第三章 米穀統制法から食糧管理法までの米価調節論
第三節 米穀配給統制をめぐる議論
1 米穀統制法成立後の米穀政策の動向及びそれに関連する議論
米穀統制法成立後、政府に対し買上の申込が殺到し、財政負担問題が生じてくる。また、
米穀統制法では、植民地米移入数量に制限をかけていないため、過剰米問題改善の効果は 少ない102。このように「米穀統制法実施の経過、諸般米穀事情及財政上の影響に顧み更に 適切なる豊作を確立するため」103、1934年に岡田啓介内閣の下で、米穀対策調査会が設置 された(1934年9月1日、官制)。米穀対策調査会は1935年1月19日に次の「米穀対策 案」104の答申を行った。
102 荷見、1937、第8章を参照。
103 米穀対策調査会、1935、4頁。
104 米穀対策調査会、1935、13-19頁。
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(前略)
第二 米穀ノ自治的管理ヲ図ルコト(後略)
第三 籾ノ協同貯蔵ヲ行フコト(後略)
第四
一 内地、朝鮮及台湾ヲ通ジテ米穀ノ生産統制、代作ノ奨励、海外販路ノ開拓、新規利用ノ増 進等ニ付適当ナル方策ヲ講ズルコト
(後略)
附帯決議
政府ハ米穀統制ニ関スル法律改正案実施ノ結果米穀取引所ノ機能ニ及ボス影響ニ付十分ナ ル考察ヲ遂ゲ適当ナル方策ヲ講ゼラレンコトヲ望ム
この答申案に基づき、政府は1935年2月25日に米穀統制法中改正法律案、米穀自治管 理法案、籾共同貯蔵助成法案の三案を第67議会(1934年12月26日~1935年3月26日)
に提出し、衆議院は附帯決議付きで通過したが、貴族院では審議未了となった。その背後 には、この時期に広がった反産業組合運動(以下、反産運動)があったことはすでに指摘 されている通りである105。その後、政府はこの三案を第68議会に提出したが、議会終了直 前の為、審議まで至らなかった。しかし、その後第69議会に提出すると、衆議院では附帯 決議付きで、貴族院では希望決議付きで可決をみた(後述する)。その成立背景には、二・
二六事件後、日中全面戦争の勃発という情勢の中、国の経済の統制化、軍事化が強く要請 されたことがあった106。この時期も、反産運動側の全国米穀商組合聯合会や、全日本商権 擁護連盟、商工会議所を中心に、反対運動が展開されていくが、社会情勢の変化によって、
三案が成立に至ったのである。
三案の中で、特に米穀自治管理法案(1936年5月)に注目したい。今までの米穀に関す る法案と異なり、この法案は、内地、朝鮮、台湾にわたって実施するとされた。当時の農 林省米穀部長・荷見安はこの法案について、「内地及朝鮮、台湾を通じ一貫した方針に基い て過剰米穀を統制せんとする点は、同法の特色の一つであると共に其の最も重要な骨子で ある」107と述べている。米穀自治管理法により、米穀自治管理を担う団体として、区域内 の米穀生産者並に地主をもって組織する市町村区域の米穀統制組合ならびにその上級団体 である地方米穀統制組合聨合会が定められた。この米穀統制組合の事業は産業組合及び農
105 産業組合史編纂会、1966、第四章第2節を参照。
106 産業組合史編纂会、1966、508頁。
107 荷見、1937、376頁。
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会が代行できるため、米穀統制組合およびその聨合会の大部分は事実上、産業組合の販売 組合及び販売組合聨合会が代行していた。米穀自治管理法は、政府にとっては、過剰米及 び財政負担問題への対策であった。一方、前節で検討したこの時期の帝国農会と産業組合、
及びそのリーダーたちの議論とを合わせて考察すると、この米穀自治管理法は、自治的米 穀販売組織の育成、さらに、農業団体の組織拡大につながっており、また農業側が主張し てきた植民地米への統制にもかかわるものである。要するに、従来の農業側の主張が準戦 時体制から戦時体制に移行したこの時期に、次第に政策、法案に織り込まれていくのであ る。
しかし、農業団体の組織拡大に対し、米穀取引業者側は強い危機感を持っていた。1934 年に、各地の米穀商団体が大会を開き、請願、陳情書を議会、政府に提出した。米穀商人 の団体である全国米穀商組合聯合会も大会を開き、対策を講じ、米穀自治管理法を阻止し ようとし、商権擁護を掲げた。各地の代表が反対運動で上京するのに対し、「上京阻止の内 務省の取締は相当厳重だ」108が、全国米穀商組合聯合会の要請より、鉄道省は上京する米 穀商組合の組合員に対し、期間限定の割引運賃を許可した109。
反対理由について、全国米穀商組合聯合会会長・梅原保は「誤れる米穀政策を指摘し国 民の大損害と米商の生活擁護権を絶叫す」110というタイトルの声明書を発表した。梅原は 米穀自治管理法について、「農林省伝統的の産業組合助成精神濃厚にして生産、消費の中間 に介在する商人を除外し以て産業組合と全販聯進出に拍車を加へて米穀業を自滅に導かん とする欺瞞政策に外ならない」111と批判し、「現在の産業組合、又は全販聯、販売組合が境 界線を越えての活動違法の進出に徴して明々瞭々、然も是が統制監督の地位にある、地方 官や、農林省がいかんともなし能はずして、彼等の欲するまゝの振舞を黙認し甚だ敷きは 却て暗に商人の業域を侵す事を奨励するが如き行動を探つて居る者さへある」112と産業組 合の組織拡充による圧迫を訴え、政府の米穀政策は「米穀業者の業務を剥奪せんとする意 図」113を持つものと指摘した。その上で、梅原は次のように「吾等の主張」を述べている114。
今後の対策如何、答は一言して盡きる、即ち
米穀統制法並に自治管理法案は凡て之を撤廃し自由取引に委する
108 全米商聯史刊行会、1943、80頁。
109 全米商聯史刊行会、1943、第四章を参照。
110 全米商聯史刊行会、1943、70-77頁。
111 全米商聯史刊行会、1943、74頁。
112 全米商聯史刊行会、1943、75頁。
113 同前。
114 全米商聯史刊行会、1943、76-77頁。
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を最善とし、若し然らざれば米穀法程度に復帰するにある、同時に農村問題は別途の方策を樹 て自力更生を主眼とし政府は公租公課の減免と負債の根本的整理を援助することに依つて解 決すべきである。(中略)今や国家非常時の声は至る所に満ちてゐるが、満洲国家の建設、聯 盟脱退、華府条約の廃棄、南洋委任統治問題の解決等着々其功を奏し内に工業の隆昌を見、
外に貿易の進展あり赫々たる御稜威の下国民一致の努力に依り国運愈々隆々たらんとす、然 るに独り米界の前途は暗雲低迷し真に非常時の感に堪へない(中略)誤れる米穀政策は必然 潰滅に帰するは吾等の確認する所である。
梅原も農村問題の対策を必要としながら、米穀問題と分けて考えるべきだと訴え、あく までも自由取引を主張し、次善策として、かつての米穀法のような間接統制を主張した。
この点は、1920年代以降、米穀取引業者が一貫して主張してきたことである。ただし、引 用の後半部分を見ると、梅原の議論は当時の社会情勢を無視したものではなく、準戦時状 況による「工業の隆昌」や「貿易の進展」を意識したうえで、政府による米穀取引への統 制を撤廃すべきだという主張である。
このような反対運動があったため、先に述べたように米穀自治管理法案外は第67、68議 会に提出されたが、成立には至らなかった。
折から、1936年には二・二六事件が起きた。国の経済統制強化が要請される情勢下、二・
二六事件後、内務省は米穀商等の陳情運動を抑える意向を示し、各地の反対大会や各地米 穀商代表の上京に制限をかけるという動きの下で、これに関わる論争と反対運動は低調に なっていった115。
戦時体制に移行するにつれて、日本社会の安定が強調され、米穀政策の実施に影響を受 けた米穀取引業者側への対策も要請されるに至った。政府は、衆議院の「本法ノ実施ニ際 シテハ米穀取引所竝ニ米穀業者ニ重大ナル影響ヲ與ヘザルヤウ特ニ注意シ損害アリタル場 合ニハ適当ナル対策ヲ講ズベシ」116という前述した附帯決議及び、貴族院の「政府ハ米穀 統制施設ニ依リ米穀ノ取引及配給ノ機関ニ及ホス影響ニ関シ適当ナル対策ヲ講スヘシ」117 という希望決議を受け、本格的に米穀取引所を中心とする米穀流通機構への対策を検討し 始めたのである。農林省米穀局は非公式な米穀取引所研究会を組織し、商工省及び取引所 代表と対策を検討した上で、1935 年 12月、農林省主催で、公式に米穀配給調整協議会を 設置した。その後、同会から、「日本米穀株式会社案要綱」という案が浮上したが、議会で
115 全米商聯史刊行会、1943、180-181頁を参照。
116 荷見、1937、375頁。
117 同前。
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の提案には至らなかった。さらに、1937年7月には、農林省主催の下で、米穀配給新機構 調査委員会が設置され、日本米穀株式会社案要綱を原案とする審議が行われた。
この一連の議論を経て、1939年4月に米穀配給統制法が公布・実施され、米穀取引に関 わる米穀取引所と正米市場が廃止された。米穀取引は一本化され、米穀市場は国策会社・
日本米穀株式会社(1939年7月15日設立)の下に置かれるようになった。しかし、39年 の西日本及び朝鮮の大干ばつの影響で食糧事情が悪化し、日本米穀株式会社は開店休業の 状態に陥った。1940年9月には「臨時米穀配給統制規則」が施行され、米穀取引は所定の 流通組織系統による団体間の公定価格による取引以外は不可能となり、市場取引は表舞台 から消えた。さらに戦争情勢と相俟って、食糧確保が政府にとって至上の課題となり、1942 年に食糧管理法が実施され、国家による一元管理へと移行していく。
次では、1935 年12 月に成立した米穀配給調整協議会における議論に焦点を当て、米穀 取引業者側の意見を中心に、産業組合側の委員や農林省、商務省官僚の議論を考察し、米 穀流通分野における農業側と商業者側(商工会議所、取引所、正米業者などを含む)の意 見の相違を検討する。時勢に乗じ、組織拡充によって米価決定権を握ろうとする農業側と それに反対する米穀取引業者側がせめぎあう中、どのような協議を行っていたのかを明ら かにしたい。