須虎六 注:武田、1986、68-69頁より作成。
表1.1.7が示しているように、米穀統制について、議論するものは必ずしも多いとはいえ
ない。その中で、熊谷繁三郎と澤村康36は米穀統制に対して賛成の意見を表した。そして、
これらの議論に対して、高須虎六が直ちに反対の意見を述べている。
澤村は1918年10月号に「米価問題に就て説あり」37を、1919年4、5月号に「米と営 利との問題(一)」38、「米と営利との問題(二)」39を発表し、相次いで米価問題、特に統制 問題について論じていた。澤村は「米価問題に就て説あり」の中で、「社会政策と普通選挙 とを以て米価問題を始めとし一切の社会問題を解決する唯一の手段である」40と米価問題の 解決を社会政策に求めている。そして、「米と営利との問題(二)」の中で、「米価問題の根 本的解決は政府自ら其売買の衝に当るより外、途無きは誠に明らかである」41と米穀国営論 に賛成し、それは経済政策を補う社会政策の一環であると述べている。ただし、澤村は具
35 戦後の初期米価審議会のメンバーは農業団体を代表する者、消費者団体を代表する者、学識経験のある 者、その他(衆参議員委員など)から構成されている。
36 1893年東京都生まれ、1951年没。東京帝国大学農科大学ならびに法科大学を卒業後、1922年イギリス
などへ留学。帰国後九州帝国大学教授を勤めていた(協同組合事典編集委員会、1986、986-987頁)。
37 『帝国農会報』8巻10号、4-22頁。
38 『帝国農会報』9巻4号、7-16頁。
39 『帝国農会報』9巻5号、10-17頁。
40 『帝国農会報』8巻10号、21頁。
41 『帝国農会報』9巻5号、14頁。