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昭和恐慌期における議論

ドキュメント内 近代日本における農業政策形成過程 (ページ 111-117)

第二章 米穀法時代の米価調節論

第二節 農業側の米価調節論――農業団体リーダーの議論を中心に

3 昭和恐慌期における議論

周知のとおり、1929年の世界経済恐慌で、日本も大きな打撃を受けた。輸出業に関わる 繭の価格が暴落する一方、豊作などの影響で、1930 年 10月から米価が暴落した。政府は 1931年に米穀法の第二次改正を行い、米価について最低・最高価格の設定が導入され、最 低価格は「米穀生産費ト率勢米価87ノ下値二割ニ相当スル価格トノ範囲内ニ於テ適当ト認ム ル価格」(第三条)、最高価格は「家計米価ト率勢米価ノ上値二割ニ相当スル価格トノ範囲 内ニ於テ適当ト認ムル価格」(第四条)により定めることが規定された。さらに1932 年に 第三次改正が行われ、最低価格の制定は生産費に基づくと定められるようになった。

表2.2.4 『帝国農会報』における米価問題に関する記事(1930~32年)

年代 著者 タイトル 備考

1930 20 4 帝 国 農 会 幹 事・岡田温

基準米価の意義 基準米価を概論し、「生産原価とは、

生産費に地代を含んだもの、詳言すれ ば耕境にある下等地の最高の生産費 には地代をふくまず、それより以下に は地代を含んだものという意味であ る」と述べている。

猪坂直一 米公方徳川吉宗の米価維持策

1931 21 1 野村岩夫 旧仙台藩に於ける買米制度の

農民生活に及ぼせる影響 荒川五郎 米の最低価格を公定補償する

2 藤岡啓 米穀問題を直視して 10 衆議院議員・胎

中楠右衛門

我等が提唱する米専売案

10 車 恒吉 稲作と米価 1931 年の米作状況と米価についての 分析。

1932 22 5 農 林 省 農 務 局 長・小平権一

米穀政策、その他に就いて

6 稲見泰治 米価調節の一私案 米価状況に応じ、政府の無限量買上げ と売渡し、「政府の倉庫を解放して一 定の値段ならば売買共に何時でも自 由に応ずる」ことを主張している。

8 岡田温 米穀専売を施行するとせば予 生産費は絶対的条件である、生計費は

87 率勢米価=米価率(=米価指数/物価指数)の趨勢値×基準価格決定の前月の物価指数×基準米価。米 価指数と物価指数は1900年の米価と物価を1とする。基準米価は日本銀行調査の基礎年月(190010 月)の米価である。率勢米価のポイントは米価と物価の関係にある。つまり、米価を一般物価(商工業製 品の価格)水準から一定の幅に固定するのである。

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め研究を要する事項 絶対条件たるべきものではないと主 張した。

9 大滝源九郎 米価調節の一私案を駁す 「米価調節の一私案」に対し、自由主 義経済的な発想であり、実現不可能な 案理想と批判している。

11 岡田温 米穀政策の中枢 「米穀政策が農民の犠牲を条件とす るものであれば如何なる案にも反対 である。(中略)販売を目的に生産す る米が、正当な価格で販売されるやう な価格調節の行へる政策」と主張し た。

12 東 武 米専売の理論的根拠

荷見安 最近に於ける米穀政策に就て 1:武田、1986、64-65頁、70-71頁より作成。

2:表中の記事は武田(1986)では、「米価調節論、米価問題一般」(64-65頁)と「米価事情」(70-71

頁)とに分類されているが、本稿では、「米価に関する記事」に一括にした。

3:備考は本文中では取り上げていないもの及びタイトルだけでは内容の分かりにくいものに関して説

明した。

この時期の生産費を償える米価維持という主張は1920年代とほぼ変わっていないが、現 実の米価の暴落によって、米価維持の要求が一層強まった。まずは、農業、社会全般との 関わりから米価問題の重要性が引き続き強調されている。

例えば、東京日日新聞経済部記者・藤岡啓の「米穀問題を直視して」では米価の下落に より「農家経済の破綻」、「自作農の没落」、「農業政策の根本の動揺」、「商工業の窮迫」の 問題が生じると論じられ、次のように農民生活(農業経営)の安定がもたらす他産業への 波及性を強調している。

今や農民大衆に活力を與へることは即ち全産業に活力を與へることである。全産業に果して何 程か農民を顧客としたいものがあらうか。今は農民に妥当なる米価を與へることこそ、この未曽 有の不況期( ママ )抜いた秘策であらう。米価問題の重大化を直視して政府も全国大衆も重農重商 の偏を去り、静かに行くところを考慮すべきではあるまいか88

さて、この時期の生産費と米価はどのように変化しているだろうか。図2.2.2が示すよう に、1925年以降、米価と生産費の差は縮小する傾向があるが、 やがて31年に米価は生産 費を割ってしまった。帝国農会調査の生産費によると、「生産費を償えない米価」は 1934 年まで続いていく。なお、計算方法などによって、農林省と帝国農会調査の生産費との差 異はあるものの、31年と34年の平均米価が生産費を償えていないのは、図2.2.2が示す通 り共通している。

88 『帝国農会報』212号、23頁。

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図2.2.2 昭和恐慌期前後の米価と米生産費の変化 (単位:円/石)

1:生産費は石橋幸雄、1961、46-54頁より作成。農林省調査石当生産費は、(反当生産費−反当副収入)

/反当収入で計算したものである。小数点以下二位四捨五入。なお、農林省の大規模な生産費調査 1931年から開始されたので、それ以前のデータはない。

2:平均米価は桜井誠、1989a、270-271頁、東京深川正米市場の内地玄米中米標準相場の平均米価デー

タより作成。

このような米価の変動傾向を見取って、米価の下落に農会側は危機感を示したのである。

1929年時点ですでに、最低・最高価格制定の要請はいっそう強まっていった。1929年の帝 国農会の「米価政策に関する建議」では、最低・最高価格制定が求められた。さらに、同 年、関係大臣の諮問に応じ米穀調査会が米穀政策についての重要要項を調査審議する機関 として設置された。この調査会も1930年に「政府ハ速ニ米穀法ノ発動ニ必要ナル米価ノ最 高最低基準ヲ調査決定スベシ」と答申した89。このような状況の中で、『帝国農会報』にも、

価格制定についての論説が掲載される。例えば、荒川五郎は、「米の最低価格を公定補償す る法」で再び米価について論じ、「買上げの際する一時の上騰の如きは唯単に米商を利する も生産者たる農民を利することは殆どなし」90と米穀商人の投機問題について指摘し、買上 の最低価格を公定補償するという方法を提起した。そして、具体的には、次のように述べ ていた91

一、最低価格は毎年の初め生産費や其の他持越米の数量等を考慮し生産者の状況に応じて 常識的に大体の見当を以て決定すれば可なり、決して之を以て売買せしめ市価たらしむるに 非ざるを以て敢て甚しく拘はるを要せず従て公定決して難事に非ず

一、年初に価格を公表するを以て農家は之に応じて施肥の取捨の他の見込みを立て以て事に

89 桜井、1989a、82-86頁。

90 『帝国農会報』211号、53頁。

91 『帝国農会報』211号、54頁。

0.00 5.00 10.00 15.00 20.00 25.00 30.00 35.00 40.00 45.00

平均米価

生産費(帝国農 会調査・自作 農)

生産費(農林省 調査・自作)

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従ふが故に自然に適当の産額を得て平準価を保ち敢て大に増減若くは公定なきに至るの利 多し

一、而して其の差額補償は米券倉庫によるを以て自然倉庫業の発達をみるに至る

一、此の根本法を立つれば自作農の維持奨励開墾助成其の他の補助奨励等は一切之を廃 止することを得、何となれば公定価を知り相当の利あるを見れば補助奨励なしとするも此等 の事業は自然に與るに至るべし

引用した部分のように、買上価格を事前公定・公表し、価格を補償することによって、

農家の生産をコントロールしようとする議論である。この議論の中で、留意したいのは、

価格の保障を論じながら、その対策の重点は生産調整(公定価格の事前公示による生産者 の判断に基づくもの)にあるところである。これは、米の豊作により過剰が生じたことを 意識したものだろうが、1920年代に、植民地・内地両方の増産策の実施により、食糧「自 給」が達成し、当時米の過剰問題が顕在化してきたことに対応する議論であったと考えら れる。一方的な増産ではなく、必要に応じ、生産制限も考えられるという発想だろう。

なお、この時期には専売案に関する議論も盛んになっていく。米専売案は政友会によっ て提起されており、一般新聞紙上でも報道されている92。そして、『帝国農会報』でも専売 の議論が扱われている。例えば、衆議院委員・胎中楠右衛門の「我等が提唱する米専売案」

では、「内地植民地を打て一丸したる生産統制を行ふのであるから、内地米は農家自身の消 費量を控除し、其他を総べて政府の専売とし、朝鮮米及台湾米の移入、外国米の輸入、並 びに内地米、植民地米の輸移出等は総べて政府の専売に移さんとする」と主張された93。こ こではまた、生産統制問題が注目されている(胎中の詳しい主張は第三章第一節の3を参 照)。

ほかには、東武94が「米専売の理論的根拠」で、「米の売買を政府の独占とする売買専売」

を主張し、その目的を次のように述べている95

(一)価格の安定を図ること。

92 大阪朝日新聞(1931814日)、国民新聞(1931818日)などの専売に関する記事がみられ る。

93 『帝国農会報』2110号、31頁。

94 東武は1869年奈良県生まれ。1889年奈良十津川郷に大水害が発生、1890年郷民3000人余を率いて北 海道に渡り、新十津川村、深川村を開拓した。1901年北海タイムス社を設立、理事、社長となった。同年 1期北海道議選に当選2期務める。1908年衆院議員に当選、通算10期。政友会に属した。1939年没。

(日外アソシェーツ株式会社、16頁)

95 『帝国農会報』2212号、18頁。

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